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发表于 2004-10-13 09:05:04
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10月(じゅうがつ)13日(にち)付(づけ)
1 V) S& F! k# F5 B$ v: G 「ふるさとは遠(とお)きにありて思(おも)ふもの/そして悲(かな)しくうたふもの」。室生(むろう)犀星(さいせい)の若(わか)き日(ひ)の作品(さくひん)「抒情(じょじょう)小曲(しょうきょく)集(しゅう)」の有名(ゆうめい)な詩(し)の一節(いっせつ)である。
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東京(とうきょう)で詩人(しじん)になろうという夢(ゆめ)が破(やぶ)れ、一時(いちじ)金沢(かなざわ)に帰郷(ききょう)した頃(ころ)の心情(しんじょう)が表(あらわ)れている。そしてこう続(つづ)く。「よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたゐ)となるとても/帰(かえ)るところにあるまじや」
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2 @* H! s* l- n9 {. a2 t4 l この詩(し)が思(おも)い浮(う)かんだのは、遣唐使(けんとうし)として海(うみ)を渡(わた)り、かの地(ち)で没(ぼっ)した人(ひと)の墓誌(ぼし)が発見(はっけん)されたとの記事(きじ)に、「異土(いど)」と「故郷(こきょう)」という文字(もじ)があったからだ。新華社通信(しんかしゃつうしん)によれば、墓誌(ぼし)の末尾(まつび)は、こうだった。「形(かたち)既(すんで)埋(うま)於異土(いど)、魂(たましい)庶帰(き)於故郷(こきょう)」。専門(せんもん)家(か)の訳(わけ)では「体(からだ)はこの地(ち)に埋葬(まいそう)されたが、魂(たましい)は故郷(こきょう)に帰(かえ)るにちがいない」となるそうだ。 . @9 Z4 u9 m7 i }7 h
; K3 M1 C+ R# w! u- @' k 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と一緒(いっしょ)に派遣(はけん)され、朝廷(ちょうてい)で抜(ぬ)きんでた活躍(かつやく)をしたが36歳(さい)で急死(きゅうし)、皇帝(こうてい)が特別(とくべつ)に埋葬(まいそう)――。墓誌(ぼし)がつづった通(とお)りの生涯(しょうがい)があったとするならば、まぶしくも悲(かな)しく、劇的(げきてき)な一生(いっしょう)ということになるのだろう。 2 l7 x: y% k/ M3 N0 i
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「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国(くに)なり。常(つね)に達(かよ)うべし」。遣隋使(けんずいし)の学問(がくもん)僧(そう)や学問(がくもん)生(せい)として渡航(とこう)し、隋(ずい)の滅亡(めつぼう)と唐(とう)の誕生(たんじょう)を目(ま)の当(あ)たりにして帰国(きこく)した人(ひと)たちが、こう推古の朝廷(ちょうてい)に進言(しんげん)して、遣唐使(けんとうし)は始(はじ)まっている(『最後(さいご)の遣唐使(けんとうし)』講談社(こうだんしゃ))。
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世界(せかい)の中心(ちゅうしん)の一(ひと)つだった唐(とう)の都(と)で抜群(ばつぐん)の働(はたら)きを認(みと)められたとするならば、異土(いど)も、故郷(こきょう)も、その意味合(いみあ)いは、犀星(さいせい)の場合(ばあい)とは違(ちが)っていたはずである。しかし、人生(じんせい)という生(なま)やさしくない航海(こうかい)にあっては、この二(ふた)つの言葉(ことば)は、時代(じだい)や境遇(きょうぐう)を超(こ)えて通(つう)じるような、重(おも)みと切(せつ)なさを備(そな)えている。
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振假名中的谚语注音有较多问题,请注意分辨。 |
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