天声人語 ~8 a" |- n- P$ @7 a
2007年12月16日(日曜日)付- e, S5 O6 m& x; |! S3 E" ?
f# Z, ]( ?2 W' g* \& q 中古と新品、小物大物が入り乱れ、あらゆる生活雑貨が通りの両側に並んでいる。山積みの古着は100円だった。煮込んだ玉こんにゃくや甘酒もある。各人のお目当て、急ぎぶりが違うので、押し合いへし合い、前に進めない▼きのう、東京・世田谷のボロ市を歩いた。16世紀に始まり、明治期には冬の名物になったという。野良着やわらじを補強するボロ布が盛んに売られ、この名がついたと伝わる▼100年前の風景を「東京中の煤(すす)掃きの塵(ごみ)箱を此処(ここ)へ打ち明けた様」と書いたのは、世田谷を愛した作家、徳冨蘆花(ろか)だ。露店の間を行き交う群衆は、のどを通るヒエ粒に例えた。そして「ボロ市を観(み)て悟らねばならぬ、世に無用のものは無い」(『みみずのたはこと』岩波文庫)▼無用を有用にするボロの売買は、今風にいえば「エコ」の先駆けだろう。ただ、ボロには「隠している欠点、失敗」という意味もある。身から出たさびで、あるいは内部告発によって、今年も多くのボロがさらされた▼首相と大臣、次官、横綱、社会保険庁、食品会社に料亭。人や組織だけではない。佐世保の惨劇が重ねて示したように、30万丁の銃規制にはほころびが見える。米国の低所得者向け住宅融資「サブプライムローン」は無理がたたり、散ったホコリに金融市場がむせ返っている▼ボロを引きずり舞台を降りた人がいた。ボロを懐に押し込み、知らぬ顔で居座る者もいる。出したボロ、そのさばき方で人が見え、わがボロの数々も反省できる。世に無用のものは確かに無い。 |