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发表于 2004-8-16 05:11:21
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08月16日 . n; p, Z. G- ?6 q
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大方の日本人にとって、あの8月15日の敗戦の報は突然のことだった。だが沖縄では、2カ月近く前に地上戦に敗れ、既に米軍の支配下にあった。戦後は米国が施政権を行使し、本土復帰後も、広大な米軍基地を抱えている。
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% c5 i3 L8 D: I( ], W4 l 沖縄の普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の敷地内に、米軍ヘリコプターが墜落、炎上したのは13日だった。ヘリの部品は住宅密集地に飛び散った。住民にけががなかったのは幸いだが、その後の事故の扱いには首をかしげざるを得ない。 1 L3 Z2 [) n1 z
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現地では、事故への懸念は以前からあった。再発を防ぐためにも、緊急、厳密な検証が必要だ。ところが、事故発生時刻からまる2日たっても、令状に基づく県警の現場検証は始まらなかった。県警は、日米地位協定の関係法令に基づき米軍側に検証への同意を求めたが、明確な回答がなかったという。
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「ここはイラクではない。機体の管理権は向こうにあるとしても、現場の管理権は米側にはない」。現地で、米軍が封鎖している区域のテープを越えるのを拒まれた荒井正吾・外務政務官が述べた。
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+ S D X3 W5 l, i$ n6 u 沖縄での米軍機の墜落事故は、復帰後、40件あるという。政務官は、米軍事故現場の管理の一般的なルール作りについて、近く日米間で協議を始める意向を示したが、あまりに遅すぎないか。 8 i1 l* \, ] \1 F% ]+ X& u! f- h1 E
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普天間飛行場の近くの高台や、嘉手納基地脇の「安保の見える丘」に行くと、基地の広さに圧倒される。そして、ここは世界の戦場とつながっているとの思いを新たにする。基地と隣り合う人々は、その思いを、日々新たにさせられている。 |
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