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发表于 2005-1-11 06:31:37
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01月11日
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宇宙からみれば、地球は芥子(けし)粒のようなものという福沢諭吉は、人間をいろいろなものにたとえている。塵(ちり)、あるいは埃(ほこり)。ボウフラ、ウジ虫、アリ、バッタ等々である。
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. k9 { w+ ?, x, } I$ ] 「一寸の虫にも五分の魂」という俚諺(りげん)もあるように、人を虫に見たてることは多い。はかなさから露にたとえられることもまたしばしばだ。たとえば能のせりふ「げに理(ことわり)や露の身は、電光朝露石の火の……」は、はかないものを列挙する。 ; ~2 P) e, f4 F Q! j8 l2 u
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あなたの「時価」はいくら?と尋ねられて「ゼロ」と答えた新成人が一番多かった。先日報じられたセイコーのインターネットによるアンケートの結果である。理由は一様ではないようだ。一方で「無限大」と答えた若者もけっこういたというから対比が興味深い。 4 \+ C; c/ w7 Q9 D, }
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たとえ話をつづければ、昔のはやり歌の「おれは河原の枯れすすき……」(船頭小唄)には、日本人好みの哀愁と諦観(ていかん)が漂う。同じように川辺に群生する葦(あし)だが、「人間は考える葦である」(パスカル)というと、哲学的思索の世界に踏み込む。
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福沢が「人間の如き、無智無力見る影もなき蛆虫(うじむし)同様」(福翁百話)と語ったのは、所詮(しょせん)人生は戯れでしかなく、万事をあまり重く見ない方がいい、というためだった。その方が思いつめて極端に走ることもないだろう。しかし、本来戯れと知りながら戯れをまじめに勤めるべきだ、とつづける。それが人間の人間たるゆえんだ、と。パスカルの思索との距離は近い。
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先のアンケート結果を借りれば「人間はゼロに等しく、同時に無限大でもある」とでもいおうか。 |
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