この文章は、中学生の約60%ができない数学の問題(図形の論証)を中学校のカリキュラムに入れるべきかどうかについて論じたものです。
教育は本来平等を目指すべきものだが、しかし残念ながらある局面では平等たり得ない。ここに教育の矛盾があると思う。二つの理由で、「図形の論証」のような難解な教材がカリキュラムに組み入れられるのもやむを得ないし、むしろそれがときに必要な措置だとさえ私が考えている所以を述べたい。
第一に、教材は現在の社会の現実にだけ合わせるべきものではなく、...第二には文化とは何か?ということと深く関係がある。...。教育の中に分からないもの、及ばないものが入ってきてはいけないという考えが、 教育を狭めてしまうことになる。...物理の教科書は分かったこと、解明済みのことしか記述しない。このような教科書の記述の仕方は間違っているのではないだろう。...。分かったことや分り易いことだけで教育を限定すると、教育を結局はし死滅させることにつながりかねない。...(西尾幹ニ「教育と自由」)
*カリキュラム:教育の内容。 所以:理由。
問:「教育を狭めてしまう」とあるが、どのような意味か。
1. 教育を受ける機会が平等でなくなってしまう。
2. 内容を理解できない中学生が増えてしまう。
3. 本来の教育の意味が損なわれてしまう。
4. 正確に教えられる教師が減ってしまう。 |