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发表于 2005-6-22 14:29:54
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寿ければ辱多し イノチナガケレバハジオオシ
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荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである。8 {2 z! T& @1 ^
彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人
0 n- T v7 [5 W, i! I a/ h; e間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何+ b( m9 L6 W' `, T* ~4 A- i* t) }+ t
ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」の世界にあ
+ k7 x O/ c k7 W0 o% e/ c1 jこがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺や皮肉や寓言に, f7 B" P( u& ~$ f5 C# p, v h* ^# V0 S
託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの4 I4 i: [; Q( Y/ i, e4 i7 d
話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史9 S6 x: _, L% h# K# O& d6 H
実ではない。
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) Y6 g* M) Q$ _# b1 E$ @) P その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された) }( h/ @; k2 r1 {# v" Y) Z+ m
ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい
' H6 U& n- J$ f# B5 _4 Mで、ご挨拶を申し上げた。" E6 w$ p' M0 W, ^
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「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは
% E* E V- }2 Y/ b8 m あなた様の御寿命の幾久しくあられますように。」
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$ l- `$ g4 H6 \/ q* | 「いやいや。」1 j/ d3 o W5 I
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堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。
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9 P2 B. z8 l% } 「わしは寿命を望もうなどとは思わぬものじゃ。」9 t/ R% L- z2 H
, t4 e, [% ~) X, i9 y 「ならばあなた様の御富のますます豊かにあられますように。」
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( a( S! O/ t1 V- z$ `, u 「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」/ A' S9 Q( n7 n# |- O, j9 D5 I
" j1 w6 s2 V: \+ x8 Q 「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう3 S; }4 |' B! a0 u0 {/ R
に。」$ @7 a4 J& C! o; G5 h9 A
& A" o& M' P5 M O 「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」
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+ I* p' B. c* g1 h L# [ 「はてさて。」) ^4 N( F: p. ]
6 {1 [. Q' p6 N 関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。
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# g7 ~; m5 u+ O J" c0 d2 P$ J# } 「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう
+ X# h5 y( x. M1 M に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで
+ t, x# w, ], @4 C+ s: D& S ござりましょう。」
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' |, ?! g8 w/ F, r& ^ 「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、
) j x7 d% N' Z: z( J. E かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、% L6 C3 x" N' G1 ^
寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう, ^$ \5 y* H' _+ F/ L7 b# z
というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が
, H3 h2 s# t" }2 c& j5 t, y 身の徳を養うには無用のものといわねばならぬわい。」
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$ O! p8 ]: f% e/ Z7 @7 f それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。' P( r& K$ o$ v% x8 m5 {3 ]1 G" x
彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。" q; ~, }: W' t( x1 I' P1 m5 G' ~; r
: h8 \' v! S4 K- U4 j7 \ 「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言 p" i+ @! s# `
い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供; k' O$ i8 Q, S; v; N Z
が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ
4 h6 }( B& u9 }% t4 S- p るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の
: E5 _5 Y! t: J. A0 _$ p! x 面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を& B1 }. v. o% {) _7 i% D) b0 ?; w A
選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと2 G2 x2 ~5 } M% D; ^7 h
く自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、皆人とともに; ~6 M% C6 t1 s# ? g+ i
その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて# e- k* i5 e2 z; H2 p6 u
隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時4 @1 g# x+ f: @& l; K; d, G4 G# F
は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・
4 E+ h" b( s- W2 m9 `4 x 老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿
. k# U- o- @6 f$ X# w# J5 `: q E0 F くともなんで辱の多いことがあろうものか。」
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こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、
; A7 O- v7 c% j2 R, r5 C# ]ハッと気を取りなおして後を追いかけ、: B$ |: _3 H+ B/ V# Z. ^
( s% A# p) v4 l$ x9 Y 「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」) e! I: m% h* d4 `
* E5 h( ?3 y) s) X& S1 [1 ]9 C と声をかけたが、かの人は、! U5 X* T# `$ Y3 x+ N4 b% g
- F$ r' G7 j" p5 }# N: e 「えい、うるさいわえ。」
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と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。
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, T% Y- X: Z0 Y% y0 D8 M3 S 荘子はこの寓言によって、「儒家」的聖人である堯と対比しつつ
1 [5 u! z3 D/ U1 X1 U「道」の世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう
% _2 A6 \4 z+ j: }としたのである。 |
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