|
发表于 2004-10-28 08:35:04
|
显示全部楼层
10月(じゅうがつ)28日(にち)付(づけ)
5 [3 C: s. {6 K* U: [0 ` 72時間(じかん)。それが、地震(じしん)で崩(くず)れた建物(たてもの)の下敷(したじ)きになった人(ひと)を救助(きゅうじょ)できるタイムリミットだという。人(ひと)が水(みず)と食料(しょくりょう)なしで生(い)き延(の)びられる限界(げんかい)だからで、ここを過(す)ぎると、生存(せいぞん)救出(きゅうしゅつ)率(りつ)は急激(きゅうげき)に下(さ)がる。 " J% V$ ^" `1 h1 R; v0 P$ Y8 }8 p) Y
( M& A! a7 h5 X. l: S+ h, h 92時間(じかん)。これは、新潟(にいがた)県(けん)中越(なかごえ)地震(じしん)が起(お)きてから、信濃川(しなのがわ)沿(ぞ)いの土砂崩(どしゃくず)れ現場(げんば)で皆川(みなかわ)優太(ゆうた)ちゃんが助(たす)け出(だ)されるまでの時間(じかん)だ。いわば、限界(げんかい)を超(こ)えた、奇跡(きせき)的(てき)と言(い)いたくなるような生還(せいかん)である。
- n% T/ A, Y/ _* K' q9 b; x
! t! d1 a' R; ?: x7 ^; E d! X まる4日(にち)近(ちか)くも土石(どせき)に閉(と)じこめられていた優太(ゆうた)ちゃんは、救急(きゅうきゅう)隊員(たいいん)に、しっかりとしがみついた。首(くび)も、ちゃんと動(うご)いている。むき出(だ)しの脚(あし)が痛々(いたいた)しいが、2歳(さい)の幼子(おさなご)が、よくがんばったものだ。85年(ねん)の日航(にっこう)ジャンボ機(き)の墜落(ついらく)の翌日(よくじつ)、生存(せいぞん)していた中学生(ちゅうがくせい)が後(うし)ろから抱(いだ)きかかえられながら救助(きゅうじょ)のヘリに収容(しゅうよう)される場面(ばめん)が、二(に)重(じゅう)写(うつ)しになった。 + ?6 z/ R' g* @1 K8 ]4 ^0 i, _1 d* K
% v% c0 K, u+ @/ K$ Y7 z+ x& c* s
それから3時間(じかん)後(ご)に、優太(ゆうた)ちゃんの母(はは)、貴子(たかこ)さん(39)が、上空(じょうくう)で待機(たいき)するヘリコプターに収容(しゅうよう)された。あたりは闇(やみ)に包(つつ)まれ、投光器(とうこうき)からオレンジの光(ひかり)が行(い)き交(か)った。そして、3歳(さい)の真優(まゆ)ちゃんは、救出(きゅうしゅつ)作業(さぎょう)が中断(ちゅうだん)したときまでには、安否(あんぴ)は確認(かくにん)されなかった。
% i ]0 _: t3 n" ]! }2 x3 S( ~3 m5 D6 Y9 @
東京(とうきょう)や長野(ながの)の消防(しょうぼう)、警察(けいさつ)、自衛隊(じえいたい)などの救助(きゅうじょ)チームが、たびたび余震(よしん)が起(お)きる中(なか)、危険(きけん)で困難(こんなん)な作業(さぎょう)を続(つづ)けた。「シリウス」と名付(なづ)けられた電磁波(でんじは)による人命(じんめい)探査(たんさ)装置(そうち)も使(つか)われた。車(くるま)の方(ほう)で声(こえ)がしたと報(ほう)じられたときには、ひたすら、3人(にん)そろっての救出(きゅうしゅつ)を念(ねん)じた。しかし、それはかなわないことだった。 3 B6 G Y0 z8 \* g) G
1 Z! B6 r$ z0 ?. {/ L
生(なま)と死(し)の分(わ)かれの過酷(かこく)さに胸(むね)を突(つ)かれる。投(とう)光(ひかり)に白(しろ)く輝(かがや)く、テレビ画面(がめん)の信濃(しなの)のさざ波(なみ)が、ぼやけて見(み)えた。 |
|