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发表于 2004-9-9 05:17:16
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09月09日
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「終戦の日のことを書くのに、私の『リヤカーをひいて』からの文章を活用してくださり、光栄でございました――」。昨日85歳で亡くなった水上勉さんから、思いがけない手紙を受け取ったのは、3年前だった。 ! n% L0 e# V$ n! G* D) r, h
& r+ L% x, s% b4 [$ U( K 「昭和20年8月15日」のことを書いたコラムに、水上さんの、この日の回想文の一節を引用した。簡単な礼状と、掲載した新聞を送った何日かあとに、手紙が届いた。
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- f+ B L* O4 w* X8 ^ 水上さんから直接取材したことはないが、かなり以前に、何かの集まりであいさつするのを見た。作品やテレビを通して思い描いていた通りの印象を受けた。たたずまいの端正さや静かさと、その奥底にうずくまっている熱情のようなものを感じた覚えがある。
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『昭和文学全集』(小学館)の解説に、小松伸六さんが書いていた。「私は以前水上文学を、『生活する歌ごころ』と書いたことがある。それは在所の悲しい子守唄であり、放浪生活歌である。また人生遍路の諷詠であり、失われた日本へのエレジーでもある」。簡素で、しかも空疎ではなく深い内実のある、地べたからの発言だという。
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9 {* t0 k- |4 l$ c( ^ 終戦の日、あの放送を、水上さんが聞くことはなかった。そのころ、炎天下、リヤカーに病人を仱护啤⑧_里・若狭の坂道に居た。「人は『歴史的な日』などを生きるものではない。人は、いつも怨憎(おんぞう)愛楽の人事の日々の、具体を生きる」(『八月十五日と私』角川文庫) % |% a$ J$ I" U
. E- `, T+ W, r7 e5 s% z 地をはうように生きる人々の、息づかいや胸の内奥にまで、するどくも優しいまなざしを向けながら、日々の具体を描き通した。 |
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