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发表于 2004-10-13 08:34:44
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10月13日0 t; {/ G) d" t/ d% Z v
5 x1 v" r9 u, {. `6 c6 X, I6 u 「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」。室生犀星の若き日の作品「抒情小曲集」の有名な詩の一節である。 ) d! k3 m$ |* C; i& {! D
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東京で詩人になろうという夢が破れ、一時金沢に帰郷した頃の心情が表れている。そしてこう続く。「よしや/うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや」
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この詩が思い浮かんだのは、遣唐使として海を渡り、かの地で没した人の墓誌が発見されたとの記事に、「異土」と「故郷」という文字があったからだ。新華社通信によれば、墓誌の末尾は、こうだった。「形既埋於異土、魂庶帰於故郷」。専門家の訳では「体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」となるそうだ。 6 d T" R. ^% v
2 i9 a/ V I5 l$ M0 o, e( F 阿倍仲麻呂と一緒に派遣され、朝廷で抜きんでた活躍をしたが36歳で急死、皇帝が特別に埋葬――。墓誌がつづった通りの生涯があったとするならば、まぶしくも悲しく、劇的な一生ということになるのだろう。
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「其(か)の大唐国(もろこしのくに)は、法式(のり)備(そなわ)り定(さだま)れる珍(たから)の国なり。常に達(かよ)うべし」。遣隋使の学問僧や学問生として渡航し、隋の滅亡と唐の誕生を目の当たりにして帰国した人たちが、こう推古の朝廷に進言して、遣唐使は始まっている(『最後の遣唐使』講談社)。 : M: y% i* B; W% p5 w1 B1 I
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世界の中心の一つだった唐の都で抜群の働きを認められたとするならば、異土も、故郷も、その意味合いは、犀星の場合とは違っていたはずである。しかし、人生という生やさしくない航海にあっては、この二つの言葉は、時代や境遇を超えて通じるような、重みと切なさを備えている。 |
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