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发表于 2008-4-16 17:37:36
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【二】
夜明けの卍谷に、まさに五つの影が、もやにとけてすべりこんできた。忍者は、ふすまに水をかけ、それを踏みわたっても破れないような鍛錬をするといわれる。足音をたてないのは当然として、周囲に鳴きしきっている春の|蛙《かわず》が、一匹として鳴きやまぬのはふしぎであった。
東海道に、風待|将監《しょうげん》と地虫十兵衛を|屠《ほふ》り去った薬師寺天膳、|小豆《あずき》|蝋《ろう》|斎《さい》、|筑《ちく》|摩《ま》小四郎、|簔《みの》|念《ねん》|鬼《き》、|蛍火《ほたるび》の五人である。
ここも鍔隠れの谷とひとしく、迷路のような道の配置だ。彼らのうちには、さきごろからの朧と弦之介の縁組の問題で、使者としてこの村へはいってきたものもないではなかったが、その進退はもとより甲賀側のそれとなき監視のもとにあったから、いま自由にここにはいってみれば、はじめてのような気がするのであった。いわんや、ついに|争《そう》|忍《にん》の火ぶたがきっておとされ、いまや完全にここが「敵地」であると知れば、さすがの彼らの皮膚もそそけ立たざるを得ない。
「まだ、みな眠っておるようだな」
と、簔念鬼がささやいた。
「いや――」
小豆蝋斎が不安らしく見まわすのに、
「こわがるな、たしかにまだだれも気づいてはいぬ」
と、薬師寺天膳はかぶりをふった。彼のみはこの卍谷が、まるで鍔隠れの谷とおなじように、案内を熟知しきった足どりだ。
「気づかれても、こういう手もある。弦之介の命令で、|霞刑部《かすみぎょうぶ》、如月左衛門、室賀豹馬、陽炎、お胡夷に、そなたらも伊賀へ参れといつわるのじゃ」
「おびき出しか」
「しかし、よく考えてみれば、この五人がうかとこの言葉につられるものとも思えぬ。おそらく、そうはゆくまい。これは万一の際の|遁《とん》|辞《じ》として、それより一人ずつ、|疾風《はやて》のごとく|斃《たお》してまわろう。まず、室賀豹馬の家へ――」
声ではない。息の音波ともいうべき会話だ。天膳は空を見あげてうす笑いをした。
「おお、あの|欅《けやき》も大きくなったなあ。おれが子供のころ、おなじ背丈だったことをおぼえておるが――」
それは樹齢たしかに百七、八十年はあろうと思われる大欅であった。曇った夜明けの空にそそりたった枝々は、その樹齢もつきたのか、葉がおちつくして、彼らに敵意をいだいてつかみかかるようにみえる。
天膳はそこに物見の男の影などないことを見てとると、きっとみなをふりかえって、
「しかし、不意討ちとて、たやすうは思うなよ。風待将監ひとりすらあれほど骨をおらせたではないか」
と、いったとき、ふいに天膳の足がピタととまった。恐ろしいはやさでまわりを見まわしたが、
「はてな」
「天膳どの、何か?」
「だれか、われわれ以外に、すぐそばに立っておるような気がしたが」
そこは、両側、古い土塀にはさまれた道であった。朝もやがけむりのように地にはっていたが、しかし、たしかにほかに人影はない。
ふいに筑摩小四郎と簔念鬼が、|蝙蝠《こうもり》みたいに両側の土塀へ舞いあがった。身を横なりに、フワリと瓦のうえに吸いつくと、それぞれ裏側をのぞきこんで、
「だれもおらぬぞ」
天膳はうなずいて、肩をゆすると、
「気のまよいだ。ゆけ」
と、さきに立ってあるき出した。すぐあとに、殺気のかたまりとなった四人がつづく。簔念鬼、蛍火、筑摩小四郎、それから小豆蝋斎が。――
その小豆蝋斎の姿が見えないことに気がついたのは十歩いってからだ。
「や?」
彼らは、いっせいにはせもどった。――そして土塀を背に、実に思いがけぬ小豆蝋斎の姿を見たのである。
蝋斎の足は大地にくいこみ、上半身を|海老《え び》みたいにまえにまげて、その壁からはなれようとしていた。しかも、からだはその位置からうごかないのだ。だが、そのうしろには、彼をとらえる何者の影もない。
突然、蝋斎はつんのめった。つんのめりながら、さすがに小豆蝋斎、その足がうしろざまに鉄の|槌《つち》のごとくしなって、ぽかっと土塀に穴があいた。恐るべき脚の打撃力だ。「おおっ」という息のようなうめきがその壁できこえ、もはや壁づたいにムクムクとみだれたようにみえたが、依然、そこに人らしい姿はみえなかった。
「壁が、わしの|鞘《さや》をつかんだ!」
はねおきた小豆蝋斎の顔が|土《つち》|気《け》|色《いろ》になっていたのは、よくよく驚愕したらしい。
「壁が、わしの耳もとで、伊賀者、卍谷の壁には耳があるぞとぬかしおった!」
そのせつな、壁に、ややはなれた場所でぶきみなふくみ笑いが起こった。
「しまった!」
と、薬師寺天膳がうめいたとき、笑い声は壁の表面をはしりつつ、|朝《あさ》|靄《もや》の奥へきえて、
「出合え! |曲《くせ》|者《もの》が卍谷にはいったぞ!」
と、ひッさくような声がひびきわたった。同時に、路地の前後にわあっという|喚《かん》|声《せい》がわきあがった。
伊賀の五人の忍者はさすがに愕然として立ちすくんでいる。奇襲は完全に失敗した! まったく無警戒の卍谷へ潜入したと思いきや、かえって|罠《わな》におちこんだのだ。のみならず彼らの密語も、奇怪な「壁の耳」にききとられたことはあきらかであった。
「ち、ちがうっ」
と狼狽しつつ、薬師寺天膳が手をふった。
「曲者ではない! 伊賀の鍔隠れからまいった使者だ! 甲賀弦之介さまのお申しつけにより、われわれ五人、いそぎまかり越したのだ!」
「その手にはのらぬ。伊賀の使者が、なぜ北からきたか!」
と、さっきの声が嘲笑した。
「なんじらの密語に不審の|条《くだり》がある。それ、ひっとらえろ!」
どっと朝靄をみだして殺到してくる足音に、
「もはや、これまで」
と、薬師寺天膳は蒼白になりながら、ニヤリとして、
「にげるに、少々骨がおれるが、よいか?」
「なんの、甲賀者ごとき――」
ツツーと、ひとり、まっさきに腰から大鎌をひきぬいて、筑摩小四郎がとび出した。
白刃をひらめかしつつおしよせてきた甲賀勢は、すぐ前方にぬっと不敵に立ってむかえた筑摩の姿に、はっと気押されて立ちどまる。それもひといき、たちまち猛然とふたたび踏み出そうとしたが、小四郎はその一瞬をつかんだ。
彼は唇をとがらせた。シューッというような音が、虚空に鳴った。
同時に、三メートルばかりはなれた甲賀侍のうち、その先頭に立っていた二、三人が、ふいに顔をおおってのけぞった。その顔は、|柘榴《ざくろ》のように裂けていた!
「あっ」
何がどうしたのかわからない。わからないままに、なお前へ出た数人が、さらに顔をひき裂かれて崩れ伏し、さすがにみな、どどっとうしろへ|雪崩《なだれ》をうった。
「ゆけっ」
天膳のさけびとともに、伊賀の五人組は、その混乱の|渦《うず》へ割ってはいった。
簔念鬼の棒がうなった。小豆蝋斎の四肢が旋風のごとくあれ狂った。たちまち、そこは血の|泥《でい》|濘《ねい》と化した。念鬼の棒に|頸《けい》|骨《こつ》をへし折られた死体のうえに、蝋斎の足で|肋《ろっ》|骨《こつ》に穴をあけられた死体がかさなる。しかし、いちばん恐ろしかったのは筑摩小四郎に|斃《たお》されたものの|形相《ぎょうそう》であったろう。その顔は一様にまるで花火でもしかけたように眼球がとび出し、鼻口は内部から肉をはぜ割れさせていた。
反対側からかけつけた一団も、その|酸《さん》|鼻《び》な血と骨の堆積のうえに、大鎌をにぎってふりかえった筑摩小四郎が、またも口をとがらせたのをみるとともに、その数人が顔面を破裂させらせて、釘づけにされてしまった。
筑摩小四郎の妖術をふせぐすべが世にあろうか。彼は何物を吹きもせず、飛ばしもしなかった。彼は吐くのではなく、吸うのであった。強烈な|吸息《きゅうそく》により、ややはなれた虚空に小旋風をつくる。その旋風の中心に真空が生ずるのだ。この真空にふれたが最後、犠牲者の肉は、|鎌《かま》いたちに襲われたように内部からはじけ出すのだ。
彼が風待将監に対してこの術をふるうことができなかったのは、あのとき将監のためにいきなりその鼻口を|痰《たん》でふさがれていたからにすぎない。
例の声が|叱《しっ》|咤《た》した。
「何をひるむ、何をおそれる。甲賀の忍者の名にかけて、彼らをのがす法やあるっ」
甲賀侍たちは歯をむき出して突撃した。そうなれば、もとより空中の小さな真空などは敵の|奔流《ほんりゅう》を制止しえない。――が、このとき、甲賀勢の前後左右にぱっと雲のようなものがわきあがった。
蝶だ。何千羽、何万羽ともかぞえきれぬ蝶の大群だ。それは甲賀侍たちの目をふさぎ、息もとめんばかりに渦まき、とびまわり、はては路上から塀のうえを巨大な|竜《たつ》|巻《まき》のごとく移動してゆく。
はっとわれにかえったとき、伊賀の五人組の影は眼前からきえていた。
「やあ、あっちだ!」
「向こうへにげたぞ!」
蝶の竜巻を追って、甲賀勢がかけ出すのと、まったく反対の方角で、薬師寺天膳の嘲笑がきこえた。
「噂ほどにもない甲賀のうろたえ者よ、これで伊賀の手並はわかったであろう」
発狂したようにその方へかけつけると、またちがうところで、さらにずっと遠く、
「これが伊賀の使者をむかえる|挨《あい》|拶《さつ》か。相わかった! なおこのうえ血迷うて鍔隠れの谷へ|推《すい》|参《さん》などするにおいては、よいか、当方にとどめある甲賀の客人にもきっと礼は返すぞ!」
どこからともなくあらわれて、ひとかたまりとなっていた霞刑部、如月左衛門、室賀豹馬、陽炎の四人は、はっとして顔を見あわせた。敵のいう甲賀の客とは、彼らの主人甲賀弦之介のことをさすのはあきらかだったからだ。
はるか彼方で、どっと伊賀の忍者たちの笑う声があがって、消えていった。 |
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