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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2008-5-4 13:49:18 | 显示全部楼层
2008年05月01日(木曜日)付8 E" r& Y1 f4 q
! Q- V5 ]6 O. F$ |' p: F
 幼いころから病弱だったゆえでもあろう。亡くなった随筆家の岡部伊都子さんが紡ぐ言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。感謝と表裏をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざしがあった▼大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。女学校は結核で退学した。世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。岡部さんは笑って、泣いた▼長じると、婚約者を激戦の沖縄で亡くした。その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。「この戦争は間違っている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った▼非戦の理想と言葉は、軍国乙女の理解を超えていた。激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。疼(うず)きとともに深めた思索を、130冊もの著書に刻んできた▼京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃだった。「でも弱いから、折れないのよ」。弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう▼昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。「(残してくれた)だいじなだいじな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。
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发表于 2008-5-4 13:49:55 | 显示全部楼层
2008年05月02日(金曜日)付) T/ O' X  [3 v
  P& o! a9 Y7 k! _, b$ f; B
 市井の片隅に生きる町人を描く、作家藤沢周平の筆はやさしい。同じ視線なのだろう。若いころ、〈メーデーは過ぎて貧しきもの貧し〉と詠んでいる。結核で長く療養中の自らを写した句だったかも知れない▼資本の論理が牛耳る世の中への、ささやかな異議申し立てのようでもある。同じころ〈桐咲くや田を賣(う)る話多き村〉とも詠んだ。郷里の山形のことか。どちらも、戦後復興の日陰に生きる人々を見つめて切ない▼メーデーのきのう、各地で労働組合の集会があった。近年は地域や団体で開催日がばらつき、様変わりぎみだ。既成の労組だけでなく、低収入で厳しい生活を強いられている人たちの連携も、じわり広がっている▼「プロレタリアート(労働者階級)」ならぬ「プレカリアート」と言うそうだ。イタリア語の「不安定」に由来し、非正規の労働者などを総称する。働けど食えない人もいる。「生存を貶(おとし)めるな」と訴える集会がいま、全国で順次開かれている▼はるか昔、聖徳太子は十七条憲法で「富者の訴えは石を水に投げるようだが、貧者の訴えは水を石に投げるようだ」と戒めた。富む者は聞き入れられ、貧者ははね返される。いまに通じるものもあろう▼そうした、政治に届きにくかった労働現場の声が、様々な形でまとまり、噴き出し始めた。政財界は、はじき返すことなく、ていねいに聞く必要がある。メーデーは過ぎて――あすは憲法記念日。格差は広がり、貧困ははびこる。「健康で文化的な」と生存権をうたった25条を立ち枯れさせてはなるまい。
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发表于 2008-5-4 13:50:29 | 显示全部楼层
2008年05月03日(土曜日)付* S3 O: U& s% N' x5 X% a" v9 ^5 o# C
! j9 u. c, A: a1 b0 L, _3 O
 芸能に詳しい評論家の矢野誠一さんが、落語の三遊亭円生が亡くなった夜のことを回想している。なじみの飲み屋にいたところへ、新聞社が探して電話をかけてきた。電話口で「昭和の名人」の訃報(ふほう)を知らされた▼翌朝、頼まれた追悼文を書くのに早起きして、眠気ざましに新聞を広げて驚く。パンダの死が大きく報じられていた。「円生の訃報よりもはるかに大きな扱いが、芸人円生のために、ひどく悲しかった」(「酒場の芸人たち」文春文庫)▼29年前、ランランが死んだときの話だ。日中国交正常化の記念に、カンカンとともに日本に贈られ、大ブームを巻き起こした。やむをえないとはいえ、落語好きには胸のつかえる日だったようだ▼先月末のリンリンの死も、動物の「おくやみ」としては破格の報道だった。東京・上野動物園には哀悼する人が絶えない。36年ぶりのパンダ不在に、上野の森は大型連休も色あせがちだ▼その人気者の故郷中国から、来週、胡錦濤(フー・チンタオ)主席が訪日する。日本政府は早々と、新たなパンダのレンタルを頼んだそうだ。本紙の世論調査によれば、福田内閣の支持率は20%に落ちた。後期高齢者、年金、ガソリン……。不信と不満の山を積み、「背水の陣内閣」は後がない▼おぼれる首相はパンダをつかむ、の図か。中国側には、応じることで好印象を残す計算もあろう。きのう上野を訪ねると、幼い記帳がたくさんあった。「笑顔にさせてくれてありがとう」「天国でしあわせに」。子らの純真に政治の思惑が相乗りするのでは、気分はさえない。
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发表于 2008-5-4 13:51:06 | 显示全部楼层
2008年05月04日(日曜日)付7 L, k. g) \; U2 L

5 p! X1 w( H3 [- a4 X# j そういえば、野菜や果物の花をどれほど知っているだろう。『キャベツにだって花が咲く』(光文社新書)を読んで指を折った。静岡県農林技術研究所の専門家、稲垣栄洋(ひでひろ)さんが野菜の不思議を説いた近刊だ▼花になじみがないのには訳がある。ホウレンソウやキャベツは開花前の柔らかい葉を収穫する。ナスやスイカは花が終わった後の実で、花を食すブロッコリーにしても、大仏様の頭のようなあれはつぼみだ。されど野菜とて植物。花は繁茂のための工夫に満ちている▼マメ科の花は複雑な形の最奥に蜜を隠し、働き者のミツバチを誘う。アブや甲虫があきらめても、賢いミツバチは潜り込み、花粉まみれになって同種の花を飛び回る。忠実な授粉係だ▼熟れた果実が赤や黄に染まり、甘い香りを放つのは鳥獣に食べてもらうためという。未消化のタネは「反対側の口」からこぼれ落ち、別の地に根づく。鳥だけに食べさせ、より遠くにタネを届ける曲者はトウガラシだ。鳥が辛さを感じぬことをどこで覚えたのか▼人の都合で地球の隅々にまで運ばれ、「改良」されてきた野菜たち。哀れにも思えるが、稲垣さんの見方は別だ。「生息分布を広げるという点では、植物としてこれ以上ない成功を収めています。最良のパートナーに気に入られるよう、自ら進化してきたのかもしれない」と笑う▼安全志向もあって、貸農園や家庭菜園が盛んだと聞いた。ベランダに鉢植えという手もあろう。連休の一日、夏の豊作を期して「野菜の陰謀」(稲垣さん)に付き合うのも悪くない。
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发表于 2008-5-10 09:14:47 | 显示全部楼层
天声人語
1 R7 U& U( n# H. ~2008年05月05日(月曜日)付
' i; p! |1 f$ s5 C  y+ Q: B$ s# X# K0 W5 I. k2 L2 n
東京・表参道のケヤキ並木が勢いを増してきた。通り雨に洗われ、あり余る緑色をショーウインドーや水たまりに滴らせている。少し前まで頼りなげな若芽だったのにと、樹幹が宿す力に驚く。四季を回す力である▼きょうの立夏から、暦は夏に入る。街路樹ばかりか、生あるものすべてが躍る候。伸び盛りにある命は、新陳代謝を重ねて弾む。〈子の髪に少女の匂(にお)ひ夏来たる〉三村純也▼新緑まぶしい季節に置かれた「こどもの日」が60回目を迎えた。子どもの人格を重んじ、幸福を図り、母に感謝すると定められたのは1948(昭和23)年夏。第1回を祝った翌49年、世の歓呼にこたえるように270万人の産声が響いた。戦後ベビーブームの頂点だ▼昨今の出生数は100万人強、往時の4割にとどまる。人類が経験したことのないペースで高齢化する日本。生まれ来る子どもたちは、社会全体の授かりものになるだろう。もちろん、望む人が産みやすい世にするのが先である▼全国200の児童相談所には、虐待に絡んだ相談が日々寄せられている。06年度は3万7千件で、10年前の約10倍だ。近所や学校など、周りの目がそれだけ厳しくなったと思いたい。もっぱら親から子へと、縦に細く継がれてきた子育ての知恵を、地域や同世代で分かち合えないものか▼生まれより育ち、という。あるべき論だけでなく、そう願う親心がにじむ。だからこそ、保護者には責任が、子どもには可能性が生じる。育てる力と、育つ力。ここが崩れた社会に、まぶしい季節は巡り来ない。
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发表于 2008-5-10 09:15:07 | 显示全部楼层
天声人語
/ N- W$ r- S" r* O  a/ @2008年05月06日(火曜日)付6 }, a: O  I- K' W' m7 t

2 s7 V% Y' n3 v" e1 d朝日歌壇でよくお見受けする大阪の長尾幹也さんに先日、次の作があった。〈おのずから足踏んばって電車待つ突如背中を押す奴のため〉。人は押されれば、簡単にホームから落ちるに違いない。だが私たちは普段、そんな理不尽はないと信頼して、無防備な背を他人に見せて電車を待つ▼世の中をつかさどる「暗黙の信頼」である。それを、岡山で3月にあった事件は揺るがした。疑心暗鬼を生ずれば、おちおち電車にも乗れない。歌の心境が他人事(ひとごと)ではない向きも多かっただろう▼ことの度合いは違うけれど、高級料亭「船場吉兆」で、また醜聞が噴き出した。客の食べ残しを別の客に出していたという。思えば料理屋の厨房(ちゅうぼう)は、客の目を隔てた「密室」だ。吉兆に限らず、やろうとすれば難しいことではあるまい▼だが私たちは普段、そんな不実など思いもよらず、料理を口に運ぶ。念を押すまでもなかった「暗黙の信頼」が、ここでも揺れた。まっとうな店への疑心も植え付けたとしたら、船場吉兆の罪は重い▼「もったいない」と前社長が指示したそうだ。だが、それを言い訳にしては「もったいない」に申し訳ない。食べ物を大事にする思いと、商売のそろばんは、顔つきは似ていても心根が違う▼いま「信」は細り、不信をこえて「崩信」の時代という。最近の本紙世論調査では「世の中は信用できない人が多い」は64%、「人は自分のことだけ考えている」は67%にのぼっている。悲観したくはない。だが、そんなものさと受け流せる数字では、もうないように思う。
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发表于 2008-5-10 09:15:32 | 显示全部楼层
天声人語
1 G: c. x- v- }' K2008年05月08日(木曜日)付
  M: w. K$ F# E9 o$ o: |5 s( j  h/ P- n( B' `' v2 i9 k
 「くつ塚慰霊碑」と呼ばれる碑が名古屋市にある。1959(昭和34)年の伊勢湾台風で亡くなった人を悼んでいる。遺品となった靴の山から、名がついた。一人息子を失った父親の詩が建立のきっかけになったそうだ▼〈ここは冷たい海でした/胸までつかる水の中/……嵐の中に手をとって/頑張りつづけたところです〉。父は子の腕をきつく握りしめていた。だが何度目かの大波で、すーっと離れていったという。あの台風で落命した人は5千を超えた▼伊勢湾台風に似て、ミャンマー(ビルマ)を襲ったサイクロンも、高潮の被害が大きい。死者、行方不明者は数万といい、膨らみ続けている。まるごと消えた集落もあるようだ▼さかまく水の中、多くの手が、愛する命をつなぎとめようとしたことだろう。力尽き、沈んでいった人々を思えば胸が痛む。助かった者にも自責と断腸の念が残る。自然の容赦のなさである▼だが、「人災」の要素も強いようだ。気象情報は不十分だったと聞く。被災後も軍事政権は、人的支援の受け入れに腰が重い。自由や人権が縮んだ国である。外国人が入れば国情が表立つ。断りたいのが本音、とも漏れ伝わる▼かの地では今頃からが雨期。「王宮の太鼓が鳴り、真っ黒の顔も泣き出し……隠れていた人も出てきた」と、この時期を言うそうだ(『季節の366日話題事典』)。太鼓は雷、黒いのは雨雲、出てきたのは土中の小動物だという。慈雨が万物を潤す季節に、大きな災いに見舞われた。悲嘆をこえ、一日も早い立ち直りを祈る。
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发表于 2008-5-10 09:15:53 | 显示全部楼层
天声人語
" ]7 K& h6 g; p2008年05月09日(金曜日)付' s& D' ~# b( `* ^( r/ L+ ^% P
  D: s, l" i% j: u+ r( p4 S8 t
よその国の文物や産品が自分の国にあふれる。そんな様を快く思わない向きが、昔からいたらしい。『徒然草』の兼好法師は鎌倉時代に、「唐(から)(中国)から来るものは、薬のほかは、なにもなくても事欠かない」と息巻いている▼「用もない物を所狭しと積んで、唐からの危ない海路を渡ってくる。愚かもいいところだ」と手厳しい。兼好法師がいまの世に立ち現れたら、暮らしにあふれる中国製品の多さに、腰を抜かすかもしれない▼その中国から胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が来日し、首脳会談が開かれた。「チベット」「ガス田」、それに「ギョーザ」が3点セットである。日ごろは他人事(ひとごと)節の目立つ福田首相も、ギョーザには「断じてうやむやにできない」と強い言葉を繰り出した▼日本人の「もっと安く」「もっと便利に」を、中国からの産品が支えている。会談の結果は、だが「安心」からは遠かった。上野動物園のパンダの貸与では、打てば響く返事があった。ありがたいが、おいしい前菜で、主菜の苦みがうやむやになった印象は残る▼胡主席は、この訪日を「暖かい春の旅」と呼んだ。去年4月の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は「氷を溶かす旅」だったから、季節は深まった。だが日中は、歯車が狂えばたちまち寒の戻る不安定さを抱える。未来志向のつぼみを、しぼませてはなるまい▼ところで兼好法師の憎まれ口は、渡来品ばかりありがたがる風潮への皮肉でもあった。なのに文末で、「遠き物を宝とせず」と、中国の古典から引いて、戒めている。切っても切れない彼我の歴史が垣間見える。
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发表于 2008-5-10 09:16:46 | 显示全部楼层
天声人語" x& T; @5 M. X) x2 y
2008年05月10日(土曜日)付: I+ z1 ]- {" N7 ?

( i/ B; L0 ^6 w$ _/ R4 R/ V0 R7 N7 a大学入試の珍問について、30年ほど前の小欄が書いている。「三重、東京、静岡、青森、富山、福岡」の中から、共通点のないものを二つ選べ、というのがあったそうだ▼太平洋側と日本海側?――などと頭をひねっても、正解には遠い。答えは「静岡と福岡」。ほかの四つは、名前の字をタテに割ると左右が対称になる。それが「共通点」なのだそうだ。頓知(とんち)まがいは受験生がかわいそうだと、筆者は嘆いている▼47ある都道府県の名は小学校で習う。それぞれどこにあるのか。その認知度が相当にばらつくことが、文部科学省の所管団体の調査でわかった。高学年に地図で位置を聞くと、9割が正答した県もあり、半分以下の県もあった▼最下位には宮崎が沈んだ。高校、大学生への別の調査でも、やはり一番低かった。かつての新婚旅行のメッカも、若い世代には遠いらしい。こちらは名高い東国原知事は、位置を刷った法被(はっぴ)を着てPRに走り出した▼地名の話に、「鉄道唱歌」を思い出すご高齢もおられよう。汽笛一声新橋を……で始まり、延々と計334番まで。沿線の地名や風物を織り込み、そらんじれば知識もついてくる。もともと小学生の地理教育用に作られたそうだ▼都道府県の名は、様々なイメージを人の胸に呼び起こす。訪ねた景色、出身の友、食べ物、人情……。人生とともに積む経験が、47の名を、さまざまに肉付けしていく。多くの児童には、まだまだ暗記した知識だろう。いまの正答率は低くても、長じてからの親しみが深まるなら、悪くはない。
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发表于 2008-5-13 10:25:33 | 显示全部楼层
天声人語4 u  f6 V. F/ `+ d% U( U/ E# I
2008年05月11日(日曜日)付" R' m4 o. D* {
' F9 _- M, @0 Z% `
 『わたしの母さん』という児童小説がある。小学4年の主人公、高子は算数が得意で、学級委員をしている。気がかりが一つ。明るいけれど、少し変わった母親のことだ▼月初め、母さんは日めくり暦の一枚一枚に封筒をはりつけ、千円札を2枚ずつ入れていく。毎日、その2千円を財布に移して生活に充てるのだ。高子は「ひと月分を同じ袋に入れておけばいいのに」と思うが、母さんは大きな数の計算が嫌いらしい▼さらに、連絡のプリントにはフリガナをつけてと学校に頼んだりもする。あきれる娘はある日、母が生後間もない熱病で知的障害を負ったことを知る。父さんとは養護学校高等部の同級生だった▼作者の菊地澄子さん(73)は養護学校などで教えてきた。この作品も体験が元だ。突然の真実に立ちすくみながらも、母を理解し、優しく伸びてゆく少女。20年前の初版は児童福祉文化賞を受けたが、出版元の廃業で絶版になっていた。06年、東京の出版社、北水(ほくすい)が新装版で復活させた。高子のモデルはすでに母になっているという▼作中に「人間の賢さっていうのは、その人が持っているちからを、どう生かしているかっていうこと」とある。母さんがずっと頼りにしてきた元担任が訪れ、親の「学力」を疑う高子を諭す場だ。母は泣いて告白する▼本の帯には〈お母さん、生んでくれてありがとう!〉。この瞬間にも、色んな人生を背負った母親たちが持てる力を振り絞っているだろう。きょうの母の日、その人が目の前にいてもいなくても、同じことばを贈りたい。
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发表于 2008-5-13 10:25:59 | 显示全部楼层
天声人語3 M) Y0 S' u" {5 ?9 Q- e
2008年05月12日(月曜日)付
5 f$ y/ D- }# j$ @: W- \( G- @' n2 F1 `: Y6 ~; q! W
札幌を訪れた。市の木、ライラックが平年より半月ほど早い盛りを迎えていた。房をなす紫のつぼみと淡紫の花。リラと仏語で呼びたくなるような、すました芳香が、日だまりにたたずむ。街で最古の株は北大植物園にある。明治期に米国渡来の苗を分けたもので、大きさも一番という▼一夜明け、寒が戻った。これも「リラ冷え」というのか、大小にかかわらず、ライラックは寂しげに小雨の中だ。包まれる空気によって、植物は風情を変える。これが、感情を備える生物ともなれば、その面持ちは一刻として同じではない▼瞬時の表情を切り取る肖像写真の魅力を、東京駅前で堪能した。創刊20周年を迎えたアエラが、表紙を飾った著名人のパネルを丸の内一帯に展示している(無料、6月8日まで)▼坂田栄一郎さんが撮り下ろしてきた作品群は約830点。拡大され、雑誌とは別物の迫力だ。通常、坂田さんは100枚は撮るが、これだというのは「本当に1枚か2枚」だと聞く▼「本田宗一郎っていえば、顔は一つだと思ってたけど、こうやってみると、色々あるね」。19年前、ホンダ創業者が撮影中にもらした感嘆だ。2カ月後に登場した老優、笠智衆は「随分ね、年はとってはいるけれど、いざ写すとなると上がっちゃうの。僕はね、映画を撮る時でも上がっちゃうの」と照れた▼各人の所作や口ぶりを、リラの香気のように、ふんわり漂わせた写真がある。とりわけ故人である。自負に満たされた顔つき、いわば「旬の瞬」が、その前後に連なる生までを呼び寄せる。
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发表于 2008-5-13 10:26:19 | 显示全部楼层
天声人語
9 D6 |# d' Z, ~, m1 b: W+ _+ u( D  ^2008年05月13日(火曜日)付
3 H0 t/ ?$ j2 w4 [  b; c) w8 X' A6 L2 q
! X$ I/ a, [: N2 D9 [( J$ W戦後すぐに庶民が詠んだ「平和百人一首」を収めた新刊『百のうた 千の想(おも)い』を、東京の大竹桂子さんにいただいた。公募され、2万数千首から選ばれたという。平和や、働く喜びをうたって、どれも美しい▼炭鉱の歌が目立つのは、基幹産業だったからか。〈新(あらた)なる国興さむと二千尺坑底ふかく鶴嘴(つるはし)ふるふ〉〈出坑をまちてゐたりと妻の呼ぶ声は明るし麦田のなかに〉。「黒いダイヤ」ともてはやされ復興を支えた。だが石油に主役を奪われ、衰退したのは周知の歴史である▼その国内炭が、時ならぬ光を浴びている。原油の高騰につられて、海外炭の値上がりが止まらないからだ。日々の生活からは消えたが、工業用になくてはならない。国内で年に1億7千万トンが煙になっている▼炭鉱が残る北海道では、新たな鉱区が久々に開発されるそうだ。地元は活況に沸いている。原油価格をはね上げる投機マネーの嵐が、追い風をもたらした形といえる▼「平和百人一首」には、農耕の歌も多い。〈刈入れも事なく終へて爐(ろ)を囲む秋の長夜は楽しかりけり〉。米は「銀シャリ」と尊ばれた。だが、こちらも近年は冷遇されてきた。その風向きが、輸入小麦の高騰で少し変わりつつある▼米粉の増産支援に、政府が乗り出すそうだ。小麦の代わりに、パンやめんの原材料に使うのだという。米も石炭も、国の「ピンチ」で光が当たるのは、思えば皮肉である。食糧の自給率39%、エネルギーはわずか4%。心細く肥満したニッポンが、60年前の歌に照らされるように浮かび上がる。
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发表于 2008-5-14 14:28:17 | 显示全部楼层
天声人語
. e" u0 v" x/ M7 I- M  m2008年05月14日(水曜日)付
/ F( i6 P6 [8 V/ } 緑の草原に、一筋の道がきっぱりと延び、起伏の向こうに消えていく。今年、誕生から100年になる日本画家、東山魁夷の代表作『道』は多くの人を引きつけてやまない▼東京で開催中の記念展で見ると、絵はぎりぎりまで単純化され、ゆえに力強い。「過去への郷愁に牽(ひ)かれながらも、未来へと歩み出そうとした心の状態」。それを、白く光る道に託したと、画家はのちに回想している▼一方こちらは、道をめぐって「過去への郷愁」を捨てられないのか。道路整備財源特例法改正案が、自民党などが賛成して衆院で再可決された。ガソリン税収などを、今後10年、道造りに充てることを定めている▼可決に先だって福田内閣は、来年度からは税収を一般財源化すると閣議で決めた。教育にも福祉にも使います。そう言いつつ、国会で相反する法律を通す。不可思議さは、上半身が人間で下半身は獣の姿をした、西洋神話の牧羊神を見る思いだ▼ここ4カ月、与野党は道路でせめぎ合ってきた。「一般財源化する」と約束した福田首相の言葉は、唯一の果実だろう。頼りない丸裸だったのが、何とか閣議決定という鎧(よろい)をつけた。だが道路族議員も「特例法」という槍(やり)を手にした。攻められれば防ぎきれまい、と案じる人は少なくない▼東山魁夷の『道』は、実在の景色というより心象風景だという。首相の心中にも、きっぱりした道が延びていると信じたい。一般財源化の試みはかねて、抵抗によるご破算が繰り返されてきた。いつか来た道へ迷い込む腰砕けは、もう許されない。
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发表于 2008-5-15 09:34:51 | 显示全部楼层
天声人語
; C/ d1 o: \" O  B' f& ^! H2008年05月15日(木曜日)付( j  z- }# t3 z2 ]4 W8 x+ P2 J

6 j/ U. C# e& j6 J7 A. l' b( S 中国・四川省の地震被災地から、生々しい、悲しみに満ちた報道が届く。きのう本紙に載った一枚の写真に、とりわけ心が痛んだ。2人の手が大写しにされて、「学校倒壊で亡くなった犠牲者の手を握りしめる家族」と説明があった▼泥のついた幼げな手は、なお体温をとどめているかのようだ。母親なのだろうか。いとおしむように指をからめている。だが、小さな手が握り返すことは、もうない。慟哭(どうこく)を聞くような手の表情が、胸に突き刺さる▼学校がずいぶん倒れたという。あの地方を取材した13年前を思い出す。経済開放が進み、教師らが「投資効果がすぐ出ない教育は肩身が狭い」と嘆くのを、どこでも聞いた。校舎の老朽化や、安普請が林立した理由の一つだろう▼経済はその後加速し、貧富の格差はさらに開いた。現地に入った本紙記者は、貧しい地域や人への被害が大きいと伝えている。土壁や、日干しれんがを積み上げた粗末な建物は、激しい揺れにひとたまりもなかった▼自然に厚薄(こうはく)なし、と中国で言うそうだ。自然は人を分け隔てしない、と。地震の揺れもしかりだろう。だが、自然は公平でも、人間の側に様々な不公平がある。そのひずみを、天災はあぶり出す▼人に過酷な自然の営みが相次ぐ。ミャンマーで起きた水害の死者、行方不明者は6万人にのぼっている。死者の4割は子どもだという報告もある。軍事政権はいまも各国の人的援助を拒み、被災者の苦難に追い打ちをかけている。こちらは天災があぶり出したひずみの、最も愚かな一つであろう。
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发表于 2008-5-19 10:24:44 | 显示全部楼层
天声人語
$ q; L! P% ~/ Z9 {2 H* B2008年05月16日(金曜日)付
% m' Z" P/ F9 h5 d
8 m' p9 V' u1 i 風薫る5月だが、明治の俳人正岡子規は毎年、この月がめぐると不安にかられた。脊椎(せきつい)カリエスで長く伏し、5月にはきまって病気が悪化したからだ▼自らを励まそうとしてか、1902(明治35)年5月から、随筆『病牀(びょうしょう)六尺』の新聞連載を始める。苦痛に耐えてつづった中に、「悟り」をめぐる一節がある。悟りとは、いつでも平気で死ぬことだと思っていたのは誤解だった、と子規は言う。逆に〈如何(いか)なる場合にも平気で生きて居る事であつた〉と境地を述べている▼寝たきりの子規は、母と妹の献身的な介護をうけた。自宅で「平気で生き」ながら、35歳で没するまで、病床から盛んな筆をふるった。現代のお年寄りに置き換えれば、母妹に代わる在宅福祉のささえは、訪問介護ということになるのだろう▼だが、子規の心境で過ごすのは難しい時代になっている。在宅サービスの中心になる訪問介護の事業所が、減っているという。介護保険制度の崩壊を招きかねないと、心配する声も聞こえてくる▼2年前に介護報酬が引き下げられた。経営が悪化し、ヘルパーの賃金が減り、離職が増える。使える金の限られる中、負の循環が「安心」を細らせているようだ。だれもがいつかは老いるし、病む。そのときのために、医療も含め、手を打つには今しかない▼手厚い支えもあってだろう、子規は明るさとユーモアを失わなかった。〈枝豆ヤ三寸飛ンデ口ニ入ル〉などと病床で詠んでいる。平気で生きられる――。その穏やかさが、だれの日々にも必要なのは言うまでもない。
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