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发表于 2008-11-18 11:28:35
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2008年11月17日(月)付+ r' r X( W9 i& \' }" D# v
, N5 F, Z, Q- O9 G B; ~) T8 _ 異国船が出没し、大地震や大火が続いた幕末の江戸。世情騒然とする中、盛んに「鯰絵(なまずえ)」が描かれた。地を揺らす大鯰を民が懲らしめる定番のほか、大暴れを反省した鯰が復興を手伝うのもある▼好き放題の果てに、毒を吐きながら衰えていく大鯰。今の米国にそんな絵を重ねてみる。こりゃたまらんと、小魚中魚が20匹ほど泳ぎ寄り、池を救う策を思案した。ワシントンの金融サミットである▼宣言は「いくつかの先進国」が対応を誤ったと認め、各国の連携を強めて危機に臨むという。「鯰語」に訳せば〈ひとつながりの水で生きていくなら知らん顔はできまい。小には小の、中には中の役目があるぞ〉だろうか▼米国の懐は、戦費その他でからっぽ。外の資金を誘い続けるには、自由放任の市場とドルの威信は譲れない。こうした鯰の都合が「池の平穏」に先んじるあたりに病巣がのぞく。火元の、しかも去る人が発した宣言に効ありや▼鯰絵の鯰はやがて、天災で世の中が一変するかもという庶民の期待を受けて「世直しの神」に姿を変えていく(原信田(はらしだ)実『謎解き広重「江戸百」』集英社新書)。時に度し難い米国鯰も、いざという時の変わり身の早さは侮れない。現に「次」が変革を訴え、民は「やればできる」と熱く唱和している▼翻って、わが政治のぬるさよ。バイト2日分の配り金で票を釣ろうにも、選挙を怖がり、とんちんかんな話になった。かくして変革は遠のく。池の主について行くなら行くで、主以上の身軽さが要るのに、その泳力、漂う浮草のごとしだ。 |
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