咖啡日语论坛

 找回密码
 注~册
搜索
12
返回列表 发新帖
楼主: tinmei

【天声人语试译】(1月17日)

[复制链接]
发表于 2006-1-17 11:24:00 | 显示全部楼层
引用第12楼一辈子de孤单2006-01-17 11:13发表的“”: 精辟啊。。。
あ~~ら。。。。 吓到了,这么说游击成功?其实原文已经被改造了,心里很没底的....
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2006-1-17 11:27:11 | 显示全部楼层
引用第14楼oicu20052006-01-17 11:22发表的“”: 哲理?就是因为老了所以随便发点牢骚.... 黑体的问题,说实话,我也不知道为什么会变成那样地. 那不是我选地.....
看来咖啡的系统还是很能干的。他能够从这么多的发言里边挑出那些精辟的,再加以重点记号。 啊,我越来越喜欢咖啡了……
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-17 11:40:25 | 显示全部楼层
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-17 12:06:20 | 显示全部楼层
【天声人語】 2006年01月17日(火曜日)付 1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。 我手里打开的是出版于1996年1月17日的《瓦砾下的小说》(集英社)。这是一本由在此书出版前一年的阪神大地震中罹难的重松克洋历年所写下的小说和诗歌编辑而成的遗稿集。  当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。 当年20岁就读于关西学院二年级的重松,居住在西宫市一个叫“若叶荘”的公寓的一楼。地震时,公寓倒塌,重松被埋在了下面。几天后,朋友们从瓦砾当中发现了约200张沾满泥土的稿纸。  「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。 “我们都是受神的指挥而在舞蹈的……为了明天,人得到的只是些暂时性的幸福,人就是这样被动地生活着的”“能活在小小的幸福当中,就是真正的幸福啊。不必想得太复杂”。重松在小说《时间之环》里,描写了主人公与朋友之间的对话,当时,这个朋友留下“要从时间之环里挣脱出来”这样的话,试图自杀。从这些情节可以看出重松准备从正面迎接人生的轨迹。  昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。 去年的1月17日,神户下着雨。采访完在市里举行的追悼会后,我去到“若叶荘”旧址。那是一个位于关西大学附近的一个住宅区的地方,那时已经变成了一个停车场了。那里的一个角落里,摆放着鲜花,有人双手合十,默默祈祷。  重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」 重松在高中时写下了一首叫“走”的诗。“只要前面有路/我就要继续前行/即使前面没有路……因为往前走就是自己存在的证明/只有往前走我才是活着的”  今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。 今年的1月17日也到了。从当年那个不幸的日子算起,11年的时光已经流逝。然而,当年故去的人,无论今天还是明天,依然还活在与他们息息相连的人的当中,还会跟他们一起继续往前走下去的。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-17 12:07:04 | 显示全部楼层
哇,今天好热闹啊
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-17 12:51:09 | 显示全部楼层
引用第17楼oicu20052006-01-17 11:40发表的“”:
这个眼睛转圈的和小强来的时候,总是很热闹的
回复 支持 反对

使用道具 举报

 楼主| 发表于 2006-1-17 12:59:50 | 显示全部楼层
引用第20楼一辈子de孤单2006-01-17 12:51发表的“”: 这个眼睛转圈的和小强来的时候,总是很热闹的
有人想念我弟弟了。 我要把这个好消息告诉他。让他也雀跃雀跃。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-17 23:06:01 | 显示全部楼层
【天声人語】 2006年01月17日(火曜日)付 1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。 1996年1月17日出版的《废墟下的小说》问世了。这是在95年的阪神大地震中死亡的重松克洋先生收集的小说和诗编辑的遗稿。  当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。 当时20岁,关西学院2年级的重松,住在西宮市内的叫“若葉荘”的公寓一楼。因为地震,公寓倒塌,被埋在了下面。几天后,他的朋友们在废墟中,发现了满是泥的原稿。  「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。 “是神让我们欢呼鱼跃啊……为了明天,给与我们一时的幸福,让我们存活在世上。”“在小小的幸福中,真的是幸福啊。不用复杂的考虑”。小说《时间的车轮》中,与留下 “我想让时间飞逝啊” 这样话的自杀的朋友这样争论过。人生中,就像正面迎接的轨迹。  昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。 去年1月17日,神户下雨。采访了市内的追悼会后,去了若葉荘。是在离关西学院很近的住宅街的那个地方,现在变成了停车场。在工地的一角,供奉着鲜花,有合着双手来追悼的人们。  重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」 重松在高中的时候,写过一首叫《走》的诗。“只要不断向前走/我能够坚持走下去吗? 如果道路没有境头……为什么不断走下去是为了证明自己的存在/因为我活着,所以我不断走下去”  今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。 今年的1月17日再次来到这里。从大地震以来已有11年了。但是,离我们而去的人们,现在是,以后也是,各种各样的后继者将活下去,继续走下去。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-18 10:33:37 | 显示全部楼层
060117天声人語  1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。 我翻开了1996年1月17日出版的《瓦砾下的小说》(集英社)。这是一部在那1年前的阪神大地震中遇难的,重松可洋先生历年写下的小说、诗歌的遗稿集。  当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。 当时年方20,还是关西学院2年级学生的重松先生,住在西宫市的公寓“新叶庄”的1楼。地震震塌了公寓的房屋,将他压在了底下。数日后,朋友们在瓦砾之中发现了沾满泥土的稿纸200张。  「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。 “我们,全都在上帝的安排下起劲地折腾着……为了明天,上帝给了我们短暂的幸福,人啊,生不由己”“就算是小小的幸福,也是真正的幸福。何必钻牛角尖呢”。这是小说《时间之轮》中,作者和留下“我要跳出时间之轮”遗言而自杀的友人间的一段对话。这似乎也显示了他直面人生的轨迹。  昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。 去年的1月17日,神户大雨。采访完了市内的追悼会后,我去了“新叶庄”。靠近关西大学的住宅区的那个地方已成了一个停车场。场地的一角,供奉着鲜花,有人在合掌哀悼。  重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」 重松先生在上高中时写过一首题为《行走》的诗。“只要路在延伸/我便一直走下去/哪怕没路了我也要走……因为行走本身就是我存在的证明/我的生命就在于不停地行走”  今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。   今年,又到了1月17日。岁月流转,那一天已过去了11年。然而,故去的人们,不管是今天还是将来,都仍活在息息相关的人们心中,仍在继续行走吧。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-18 22:53:34 | 显示全部楼层
1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。 笔者翻开1996年1月17日出版的《瓦砾下的小说》(集英社)。这是在那1年前的阪神大地震中身亡的重松克洋创作的小说和诗歌集成的遗稿集。 当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。 当时20岁的关西学院大二学生重松,住在西宫市内的公寓“若叶庄”1楼。公寓在地震中崩塌,他被压在底下。数日后,他的朋友们在瓦砾堆中发现了约200张沾满泥土的稿纸。  「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。 “我们都是被神指挥着而舞蹈的……为了明天,而被赐予短暂的幸福,才得以存活。”“在微小的幸福中生活,才是真正的幸福。也不必想得过于复杂。”小说《时之轮》中,描写了主人公与抛下一句“希望从时间之轮中逃脱”后便自杀的友人交流的这些话语。正如那些与人生正面相对的轨迹一般。 昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。 去年的1月17日,神户下着雨。笔者在市内的追悼会采访完毕后,便前往“若叶庄”。位于关西学院大学附近住宅街的那个地方,现在已经改建成停车场。在地基的一角供奉着鲜花,有些人在那里合起双手追悼。 重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」 重松在高中时代创作了一首诗歌《行走》。“只要前方还有路/我会一直走下去/尽管曾迷失方向……行走是生存证明/行走证明我活着” 今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。 今年又迎来了1月17日。自地震那天后已流逝了11个岁月。但是,不论现在还是将来,那些已逝去的人们,也一直在各自的亲朋好友的心中继续活着,继续行走着。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-19 00:21:39 | 显示全部楼层
ちょっと問題がある。 自殺するって、自殺しなかったのだろう。だから、「试图自杀」に訳したらいいと思うけど。。。
回复 支持 反对

使用道具 举报

发表于 2006-1-19 12:18:52 | 显示全部楼层
引用第25楼kikumaru╉猫2006-01-19 00:21发表的“”: ちょっと問題がある。 自殺するって、自殺しなかったのだろう。だから、「试图自杀」に訳したらいいと思うけど。。。
そうや、そうや。 賛成~~ 猫が大好きだもん
回复 支持 反对

使用道具 举报

您需要登录后才可以回帖 登录 | 注~册

本版积分规则

小黑屋|手机版|咖啡日语

GMT+8, 2025-8-23 17:48

Powered by Discuz! X3.4

© 2001-2017 Comsenz Inc.

快速回复 返回顶部 返回列表