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发表于 2004-12-18 02:29:19
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偶来贴一些有关于水的四字熟语
悪木盗泉
(あくぼくとうせん) 悪い木の陰では休むべきでなく、盗泉と噂される水は飲んではならぬ。われわれの生活も、いかに苦しく困難でも道に背くことは絶対にしてはならぬ。また、そのような不善、悪事に近づいてはいけない。
「盗泉」とは孔子が盗泉という名の泉をみて名前が悪いといって飲まなかったといわれる水。「渇すれども盗泉の水を飲まず、悪木の陰に息わず」の略。
(出) 西晋-陸機「猛虎行」
(類) 瓜田李下(かでんりか)、(李下に冠を整(たゞ)さず。)
雨栗日柿
(あまぐりひがき) 雨天続きの年は栗の実りがよく、天気の好い年は柿が豊作であるという関西方面での言い伝え。
渭樹紅雲
(いじゅこううん) 黄河の支流、渭水のほとりの樹と、揚子江の上空に漂よう雲のこと。親しい友人が互いに離ればなれになり、 遠く隔った友の身の上を偲ぶこと。
(出) 杜甫(とほ)「春日憶李白」詩。
(参) 嵩雲泰樹(こううんたいじゅ)
渭水尽赤
(いすいじんせき) 渭水は「渭樹紅雲」と同様、黄河の支流で陜西(せんせい)省を流れる川。 昔、秦の都咸陽(かんよう)の高鞅(こうえい)が多くの罪人を処罰したので、渭水が血で赤くそまったといわれる。 それから、罪人を処罰することのたとえに用いる。
(出) 『十八史略』春秋戦国・秦。
一衣帯水
(いちいたいすい) 衣帯とは着物の帯のことから、一筋の帯のような狭い川を隔てて、両者の間隔が近接していることをいう。
(出) 『南史』陳後主紀(ちんこうしゅき)。
(補注) ことばの構成は「一-衣帯-水」となる。
一水二肥
(いちみずにこえ) 米作りの秘訣の第一は水加減で、第二が肥料の施し方いかんである。農民の長い経験と智慧から言われる語句。
一瀉千里
(いっしゃせんり) 「瀉」は外に流れる、注ぐこと。文章や話しことばにいささかのよどみがなく、川の水が一気に千里も流れるように勢いがよいこと。
(出) 『福恵金書』
(類) 一気呵成。
一身軽舟
(いっしんけいしゅう) とうとうと流れる大河に舟を浮べていると、自分まで軽やかな小舟に身を委せている気がして、なかなかよきものである。
(出) 『常建』西山
一水牽愁
(いっすいけんしゅう) 「一水愁(うれ)いを牽(ひ)く」と読む。一筋の川が愁いを漂わせて流れゆく秋の情感をいう。
「横江渡らんと欲するも風波は悪し、一水愁いを牽き万里は長し」の李白の詩から生まれた。
(出) 『李白』横江詞。
一水四見
(いっすいしけん) 同じ水とはいえ、それを見る者の心が異なると、それぞれちがった見方をするものだ。 天人は宝石をちりばめた池とみる、人間は水、餓鬼は膿んだ血、そして魚は自分の住む家とみる。「一処四見」ともいう。
(類) 一月(いちげつ)三舟。
一波万波
(いっぱばんぱ) きわめて些細なことが大きな影響をもたらすたとえ。「一波動けば万波生ず」という。
(出) 『令斎夜話』
(同) 一波動けば万頃隨(ばんけいしたが)う。一石の波紋。
渭浜之器
(いひんのき) 渭浜は黄河の支流渭水の浜、器は能力をもつ人。周の文王が渭水の浜で釣をしている呂尚に会った。 途端に文王は呂尚こそ父太公が望んでいた人物だと丁重に迎える、 やがて呂尚は期待通り太公が望んでいた「太公望」になったという故事。大人(たいじん)となり得る器量の人物をいう。
(出) 『史記』斉大公世家 (同) 太公釣魚、渭浜漁父。
飲河満腹
(いんがまんぷく) もぐらが黄河の水を飲むといってもたかがしれたもの。おなかいっぱい、満腹すればそれ以上は飲まぬ。 人間も相応のところで満腹することがたいせつだ。
(出) 『荘子』逍遥游(しょうようゆう)
(類) 飲河の願。
飲水思源
(いんすいしげん) 水を飲んで“ああ美味かった”とその流れの水源に思いをはせるように、いつも物事の根本を忘れぬこと。 今の幸いを考え、恩人に感謝すること。“水を飲みて源を知る”ともいう。
(類) 流を飲みて源を思う。
(反) 得魚忘筌(とくぎょぼうせん)(魚を捕えようとして道具を忘れる)。 |
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