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发表于 2006-1-17 23:06:01
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【天声人語】
2006年01月17日(火曜日)付
1996年の1月17日に出版された『瓦礫(がれき)の下の小説』(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。
1996年1月17日出版的《废墟下的小说》问世了。这是在95年的阪神大地震中死亡的重松克洋先生收集的小说和诗编辑的遗稿。
当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。
当时20岁,关西学院2年级的重松,住在西宮市内的叫“若葉荘”的公寓一楼。因为地震,公寓倒塌,被埋在了下面。几天后,他的朋友们在废墟中,发现了满是泥的原稿。
「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。
“是神让我们欢呼鱼跃啊……为了明天,给与我们一时的幸福,让我们存活在世上。”“在小小的幸福中,真的是幸福啊。不用复杂的考虑”。小说《时间的车轮》中,与留下 “我想让时间飞逝啊” 这样话的自杀的朋友这样争论过。人生中,就像正面迎接的轨迹。
昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。
去年1月17日,神户下雨。采访了市内的追悼会后,去了若葉荘。是在离关西学院很近的住宅街的那个地方,现在变成了停车场。在工地的一角,供奉着鲜花,有合着双手来追悼的人们。
重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」
重松在高中的时候,写过一首叫《走》的诗。“只要不断向前走/我能够坚持走下去吗? 如果道路没有境头……为什么不断走下去是为了证明自己的存在/因为我活着,所以我不断走下去”
今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。
今年的1月17日再次来到这里。从大地震以来已有11年了。但是,离我们而去的人们,现在是,以后也是,各种各样的后继者将活下去,继续走下去。 |
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