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发表于 2006-3-30 23:32:55
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1974年3月、西安郊外のある村で、農業用水をくみ上げるための井戸を掘っていた農民が奇妙なものを掘り出した。そのときの様子を農民たちは次のように語っている。
「3~4m掘り下げたとき、陶器のかけらが出てきた。宝の壺でも出てくるんじゃあるまいかと慎重に掘っていくと、でっかい陶器の人形が出てきたじゃないか」
「これはえらいことになったというので、県の文化館に電話して来てもらったが、わからん。そこで、省の文物管理処から専門家に来てもらったら、敷瓦に“秦”という字があるのを見つけた。それから大騒ぎになった」
あとでわかったことだが、このあたりは明代の末から清代の初めにかけて墓地だったことがあり、そのころ地下から怪物が出たということが、語り伝えられてきたのだという。1年にわたるボーリングと試掘の結果、おどろくべきその輪郭が明らかになった。
最初に試掘した1000㎡だけでも、530体の武士の「陶俑」と24頭の陶馬が現れたのである。
俑とは、死者の死後の生活のため、地下の墓室の内外に副葬品として埋葬されたもので、もともと生きた人間を殉葬していたものが、時代の推移につれて人形で代用されるようになったのである。
現在、1号坑は大体育館のようなドームで覆われ、その中でなお発掘が進められている。
1984年の時点で、すでに発掘されたのは、陶俑1000余体、陶馬32頭、兵車8台、各種の青銅製武器1万件と報告されている(ちなみに、武器は実物で、とくに剣はなお青白い光を放っている)。
発掘現場で見ると、折りかさなるようにして埋没している個体を、一件一件、丹念に掘りだし、整理していく作業は容易なものではなく、責任者の言うところでは、「逃げるわけではないし、整理し研究するのも追いつかないから、発掘は急がない」。
陶俑・陶馬の総計は7000体以上と推定されている。1号坑のほかに、2号坑・3号坑も発見されており、こちらは試掘だけで埋め戻されているが、 相当数の兵馬俑がやはり埋没していると考えられる。これだけの大軍団が、始皇帝陵の東1.5kmの地点に、陵を背にし、東を向いた戦闘隊形をとっているのである。 |
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