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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2008-7-22 11:08:30 | 显示全部楼层
2008年7月17日(木)付7 Z: }: Y' u& G- {7 A1 B

' M: B9 x+ D; Q9 c( }/ H6 h/ n# h 作家の太宰治は、創設されたばかりの芥川賞を、のどから手が出るほど欲しがった。名誉というより、賞金500円が魅力だったらしい。だが、第1回の受賞は石川達三の『蒼氓(そうぼう)』に決まる▼あきらめきれず、選考委員だった佐藤春夫に手紙を送った。「お笑いにならずに、私を助けて下さい」。だが2回目も3回目も選にもれた。太宰は佐藤の家でさめざめと泣いたそうだ(『芥川賞の研究』)▼ついにこの賞に縁のなかった太宰は、時の移り変わりに驚いているだろう。73年の歴史で初めて、日本語が母語ではない外国人が賞を射止めた。中国人女性の楊逸(ヤン・イー)さん(44)は、22歳で来日して日本語を学び始めた▼受賞作『時が滲(にじ)む朝』は3作目だ。民主化運動で挫折した青年が天安門事件後に日本に移住し、悩みつつ生きる姿を描く。「国境を越えて来なければ見えないものが書かれている」と選考委員に買われた。新しい眼(め)を持つ日本語作家の誕生である▼言葉は生き物だ。国や民族の文化、精神性に深く根ざし、さまざまな陰影をまとっている。よそから来た者が操るのは楽ではない。まして小説を書くなど難行苦行に近かろう。それを楊さんは、「泳げないのに泳ごうとして、体が浮くように感じる楽しみがある」と軽やかに話す▼〈文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ〉と、賞に名を残す芥川龍之介は言っている。時を超えた励ましだろう。さらに言葉をみがいて、外国人による「日本語文学」を引っ張る活躍を楽しみにしたい。
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发表于 2008-7-22 11:08:55 | 显示全部楼层
 「マーフィーの法則」なるものが、かつて流行した。身の回りのことを、ユーモアと皮肉まじりに法則化したものだ。「別の列に移動すると、元の列の方が早く動き出す」といった「真理」に、大いに肯(うなず)いた覚えがある▼さて今、「教員の子は教員になっていることが多い」と聞けば、肯く向きもあるだろう。そうした声が実際、父母たちの間で取り交わされている。大分県の「教員採用汚職」は、不信の波紋を全国に広げつつある▼多くの県で、受験者本人が合否を知る前に、照会してきた首長や県議に教えていた。「長年の慣習。口利きはない」と言うが、そうだとしても「李下(りか)の冠」である。疑心は暗鬼を生み、「教員の子は教員……」に肯く人を増やしていく▼大分県は、不正に採用された教員を解雇すると決めた。あおりで落ちた人には救済の道を開くそうだ。当然とは思うが、やりきれない。去る先生も、残される児童も、心は傷つくだろう。敗者復活する人も素直に喜べまい▼大分出身の福沢諭吉は〈門閥制度は親の敵(かたき)〉と言い残した。今ふうに言えば「機会の平等」だろうか。努力の報われる社会を願う、強い思いがこもる。その大先達のお膝元(ひざもと)から、情実の腐臭があふれ出したのは皮肉である▼ところでマーフィーの法則には「一度認めた例外は、次からは当然の権利になる」というのもある。大きな不正も、こんな事から始まるのだろう。夏休みには、新規の採用試験が各地でピークを迎える。努力を積んだ「裸一貫」の受験者を、不公平で泣かせてはならない。
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发表于 2008-7-22 11:09:16 | 显示全部楼层
2008年7月19日(土)付, J; N" b$ m& s/ H& ^1 b% W( L
8 }# |0 w; O4 ~  n. M! R
 米国にいたころ、何度か大リーグを観戦した。だが送りバントを見た記憶がない。たとえば僅差(きんさ)を追う終盤。ここはバントと思う場面でも、打者は当然のようにバットを振り回していた▼球を遠くへかっ飛ばし、相手が拾っている間にベースを回ってくる。素朴なおおらかさが、野球の大もとの姿なのだろう。古き良き面影を残すアメリカ野球が、野茂英雄投手のスケールには合っていたように思う▼投手が投げる。その球がストライクゾーンを通過するのを許さないのが、打者の仕事だ。腕っぷし自慢の仕事師を相手に、野茂は渡米1年目から三振の山を築く。力勝負の醍醐味(だいごみ)に日本人は興奮した。アメリカ人も喝采を送った▼「背後の橋を焼くな」と英語のことわざに言う。退路は断つなという戒めだ。だが野茂は日本の野球と決別し、橋を焼いて渡米した。そして新しい橋を太平洋に架けた。その橋を今、多くの後輩が渡っていく▼「僕の一球一球を楽しむために球場が静まりかえる」。そんな場面を作り出せたら幸せだと、かつて自著で語っていた。「悔いが残る」という引退の言葉には、会心の場面をなお作り足りない心残りもあろうか▼奇(く)しくも「野茂引退」と同じ日の新聞に、「北京五輪の野球代表決まる」が掲載された。思えば20年前、ソウル五輪の銀メダルをもたらしたのは野茂の力投だった。そして地域面に目をやれば、野茂も挑んだ甲子園の地方大会がたけなわだ。〈夏草やベースボールの人遠し〉子規。白球の上に時は流れ、ひとつの時代の終わりを思う。
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发表于 2008-7-22 11:09:59 | 显示全部楼层
2008年7月20日(日)付
4 p5 x6 U) P3 t7 u9 Q% i- M, [7 {+ t$ _( G/ w0 S4 c- N+ r& X
 東京南部の等々力(とどろき)渓谷を訪れた。せせらぎを樹木が覆い、気温はちまたより5度ほど低い。遊歩道を行くと、修験者のための細い滝が涼やかな放物線を描いていた。修行の足らぬ身、これに打たれたら脳天から生き返ると雑念がよぎる▼各地で梅雨が明け、本物の夏が来た。暑さ対策の手始めに「冷や汁」を試してみた。みそ仕立ての汁をご飯にぶっかける宮崎県の郷土料理だ。なるほど、しばらくは氷のかけらを含んだように、腹がひんやりする。冷たい汁とともに、シャリシャリと口で砕けたキュウリやミョウガも効いたらしい▼「夏野菜には体の熱を取り除く力があるの」。薬膳(やくぜん)に通じたジュディ・オングさんから、そう聞いたことを思い出す。旬の食材は、その季節を健やかに送るための滋養分を備えるようだ▼作家の池波正太郎は、食欲のうせた朝をナスの漬物でしのいだ。「小ぶりの茄子(なす)に芥子(からし)をつけて、ぷっつりと噛(か)み切るときの醍醐味(だいごみ)は筆にも口にもつくせない」と、随筆「東京の夏」にある▼みずみずしい野菜の助けを借りて体を内から冷ます。冷たい、辛い、酸っぱいなど、舌やのどを驚かすことで、なえた食欲を抱き起こす。こうした先人の知恵を盗まぬ手はない。冷房の中、そうめんを流し込むばかりでは猛暑に負けてしまう▼食通で知られた俳人、草間時彦に〈滝壺(たきつぼ)や冷やしトマトの一つ逃げ〉がある。岩陰の網袋からこぼれ出たのか。清流に消え去る赤い実を思うだけで、なにがしかの涼が脳裏をすり抜ける。炎天下で蓄えた野菜の冷却力、侮りがたい。
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发表于 2008-7-22 11:10:46 | 显示全部楼层
2008年7月21日(月)付( m4 e4 E' b9 x8 p. d1 R2 ^2 w2 N
* o- u) J; J/ k7 Q
 大地ほどガンコではなく、空ほど浮気でもない。海はほどよく、望郷の思いと異郷への夢を満たしてくれる。東京湾に満ちるのは「日本の水」だが、それはアマゾン河口やマルセイユの港にもつながっている▼作家の向田邦子さんは「凄(すご)みはないがやさしくていい」祖国の海を好んだ。「外国の海は、波ひとつにしても外国語で打ち寄せるのである」と、多くの日本人の心情を巧みに代弁した(随筆「細長い海」)▼向田さんが知らない21世紀の海には、世界共通の音を響かせて、環境と生態系をむしばむ波が寄せる。米英豪などの研究チームによると、サンゴ礁をつくるサンゴの種類の3分の1が絶滅の危機にあるという。水温の上昇、酸性化、汚水流入などのしわざらしい▼海をたたえる歌に、加山雄三さんの「海 その愛」がある。〈海よ俺(おれ)の海よ/大きなその愛よ/男の想(おも)いをその胸に抱きとめて/あしたの希望(のぞみ)を俺たちにくれるのだ〉。岩谷時子さんによる詞は、紺碧(こんぺき)の包容力に勇気をもらい、前向きに生きてゆく姿を描いてやさしい▼そう、海はおおらかだ。「だった」と言うべきか。核実験を重ねようが、タンカーの油が漏れようが、いつも自然の回復力が帳尻を合わせてくれた。しかし、抱きとめられる愚行や過ちにも限りがあろう。その深い懐に甘えられた日々も、どうやら終わりが見えてきた▼夏休みに埋没しがちな祝日ではあるが、きょうの海の日くらいは、病める惑星に思いをはせたい。なにしろ、海や空はどこまでもつながっている。世界にも、未来にも。
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发表于 2008-7-22 11:11:07 | 显示全部楼层
2008年7月22日(火)付9 }% B% F/ W. d# j3 t3 V% w$ w
, ^8 ~2 K5 T" f5 A/ |
 しばらく前の小欄で、夏目漱石が国からの博士号の授与を断った話を書いた。生前の漱石が博士の称号をどう思っていたのかは、夫人の回想録『漱石の思い出』にくわしい▼いわく「博士なんていうものは、やってることはいくらか知ってるでもあろうが、そのほかのことは一切知りませんという甚だ不名誉千万な肩書だ」。漱石一流の皮肉だろうが、昔はそんな人が多かったのかも知れない▼その漱石も一目置くような博士が先日、小紙「ひと」欄に載った。亀高素吉さんは、82歳で薬学の博士号を受けた。神戸製鋼所の元社長で、文系出身の素人ながら、引退後に10年かけて学んだというから驚く▼石油危機や鉄冷えをくぐり抜けた企業人は、「そのほか」の広い知識もお持ちだろう。前妻を病気で亡くした。今の奥さんも病に倒れ、薬の副作用に悩まされた。もっと良い薬はつくれないかという思いが、志の根っこになったそうだ▼博士とまではいかなくても「生涯学習」に意欲を持つ人が増えている。内閣府の先ごろの調べでは、特に60代に目立っている。退職期を迎えた「団塊の世代」が熱心なためらしい。学ぶのは楽しいし、知識や教養のもたらす滋味は、人生を深めてもくれるだろう▼「わが人生という無二の書物を、どこまでも読み続けていこう」と言ったのは誰だったか。「読む」とは味わうという意味らしい。つまり人生という物語を自らつづって、自ら味わう。一線を退いた「高齢学徒」が、漱石先生も一目置くような物語を、続々とつづる世になれば面白い。
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发表于 2008-7-23 10:31:03 | 显示全部楼层
2008年7月23日(水)付
& {3 |( ]. _0 g$ p7 }( m0 ~6 \& Y+ G2 E6 z6 h$ Q# B
 きのうの小欄で「人生もまた書物」と書くうちに、米国で会った民俗学者を思い出した。黒人の多い南部の州の大学教授だった人で、奴隷時代からの生活や文化を調べていた。「老人が一人亡くなるのは、分厚い本を一冊失うようなもの」と話していたのが印象に残っている▼彼の調べ歩いた地方には読み書きのできない人もいた。だが、そんな人ほど回想は多彩で、具体的だったという。「最高の書物」は「無筆のおばあさん」だと言っていた。この評価は世界中に通じるものがあろう▼「生きている図書館」という活動がいま、欧州で広まっている。こちらは元マフィアや同性愛者といった、ふだんは接する機会の少ない人たちを図書館が招く。そして「本」として貸し出す試みだという▼来館者は読みたい「本」を借りて、一対一で話を聞ける。社会の偏見を減らす目的で始まったといい、ある日のロンドンでは、26冊の「本」を100人の「読者」が交代で借りた。一番人気の元ホームレスは8人に読まれたそうだ▼人にとどまらず、森羅万象を「読もう」と詩人の長田弘さんが書いている。〈書かれた文字だけが本ではない。/日の光り、星の瞬き、鳥の声、/川の音だって、本なのだ…その本は見えない言葉で書かれている〉(「世界は一冊の本」)▼人にせよ、風物にせよ、いつもとは違った「書物」に出会える夏休みである。心を澄まし、想像力をかきたてて、「見えない言葉」を読んでみるのもいい。思いがけない1行が、ひっそりと待ち受けているかも知れない。& M) q- @8 s+ ~4 |

& X0 K! ]- M, H+ y" {1 E; J    昨天的小栏目里看到“人生也是一部书”的时候,想起了在美国遇到的一位民俗学者。他是黑人比较多的南部的一个州的大学教授,研究从奴隶时代开始的生活和文化。他说的“一个老人的去世就事丢失了一本厚厚的书”的话语给我留下了深刻的印象。4 n$ _$ ^0 M: i0 |( c
    他说他走过的调查的地方有不识字的人。但是,那样的人的回想却很生动、具体。他说“最高的读物”是“没有笔的老奶奶”。这个评论应该是放之四海而皆准的吧。# v; i: j. W7 b: y
    以“活着的图书馆”为名的活动现在正在欧洲广泛开展。图书馆招募原黑社会或同性恋者等平时接触机会甚少的人们。并且据说还尝试着(将他们)作为“书”借出。
9 g2 [: _6 X3 v    来馆的人借他们想读的“书”,可以一对一的谈话。以减少社会的偏见为目的开始是非常好的。某日在伦敦,26本“书”交替着借了100位读者。据说最受欢迎的原露宿街头的人被8人读了。
1 g; ?1 B& [5 [& W    诗人长田弘写到:不局限于人,阅览要包罗万象。《只有能写出的字并不是书/太阳的光辉、星光的闪烁、小鸟的鸣叫/河流的声音是本书……这本书是由看不见的语言写出来的》(《世界是一本书》)
* n" D# B7 [" M0 g    这是一个可以看到人也好、风景也好、时时都不同的《读物》的暑假。澄清心灵、激发想象力,试着读读“看不见的语言”也很好。意外的一行或许正悄然等待着我。) k. T1 E) q& t# }: i$ \
' `- }( o5 |6 ^1 p+ D1 U# _
[ 本帖最后由 wwlannie 于 2008-7-24 11:10 编辑 ]
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发表于 2008-7-23 18:07:53 | 显示全部楼层
收下来,慢慢学,还没看过呢
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发表于 2008-7-24 11:12:21 | 显示全部楼层
2008年7月24日(木)付
: B4 H2 j+ p( h/ W/ U4 k+ h9 H
9 C9 c3 @8 O/ C8 L% l9 U 江戸の昔から食通を堪能させてきたからか、ウナギの出てくる小咄(こばなし)は多い。たとえば、ウナギとタコが鞘(さや)袋を拾う。鞘におさめた刀をすっぽり包む細長い革袋だ。それを股引(ももひき)にするから欲しいと、タコが言う▼ウナギは「8本足の1本だけ股引をはいても仕方なかろう」と自分のものにしようとする。タコが「では、おぬしは何にする」と尋ねると、ウナギいわく「かば焼きの時の火事羽織」▼その迷案もむなしい、きょうの「土用の丑(うし)の日」である。ウナギにはご難だが、1年で一番売れる日だ。炎暑の店先にのぼりが立ち、香ばしい匂(にお)いが流れれば、つい行列をしてまで食べたくなる。恒例の「国民行事」に、しかし今年は影が差している▼昨年来、中国産への不信が募っている。あおりで国産は値上がりを続けてきた。そこへ水温を保つ重油代などが高騰し、夏場を前に値は跳ねた。国産にこだわれば、店で食べても自宅で食べても、懐はかなり痛む▼「国籍偽装」の後遺症も残る。〈土用前ウナギの沙汰(さた)に食傷し〉と小紙の川柳欄にあった。だまされた後、「国産」と言われて素直に信じられるかどうか。高値に疑心があいまって、ウナギ離れが起きるのではないか。そんな暗雲が土用の日差しを曇らせる▼小咄の一つに、ウナギを焼く匂いで飯を食う男が出てくる。店の主がお代を求めると、銭の音をチャリンと鳴らし、「匂いのお代は音で払う」。かば焼きが高根の花だったころの笑い話だろう。財布の中身をはかりつつ、国産か否かで心が揺れる夏の一日になりそうだ。
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发表于 2008-7-25 09:03:50 | 显示全部楼层
2008年7月25日(金)付; O& U2 n. T2 h0 s

1 S* A% @" u. I6 B( V, U* R; C ビルに囲まれた空に入道雲がわいていた。献花台に夏の日が照る。花に埋もれるようにメッセージがあった。「ほんやのおねえちゃん いつもたくさんのえがおをありがとう きっとわすれないよ」。やりきれぬ、突然の終止符である▼東京・八王子の書店で起きた無差別殺傷事件で、アルバイトの大学生斉木愛(まな)さんが犠牲になった。人柄を知る人は「明るく、まじめな人でした」と評している。だが、一昨日までなら、尋ねられれば「明るく、まじめな人です」と答えていたはずだ▼憎んでも余りある凶行が、「です」を「でした」に変えさせた。かけがえのない命を過去のものにした。愛する肉親を、親しい友を、いまや過去形で語らなくてはならぬ人たちの無念は、いかばかりかと思う▼献花台に手を合わせながら、三好達治の詩の一節を思った。〈いいえ昨日(きのう)はありません/今日を打つのは今日の時計……昨日はどこにもありません/そこにあなたの立っていた/そこにあなたの笑っていた/昨日はどこにもありません〉。誰よりも本人が、一番悔しいに違いない▼昨日と今日を断ち切った男は、またも「誰でもよかった」とうそぶく。「親が話を聞いてくれず、事件でも起こせば名前が出ると思った」。33歳とは思えぬ幼稚さと、凶暴性の混在に背筋が冷える▼「ほんやのおねえちゃん」は、だれからも好かれたそうだ。就職を決め、卒論に励み、前向きな意欲に満ちていたと聞く。不平不満を社会や他人のせいだと決め込む愚か者からは、最も遠い人だったのに違いない。
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发表于 2008-7-28 09:28:55 | 显示全部楼层
2008年7月26日(土)付5 y4 Y4 ^; f+ n9 G6 @0 L
: n1 g* S# I( P& T3 i
 「鬼籍に入(い)る」という言葉がある。その意味を女子大生にたずねたら、「長男の嫁になること」と答える者が多かったそうだ。中国文学者の一海知義さんが、人づての話として『漢語四方山(よもやま)話』(岩波書店)に書いている▼この珍解答には腹を抱える人も、さて「憮然(ぶぜん)」や「檄(げき)を飛ばす」の意味をご存じだろうか。文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、7割以上が意味を取り違えていたそうだ▼「憮然」は、失望してぼんやりする様子。「檄を…」は、自らの主張を広く知らせて同意を得る。それが元の意味だ。だが多くが、前者を「腹を立てている様子」、後者を「元気のない者を叱咤(しっ・た)激励する」と誤って使っていた▼「日本語の乱れ」と嘆く向きもおられよう。だが、これらはもはや「誤」が「正」になった感がある。「憮然」から想像するのは仏頂面であって、失望の顔ではあるまい。歩く人が多くなれば、それが道になっていく▼とはいっても、気になるのはカタカナ語である。多いと感じる人が8割を超す。開化期の文化人たちは、なだれ込む外国語と格闘し、「社会」「個人」「哲学」…と片っ端から新しい日本語の服を着せた。いまは裸のまま、ネットに雑誌にカタカナが躍る。席巻ぶりを、4割の人が「好ましくない」と見ている▼ところで冒頭の「鬼籍に入る」は、人が亡くなることを言う。鬼の字にはもともと、「人が帰る所」という意味があるそうだ。カタカナ語に虫食いにされて、美しい日本語がいつか鬼籍に入ることにはならないか。心配である。
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发表于 2008-7-28 09:31:33 | 显示全部楼层
2008年7月27日(日)付
* n3 Q5 H. C: B) e* P" K- J* B& ?+ r2 A5 L/ k% r. m- F1 u
 始まりは、火の通りをよくするためだったらしい。ドーナツの穴である。昨今の店先には丸い菓子パン風も並ぶが、やはり最初の一口で穴が壊れ、二つの断面から粉がこぼれるのが「らしく」ていい▼その愛すべき穴は、しかし、ただの空気で満ちている。ドーナツもマカロニも、穴が大きくなるほど腹に収まる部分は減っていく。価格が同じなら、大きい穴は生産者の利益につながる定めだ▼大手の水産会社が2年前から、ちくわを短く、穴を大きくしているという記事があった。原料のすり身が世界的に高騰したため、1本を30グラムから25グラムに減らしたそうだ。それでも追いつかず、結局は値上げを強いられたという▼外地での話だが、身が両端にしか入っていない冷凍エビフライに出くわしたことがある。そんなキセルもどきや、相次ぐ食品偽装の厚かましさを思えば、穴の拡張にはどこか哀感が漂う。万人がちくわと認める形を保ちながらの減量は、苦肉の策には違いない▼とはいえ、ちくわ1本の重さを確かめて買う人は少ないから、体のよい値上げともいえる。こうした、妙な企業努力が、食品や日用品に広まっているらしい。バターをマーガリンに、小麦粉を米粉に代えた、これまた哀感あふれる新商品も登場している▼酷暑の列島は値上げづくし。消費者は生活防衛に追われる毎日だ。なるべく買わない、使わない、遊ばない。そうはさせまいと、メーカーや小売店も手段を選ばない。切ない知恵比べである。広がったちくわの穴から、くらしの非常事態が見えてくる。
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发表于 2008-7-28 09:32:53 | 显示全部楼层
2008年7月28日(月)付
. l% o' l- ^+ C; D' d! l, X) J8 A# n. y$ T# c/ j1 Z  V2 s1 t
 女優の黒木瞳さんが初めて飛行機に乗ったのは、郷里の福岡から大阪への一人旅だった。親が「高校最後の思い出に」と許した、宝塚音楽学校の受験である。別世界の人を見れば夢もさめようと、ご本人も思っていたという。離陸時、座席のイヤホンには「運命」が流れていた(自著『わたしが泣くとき』幻冬舎)▼ここまで格好いい話は例外だろう。宝塚専門の予備校で歌や踊りを鍛えても、約20倍の競争に涙をのみ続け、受験資格の15~18歳を通過していく少女がほとんどだ▼あこがれのその学校が、来春から入試を一変させる。全受験者に課していた声楽とバレエの実技をやめ、1次試験は容姿や華やかさを見る面接のみに、2次の歌や踊りも基礎能力を重視する▼より多くの人に受けてもらうための見直しだという。受験技術の予習を重ねた子はうまいが、髪形まで似る。そこで、芸事の素人さんにも挑んでもらい、型破りの逸材を見つけたいと▼都内の受験スクールにお邪魔した。黒いレオタードの一群が夏休み返上で特訓中だった。元タカラジェンヌの代表者は「原石を探すといっても、初心者からトップ級は出にくい。受験者を増やすなら、修学旅行生にもっと舞台を見てもらうのが近道です」▼宝塚での2年の学校生活は、校訓「清く正しく美しく」の前に、まず厳しい。芸能界への道筋は増えたのに、毎年約千人の娘たちがその厚い門をたたく。外からは、伝説は十分生きているかに見えるのだが、中には中の考えがあろう。守るべき夢が大きいと手入れも大変だ。
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发表于 2008-7-29 08:51:58 | 显示全部楼层
2008年7月29日(火)付
4 ?) _/ e1 Y: ~  l* e# p* g- Q" ^" E+ F! ^9 r
 らちの明かない議論を「水掛け論」と言うが、水争いから生まれた言葉ともされる。農家にとって水は命である。かんがい施設の整う以前は、日照りが続くと、水をめぐるいさかいが頻発した▼争いは、他人同士ばかりではなかったようだ。狂言に「水掛聟(むこ)」というのがあって、婿と義父が田へ引く水を奪い合う。顔に泥を塗り合ってけんかを始める。ときには身内の仲も裂くほどに水は貴重だった▼きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きているという。食糧需要の高まりや、工業用水の急増が背景にある。インドでは、借金をして井戸を掘ったものの、水が出ずに自殺する農民が後を絶たない。くみ上げすぎで、地下水の層が年々深くなっているためらしい▼タイでも、穀倉地帯の水不足が深刻だという。農業と工業で、取り合いをしている。「限られた水資源の中で生産は目いっぱい」と憂える現地の声を、本紙記事が伝えていた。豊かな大河の流れるかの国でも、いまや安泰とはいかないようだ▼宇宙から見れば地球は青い。色のとおりの水の惑星である。とはいえ、ほとんどは海水で、淡水は2.5%にすぎない。東京大の沖大幹教授の試算によれば、水を安定的に得るのが困難な人たちは、いま世界で約25億人にのぼっている▼それが、今世紀半ばには約40億人に増えるそうだ。私たちとは無関係、と思うなかれ。食糧輸入の多い日本は、農畜産物を育てるための膨大な水を、実は外国に頼っている。わが食卓が世界の水につながっていることを、忘れまいと思う。
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发表于 2008-7-30 11:27:03 | 显示全部楼层
2008年7月30日(水)付, @2 C9 o5 M- O& H( s  ?" ?) ~- R
. I' d( z" Y# l9 E" x" C
 明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。滝だ」と驚いたそうだ。高い山から海へと急ぐ姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう▼そうした河川が、山がちな日本には多い。神戸市の都賀(とが)川も、デレーケが見たら滝と思ったかもしれない。六甲山系から坂の街を流れ下る。おととい、急な雨で増水し、子どもら4人の命をのみ込んだ▼コンクリートに固められた「せせらぎ」は、市民の憩いの場だった。それが瞬く間に濁流と化した。手なずけていたつもりの動物が、いきなり野性に目覚め、牙をむいた印象である。都市河川といえども、自然の一部に他ならないとあらためて思う▼アウトドアが人気の昨今、人が手を加えた「疑似的な自然」を楽しむ場所が増えている。整備されたキャンプ場や親水公園などだが、油断は禁物だ。ふだんはやさしげに見えたとしても、人間の管理で「自然の牙」が抜けたわけではない▼大正から昭和初期の名登山家、大島亮吉を思い出す。名著『山――随想』を書き、「そのもっとも平穏な日において、山の凶暴さを思え」という警句を残した。のちに多くの登山家の胸に刻まれていった言葉である▼大島の言う「山」は、川とも、海とも、そして自然とも置き換えることができよう。自然に親しむ機会の多い夏休みである。大いに楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう。亡くなった4人の冥福を祈りつつ、肝に銘じたい。
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