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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2004-10-9 04:37:06 | 显示全部楼层
10月09日 5 v/ C4 Y! M0 e9 W4 c

, T0 x; O% j% Z# [5 d/ v9 y 「私は力によってしかこの地位を維持することができない……私が恐るべき者でなくなれば、私の帝国は滅ぼされる」。『ナポレオン言行録』(岩波文庫)の一節だ。彼が帝位に就いたのは、ちょうど200年前である。この年、缶詰の原型をつくったニコラ・アペールに、ナポレオンが設けた懸賞金1万2千フランが贈られたという。
( i4 @$ S5 ~6 b! F. J  Q! T# Z1 d1 e! i- c* C  t2 l* U1 r) t
 アペールは食品を詰めた瓶を熱して中の空気を出し、コルク栓で密封した。後に英国人が器をブリキにする。缶切りがない頃は「ノミとオノで開けて下さい」という注意書きもあった(『缶詰百科』柴田書店)。 : v7 T3 f: Z8 o+ K5 u

( |- I) U( \$ i: w ナポレオンの懸賞は戦争とのつながりが深い。当時の保存食は干物や塩漬けで、兵士は栄養失調に陥った。彼が新貯蔵法を募らせたのも「恐るべき者」であり続けるためだったのか。
: P3 k( D" g' R! v1 m- ]2 ~1 M! ?1 R( R0 o0 U4 [9 Q1 [2 |; ], V/ ]
 米国では南北戦争で缶詰生産が急増した。日本でも、日清、日露の戦争で缶詰業の礎が築かれた。日清開戦の年、軍医でもあった森鴎外は医学会誌に「諸種ノ牛肉缶詰ノ成分ニ就テ」という報告を書いた。 4 \% N4 _- S' b' K- l; @8 j

' j% {: j" M: s! C  ]6 ] 国内外の5種の水分、脂肪などを分析し、重さや固形分を比べた。「缶詰ハ旅行、行軍等ニ携帯スベキモノナレバ……内国製牛肉佃煮ハ甙嵘献钶Xクシテ、而モ固形分ニ富メル者ナリ」(『鴎外全集』岩波書店)
" g- C! T3 W3 z
$ o4 D  E' y; n4 Q, f/ n 明治10年、石狩川のサケを使う官営の缶詰工場ができた。日本缶詰協会は、生産が始まった10月の10日を「缶詰の日」にしている。近年はレトルト食品が伸びているが、それでも、瓶と缶を合わせ、国民1人あたり、年に37個を開けているという。
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发表于 2004-10-9 20:08:20 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)09日(にち)付(づけ)
6 l& M* q* [2 G# J0 C( Y, D 「私(わたし)は力(ちから)によってしかこの地位(ちい)を維持(いじ)することができない……私(わたし)が恐(おそ)るべき者(もの)でなくなれば、私(わたし)の帝国(ていこく)は滅(ほろ)ぼされる」。『ナポレオン言行(げんこう)録(ろく)』(岩波(いわなみ)文庫(ぶんこ))の一節(いっせつ)だ。彼(かれ)が帝位(ていい)に就(つ)いたのは、ちょうど200年(ねん)前(まえ)である。この年(とし)、缶詰(かんづめ)の原型(げんけい)をつくったニコラ・アペールに、ナポレオンが設(もう)けた懸賞(けんしょう)金(きん)1万(まん)2千(せん)フランが贈(おく)られたという。
7 ?" M4 F1 }8 M  Y- e) F  g+ R" y% n7 f- G  [& q" t% z3 s
 アペールは食品(しょくひん)を詰(つ)めた瓶(びん)を熱(ねっ)して中(ちゅう)の空気(くうき)を出(だ)し、コルク栓(せん)で密封(みっぷう)した。後(のち)に英国(えいこく)人(じん)が器(うつわ)をブリキにする。缶切(かんき)りがない頃(ころ)は「ノミとオノで開(あ)けて下(くだ)さい」という注意(ちゅうい)書(が)きもあった(『缶詰(かんづめ)百科(ひゃっか)』柴田(しばた)書店(しょてん))。
1 w& F. I& m( N! U+ s4 Y0 {  N2 C  @& {. h
 ナポレオンの懸賞(けんしょう)は戦争(せんそう)とのつながりが深(ふか)い。当時(とうじ)の保存(ほぞん)食(しょく)は干物(ほしもの)や塩漬(しおづ)けで、兵士(へいし)は栄養失調(えいようしっちょう)に陥(おちい)った。彼(かれ)が新(しん)貯蔵(ちょぞう)法(ほう)を募(つの)らせたのも「恐(おそ)るべき者(もの)」であり続(つづ)けるためだったのか。
$ X4 P9 ^0 c  b- p" K4 @# ^  {3 V: u' _
 米国(べいこく)では南北戦争(なんぼくせんそう)で缶詰(かんづめ)生産(せいさん)が急増(きゅうぞう)した。日本(にっぽん)でも、日(にち)清(しん)、日(にち)露(ろ)の戦争(せんそう)で缶詰(かんづめ)業(ぎょう)の礎(いしずえ)が築(きず)かれた。日(にち)清開(せいかい)戦(せん)の年(とし)、軍医(ぐんい)でもあった森(もり)鴎外(おうがい)は医学(いがく)会誌(かいし)に「諸種(しょしゅ)ノ牛肉(ぎゅうにく)缶詰(かんづめ)ノ成分(せいぶん)ニ就()テ」という報告(ほうこく)を書(か)いた。
# V/ \8 C3 W& u9 m6 ^7 a! T( W  S' c. \
 国内外(こくないがい)の5種(しゅ)の水分(すいぶん)、脂肪(しぼう)などを分析(ぶんせき)し、重(おも)さや固形(こけい)分(ぶん)を比(くら)べた。「缶詰(かんづめ)ハ旅行(りょこう)、行軍(こうぐん)等(とう)ニ携帯(けいたい)スベキモノナレバ……内国(ないこく)製(せい)牛肉(ぎゅうにく)佃煮(つくだに)ハ甙
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发表于 2004-10-10 05:39:07 | 显示全部楼层
10月10日
3 k7 H# ]2 y2 K+ N6 c 3 R, W. B+ R! x
 ドイツの古都ハイデルベルクで、ゲーテがイチョウの葉を1枚手にして詩を書いた。それを、晩年ひそかに愛した人へ送る。「東の国からはるばると/移し植えられたこの葉には/心ある人をよろこばす/ひそやかな意味がかくれています」(小塩節『木々を渡る風』新潮社) 5 i- B& P2 x: l" }8 \+ @
3 n4 M7 o  F; _7 p0 r; Z  y
 木々へのささやかな「ほめうた」というこの本に小塩さんは記す。「ご蟮丐紊悉松ⅳ盲郡嗓我幻钉狻⒀预い瑜Δ猡胜坤筏ぁ嗓我幻钉馑饯摔仙蓼欷瞥酩幛埔姢毪猡韦恰⑸膜硕趣趣栅郡郡右姢毪长趣韦胜い猡韦趣いΔ长趣⑿膜颏妞陝婴埂
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发表于 2004-10-11 04:42:20 | 显示全部楼层
10月11日 / a+ l; q9 P  I! d2 B# Z

3 N! h( T  @4 X マーシャル諸島の人たちは、落ち葉や雑草の掃除はよくするという。しかし缶、瓶やプラスチック容器、発泡スチロールなどの清掃はあまりしない。昔ながらの「ゴミ」とは思えないらしい。 * t8 X- }# y% i0 A

' j& I/ ^( [8 [+ a ある青年海外協力隊員の報告である。ささいなことのようだが、現地で環境教育に取り組む隊員にとっては深刻な問題に映る。文化や生活習慣の違いとわかっていても、つい「日本に比べて意識が低い」といらだってしまう。 7 F5 @" T- z3 b' u, {

" l; u7 r8 N* p  J) a5 S* l 村落開発普及員としてネパールに行った隊員は酒に酔った現地の若者にからまれてけんかをしてしまった。「あなたたちのために正しいことをしているのに、邪魔をするとは何事だ」。隊員は、そんな不遜(ふそん)な気持ちがあったことを素直に反省している。
' C$ h- S: h" ]8 W0 a/ |
+ ^+ c' T. z# f 事務局が集めた体験記には、成功例とともに困惑や挫折、反省の例も収められる。異文化の地で若者たちは苦闘している。成功例も種々の失敗を仱暝饯à皮韦长趣扦ⅳ毪长趣Δà搿
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发表于 2004-10-11 06:30:29 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)10日(にち)付(づけ)
) ~0 H4 q+ a# b7 z) `7 _   ドイツの古都(こと)ハイデルベルクで、ゲーテがイチョウの葉(は)を1枚(まい)手(しゅ)にして詩(し)を書(か)いた。それを、晩年(ばんねん)ひそかに愛(あい)した人(ひと)へ送(おく)る。「東(ひがし)の国(くに)からはるばると/移(うつ)し植(う)えられたこの葉(は)には/心(こころ)ある人(ひと)をよろこばす/ひそやかな意味(いみ)がかくれています」(小塩(こしお)節(たかし)『木々(きぎ)を渡(わた)る風(かぜ)』新潮社(しんちょうしゃ))
& F- r7 T" n: M: |! c. r$ h# m0 j5 e( B  Y, g- ^/ t
 木々(きぎ)へのささやかな「ほめうた」というこの本(ほん)に小塩(こしお)さんは記(しる)す。「
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发表于 2004-10-11 06:31:17 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)11日(にち)付(づけ)7 W9 ^6 Z, ]) v* X
  マーシャル諸島(しょとう)の人(ひと)たちは、落(お)ち葉(ば)や雑草(ざっそう)の掃除(そうじ)はよくするという。しかし缶(かん)、瓶(びん)やプラスチック容器(ようき)、発泡(はっぽう)スチロールなどの清掃(せいそう)はあまりしない。昔(むかし)ながらの「ゴミ」とは思(おも)えないらしい。 & Y- x' m! A% @, i' M" Q+ M
7 ^2 T- @6 ^) u0 E! k; X! n
 ある青年(せいねん)海外(かいがい)協力(きょうりょく)隊員(たいいん)の報告(ほうこく)である。ささいなことのようだが、現地(げんち)で環境(かんきょう)教育(きょういく)に取(と)り組(く)む隊員(たいいん)にとっては深刻(しんこく)な問題(もんだい)に映(うつ)る。文化(ぶんか)や生活(せいかつ)習慣(しゅうかん)の違(ちが)いとわかっていても、つい「日本(にっぽん)に比(くら)べて意識(いしき)が低(ひく)い」といらだってしまう。
0 B& j% J; l2 A  t5 m4 d1 q+ U; z9 d3 p1 i
 村落(そんらく)開発(かいはつ)普及(ふきゅう)員(いん)としてネパールに行(い)った隊員(たいいん)は酒(さけ)に酔(よ)った現地(げんち)の若者(わかもの)にからまれてけんかをしてしまった。「あなたたちのために正(ただ)しいことをしているのに、邪魔(じゃま)をするとは何事(なにごと)だ」。隊員(たいいん)は、そんな不遜(ふそん)な気持(きも)ちがあったことを素直(すなお)に反省(はんせい)している。 9 I. z! |/ I; w/ s% a/ X
2 N% Q( G. e. y% N, a
 事務(じむ)局(きょく)が集(あつ)めた体験(たいけん)記(き)には、成功(せいこう)例(れい)とともに困惑(こんわく)や挫折(ざせつ)、反省(はんせい)の例(れい)も収(おさ)められる。異(い)文化(ぶんか)の地(ち)で若者(わかもの)たちは苦闘(くとう)している。成功(せいこう)例(れい)も種々(しゅじゅ)の失敗(しっぱい)を
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发表于 2004-10-12 12:59:43 | 显示全部楼层
小声的问:今天日本什么日子?
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发表于 2004-10-13 08:34:44 | 显示全部楼层
10月13日* m, U. e" S1 W( h% y+ d

( b: D* g, @; l8 R( V- u# D 「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。室生犀星の若き日の作品「抒情小曲集」の有名な詩の一節である。 % k5 n! M: [# i/ W4 Y1 t# y

$ ?1 @- N0 s# f4 y* I 東京で詩人になろうという夢が破れ、一時金沢に帰郷した頃の心情が表れている。そしてこう続く。「よしや/うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや」 ) \9 B) e+ M! B; h  y
; ?7 z7 s  l; R; S3 i# I7 Y( R, w
 この詩が思い浮かんだのは、遣唐使として海を渡り、かの地で没した人の墓誌が発見されたとの記事に、「異土」と「故郷」という文字があったからだ。新華社通信によれば、墓誌の末尾は、こうだった。「形既埋於異土、魂庶帰於故郷」。専門家の訳では「体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」となるそうだ。
0 ?! b) A. y' [  I; h* n% f! N' i7 |
 阿倍仲麻呂と一緒に派遣され、朝廷で抜きんでた活躍をしたが36歳で急死、皇帝が特別に埋葬――。墓誌がつづった通りの生涯があったとするならば、まぶしくも悲しく、劇的な一生ということになるのだろう。 : C- a8 j2 U+ `5 v% V  G

/ y9 i! O: m# Z3 S6 `- w- o 「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。常に達(かよ)うべし」。遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている(『最後の遣唐使』講談社)。 * U% F2 x2 C* F- E
: m5 w  W9 @3 C, L
 世界の中心の一つだった唐の都で抜群の働きを認められたとするならば、異土も、故郷も、その意味合いは、犀星の場合とは違っていたはずである。しかし、人生という生やさしくない航海にあっては、この二つの言葉は、時代や境遇を超えて通じるような、重みと切なさを備えている。
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发表于 2004-10-13 08:56:11 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)12日(にち)付(づけ)& G7 n% ]1 d$ o7 @3 t3 d
  前日(ぜんじつ)が新聞(しんぶん)休刊(きゅうかん)日(び)でしたので、この日(ひ)の「天声(てんせい)人語(じんご)」はありません。ご了承(りょうしょう)ください。
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发表于 2004-10-13 09:05:04 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)13日(にち)付(づけ)* |" [+ y7 t/ n  q8 A6 D9 C
「ふるさとは遠(とお)きにありて思(おも)ふもの/そして悲(かな)しくうたふもの」。室生(むろう)犀星(さいせい)の若(わか)き日(ひ)の作品(さくひん)「抒情(じょじょう)小曲(しょうきょく)集(しゅう)」の有名(ゆうめい)な詩(し)の一節(いっせつ)である。
" H  _+ T* h& n, M9 U7 h$ G/ O' A2 t5 F" y6 W% G+ s
 東京(とうきょう)で詩人(しじん)になろうという夢(ゆめ)が破(やぶ)れ、一時(いちじ)金沢(かなざわ)に帰郷(ききょう)した頃(ころ)の心情(しんじょう)が表(あらわ)れている。そしてこう続(つづ)く。「よしや/うらぶれて異土(いど)の乞食(かたゐ)となるとても/帰(かえ)るところにあるまじや」
5 s+ b, z1 s+ W
7 ]4 W+ \! i7 @# M/ _/ R この詩(し)が思(おも)い浮(う)かんだのは、遣唐使(けんとうし)として海(うみ)を渡(わた)り、かの地(ち)で没(ぼっ)した人(ひと)の墓誌(ぼし)が発見(はっけん)されたとの記事(きじ)に、「異土(いど)」と「故郷(こきょう)」という文字(もじ)があったからだ。新華社通信(しんかしゃつうしん)によれば、墓誌(ぼし)の末尾(まつび)は、こうだった。「形(かたち)既(すんで)埋(うま)於異土(いど)、魂(たましい)庶帰(き)於故郷(こきょう)」。専門(せんもん)家(か)の訳(わけ)では「体(からだ)はこの地(ち)に埋葬(まいそう)されたが、魂(たましい)は故郷(こきょう)に帰(かえ)るにちがいない」となるそうだ。 : i% s' p" Z4 a0 F0 V. @

: J7 H& }; b: O7 C 阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)と一緒(いっしょ)に派遣(はけん)され、朝廷(ちょうてい)で抜(ぬ)きんでた活躍(かつやく)をしたが36歳(さい)で急死(きゅうし)、皇帝(こうてい)が特別(とくべつ)に埋葬(まいそう)――。墓誌(ぼし)がつづった通(とお)りの生涯(しょうがい)があったとするならば、まぶしくも悲(かな)しく、劇的(げきてき)な一生(いっしょう)ということになるのだろう。 6 z0 @0 j0 i$ v0 h( i' o
6 ^: K' d/ |" J
 「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国(くに)なり。常(つね)に達(かよ)うべし」。遣隋使(けんずいし)の学問(がくもん)僧(そう)や学問(がくもん)生(せい)として渡航(とこう)し、隋(ずい)の滅亡(めつぼう)と唐(とう)の誕生(たんじょう)を目(ま)の当(あ)たりにして帰国(きこく)した人(ひと)たちが、こう推古の朝廷(ちょうてい)に進言(しんげん)して、遣唐使(けんとうし)は始(はじ)まっている(『最後(さいご)の遣唐使(けんとうし)』講談社(こうだんしゃ))。 % V# ]) q7 ^- _$ X8 ?
0 G* C% ~6 @" E7 i# `) y. x
 世界(せかい)の中心(ちゅうしん)の一(ひと)つだった唐(とう)の都(と)で抜群(ばつぐん)の働(はたら)きを認(みと)められたとするならば、異土(いど)も、故郷(こきょう)も、その意味合(いみあ)いは、犀星(さいせい)の場合(ばあい)とは違(ちが)っていたはずである。しかし、人生(じんせい)という生(なま)やさしくない航海(こうかい)にあっては、この二(ふた)つの言葉(ことば)は、時代(じだい)や境遇(きょうぐう)を超(こ)えて通(つう)じるような、重(おも)みと切(せつ)なさを備(そな)えている。 6 E( c4 c* W  [
  n$ W% K: C( P0 e1 k: Q3 @
  振假名中的谚语注音有较多问题,请注意分辨。
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发表于 2004-10-14 07:21:18 | 显示全部楼层
10月14日
9 `8 A/ W( W8 h( ?8 o/ [
7 [' y& I" i6 {2 G' w# L. w ハンセン病と闘いながら詩作をつづけた塔和子さんの詩にこんな一節がある。〈そして私は/今日から/明日という餌に/食いつこうとしている/一尾の魚〉(『希望の火を』編集工房ノア)
" d" z" b" m  K1 O' M# \: L% D2 P3 H( |- {8 J! j
 集団で自殺を図る若い世代の人たちのことを聞くたびに、生きている、あるいは生かされていることの不可思議を考えつづけた彼女のことを思い浮かべる。彼女と違って彼らはなぜ「明日という餌」に食いつくことをやめてしまうのか。しかもなぜ集団なのか。 . _3 s" k" p4 k- Z

9 ?, l+ c( z7 y; ~3 c 「死にたいのに怖い。死にたいんじゃなくて、生きたくないだけかな」。昨年、本紙に出ていた言葉だ。生きることに疲れ果てたという思いは共有されているようだ。死が怖いこと、そして苦痛は避けたいことも。恐怖と苦痛を緩和するのが練炭による集団死だと信じられているのか。 $ F# Z; n8 U7 u  B: ?. r
# C. p3 [, u: |3 [9 y
 「七輪と練炭の火のおこしかたがわかりません。だれか教えてください」。最近もこんな書き込みがインターネットのサイトに見られた。練炭は手に入れたが車がない、と免許証所持者を募集する書き込みもある。ハイキングにでも誘うような気軽さに、何ともいえない違和感をおぼえる。
! C2 }$ p) h# q9 g6 N
; c2 y1 T' j4 Z  t; i% m 日本だけの特異な現象ではないらしい。以前、英紙が掲載した自殺サイトについての記事には、6人が集団自殺を計画、警察に知られて思いとどまった例が出てくる。とはいえ、日本ほど頻発はしていない。 ' Y; @7 h+ ^4 U2 s2 Y$ _
' y% t0 y0 P* r' A4 |
 インターネットと練炭と。集団死といっても、むしろ孤独感、寂寥(せきりょう)感に襲われる現代日本の風景だ。「明日という餌」を見つけることができないものか。
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发表于 2004-10-14 08:29:47 | 显示全部楼层
10月(じゅうがつ)14日(にち)付(づけ): p" W" }# P. M3 s( ~
  ハンセン病(びょう)と闘(たたか)いながら詩作(しさく)をつづけた塔(とう)和子(かずこ)さんの詩(し)にこんな一節(いっせつ)がある。〈そして私(わたし)は/今日(きょう)から/明日(あした)という餌(えさ)に/食(く)いつこうとしている/一尾(いちお)の魚(さかな)〉(『希望(きぼう)の火(ひ)を』編集(へんしゅう)工房(こうぼう)ノア)
9 I$ O1 @, J1 X7 s: e3 ^
  W* i* K( D: A 集団(しゅうだん)で自殺(じさつ)を図(はか)る若(わか)い世代(せだい)の人(ひと)たちのことを聞(き)くたびに、生(い)きている、あるいは生(い)かされていることの不可思議(ふかしぎ)を考(かんが)えつづけた彼女(かのじょ)のことを思(おも)い浮(う)かべる。彼女(かのじょ)と違(ちが)って彼(かれ)らはなぜ「明日(あした)という餌(えさ)」に食(く)いつくことをやめてしまうのか。しかもなぜ集団(しゅうだん)なのか。
# |2 d" w, E# `1 }$ D
& T, w' M* y3 R! K2 b- P 「死(し)にたいのに怖(こわ)い。死(し)にたいんじゃなくて、生(い)きたくないだけかな」。昨年(さくねん)、本紙(ほんし)に出(で)ていた言葉(ことば)だ。生(い)きることに疲(つか)れ果(は)てたという思(おも)いは共有(きょうゆう)されているようだ。死(し)が怖(こわ)いこと、そして苦痛(くつう)は避(さ)けたいことも。恐怖(きょうふ)と苦痛(くつう)を緩和(かんわ)するのが練炭(れんたん)による集団(しゅうだん)死(し)だと信(しん)じられているのか。
( S; ?4 v' M. V: `: U3 J& i7 K2 P! j% o' n
 「七輪(しちりん)と練炭(れんたん)の火(ひ)のおこしかたがわかりません。だれか教(おし)えてください」。最近(さいきん)もこんな書(か)き込(こ)みがインターネットのサイトに見(み)られた。練炭(れんたん)は手(て)に入(い)れたが車(くるま)がない、と免許(めんきょ)証(しょう)所持(しょじ)者(しゃ)を募集(ぼしゅう)する書(か)き込(こ)みもある。ハイキングにでも誘(さそ)うような気軽(きがる)さに、何(なん)ともいえない違和感(いわかん)をおぼえる。
* E4 c- V  k0 Q! r! ]
, F( o4 N$ [9 d 日本(にっぽん)だけの特異(とくい)な現象(げんしょう)ではないらしい。以前(いぜん)、英紙(えいし)が掲載(けいさい)した自殺(じさつ)サイトについての記事(きじ)には、6人(にん)が集団(しゅうだん)自殺(じさつ)を計画(けいかく)、警察(けいさつ)に知(し)られて思(おも)いとどまった例(れい)が出(で)てくる。とはいえ、日本(にっぽん)ほど頻発(ひんぱつ)はしていない。 . d2 l  T  ]( C4 L  D) J: ?& F" W4 Y
6 ^7 s! d1 s+ C! r& L! q9 R6 G- X3 P
 インターネットと練炭(れんたん)と。集団(しゅうだん)死(し)といっても、むしろ孤独(こどく)感(かん)、寂寥(せきりょう)感(かん)に襲(おそ)われる現代(げんだい)日本(にっぽん)の風景(ふうけい)だ。「明日(あした)という餌(えさ)」を見(み)つけることができないものか。
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发表于 2004-10-14 13:27:08 | 显示全部楼层
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发表于 2004-10-14 14:36:05 | 显示全部楼层
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发表于 2004-10-15 07:36:20 | 显示全部楼层
10月15日
. L* z6 m* N* d+ V# A6 Y. w7 \8 Q. S
& V6 C* }: ^; G 日本各地にソビエトをつくろう。流通革命をプロレタリア革命に見立て、中内功ダイエー社長(当時)が著書『わが安売り哲学』で旧勢力打破を論じたのは1969年のことだ。時代の風潮に仱盲窟^激ともいえる主張だった。
( s  q: N) |% Q8 O5 W2 Q2 r: m. H' s# h
 2年後、大塚久雄、宇野弘蔵らの論文とともに『戦後日本思想大系8 経済の思想』(筑摩書房)に抄録された。編者の伊東光晴氏は、消費者主権を背景にメーカーへの対抗力を打ち出そうとする主張は初めてではないか、と評した。本人は「私にとって生涯の誇りである」と振り返っている。 ( s  w" w4 d0 m, v" n8 m) E! V
2 \: A0 K( r5 m  q/ j
 著書の出た69年から全国へ多店舗展開を始め、翌年売り上げ1千億円を突破、72年には小売り売り上げ日本一になった。絶頂期に迷いも生じた中内氏は臨済宗の山田無文師に会った。師の言葉に迷いは消えたという。「社会が必要とするなら、あんたの会社はおのずと残る」(『流通革命は終わらない』日本経済新聞社) $ c( z/ I. G3 |+ `

+ O5 c( O0 K9 ? 中内氏、そしてダイエーの歩みを振り返ると、戦後日本の「欲望」の起伏と曲折がまざまざと見えてくる。疲弊して再生の道を探る今の姿に、ひとしお苦みを感じるのはそのせいだろう。 2 D( K& U6 l  c4 ^: g
& B, t! k$ @; Z( U, ?* B$ b( S- ^
 薬から始めて、お菓子へと商品を広げた。甘い物の次はすきやきを腹いっぱい食べたい、だ。それに応えた牛肉安売りはダイエー商法に画期をもたらした。戦中、中内氏の戦地での飢えの体験が常に背景にあった。 . r, R' U& z; \6 b4 J4 @, E8 J  h

% c- h1 ?2 v4 _% ]# v/ \ しかし消費者の欲望は拡大し、拡散していく。自ら引き起こしたはずの「革命」に仱暝饯à椁臁⑷·瓴肖丹欷毪趣いζと猡蔬命をたどった。
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