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发表于 2008-8-20 10:19:32
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2008年8月16日(土)付
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半世紀ほど前、川端康成が本紙に連載した『女であること』に、主人公らが都内遊覧に興じる場面がある。ガイドがなかなかの名調子だ。〈この東京は、四季折り折りの変化は申すまでもなく、朝に夕に刻々と、移り変っているのでございます……〉。「はとバス」である▼戦後の東京見物を担ったバス会社が、おととい、設立60周年を迎えた。「お一人でも乗れる観光バス」が実際に走り出すのは1949(昭和24)年。地方からの家族連れや、異国の旅人に、変わり続ける首都の姿と新風俗を紹介してきた▼隅田美枝子さん(67)がガイドになったのは、川端作品の後、18歳の時だ。女性では屈指の人気職種で、10倍を超す難関だった。高校時代は放送部、案内の口上や歌は家でも磨いた▼国会議事堂前から皇居のお堀端を北に進めば、靖国の社(やしろ)が見えてくる。そこで「九段の母」や「東京だよおっ母さん」を歌うと、老夫婦らがよく泣いた。終戦からまだ15年、わが子や夫を戦地で亡くした人はいくらもいた▼疎開の記憶もおぼろげな隅田さんは、新米ガイドの歌に涙する客に打たれた。他方、貸し切りで迎えた修学旅行生とは、姉妹のような交流が生まれた。「あの時代と、あの人たちをいとおしく思う」と語る▼四季を重ねるたび、車窓の街は復興から高度成長へ、淡彩から原色へと豊かになった。「走る戦後」である。敗戦で生まれ変わった日本に通じる「はと」の名は素朴だが、時代がひと回りしたせいだろうか、古臭くはない。黄色の車体には、いまも平和の鳥が飛ぶ。 |
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