|
发表于 2008-9-25 10:00:11
|
显示全部楼层
2008年9月24日(水)付0 ~( N2 ?5 J9 D0 W; z* R4 A' V$ J
( p- K! M8 P$ U: E+ e, f あまり話題にはならなかったようだが、去る13日は、とある猫が死んで100年の命日だった。ははん、とひらめく方もおられよう。あの有名な、名前のない、漱石の猫である▼『吾輩(わがはい)は猫である』はむろん小説だが、モデルになった猫は実際にいた。朝、物置のかまどの上で冷たくなっていたそうだ。漱石は骸(むくろ)を庭に埋め、白木の墓標に〈此(こ)の下に稲妻起る宵あらん〉と、追悼の一句をしたためている▼明治の末のころ、猫や犬がどれだけ飼われていたかは知らない。いまや空前のブームで、全国で実に2千万匹以上ともいう。ペットの売買やフードなど関連市場は1兆円を超すそうだから、堂々たる産業である▼命多ければ死も多く、ペット葬祭業も増えているらしい。漱石は出入りの車屋に始末を頼んだ。1世紀の後、葬儀、納骨から喪失感のケアまで手がける所も登場した。人がペットを擬人化し、パートナーの関係を深めている証しでもある▼その擬人化の、漱石は元祖である。猫好きに思われるが、そうでもなかったようだ。猫の吾輩は作中、「いかに珍重されなかったかは、今日に至るまで名前さえつけてくれないのでも分る」とぼやく。本物の猫も一生を名無しで終えた。付かず離れずが漱石流だったのだろう▼当節はブームの一方で、腕時計を外すようにペットを捨てる人もいる。多くの猫や犬がガス室に送られるのを思えば、人間の身勝手さは同類として恥ずかしい。折しも動物愛護週間。名無しの猫が起こす稲妻と、怒りの声を、土の下から聞くようにも思う。 |
|