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发表于 2004-8-21 04:46:44
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08月21日 / u+ a6 Y5 A- G. t, S9 O; a) d
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「何か感想を書かねばならぬ約束で、原稿紙はひろげたものゝ、毎日、オリンピックのテレビばかり見てゐて、何もしないのである」。こう書き始めたのは、小林秀雄である。 . Y* \! L9 a8 q6 s/ V# o$ w. |
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「オリンピックのテレビ」は、40年前の東京五輪の直後に本紙PR版に載った。こんなに熱心にテレビを見たのは初めてで、自分でも意外だったと述べ、その訳を考える。「たかゞ小さな硝子板に映し出されたカメラによる模写である。だが、この抽象的な映像は生きてゐる。その自立した抽象性が、私を、静かな感銘に誘ひ込む」
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1 ?, F' P1 M$ c$ t' n8 m 懐かしい、80メートルハードルの依田郁子選手が出てくる。「スタート・ラインで釘を打ってゐる。両手をつけて、銕啢颏筏幛款啢蛏悉菠搿%单恁幞俩`ルを塗る。トンボ返りをやる」。その肉体の動きによって「私の眼に、何も彼も、さらけ出してゐる」。その表情の簡明、正確、充実には、抗し難い魅力がある、と記した。
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依田選手を育てた「暁の超特急」の吉岡隆徳コーチは、大会前の手記に、こう書いた。「オリンピックに出る選手なら、誰でも自分との闘いに心を傷つけているものだ。オリンピックとはそんな人間と人間との勝負なのだ」
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) h1 c' m' N; B これを受けて小林は、近代文学の世界は「自分との闘ひで心を傷つけて来た人間達」の告白で充満していると述べる。ただし、文学の世界には、勝負がない、と。 + _9 b& w! M4 B* X: x8 \
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「たかゞ硝子板に映る模写」には、勝ち負けや肉体の動きだけでなく、それぞれの自分との闘いも表れる。連日、スイッチを切りがたい訳は、その辺にもありそうだ。 |
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