本帖最后由 小猫尖尖 于 2010-1-24 03:15 编辑
(四)
あおのけさまに畳(たたみ)の上へ倒れて、しばらく丑松は身動き(みうごき)もせずに考えていたが、やがて疲労(ひろう)が出てねてしまった。ふと目が覚めて、部屋のなかを見廻した時は、つけておかなかったはずの洋燈(ランプ)が寂しそうに照らして、夕飯(ゆんはん)の膳(ぜん)も片隅(かたすみ)に置いてある。自分は未だ洋服のまま。丑松の心地(こころもち)には一時間余りも眠ったらしい。戸(と)の外には時雨(しぐれ)の降りそそぐ音もする。起き直って、買って来た本の黄色い表紙(ひょうし)を眺めながら、膳を手前へ引寄せて食った。飯櫃(おはち)の蓋を取って、あつめ飯の臭気(におい)を嗅(か)いでみると、丑松はもう嘆息(たんそく)してしまって、そこそこにして膳をおしやったのである。『懴悔録』をひろげて置いて、まず残りの巻煙草(まきたばこ)に火をつけた。
大意
丑松仰躺在榻榻米上,有一段时间他动也不动就那样想事情。不久便累极睡着。突然醒来时,环顾房间四周,原本没点上的灯正燃着,照射出惨淡的光影,晚餐的盘子也放在一边。丑松还穿着工作时的衣服。他觉得自己好像睡了一个多小时。窗外有秋雨淅沥下着的声音。丑松坐起来,看着刚买那本书的黄色封面,一边取过膳食来吃。掀开饭盒的盖子,闻了闻饭的气味便叹起气来,随便对付几口便了事了。他翻开《忏悔录》,把剩下的那半截烟点上。
この本の著者(ちょしゃ)――猪子蓮太郎の思想は、今の世の下層社会の『新しい苦痛(くつう)』をあらわすと言はれている。人によると、あの男ほど自分を吹聴(ふいちょう)するものはないと言って、妙に毛嫌(けぎら)いするような手合(てあ)いもある。なるほど、その筆(ふで)にはいつも一種の神経質(しんけいしつ)があった。とうてい蓮太郎は自分を離れて話をすることの出来ない人であった。しかし思想が剛健(ごうけん)で、しかも観察の精緻(せいち)を兼ねて、人をひきつける力の壮(さか)んに溢(あふ)れているということは、一度その著述(ちょじゅつ)を読んだものの誰しも感ずる特色なのである。蓮太郎は貧民、労働者、または新平民などの生活状態を研究して、社会の下層(かそう)を流れる清水(しみず)に掘りあてるまでは倦(う)まず弛(たゆ)まず努(つと)めるばかりでなく、またそれを読者の前に突(つ)きつけて、右からも左からも説き明か(ときあか)して、呑込め(のみこめ)ないと思うことは何度繰り返えしても、読者の腹(おなか)の中に置かなければ承知しないというやり方であった。もっとも蓮太郎のは哲学とか経済とかの方面からそういう問題を取り扱わないで、むしろ心理の研究に基礎を置いた。文章はただ岩石(がんせき)を並べたように思想を並べたもので、むきだしなところにかえって人を動かす力があったのである。
大意
这本书的作者——猪子莲太郎所传达的是当今世界下层社会显现的“新的苦难”。因人而异,也有认为猪子莲太郎这个男人很能吹嘘而对他无端生厌的家伙。果然,莲太郎的写作方式总是带着一种神经质。莲太郎终归不是个能作为旁观者写作的人。不过他思维刚毅,而且观察细微,文字中洋溢着强大的吸引力,每一个读过其作品的人都能感觉到。莲太郎研究贫民、劳动者,以及“新平民”们的生活状态,他并不只是一味努力地挖掘社会下层社会的清泉(好的方面、真善美),而是将这些展现在读者面前,从各个方面加以说明,为了读者更能理解而反复描写,是一种非要渗透进读者心中写作意图。莲太郎不是以哲学或经济学为主,而是基于心理研究去创作。他的文章就像排列着的岩石一般列出其思想,裸露的表达反而起到打动人心的作用。
しかし丑松が蓮太郎の書いたものを愛読するのはただそれだけの理由からではない。新しい思想家でもあり戦士でもある猪子蓮太郎という人物が穢多の中から産(うま)れたという事実は、丑松の心に深い感動を与えたので――まあ、丑松のつもりでは、ひそかに先輩として慕(した)っているのである。同じ人間でありながら、自分らばかりそんなに軽蔑(けいべつ)される道理がない、という烈しい意気込み(いきごみ)を持つようになったのも、実はこの先輩の感化(かんか)であった。こういうわけから、蓮太郎の著述といえば必ず買って読む。雑誌に名が出る、必ず目を通す。読めば読むほど丑松はこの先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるような気がした。穢多としての悲しい自覚はいつの間にかその頭をもちあげたのである。
大意
不过丑松喜欢读莲太郎的书还有其他原因。新一代的思想家同时又是战士的猪子莲太郞是秽多的事实,给予了丑松的内心深深的感动。丑松暗地里十分崇敬这位前辈。丑松心中所萌生的“同为人类,而自己的民族却要毫无道理地受到蔑视”的强烈劲头,也是因了这位前辈的感化。正因如此,莲太郎所著的书他必定会买来阅读。杂志上只要出现他的名字,必定会浏览一遍。读着读着,丑松感觉自己被前辈牵着手走向了新的世界。作为秽多的悲哀感已经在不知不觉中昂起头来。
今度の新著述は、『我は穢多なり』という文句で始めてあった。その中には同族(どうぞく)の無智(むち)と零落(れいらく)とが活(い)きた画のように描いてあった。その中には多くの正直な男女(おとこおんな)が、ただ穢多の生れというばかりで、社会から捨てられて行く光景も写してあった。その中にはまた、著者の煩悶(はんもん)の歴史、歓(うれ)し哀(かな)しい過去の追想、精神の自由を求めて、しかもそれが得られないで、不調和(ふちょうわ)な社会のために苦(くるし)みぬいた懐疑の昔語(むかしがた)りから、朝空(あさぞら)を願(のぞ)むような新しい生涯に入るまで――熱心な男性の嗚咽(おえち)が声を聞くように書きあらわしてあった。
大意
这次的新作,是以“我是秽多”起句的。书中鲜明刻画了同族人无知及没落的生存状态。描写了许多正直的男女只因秽多的出身而被社会抛弃的景象。作者还从回顾闷的历史、悲欢的过去,追求精神自由,并且因实现不了而身处不和谐的社会中历尽艰辛的故事,到向着仰望晴空一般的新生活迈进——这位热血男性有如意图让大家听到他的呜咽一般写下了那些文字。
新しい生涯――それが蓮太郎には偶然な身のつまずきから開(ひら)けたのである。生れは信州高遠(たかとお)の人。古い穢多の宗族(そうぞく)ということは、ちょうど長野(ながの)の師範校(しはんこう)に心理学の講師として来ていたころ――丑松がまだ入学しない以前――同じ南信(なんしん)の地方から出て来た二三の生徒の口からもれた。講師の中に賤民(せんみん)の子(こ)がある。是噂(うわさ)が全校へひろがった時は、一同(いちどう)驚愕(きょうがく)と疑心(ぎしん)とで動揺(どうよう)した。ある人は蓮太郎の人物(じんぶつ)を、ある人はその容貌(ようぼう)を、ある人はその学識(がくしき)を、いずれも穢多の生れとは思われないと言って、どうしても虚言(きょげん)だと言い張る(いいはる)のであった。放逐(ほうちく)、放逐、声は一部の教師仲間の嫉妬(しっと)から起った。ああ、人種(じんしゅ)の偏執ということがないものなら、『キシネフ』で殺される猶太人(ゆだやじん)もなかろうし、西洋で言いはやす黄禍(ほうか)の説(せつ)もなかろう。無理が通れば道理が引込(ひっこ)むというこの世の中に、誰が穢多の子の放逐を不当(ふとう)だと言うものがあろう。いよいよ蓮太郎が身の素性(すじょう)を自白(じはく)して、多くの校友に別離(べつり)を告げて行(ゆ)く時、この講師のために同情の涙を流すものは一人もなかった。蓮太郎は師範校の門を出て、『学問のための学問』を捨てたのである。
大意
新的生活——这是莲太郎偶然的挫折中找开的新局面。他是在信州高远出生的,被指为古时秽多宗族的后代,是他在长野的师范学校担任心理学讲师的时候(当时丑松还没进入这所学校),莲太郎的身世被几个同乡的学生说漏了。“教师里面有贱民之子”——这个流言蔓看延至全校时,所有人都因为惊愕和怀疑动摇了。有人说,像莲太郎这样的人、像他这种相貌学识的人绝对不像是秽多的后代,从而坚持那些是谣言。“赶走他!”的声音来自于嫉妒莲太郎的教师。唉,如果没有人种歧视,就不会在基什尼奥夫(俄罗斯帝国的归属国摩尔达维亚首者)发生残杀犹太人的事情,也不会出现西洋的黄祸论(德皇威廉二世1895年发明“黄祸论”时,本意是“日本威胁论”。那年,日本占领中国的辽东半岛和旅顺口,对俄罗斯远东地区及德国在华势力范围构成威胁。于是威廉二世请人绘制油画《黄祸图》,分赠给俄国沙皇等几个欧洲君主。但后来此“黄”被人们误读为所有黄种人)。在这个有理说不通无理却横行的社会,谁也不敢说驱逐秽多之后有何不当。最后莲太郎坦白了自己的身世,在向众位校友道别时,没有人为这位教师流下一滴同情的泪水。莲太郎离开师范学校后,正式舍弃了“为了做学问而做学问”的生涯。
この当時の光景は『懴悔録』の中にくはしく記載してあった。丑松は身につまされるかして、幾たびか読みかけた本を閉じて、目をつぶって、やがてそれを読むのは苦しくなって来た。同情は妙なもので、かえって底意(そこい)を汲(く)ませないようなことがある。それに蓮太郎の筆は、おもしろく読ませるというよりも、考えさせる方だ。しまいには丑松も書いてあることを離れてしまって、自分の一生ばかり思いつづけながら読んだ。
大意
《忏悔录》中详细记录了当时的情况。丑松心身体会,好几回关上读到一半的书本,闭上眼睛,结果越读越痛苦。同情是一种奇妙的情愫,有时候反而令人不敢触及其真相。莲太郎的笔触与其说让读者感兴趣,不如说是引发读者深思。于是丑松也不得不脱离单纯的阅读模式,一边思考着自己的人生,一边读了下去。 |