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楼主 |
发表于 2009-8-20 20:25:51
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さて、『平家物語』ですが、すべてのものが移り変わり、そして滅び去ってゆく、という、いわゆる無常観〈むじょうかん〉の文学ってやつです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常のひびきあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。」という、アレです。そして、自分の犯した罪により自ら滅び去ってゆく、という因果応報〈いんがおうほう〉の思想が貫かれてます。平家は横暴の限りを尽くした。だから、その報いで滅び去ってゆくのだ、と……。このへんの知識は、文学史問題というよりは、常識問題として聞かれる可能性がありますから、覚えておいてください。
だいたい一三世紀、つまり一二〇〇年代の前半にできました。
優雅な日本の言葉でつづった和文と豪快な漢文的な文章とが見事に混ざりあった和漢混交文〈わかんこんこうぶん〉という文体が特徴です。
それを琵琶法師〈びわほうし〉という盲目の法師たちが、平曲〈へいきょく〉という曲にして、語るわけです。今、教科書に載ってる『平家物語』とか読んでもべつにどーとゆーことはありゃしませんが、中世当時、そんな盲目の法師が、琵琶を気味悪くビヨンビヨン弾きながら、死んでゆく武将の語りなどやったら、なんぼ恐かったろうかと思います。じじつ、盲目の法師が語るってのはどーゆーことかとゆーと、中世の人々は、そーゆー盲目の人間というのは目が見えないぶんだけ、彼の別の眼は霊界に向かって開かれているのだと、信じてたわけです。彼の語る声は、まさに霊の世界から死者が、琵琶法師の口を借りて語る声だと信じてたのです。よくテレビで、「死んだおじいちゃんの声が聞きたい」とかゆって、突然女の人の声がしゃがれた老人の声になって、「信治、元気か。ああ、真っ暗だ。寒い、寒い……。」とかやってまして、まああーゆーテレビのはイマイチ信じられませんが、『平家物語』というのは、まさにソレだったわけです。とゆーか、軍記物語とゆーのは、みんなそーです。今でこそ、そいつらをブンガクなんていってますが、軍記物語とゆーのが書かれたのは、どんなたたりをもたらすかもしれない死者の霊を鎮めるというちゃんとした目的があってのコトです。
続いて、南北朝時代には、南北朝の争乱を描いた『太平記〈たいへいき〉』が書かれます。戦争の物語なのに、「太平」の記という題名なのも、何かヘンですが。
さて、室町時代の軍記物語はだんだん変わっていって、軍記物語というよりは英雄伝説みたいなものになってゆきます。
源義経〈みなもとのよしつね〉の悲劇的な生涯を描いた『義経記〈ぎけいき〉』。ヨシツネですが、題名は「ギケイ記」です。義経は、兄・頼朝〈よりとも〉のもと、天才的な活躍で、平家を倒す。ヒーローになった。しかし、ヒーローになったがゆえに、兄・頼朝に憎まれ、東北に追われ、最後は悲劇的な死を遂げる。日本人というのは、こういう悲劇的に負けてゆくやつが好きで、高校野球でも力投に力投を重ね、力尽きた敗戦投手におっきな拍手が送られる、なんて現象がある。こーゆー現象を、「判官〈はんがん・ほうがん〉義経」ということから「判官びいき」というのです。
そしてもひとつ、『曾我物語〈そがものがたり〉』。曾我兄弟の敵討〈かたきう〉ちを描いてます。義経は現在にいたるまでわりと人気者なわけですが、この曽我兄弟も明治時代くらいまで日本人の心をとらえ続けました。この二つの英雄伝説、重要度は低いのですが、これからネライ目です!
もひとつ、ネライ目!
とうぜん、軍記物語といえば、中世なのですが、平安時代にも、軍記物語が二つあります。ひとつは,『将門記〈しょうもんき〉』。一〇世紀前半にできました。平将門〈たいらのまさかど〉の乱を描いてます。自ら、天皇だと称して、東国に独立国を立てたやつです。映画『陰陽師〈おんみょうじ〉』は、将門の霊がよみがえり、平安京を破壊しようとする話ですね。そしてもうひとつは、『陸奥話記〈むつわき〉』。一一世紀半ばにできました。前九年の役〈ぜんくねんのえき〉を描いてます。このふたつ、平安時代の例外的な軍記物語として覚えておいてください。 |
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