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发表于 2004-10-7 16:39:07
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10月(じゅうがつ)07日(にち)付(づけ)
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' M! f# @. q- R1 K* D3 y- O きのう)の早朝(そうちょう)、久々(ひさびさ)の強(つよ)い日差(ひざ)しに誘(さそ)われて散歩(さんぽ)に出(で)た。秋(あき)霖()(しゅうりん)というには荒々(あらあら)しい前夜(ぜんや)までの風雨(ふうう)で、空(そら)も町(まち)も洗(あら)われている。木々(きぎ)の葉(は)先(さき)に、しずくが光(ひか)る。木漏(こも)れ日(び)が、きらめく。季節(きせつ)は違(ちが)うが〈あらたふと青葉(あおば)若葉(わかば)の日(ひ)の光(ひかり)〉を連想(れんそう)した。
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5 ]) A* U5 v1 i* J, O 芭蕉(ばしょう)がそう詠(よ)んだ日光(にっこう)を経(へ)て、英(えい)人(じん)旅行(りょこう)家(か)イザベラ・バードが北(きた)へ向(む)かったのは、1878年(ねん)、明治(めいじ)11年(ねん)だった。彼女(かのじょ)は、行(い)く先々(さきざき)で好奇(こうき)の目(め)にさらされる。 ! c) \; Q6 N+ i0 L, r5 g
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宿(やど)の外(そと)に千(せん)人(にん)もが集(あつ)まったこともあったという。町(まち)はずれまで警官(けいかん)が付(つ)き添(そ)う。「一(いち)千(せん)の人(ひと)びとが下駄(げた)をはいて歩(ある)いてくるときの騒音(そうおん)は、雹()(ひょう)がばらばら降(ふ)ってくる音(おと)に似(に)ている」(『日本(にっぽん)奥地(おくち)紀行(きこう)』東洋文庫(とうようぶんこ))
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; V) k5 o, Z# Z7 K. Y. X. V みそ汁(しる)が「ぞっとするほどいやなもののスープ」に見(み)えたなど、食(た)べ物(もの)の違(ちが)いや、ノミや蚊(か)にも悩(なや)まされた。それでも、東北(とうほく)を経(へ)て北海道(ほっかいどう)まで約(やく)3カ月(げつ)の旅(たび)を全(まっと)うした。
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7 e3 A3 |6 n% a( L0 c7 q" k 「私(わたし)は、これほど自分(じぶん)の子(こ)どもをかわいがる人々(ひとびと)を見(み)たことがない……抱(いだ)いたり、背負(せお)ったり……手(て)をとり……子(こ)どもがいないといつもつまらなそうである」。学校(がっこう)教育(きょういく)が進(すす)む以前(いぜん)の日本(にっぽん)の家庭(かてい)や親子(おやこ)関係(かんけい)を活写(かっしゃ)しており、今日(きょう)でも考(かんが)えさせられる所(ところ)があると、民俗(みんぞく)学者(がくしゃ)の宮本(みやもと)常一(つねいち)さんは述(の)べている(『イザベラ・バードの「日本(にっぽん)奥地(おくち)紀行(きこう)」を読(よ)む』平凡社(へいぼんしゃ))。 x7 z7 J( [+ I. ^$ T
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彼女(かのじょ)は朝鮮(ちょうせん)や中国(ちゅうごく)へも旅(たび)した。そして、100年(ねん)前(まえ)の10月(じゅうがつ)7日(にち)、英(えい)エディンバラで他界(たかい)した。72歳(さい)で、病床(びょうしょう)でも日(にち)露(ろ)の戦争(せんそう)の行方(ゆくえ)を気(き)にしていたという。もう一度(いちど)アジアに行(い)くつもりで、旅行(りょこう)カバンは常(つね)に用意(ようい)されていた(『英国(えいこく)と日本(にっぽん)』博文(ひろぶみ)館(かん)新(しん)社(しゃ))。 |
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