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发表于 2004-10-19 13:44:46
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10月(じゅうがつ)18日(にち)付(づけ). O8 o Q# `8 Z1 w& S
$ z7 {+ c! f V, `" m- E: X2 a 土器(どき)の取(と)っ手(て)の所(ところ)が、燃(も)え上(あ)がる火(ひ)のようにも見(み)える。縄文(じょうもん)時代(じだい)の火焔(かえん)土器(どき)は、いわば形(かたち)を成(な)した炎(ほのお)なのか。土器(どき)から浮世絵(うきよえ)までを一(ひと)つの階(かい)に展示(てんじ)した「日本(にっぽん)美術(びじゅつ)の流(なが)れ」が、東京(とうきょう)上野(うえの)の東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)の本館(ほんかん)で公開(こうかい)されている。 $ M" z: y( Q2 G9 d( i- G
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古墳(こふん)の時代(じだい)、仏教(ぶっきょう)の伝来(でんらい)と興隆(こうりゅう)、平安(へいあん)、室町(むろまち)の宮廷(きゅうてい)美術(びじゅつ)、禅(ぜん)、茶(ちゃ)、武士(ぶし)の装(よそお)い、能(のう)、歌舞伎(かぶき)――。国宝(こくほう)や重要(じゅうよう)文化財(ぶんかざい)も並(なら)ぶ。年代(ねんだい)順(じゅん)なので、大(おお)きな流(なが)れがつかみやすい。特定(とくてい)の時代(じだい)や部門(ぶもん)への入(い)り口(くち)にもなる。流(なが)れをたどって改(あらた)めて思(おも)うのは、日本(にっぽん)で花開(はなひら)いた美(び)の深(ふか)さや静(しず)けさと、大陸(たいりく)の存在(そんざい)の大(おお)きさだ。
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1 l5 W8 ~9 R+ u) h/ J 隣(とな)り合(あ)う平成(へいせい)館(かん)の「中国(ちゅうごく)国宝(こくほう)展(てん)」(11月(じゅういちがつ)28日(にち)まで)にも入(はい)る。悠久(ゆうきゅう)の歴史(れきし)が育(はぐく)んだ国宝(こくほう)級(きゅう)の文物(ぶんぶつ)を多数(たすう)集(あつ)めたという。さまざまな表情(ひょうじょう)をたたえた仏像(ぶつぞう)や、数(すう)千(せん)の玉(たま)を金(かね)でつないだ玉(たま)衣(ころも)にもひかれるが、仏(ふつ)や王(おう)ではない人物(じんぶつ)像(ぞう)にも魅力(みりょく)があった。 ; c) [+ m q: X3 Z7 C/ P* N
' y, {, K0 x9 p% \1 z1 ?; n 例(たと)えば、秦(はた)の始皇帝(しこうてい)の陵(りょう)から出土(しゅつど)した「船(ふね)漕()(こ)ぎ俑()(よう)」だ。両足(りょうあし)を前(まえ)に伸(の)ばして座(すわ)る男(おとこ)が、足(あし)先(さき)近(ちか)くまで伸(の)ばした両手(りょうて)で何(なに)かを握(にぎ)っている。2千(せん)年(ねん)以上(いじょう)も、ろを漕(こ)ぎ続(つづ)けてきたのか。なぜか親近(しんきん)感(かん)を覚(おぼ)えた。
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唐(とう)の時代(じだい)の「女子(じょし)俑()」は、40センチ強(きょう)の、ふっくらした女性(じょせい)の立像(りつぞう)だ。長(なが)衣(ころも)をまとい、左足(ひだりあし)に重心(じゅうしん)を傾(かたむ)けて悠然(ゆうぜん)とたたずむ。豊満(ほうまん)な形(かたち)の俑()は、玄(げん)宗(むね)皇帝(こうてい)の治世(ちせい)になってから、特(とく)に好(この)まれたという。玄(げん)宗(むね)皇帝(こうてい)が、客死(かくし)した日本(にっぽん)の遣唐使(けんとうし)を特別(とくべつ)に埋葬(まいそう)したとの報(ほう)が先日(せんじつ)流(なが)れた。遣唐使(けんとうし)は、こうした女性(じょせい)たちとも出会(であ)ったのだろうか。
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本館(ほんかん)の「流(なが)れ」とも重(かさ)ねながら、大陸(たいりく)との架橋(かきょう)となった人(ひと)たちの足跡(あしあと)をしのんだ。 |
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