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发表于 2008-3-15 11:18:43
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天声人語
, U& R7 w2 U, b5 w! U0 }2008年03月15日(土曜日)付
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東京が春先の雨に煙ったきのう、武蔵野と呼ばれる西の郊外を歩いた。散見する落葉の木々は、まだ裸のままだ。作家の藤沢周平さんは生前、このあたりに住み、雑木林の冬姿を好んだ▼〈冬の木々は、すべての虚飾をはぎとられて本来の思想だけで立っている〉と随筆に書いた。そして、〈もうちょっと齢(とし)取るとああなる、覚悟はいいか〉と自らに問うている。来し方をごまかすことのできない立ち姿を、裸の木々に見たのだろう▼その木々も、春がめぐれば緑をかえす。雨は雑木林を遠くにけぶらせ、けぶる中で冬芽がゆるむ。きのうの雨は、さしずめ「木の芽雨」である。北の地方では、初めて雪を交えずに雨だけが降り続く、いわゆる「雨一番」だったかもしれない▼梅は凜(りん)、桜は艶(えん)。ならば桃にはどんな一字を献じようかと過日書いたら、たくさん便りをいただいた。うららかの「麗」をはじめ、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)の「蕩」、可憐(かれん)の「憐」、それから「雅」「満」「優」「華」……。美しい意味の「姚」など「女」を含む字が似合う、というご意見もあった▼亡き母や夫の面影を、桃の花に重ねる方もいた。自然は色をかえすのに、人は歳々年々同じからず。命あふれる季節だからこそ、花にひそむ思い出のトゲが胸に刺さり、ふと悲しみは滴るのだろう▼〈好雨時節を知り、春に当たりて乃(すなわ)ち発生す〉(杜甫)。よい雨は時を心得ていて、春になると降り出して万物を育む。麗、蕩、憐、雅……それぞれの思い描く一文字にも、ひと雨ごとに春が近づく3月である。 |
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