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2 十二滝町の更なる転落と羊たち(2)
たとえば一九〇五年\明治三十八年には旅順が開城し、アイヌ青年の息子が戦死していた。僕の記憶によればそれはまた羊博士の生まれた年でもあった。歴史は少しずつどこかでつながっていた。
「なんだかこうしてみると、日本人って戦争のあいまに生きてきたみたいね」と彼女は年表の左右を見比べながら言った。
「みたいだね」と僕は言った。
「どうしてそんなことになってしまったの?」
「ちょっと複雑なんだ。ひとことじゃ言えない」
「ふうん」
待合室は大方の待合室がそうであるようにがらんとして味も素気もなかった。ペンチはおそろしく座りにくく、灰皿には水を吸い込んだ吸殻がぎっしりとつまっていて、空気が澱んでいた。壁には何枚かの観光地のポスターと指名手配のリストが貼られていた。我々のほかにはらくだ色のセーターを着た老人と四歳ぐらいの男の子をつれた母親がいるだけだった。老人は一度決めた姿勢をぴくりとも変えずに小説雑誌に読み耽っていた。まるで絆創膏をむしり撮るような感じでページをめくった。一ページめくってから次のページをめぐるまでに十五分くらいかかった。親子づれは倦怠期の夫婦のように見えた。
「結局みんな貧乏で、うまくいけば貧乏から抜けだせるんじゃないかって気がしてたんだろうね」と僕は言った。
「十二滝町の人たちみたいに?」
「そう。だからみんな死にも狂いで畑を耕したんだ。でも殆んどの開拓者は貧乏なまま死んだ」
「どうして?」
「土地のせいだよ。北海道は寒い土地だから何年かに一度必ず冷害にみまわれるんだ。作物が取れないと自分たちの食べるものもなくなるし、収入もないから石油も買えないし、来年のための種や苗も買えない。だから土地を担保(たんぽ)に高利大貸から金を借りる。しかしその利子を払えるほどこの地域の農業の生産性は高くない。結局は土地を取り上げられてしまう。そんな風にして多くの農民が小作農に転落していったんだ」
僕は「十二滝町の歴史」のページをぱらぱらと繰った。
「昭和五年には十二滝町の人口に占める自作農の割合は四十六パーセントにまで落ち込んでいる。昭和のはじめに大不況と冷害がかさなったんだ」
「せっかく苦労して土地を開拓して畑を作ったのに、とうとう借金からは逃げ切れなかったのね」
四十分ばかり時間があったので彼女は一人で街の散歩にでかけた。僕は待合室に残ってコカ?コーラを飲みながら読みかけていた本のページを開いたが、十分試(こころ)みてからあきらめて本をポケットに戻した。頭には何も入らなかった。僕の頭の中には十二滝町の羊たちがいて、僕がそこに送り込む活字をかたかたと音を立てながらかたっぱしから食べていった。僕は目を閉じてため息をついた。通りすぎていく貨物列車が汽笛を鳴らした。
例如,一九0五年/明治三十八年旅顺开城,阿依奴青年的儿子战死。凭借自己的记忆羊博士在那一年出生。历史总是有些相关联的。
“如果这样来看的话,日本人像在战争之中诞生。”她左右对比着年表说。
“像是。”我说。
“怎么会是那样呢?”
“有一点复杂。一言难尽。”
“是吗?”
候车室跟一般的相同显得空荡荡地,没有什么活气儿很冷淡。座椅很不舒服,烟头把水吸得鼓鼓的挤满烟灰缸,空气很沉闷。在墙壁上贴有几张观光地宣传画和嫌疑人名单目录。除我们之外也只有穿骆驼色毛衣的老人和带着四岁儿子的母亲。老人沉浸在读小说杂志中去,其固定的姿势一动不动。就像去掉橡皮膏那样翻着书页。翻完一页之后等到再翻下一页要用十五分钟。那母子两人看上去像是很疲倦的夫妇。
“原因是因为贫穷,寄托希望通过努力能从贫穷中挣脱出来。”我说。
“这些像是十二瀑布的人。”
“像是。可是大家挣扎到死还是耕田。而且几乎所有的开拓者都还是在贫乏中死去。”
“为什么?”
“是土地的原因。土地寒冷,在北海道过几年必定会遇到一次寒冷的灾害。作物无收获连自己可吃的东西都没有,因为没有收入就买不起石油,也买不到来年的种或苗。通过土地担保高利贷就需要借钱。因为要付相对的利息,而这个地区的农业的生产值就没有那么高。在这种状况下就要把土地交上去,很多农民就沦落为佃农。”
我哗啦哗啦翻着《十二瀑布镇的历史》。
“到昭和五年自作农占十二瀑布镇总人口的比例达到46%。在昭和年代开始,大萧条和冷害在重复出现。
“尽管那么辛苦去开拓土地耕种田地,但怎么也不能从借债中脱离出来。
虽也只有四十分钟的时间,她一人也要到街上逛一逛。我留在候车室里一边喝着可口可乐一边翻着正在读的书。也只读了十分钟我死心地把书放回到口袋里。头脑里什么也装不进去。在我的头脑里只有十二瀑布的羊,它们发出声音咔嗒咔嗒把送到那里的活字一个一个地吃掉。我闭上眼睛休息了一会儿。从这里路过的货车发出鸣笛。 |
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