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发表于 2005-1-18 07:16:43
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01月18日付
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8 E A& u2 T0 u$ y& A# @4 o 昨日(きのう)の夜明(よあ)け前(まえ)、神戸(こうべ)には冷(つめ)たい雨(あめ)が降(ふ)っていた。大震災(だいしんさい)が起(お)きた午前(ごぜん)5時(じ)46分(ふん)、人々(ひとびと)は傘(かさ)を広(ひろ)げ、あるいはぬれたままで追悼(ついとう)のろうそくを持(も)ち、目(め)をつむった。 % j, ]% k" z! S z
% m. P+ \$ J9 N, b s* m あの日(ひ)、被災(ひさい)地(ち)には、隣(となり)に寝(ね)ていた子(こ)や、階下(かいか)にいた母(はは)、父(ちち)を失(うしな)い、きょうだいや友(とも)を火(ひ)に焼(や)かれた数多(かずおお)くの人々(ひとびと)がいた。それから、10年(ねん)が過(す)ぎた。 : b$ L. E' g, w# D' ^( b' x
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神戸(こうべ)は、来(きた)るたびに街並(まちな)みが整(ととの)い、高層(こうそう)ビルが目立(めだ)つようになった。表向(おもてむ)きは傷跡(きずあと)はあまり見(み)えない。しかし、人々(ひとびと)の内(うち)に刻(きざ)まれた傷(きず)は見(み)えにくい。あの日(ひ)、幾多(いくた)のきずなが断(た)たれる一方(いっぽう)、支援(しえん)する人(ひと)たちとの間(あいだ)には新(あたら)しいきずなが生(う)まれていった。膨大(ぼうだい)な喪失(そうしつ)と、思(おも)いがけない実(みの)りとが入(い)り交(ま)じったような独特(どくとく)の空気(くうき)が、この街(まち)にはある。 ) a4 C$ T4 N- I
! ?3 T* I% L; ^ Q: d S9 Q あの日(ひ)、1本(ほん)足(あし)の支柱(しちゅう)がへし折(お)られて倒壊(とうかい)した高速(こうそく)道路(どうろ)があった。造(つく)り直(なお)されたその区間(くかん)の辺(あた)りを走(はし)っていた昼前(ひるまえ)、思(おも)いがけず、虹(にじ)を見(み)た。それは六甲山(ろっこうさん)系(けい)を背(せ)にして、神戸(こうべ)の街(まち)の上(うえ)に七色(なないろ)の弧(こ)を架(か)けていた。もとより偶然(ぐうぜん)には違(ちが)いないが、街(まち)と人々(ひとびと)のこれからを祈(いの)りたくなるような大(おお)きさと高(たか)さがあった。
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「ここで/家(いえ)の形(かたち)が/人(ひと)の形(かたち)が/形(かたち)という形(かたち)が/壊(こわ)れてしまった」。神戸(こうべ)在住(ざいじゅう)の詩人(しじん)・季村(きむら)敏夫(としお)さんは、震災(しんさい)後(ご)に、こう記(しる)した。昨日(きのう)、季村(きむら)さんは語(かた)った。「10年(ねん)後(ご)の今日(きょう)は、いわば、始(はじ)まりです。あれから10年(ねん)かけて、ようやく、先(さき)に向(む)かうとっかかりが、私(わたし)の中(なか)にも築(きず)かれたような気(き)がしています」
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冬(ふゆ)の虹(にじ)は間(ま)もなく消(き)えた。しかし人(ひと)と街(まち)は残(のこ)る。そして、人(ひと)は限(かぎ)られた命(いのち)を生(い)きる。記念(きねん)の日(ひ)は、それを改(あらた)めて思(おも)う時(とき)でもある。 |
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