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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2008-3-31 10:07:40 | 显示全部楼层

2008年03月29日(土曜日)付

沖縄本島の南端で、荒崎海岸は崖(がけ)となって海に落ち込む。沖縄戦の末期、その磯に追いつめられた4人の女生徒が、泣きながら唱歌「故郷(ふるさと)」を歌った。つらい体験を、ひめゆり学徒隊で生き残った宮城喜久子さんに聞いたことがある▼砲撃のやんだ夜。宮城さんら4人は歌いながら、櫛(くし)や家族の写真が入ったかばんを海に投げた。死を覚悟したときに文部省唱歌が口からもれたのは、沖縄の歌を一つも知らなかったからだという▼日本政府は、明治の初めに琉球を併合した。以来、「辺境の民」を「一人前の日本人」にするための皇民化政策が進められる。沖縄の方言や歌はきびしく禁じられた。学校のオルガンで弾こうものなら、教師が飛んできて怒鳴りつけた▼沖縄戦での集団死(自決)も、そうした歴史のひとつの悲劇だ。大江健三郎さんの『沖縄ノート』の記述をめぐる訴訟で、裁判所はきのう、「集団自決には旧日本軍が深くかかわった」と認定した。大江さん側の勝訴である▼軍と住民の「タテの構造」における死の強制、と大江さんは言う。その構造は、皇民化政策でならされた島にやすやすと根を張った。そして「軍民の共生共死」を押しつけられた地上戦で、おびただしい住民の血が流れた。それが沖縄戦である▼米国の著名な歴史家アーサー・シュレジンジャー氏から、「歴史は国家の応援団ではない」と聞かされたのを思い出す。かく言う氏も、盟友ケネディ元大統領の失政には甘かったようだ。教訓としつつ、歴史を見る目を養いたい。
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发表于 2008-3-31 10:08:13 | 显示全部楼层

2008年03月30日(日曜日)付

咲き乱れるポピーを南房総で見た。透けた色紙のような花を乗せ、誰に手を振るのか、長い茎が風にそよぐ。様々な別れが並ぶ3月の言葉から▼「60年かけてやっとかなった勉強できる喜びを感じている」。78歳の福井孝之さんが名古屋市の明和高校を卒業した。旧国鉄の運転士を退職後、70を超えて夜間中学から定時制に進んだ。「年寄りだからといってあきらめたことはない」。次は大学だ▼同志社大の卒業式には岡崎愛子さんが車いすで出席。05年のJR宝塚線脱線事故で下半身の感覚を失った。「事故でできなくなったことの方が多いけれど、その分できることを見つけてやっていきたい」。ソニー社員として東京での一人暮らしが待つ▼横浜市の野毛山動物園で雄ライオン、モドリが23歳8カ月の大往生。「動物には珍しく、寝たきりになった後も一生懸命生きようという意欲を見せてくれた」と、飼育係の川田攻さん▼東京―大阪の寝台急行「銀河」。廃止が発表されると号車番号標などが次々と盗まれ、紙で代用していた。最終運行を前に、検修(けんしゅう)担当の徳田一彦さんは「最後だけは正規の部品をかき集めて、本来の姿に戻してやろうと思うんです」▼石川県津幡町の河合谷小が、児童減で133年の歴史に幕。最後の13人のうち4人が巣立つ卒業式で、松本義輝PTA会長は「誰かの親友になれるような大人になってほしい」。昭和の初め、村ぐるみの禁酒で新校舎の建築費を工面した歴史が残る▼横に長々と延びた小欄の体裁も本日が見納めとなります。
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发表于 2008-3-31 10:08:31 | 显示全部楼层

2008年03月31日(月曜日)付

「あ」とか「お」とか、小さな声を発して読み始めた方もおられよう。紙面一新に合わせ、小欄もご覧の通りの変わりようである。パソコンや携帯電話で横書きを追うネット読者の方は図書館などでご確認いただきたい▼天声人語が全国通しのコラムとなったのは、終戦間もない1945(昭和20)年の9月。以来、この面に平たく寝そべり、森羅万象を書き継いできた。きょうから太めになる▼一行の字数が増えて、心持ち文はゆったりと、おもむろに底で弾んで次の行へと進む。足の立たないプールで覚える戸惑いと、しばらく泳いでみての解放感を思い出す。全体の分量も6字増えた。うれしいなあ、と書けば消える字数ではあるが、限られた紙幅ゆえにありがたい▼さて、限られた年度末の日々は増えもせず、3月が尽きる。パン、しょうゆ、食用油、牛乳と、必需品を選び抜いたように深まる値上げの春。いつまでとも知れぬガソリン値下げは、客と店を浮足立たせるだけだろう。あてになるのは北へ急ぐ桜前線ぐらいか▼年金不信、日銀総裁、道路財源。「未決」の山を傍らに、私たちが選んだ政治はねじれ国会の深いプールでおぼれかけている。福田首相も小沢代表も一代の見せ場に居ながら、国を導く熱と技はありやなしや▼頼れぬ国政を前に、漏れるのは「ああ」のため息ばかり。たまには「おお」とうなりたい。沈滞は党派を超えた動きを生むかもしれない。熱と技を備えた本物はどれか、今度こそ見定めよう。そんな千秋の思いを、新装の箱の隅で新たにする。
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发表于 2008-4-2 17:26:00 | 显示全部楼层
天声人語- f& X: A1 F) g2 p/ a
2008年04月01日(火曜日)付
5 C- g( F5 V2 `$ c  H) C3 R
; I1 }. ~+ \' q  w2 W1 u& W5年前のきょう、東京新聞が〈東京湾で大油田発見〉と報じた。同紙恒例の冗談記事の中でも「傑作の誉れが高い」と『世界のエイプリルフール・ジョーク集』(鈴木拓也、中公新書ラクレ)が紹介している。大油田が本物なら、そろそろ安い国産ガソリンが出回る時分だろうか▼暫定税率の期限切れで、ガソリンの税金が本日から1リットル25円下がる。ただし、5月には元に戻るかもしれないという。例年ならそのまま四月馬鹿で通用するほどの、へんてこな話である▼今この話題で「馬鹿」をやろうと思えば、〈政府は財政の穴を埋めるため、飲食店に1品25円の揚げ物税を課す方針を固めた。メタボ対策も期待する〉ぐらいのでたらめが必要だ。お粗末な政治が冗談を実話にし、ホラ話の作り手を泣かす▼江戸の昔、灯火に使う菜種油は必需品で、油に絡む混乱は官民が恐れた。かの大岡越前も油価の安定に気を使い、油問屋たちの価格つり上げを罰したと伝えられる▼日常生活に深くかかわる品の値段が乱高下しては、世情は定まらない。値上げづくしの春、ガソリン値下げはありがたく、干天の「慈油」には違いない。とはいえ、ひと月限りの慈雨では客も店も、自治体も混乱するばかりだ。ぬか喜びはすまい▼江戸の髪油売りは、客のご婦人たちと雑談しながら商いをした。転じて、仕事の時間を浪費することを「油を売る」と言う。永田町で油を売り合った「政治のツケ」(福田首相)が「さまよえる25円」だ。油田でも見つからない限り、この国の誰かが被(かぶ)ることになる。
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发表于 2008-4-2 17:26:41 | 显示全部楼层
天声人語9 p5 p7 J/ E' |9 S3 E
2008年04月02日(水曜日)付
# C. V; S* j( c8 j% R' {
, `* }8 x4 c0 q: Q, R米国で封切られたチャプリンの「殺人狂時代」(47年)は散々だった。宗教界や在郷軍人会が「倫理に反する」「共産党シンパだ」と映画館に圧力をかけたためだ。ほどなく赤狩りの嵐に覆われるこの国は、彼を「追放」する▼20年後、チャプリンは再び米国の地を踏んだ。アカデミー特別名誉賞の授賞式である。それは希代の映画人と、表現の自由を守れなかったハリウッドの謝罪にほかならない▼中国人監督のドキュメンタリー映画「靖国」を上映するはずだった五つの映画館が、中止を決めた。不測の事態を警戒しての結論だという。終戦記念日の参拝風景などを撮った作品は素材提供に近いが、国会議員向けの試写会が開かれ、政治色を帯びた▼右翼の抗議を怖がり、日教組の集会を拒んだホテルと同様、あるいはそれ以上に、メディアの一翼を担う映画館の萎縮(いしゅく)は深刻だ。あらゆる表現や言論、批判が出会うべき場が、近所迷惑になるからと自ら幕を下ろしては議論さえ始まらない▼面倒はいやだと縮こまる。ネットで匿名の中傷を浴びせる。そんな風潮を含めて、時代の空気は少しずつ危うくなっている。一人、また一人と嫌がらせに譲れば、筋を通す者に街宣車が群がるだろう。勇気ある者をどう支えるか。メディアの端くれとして、ここは踏ん張りどころと肝に銘じたい▼靖国の桜はきのうも満開だった。北風に花びらが舞うが、多くは揺れる枝にしがみついている。花見の名所の木々らしく、週末までは散るまいという意地なのか。風に負けてはならない時がある。
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发表于 2008-4-7 10:59:49 | 显示全部楼层

2008年04月03日(木曜日)付

『荒城の月』の詩人、土井晩翠が生まれた仙台市は毎年、東北を中心に小学生の詩を募る。「晩翠わかば賞」である。昨秋の第48回で佳作となった作品に「おかあさん」がある▼〈おかあさんは/どこでもふわふわ/ほっぺはぷにょぷにょ/ふくらはぎはぽよぽよ/ふとももはぼよん/うではもちもち/おなかは小人さんが/トランポリンをしたら/とおくへとんでいくくらい/はずんでいる/おかあさんは/とってもやわらかい/ぼくがさわったら/あたたかい気もちいい/ベッドになってくれる〉▼きっとふくよかであろう、優しい母の笑顔が浮かんでくる。作者の西山拓海(たく・み)君はおととい、青森県八戸市の家で9年の生を閉じた。電気コードで首を絞めたと認めた母親(30)が逮捕された▼何度も抱きしめてくれた「もちもちのうで」が、この朝は凶器だった。パジャマ姿で息絶えた子に、「おかあさん、なぜ?」と問う間はあるまい。詩にあふれる濃密なスキンシップとの落差に、言葉を失う▼先月の修了式の日、楽しく語らい下校する親子の姿があったという。母は何を思い、わが子を手にかけたのか。最後の最後に、幼い言葉が刻む「肌の記憶」を呼び戻せなかったものか。あれこれ考えてはみても、胸が詰まるばかりだ▼ふわふわの感触とは相いれぬ、むごい現実にさらされる子は拓海君だけではない。早すぎる旅立ちに携える残像が、最愛の人の恐ろしい形相では悲しすぎる。おかあさん、おとうさん、ころさないで。そう念じて、いま一度、ひらがなの連なりをたどる。
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发表于 2008-4-7 11:00:06 | 显示全部楼层

2008年04月04日(金曜日)付

時代と切り離せない音や像がある。その端っこに、若くて熱かった自分がいる。落ち込んだ日など、私たちは時の引き出しから熱い記憶を取り出し、少しだけ元気になる▼70年代に青春が重なる方なら、耳目にキャンディーズを呼び出せるかもしれない。私事になるが、上京の春は「年下の男の子」、下宿を移った2年後には「やさしい悪魔」。どちらの旋律も、引っ越しのホコリの中で流れていた。彼女たちの解散から、きょうで30年になる▼旧後楽園球場での解散公演は5万人を集めた。紙テープで埋まったステージ。3人は最後の曲の中で「本当に、私たちは、幸せでした」と叫び、高く手を振り、抱き合って泣き、肩を組んだまま奈落に消えた▼ほぼ同じ場所で今夜、当時のファン組織、全国キャンディーズ連盟の有志らが企画した「大同窓会」が開かれる。約1万円の参加費には紙テープ10本が含まれ、2千人の働き盛りがあの日の映像に放つはずだ▼発起人に名を連ねる大手電機メーカー社員(52)が言う。「皆でアイドルを超えた存在にしようと燃えた4年間は、人生のベースになりました。それぞれ成長した全キャン連の仲間と集い、次のステップへの手がかりにしたい」▼解散宣言の「普通の女の子に戻りたい」は流行語になった。伊藤蘭(53)、田中好子(51)のお二人は今も芸能界に、藤村美樹さん(52)は家庭にいる。いずれも参加の予定はない。されどこよい、普通のおじさんたちが同時代の引き出しを合鍵で開け、少し元気になる。そしてたぶん、明日の日本も。
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发表于 2008-4-7 11:00:25 | 显示全部楼层

2008年04月05日(土曜日)付

英文科を出た石井桃子さんは菊池寛の紹介で、犬養毅首相邸に司書として通い始める。犬養が五・一五事件で落命する少し前だ。事件翌年のクリスマス、首相の孫らにせがまれ、ツリーの下にあった英書を即興の和訳で聞かせた。101歳で亡くなった児童文学者と「クマのプーさん」の出会いである▼読み進むうち、不満げな子をよそに黙読になった。26歳に起きた「ふしぎなこと」を後にこう記す。「体温とおなじか、それよりちょっとあたたかいもやをかきわけるような、やわらかいとばりをおしひらくような気もちであった」(『石井桃子集7』岩波書店)▼出会いから7年、石井さんが訳した「プーさん」が岩波から出た。以来、子どもの本ひと筋。翻訳や創作は200点を超す。日本の児童文学の至宝だった▼75年前のイブ、石井さんの即興に笑い転げた12歳は、評論家の犬養道子さんだ。石井さんのお陰で、戦後は日本中の子が同じ喜びを味わえるようになった。数え切れない童心が「あたたかいもや」をくぐり、不思議の世界にしばし遊んだ▼お見かけしたのは1月、朝日賞の贈呈式だ。体調に配慮し、あいさつなしの段取りだったが、車いすの石井さんはマイクをとった。静まる会場に「やはりこれは、私の声と名前で」と、短い謝辞が続いた▼児童書の研究にも足跡を残した石井さんだが、「プー」だけはあえて分析を控えた。「魔法は魔法でとっておきたいから」。最後の章まで現役、残り一行まで「子どもの喜び」にこだわり、ノンちゃんが待つ雲に乗った。
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发表于 2008-4-7 11:00:51 | 显示全部楼层

2008年04月06日(日曜日)付

きのうはまだ、ほんの少し早すぎた。あしたになれば、わずかだけれど、もう遅い。まさに今日。そんな盛りの一日が、桜にはあるようだ。この週末、街に野に、絶頂の一日を迎えた桜木も多いことだろう▼淡い色がこの国を染め上げる季節、「桜男」と呼ばれた人の生涯を追う展示が、兵庫県西宮市の白鹿記念酒造博物館で開かれている。水上勉の小説『櫻守(さくらもり)』のモデルにもなった笹部新太郎である。私財をなげうって桜の演習林をつくり、何十万本も育てては各地に植えた▼明治半ばに大阪の地主の家に生まれた。東大法学部を出たが、思い切りよくエリートコースを捨てる。組織に属さず、桜を知りつくした園丁として一生を終えた。現場主義に徹し、名高い植物学者に「暗闇で土を握っただけで良否がわかるか」と啖呵(たんか)を切った逸話を残した▼その「桜男」の嘆いたのが、人の移り気である。花の盛りは愛(め)でてやまないのに、散れば忘れてしまう。じゃまになれば切ってしまう。「受け身一方の植物は、かえす怨(うら)みの言葉も持ち合わせない」と哀れんだ▼暖地ではもう、盛りをすぎて落花しきりの木もあろう。〈桜の花びらが あんなに/思いきって散れるのは/思いもよらないほど/遠い時間にまで/根が届いているからにちがいない……〉(「さくら」笠間由紀子)▼遠くから降るような落花は、物言わぬ木々から人への、ひそやかな言葉のようでもある。耳を澄ませて、春の一期一会を楽しもうか。「桜男」にしかられぬよう、麗姿をしっかり、記憶に焼きつけながら。
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发表于 2008-4-7 11:01:09 | 显示全部楼层

2008年04月07日(月曜日)付

土日に深呼吸をして、きょうから出社2週目の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。周りで先輩風を吹かせている面々も、みんな1年目があった。仕事は人に、それとはなしの風格を与える▼今年の新人は、買い手あまたの中、氷の上を滑るように就職できたという。それゆえか、氷上競技になぞらえて「カーリング型」と呼ぶそうだ。名付けた社会経済生産性本部によれば、ブラシでこする(励ます)のをやめると、減速したり止まったりしかねない、らしい▼その年々の新入社員を、特徴的な「型」で言い表すようになって久しい。過去をたぐれば、わが四半世紀前は「麻雀牌(マージャンパイ)型」なる名を賜った。「大きさと形は同じで並べやすいが中身はわからない」が、そのココロだった▼画一性を嘆かれた同輩諸氏も、そろそろ会社を仕切る年齢だろう。気がつけば、自分に向けられていた「今どきの若手は……」のせりふを、年下に向けている。有史以来続く「ぼやき」のバトンリレーの、いつしか走者になった思いは苦い▼「後生(こうせい)畏(おそ)るべし」、という。「後生」は後から生まれた者、若い世代のことである。可能性に満ち、どれだけ伸びるかわからない。若者こそ畏敬(いけい)すべきだと、古人は説いた▼逆を行くような笑い話もある。ふた言目には昔をほめ、今にケチをつけるご高齢がいた。ついに「私の若いころの富士山は、あんなものじゃなかった」――。「若者けなし」にも通じる戒めに違いない。他山の石としながら、「カーリング型」にエールを送る。
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发表于 2008-4-7 11:26:47 | 显示全部楼层
想看中文版请去看1580楼最新公告
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发表于 2008-4-8 10:56:10 | 显示全部楼层
天声人語& R5 n4 I5 w' P1 {3 `* ~1 @
2008年04月08日(火曜日)付
  r% |" b5 W% R  |+ s/ A2 t5 p( T, _
1年で50キロ減量した評論家の岡田斗司夫さんは『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)で、太ければ太っている分だけ損をすると言い切る。見た目で不当に評価されたくなければ、やせる努力をという旨だ。周りの視線を力に転じ、己を変えよと▼今月から始まったメタボリック症候群の健診制度も、そこを狙っているふしがある。わが身に測られたくない場所は多々あるが、その一つ、腹回りの測定が40歳以上に義務づけられた。顔を赤らめ、巻き尺を引き絞ってもらったところで、男のメタボ基準とされる85センチは遠い▼さらに血圧などが一定値を超せばメタボと判定され、専門家の指導を仰ぐ。内臓脂肪が引き起こす病の怖さは知りながら、健診の苦手科目がまた増えたと浮かぬ顔も多いのではないか▼新制度いわく。膨れた医療費を削るには膨れた腹を削るべし。だが、着衣のままや、自分で測ってもいいらしいと聞けば、そもそも腹が本当に決め手なのか疑いたくもなる。国公認の「準病人」を増やし、医療ビジネスが肥えるだけ、との見方もあるようだ▼「腹回り絶対主義」に異を唱える医師、鎌田實さんは、肥満と正常の境目の「ちょい太」がよろしいと、うれしいことを言う。170センチなら75キロあたりが「ちょい」だとか▼メタボの響きは情けなく、肥満の森で途方に暮れる様は「迷太暮」とでも当てたくなる。あげくに国策で腹をさらし、恥をさらす。それを減量の糧にしようがしまいが、体は自ら律するしかない。まずは「ちょい」に向かってぼちぼちいくか。
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发表于 2008-4-16 22:01:09 | 显示全部楼层
简直是太好的地方了,谢谢楼主,辛苦了!
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发表于 2008-4-18 13:37:05 | 显示全部楼层
10天没有看到新的文章了。
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发表于 2008-4-18 13:42:07 | 显示全部楼层
我找到了几篇,但是中间的没找到。谁找到了再加上吧。
6 F* x7 ]- v3 j- D6 m+ i; ~$ c, c
2008年04月12日(土曜日)付
% \3 v' J* h* Y! G- O7 \! P0 |
4 Y3 @- r+ K- z' ?' x, y 日本で初めて、まとまった数の蛍光灯がついたのは1940(昭和15)年、法隆寺の金堂だったとされる。壁画の模写を国に頼まれた大画家たちは、何より明るさを求めた。当時、米国で出回り始めた白い光は、堂内の暗がりに「昼の戸外」を連れてきた▼それから約70年、蛍光灯は高度成長期に広まり、今では日本の照明器具の65%。白熱灯が7割に近い欧州とは逆だ。白熱灯より高価だが、消費電力は5分の1で、6倍長持ちする▼甘利経産相が、家庭の白熱灯を12年までに蛍光灯に入れ替えたいと表明した。強制はせず、メーカーにコスト減や新製品の開発を求め、販売店にも協力してもらうという。白熱灯を減らす動きは欧米にもある▼だが、照明デザイナーの石井幹子(もとこ)さんは疑問を投げかける。「白熱灯でなければ出せない輝きや陰影がある。『適光適所』で使い分けるのが豊かな暮らしだ。日本の電球型蛍光灯は素晴らしいが、白熱灯でも効率の良いものがあるので、選択肢は残してほしい」▼割安で、あまねく光が及ぶ蛍光灯は、公共施設やオフィスに向く。初の用途も作業灯だった。片や、光に温かみのある白熱灯は、明暗の調節がしやすく、生活の場面を自在に演出できる。「赤ワインの色味(いろみ)もグラスの輝きも違う」(石井さん)そうだ▼節電もせず大きなことは言えないが、環境対策で「適光」の一つが消えるのは寂しい。照明は家庭の消費電力の2割に満たない。あふれる自販機、明るすぎる店や事務所、だらだらと続く残業。先に「消灯」すべきものは多い。
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