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楼主: asuka0226

[好书推荐] 甲賀忍法帖 (山田風太郎忍法帖1)

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 楼主| 发表于 2008-4-16 17:48:58 | 显示全部楼层
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到点开会啦~~~明天继续~

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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:15:37 | 显示全部楼层
    魅殺の陽炎(みさつのかげろう)


     【一】


 |宮《みや》から東へ一里半で|鳴《なる》|海《み》、それからまた二里三十町で|池鯉鮒《ちりゅう》だが、そのあいだに「さかい橋」という橋がある。この橋を境に、東海道は尾張から三河にはいる。
 そのさかい橋のたもとに、妙なものが立てかけてあった。旅人はそのまえに立ちどまり、首をひねり、そして何となくぞっと|悪《お》|寒《かん》のようなものをおぼえて、にげるように離れるのであった。
 一枚の大きな板なのである。あちこちと虫のくったあとのみえる、古い、しかし|頑丈《がんじょう》な板だが、その表面にいちめん赤黒いものがぬたくりつけてある。人々は、「なんだろう?」といぶかしみ、しばらく判断に絶するが、そのうちふっと血の匂いをかぎ、そしてそれが人間のかたちをしていることに気がついて、なんともいえないもの恐ろしさに襲われてにげ出すのであった。
 春の日がややかたむきかかったころ、そこを通りかかった四人の旅人が、これを見て釘づけになった。三人の武士と一人の女だが、武士のうち二人は、|苧屑《からむし》|頭《ず》|巾《きん》をかぶっている。
「…………」
「…………」
 ほかの旅人とちがい、彼らは凝然と、いつまでもそこをはなれなかった。
 ややあって、彼らはその板をとりはずし、|眉目清秀《びもくせいしゅう》な武士がそれを背に負うと、街道をそれて、川に沿ってしばらくあるいた。そのあいだに、女はときどきかがんで花をつんだ。
 板はしずかに水面におろされた。女はそれに花をのせた。板は音もなく流れ去る。
 古来この国には、|灯《とう》|籠《ろう》に|精霊《しょうりょう》をのせてながす美しい行事があるが、これはあまりにもぶきみな灯籠流し。
「刑部、敵は討つぞ。|南《な》|無《む》。――」
 苧屑頭巾の中で、沈痛なうめきがきこえた。
「けれど、あれが、ここにあったということは」
 と、女が板のゆくえを見送りながらつぶやいた。
「あれは船板じゃ、刑部は船中で殺されたものとみえる。――敵ながら、あっぱれじゃ」
「そして、敵は、あれをわれわれに見せつけて挑戦しておる」
 と、苧屑頭巾の中でひとりが歯をかむと、もうひとりの頭巾が、
「伊賀者めらが、どこかでわれわれを見張っておるな」
 といった。
 若い武士が頭をめぐらして、周囲を見まわした。――これは、甲賀弦之介だ。ふしぎなことに、その目は|燦《さん》とかがやいている。|七夜盲《ななよめくら》の秘薬で目をふさがれて、あの夜をいれて三|夜《や》しかへないのに。

 甲賀弦之介の草を|薙《な》ぐ刃のような目から、あわててぴたと|土《ど》|堤《て》のかげに身を伏せた二つの影がある。あやうく視線からはのがれたが、一瞬、さっと毛が逆立つような思いだ。
 ふたたび、街道へもどってゆく四人を見おくって、
「やはり、わしたちの方が先まわりしたようだな」
 と、薬師寺天膳はつぶやいた。
「それで、天膳どの、これから――?」
 と、顔をあげたのは朱絹だ。
「敵は四人、こちらは四人とはいえ、ふたりは盲――」
「なに、駿府までまだ四十里ある。はやることはない。――朱絹、それより、敵のうちにも盲がひとりいるのじゃ。室賀豹馬という」
 彼らは、甲賀弦之介が関で蛍火のために盲目にされたことは知らなかった。いや、げんに目のあいた弦之介を見たのだから、それは問題外である。
「では、あの苧屑頭巾の」
「うむ。もうひとりは如月左衛門であろう。とにかく、まずその盲の豹馬からしとめよう。今夜きゃつらはどこにとまるか。|池鯉鮒《ちりゅう》か、いやこの分では岡崎まで足をのばすかもしれぬ。いずれにせよ、今夜のうちに、豹馬だけは討つ。そこでじゃ、朧さまじゃが」
 盲目の朧と筑摩小四郎は、池鯉鮒の旅籠に泊めてあった。
「あれは、心身ともに足手まとい、弦之介らを見つけ出したことは、いましばらく黙っていたい。そなた今夜はそしらぬ顔で朧さまといっしょにいてくれ」
「あなたは?」
「わしは小四郎をつれて、きゃつらを追う。小四郎もだいぶ元気になったようじゃ。ふたりで甲賀組を襲撃する」
「大丈夫でございますか」
 薬師寺天膳は、じっと朱絹を見つめ、女のように柔らかに笑った。
「わしがか?」
「いいえ、小四郎どのが」
 と、こたえて、朱絹の|蒼《あお》|白《じろ》い頬が、かすかにそまった。伊賀を出て、手負いの小四郎をいたわりつつ旅するあいだに、この女の心に小四郎に対して一種の感情がきざしたようだ。
「朱絹、|道《みち》|行《ゆき》の旅ではないぞ。討つか、討たれるか、命をかけた旅だ。たわけめ」
「はい!」
「とはいえ、鍔隠れを出れば、よう知ったはずの男や女が、特別にみえるな」
 と、ニヤリとした。
「ふむ、朱絹、首尾よう甲賀方をみな殺しにしたら、二組の祝言をあげようかい」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:15:58 | 显示全部楼层
     【二】


 はたせるかな、甲賀の一行は、そのまま池鯉鮒を通過した。その足で、岡崎までゆくつもりとみえる。――が、日はすでに沈んだ。
 池鯉鮒の東に駒場というところがある。そのむかし、このあたりに|蜘《く》|蛛《も》|手《で》かがりにながれる川があって、橋が八つあったから八つ橋といい、|杜若《かきつばた》の名所で、|業《なり》|平《ひら》がその杜若の五文字を句のかしらにすえて、「から|衣着《ごろもき》つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞおもふ」と|詠《よ》んだのはここだと伝えられるが、いまはその川も|埋《うず》まり、いちめん、|茫《ぼう》|々《ぼう》の原野だ。
 だから、毎年四月二十五日から五月五日にかけて、ここで有名な馬市がたつ。四、五百頭の馬や|伯《ばく》|楽《ろう》、馬買い商人が雲集して、いななきとセリ売りのさけびと|砂《さ》|塵《じん》を天にあげるのだが、ちょうどその馬市も終わったころだろう。街道の左右は、見わたすかぎり草の波ばかりで、その波の果てに、糸みたいな月がのぼってきた。
 一本道を風のようにあるいてきた甲賀の四人は、ふいに頭上に、異様な羽ばたきの音をきいて、顔をあげた。
「あっ、あれは」
 と、思わずさけんだのは、甲賀弦之介だ。
 それは一羽の鷹であった。なんで忘れよう、それこそは甲賀伊賀死闘の宣戦の布告状を抱いて、土岐峠に飛来したあの鷹ではなかったか。しかも、見よ、その鷹の足につかんでいるのは、あのときとおなじ、なかばひらかれた巻物ではなかったか!
「なんじゃ?」
 と、|苧屑《からむし》頭巾のなかで、室賀豹馬がきいた。盲目だから、見えなかったのだ。
「鷹が、あの秘巻をつかんで――」
 と、いうよりはやく、東へとび去るその鳥影を追って、たたと弦之介がかけ出した。陽炎もこれを追う。巻物が、草すれすれにひるがえりつつ遠ざかってゆくのに、思わず誘惑されたのである。
「あ、待て――」
 と、豹馬が呼んだが、その声は及ばなかった。――と、もうひとりの苧屑頭巾はだまって、そばの石に腰をおろした。室賀豹馬はならんで、|寂然《じゃくねん》とたたずむ。
 草のなかから、|靄《もや》みたいに一つの影が浮き出した。音もなくちかづいてきたのは、薬師寺天膳のノッペリした顔だ。それが、ふたりの苧屑頭巾を恐れるもののごとく、あやしむもののごとく目をすえている。
 鷹と秘巻の|餌《えさ》で、目あきの三人は誘い出せるとみたが、ふたりがのこったので、彼にとって少々手はずが狂った。しかし、恐るべき甲賀弦之介だけはたしかにかけ去った。のこるは室賀豹馬と如月左衛門のみ。――立っているのが豹馬だとは声でわかったが、だまって坐っている左衛門のようすがすこしいぶかしい。
 その苧屑頭巾が顔をあげて言った。
「薬師寺天膳か」
 声をきいて、愕然、とびさすった天膳が、頭巾のなかからうすい月光にさらされた顔をみて、
「甲賀弦之介、やはり盲となっていたか!」
 と、さけんだ。
 一瞬に、天膳は了解した。さっきかけ去った甲賀弦之介は、あれは如月左衛門だったのだ。声はおろか、|何《なん》|人《ぴと》の顔にも化ける左衛門とは知っていたが、まさか味方の弦之介に|変形《へんぎょう》しているとは思わなかった。それも弦之介が盲となったことをあざむくために相違ない。それでは弦之介はどうして盲となったのか。いうまでもなく、蛍火と簑念鬼の襲撃が成功し、|七夜盲《ななよめくら》の秘薬のために目をふさがれたのだ。
「ふふふふふふ」
 思わず笑いがこみあげた。笑ったのは、恐るべき弦之介の目がつぶれたのを知ったからばかりではない。それを知らず、いままで苦心|惨《さん》|澹《たん》をしていたじぶんがおかしかったのだ。
「なんじゃ、ふたりとも盲か? それではせっかくのさかいの橋の見世物が見えなんだであろう。それは、いらざる手数をかけたものじゃ」
「霞刑部のことか、心眼で見えた。よう見せてくれた。礼をいう」
「これも心眼でみえるか!」
 銀の針のような|一《いっ》|閃《せん》が、眼前に立つ苧屑頭巾を拝み打ちにした。室賀豹馬は、まるで目がみえるように二、三歩さがったが、頭巾は縦にふたつに切れて、学者のような顔があらわれた。目はとじられたままである。刀に手もかけず、抵抗のようすもないのが、かえって天膳の背に異様な冷気をはしらせた。
「甲賀弦之介!」
 思わず声がかんばしって、
「うぬだけは最後まで生かして、甲賀一党の全滅と、わしと朧さまとの祝言を見せつけてから討ちはたそうと思っていたが、はからずも天運のきわまるときが来た。おのれから、まずさきに死ね」
「それは惜しい」
 石に腰をかけたまま、にっと盲目の弦之介は笑う。
「そなたと朧の祝言を見られぬとは――そなたがさきに死ぬからじゃ」
「なんだと!」
「それだけはみえる。わしにも、豹馬にも」
 弦之介めがけて一刀をふりおろそうとした天膳は、思わずはっとして室賀豹馬をふりかえった。
 ふたつに裂けた頭巾のあいだから、室賀豹馬は天膳を見ていた。その目は開き、金色の光が放射された。
「豹馬、うぬは!」
 刃を反転させようとして、天膳の腕が奇怪なかたちにねじれた。ねじれたのは腕ばかりではない、女のような天膳の顔の全筋肉が、驚愕と恐怖にひきつれつつ、しかも刃はおのれの肩へあてられて、いっきに引き切っていたのだ。血しぶきをあげて、彼は横へ五、六歩あるき、草のなかへのめり伏した。
 豹馬はふたたび目をとじていた。弦之介は石に座したままである。――と草の波をかきわけて、そのとき陽炎と甲賀弦之介が――いや、弦之介に変形した如月左衛門がかけもどってきた。すこし、あわてている。
「あっ、御無事でございましたか!」
 と陽炎は大きなためいきをつく。左衛門も肩で息をついて、
「いや、鷹のとびよう、あまりに人をくっているゆえ、思わずつられてこの草原を泳ぎまわらせられ、突然気がついてかけもどってきた次第です。しかし何の変事もなかったのは|重畳《ちょうじょう》――」
 といいかけて、路上にあぶらのようにちったものに気がついて、息をのんだ。豹馬が微笑して、
「薬師寺天膳めがあらわれた」
「まっ、それで?」
「わしが殺して、|死《し》|骸《がい》はそこらの草むらにたおれこんだはず」
 如月左衛門が血を踏んで草むらの中へかけこむのを、陽炎も追おうとしたとき、弦之介がきいた。
「陽炎、鷹はとらえたか」
「それが、あの鷹は、草にひそむ何ものかにあやつられているとみえ――」
「鷹はとらえたかと申すのだ」
 陽炎は、むしろふきげんな弦之介の顔をちらっと見た。そして彼の心を領しているのが、朧のことだと直感した。こうなっても、弦之介さまは、朧のことを気づかっていなさるのだ。鷹をつかっていたのが朧ではなかったか、朧をどうしたかと、それが不安なのだと見てとった。
「のがしました」
 気のせいか、弦之介の眉がかすかにあかるくなったようなのに、唇をゆがめて、
「左衛門どのが|小《こ》|柄《づか》をなげて、鷹が巻物をおとし、それを拾うているあいだに、ゆくえもしれずになりました。けれど、伊賀組の面々は、きっとこの草原のどこかにひそんでいるにちがいありませぬ」
 殺気の|燐《りん》|光《こう》がその|牡《ぼ》|丹《たん》のような姿をふちどったのは、弦之介にみえぬ。せきこんで、
「なに、人別帖はひろったか。それを見せい」
 と、いって、すぐに、
「いや、見てくれい」
 と、いいなおして、立ちあがった。陽炎は巻物をひらいて、ほそい月に透かした。
「刑部どのの名が消されております」
「ふむ」
「伊賀組は――おお、簑念鬼、蛍火のほかに、雨夜陣五郎の名が――」
「なに、雨夜陣五郎が? してみると、刑部めのはたらきじゃな」
「のこるは甲賀組四人、伊賀組もまた四人。――」
「いや、三人じゃ」
 と、如月左衛門が声をかけて、すでに息のない薬師寺天膳の頸に、小柄を横に根もとまで刺しとおした。
「弦之介さま、鍔隠れとのたたかいは、どうやら勝ったようでございますな」
「まだわからぬわ」
 弦之介のひたいを、暗然たるものがかすめる。
「いや、この薬師寺天膳と申すやつ、何となし一番うすきみわるい奴でござった。いかなる術者かと、実は恐ろしゅうござったが存外他愛のない奴――ましてや、のこる三人のうち、ふたりは女、さらに筑摩小四郎はたとえ同行しておるとしても、お幻屋敷で弦之介さまに割られた顔は、まだ目もひらくまい。――」
 そして、何思ったか、血みどろの天膳のからだを小わきにかかえて、ぬっと立ちあがった。
「陽炎、弦之介さまと豹馬といっしょに、さきに岡崎へいってくれい」
「左衛門どのは?」
「わしは少々この死人に用がある」
 ニヤリと笑った。
「のこる敵は、いま申した三人じゃ。たとえそれがあらわれようと、何ができよう。朧さまの目はこわいが、こっちにも豹馬の目がある。ところで、豹馬には、朧さまの目は見えぬのだ! こう考えれば、朧さまを相手とするかぎり、豹馬はむしろ弦之介さまよりつよい! ただ、朱絹の血の霧のみは気をつけい。――」
 陽炎も、にっとした。|憂《うれ》わしげに立つ甲賀弦之介の袖をひいて、
「されば、まいりましょう、弦之介さま」
 むしろ、いさんでさきに立つ。
 東へ去る三人の影が月光にうすれるのに、背をかえして如月左衛門は薬師寺天膳のからだをひッかかえたまま、草の中をあゆみ出した。
 むかし八つ橋をかけたなごりの水脈が、なおところどころこの駒場野に|隠《いん》|顕《けん》しているのであろうか。さっきからどこかでかすかなせせらぎの音がきこえていた。左衛門はそれをもとめてあるき出したのだ。
 その小さな水流を見つけ出すと、彼は死骸をそばに横たえ、ながれのほとりの泥と水をうやうやしくこねあわせ出した。いうまでもなく、如月左衛門変形の神秘な儀式がはじめられたのである。――
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:16:20 | 显示全部楼层
     【三】


「おおおおおい」
 月影くらい野末から、遠く呼ぶ声がきこえていた。街道をあるいてきた陽炎と弦之介と豹馬は足をとめた。
「男の声でござるな」
「左衛門ではない」
 声は、草をわたってちかづいた。
「おおおい、天膳さま。――」
 三人、凝然と立っている路上のむこうに、フラフラとひとつの影があらわれた。
 その影は、実に妖異なものであった。第一に、その肩に鳥の影をのせている。第二は、片手に刃わたり一メートルはあろうかと思われる大鎌をさげている。第三に、くびから上は鼻口をのぞき、ぜんぶ白布でグルグル巻きにしているのだ。
 筑摩小四郎である。彼は草にひそみ、縦横にうごいて、空の鷹をつかい、甲賀組を|翻《ほん》|弄《ろう》した。そのあいだに、天膳が室賀豹馬を討つ。――そのことについては、彼は天膳を信じていた。彼は天膳子飼いの忍者である。自分じしんのことについては、もとより死を決している。ただ、その口あるかぎり、すくなくとも敵の一人はたおして死んでみせるという自信があった。
 それが、じぶんはついに発見されないですんだ。肩にもどってきた鷹の足に巻物がなかったところをみると、敵はそれを手に入れただけで満足して、ひきかえしたものとみえる。それでは天膳さまはどうしたか?
 不安にたまりかねて、小四郎はついに草むらからさまよい出た。甲賀組がまだこの駒場野にいるかもしれぬというおそれは百も承知だ。天膳が豹馬を討ったにせよ、討たれたにせよ、彼の義務と復讐欲は、ひとりでも多く甲賀組をたおすことのみにある。――その無謀ともいうべき戦意こそおそるべし。
 ただ、その声は悲痛であった。
「どこにござるか。天膳さま――」
 さっと鷹がその肩から舞いあがったとき、待ちかまえる甲賀の三人とは十メートルの間隔があった。陽炎が、いまそこで折りとった葉桜の一枝を捨てようとした。――
「甲賀者か!」
 小四郎の口がさけんだ。同時にとがった。
 ぱっと甲賀弦之介の苧屑頭巾が裂けて、屑が散った。「危い!」絶叫して、とっさにまえをかばった陽炎の葉桜が、ざっと旋風にうたれたように狂い飛ぶ。一瞬に三人は、街道の両側の草のなかへ身を伏せていた。
 強烈な|吸息《きゅうそく》によって、|虚《こ》|空《くう》に旋風と真空をつくる。――この筑摩小四郎の秘術は健在であったのだ。それがいかに恐怖すべきものであるかは、伊賀一党の卍谷襲撃の際、甲賀者たちがことごとく顔面を|柘榴《ざくろ》のように裂かれたのを目撃したとおりだ。
 が、陽炎がつつと身を起こして、草を横にまわった。小四郎は大鎌をふりかぶってかまえている。その姿勢がだれもいない路上にむけられているのと、満面を覆う白布で、彼の目がみえないことを見破ったのである。
 |懐《かい》|剣《けん》が月光をはねかえしたとたん、鷹が両者のあいだを飛んだ。
「こっちか!」
 わめくと小四郎の大鎌が、ながれ星のようにのびて|薙《な》いできた。とびのいて、あおむけにたおれた陽炎の頭上に覆いかぶさる草の穂が、空中の真空にふれてはじけ散った。
 鷹は三人の頭上をめぐって、すさまじい羽根の音をたてた。その音をたよりに、キーンと裂け目がはしったように大気がなる。三人は草の中をころがって避けた。ああ、これはなんたることか、盲目、しかも手負いの一忍者に、これほど窮地に追いつめられようとは!
「陽炎――弦之介さまを!」
 弦之介を全身で覆っていた陽炎は、室賀豹馬の声を聞いた。顔をあげると、豹馬は路上におどり出て、手をふっている。にげろというのだ。もう一方の手には白刃をひっさげていた。
 弦之介をかばいつつ、もと来た道を後退する陽炎を鷹がとびめぐる。その羽ばたきを追おうとする筑摩小四郎のうしろから、
「伊賀猿! 待てっ」
 と、豹馬は呼んだ。小四郎はふりかえった。
「うぬの名は何という?」
「室賀豹馬」
 こたえたときは、豹馬は身を沈めてはしり寄っている。背後に、いま答えた位置の空気が、キーンとはじけた。
 思えば、これは両人とも盲ではなかったか。盲人同士のたたかいも、忍者なればこそだ。しかし、豹馬の盲目は|生《せい》|来《らい》のものだけに、その行動ははるかに正確|敏捷《びんしょう》であった。拝み打ちになぐりつける一刀を、小四郎はあやうく受けたが、鎌の|刃《は》で受けずに、|柄《つか》で受けた。
 両手のあいだで、柄はふたつに切れた。あと一髪の差で、小四郎は|梨《なし》割りになっていたろう、しかし、彼は大きくとびずさった。
 追いつめようとして、豹馬は釘づけになった。小四郎の口がとがるのを感じたからだ。それは恐るべき一瞬間であり、豹馬は身をかわす姿勢にはなかった。
「見ろ、小四郎!」
 つぶれた声でうめき、ひらいた両眼から、金色の矢がほとばしり出た。
 しかし、室賀豹馬は、このときすでに次におこる運命を知っていたのではなかろうか。おそらく左衛門と別れた際ゆくてに筑摩小四郎が待っているかもしれぬと考えたにせよ、そのときは想像もしなかったろうが、いまここに遭遇して死闘を開始したときには、ある一事に気がついて、愕然としていたことと思われる。――すなわち、小四郎もまた盲目であるということに。
 あるいは、その目で小四郎の姿を見ることができない豹馬であったから、すこし勘ちがいしていたかもしれない。いずれにせよ。――もし相手が朧であるならば、朧の目をみることができないで、しかもおのれの目から死光を発する豹馬の方が、完全に目をふさがれた弦之介よりもつよいはずと左衛門はいった。同様に、顔を白布でまいた筑摩小四郎は、かえってその死光の威力の|埒《らち》|外《がい》に置かれたのだ。豹馬が「見よ、小四郎」とはさけんだものの、小四郎には見えないのだ。もし小四郎の目がみえたならば、お幻屋敷で弦之介に敗北したときとおなじ運命が再現したであろうに、いま小四郎は盲目なるがゆえに、豹馬の|猫眼《びょうがん》を無効とする。――致命の傷が九死に一生をまもる武器となる忍者の決闘の変幻ぶりは、勝つものも敗れるものも、その一せつなにさしかからなければ|端《たん》|倪《げい》をゆるさない。
 硬直した室賀豹馬の眼前で、ぱっと空気がはためいた。豹馬の顔は|一《いっ》|塊《かい》の|肉《にく》|柘榴《ざくろ》となり、よろめいて、一刀を大地につきたて、それにすがったまま彼は絶命した。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:16:39 | 显示全部楼层
     【四】


 室賀豹馬の行動が、弦之介と陽炎をすくうためであったとするならば、彼は本望だったかもしれないが、しかし彼は甲賀卍谷の重鎮であった。それにくらべて、筑摩小四郎は、伊賀鍔隠れの谷で、薬師寺天膳につかわれる小者にすぎない。いわば足軽だ。|将領《しょうりょう》が|雑兵《ぞうひょう》に討たれるのも、あるいはたたかいの常であろうが、やはり惨ここにきわまる運命というよりほかはない。――
 しかし、筑摩小四郎の方は、してやったりという様子もない。いや、顔じゅう布だらけだから、その表情もわからない。ただ、次の獲物を狙って猛鳥のように反転した。
 そのとき、遠く女の声がきこえた。
「小四郎、小四郎どのう」
「や?」
 声とどうじに足音がはしってきた。
「小四郎どの」
「朱絹どのか」
 と、筑摩小四郎はその声をききわけたが、愕然とした。朱絹は朧とともに池鯉鮒の旅籠においてきたはずだからだ。――しかし、朱絹は息はずませながら、四、五歩の位置からちかづいてこようともしない。
「そ、そこに立っておるのは――」
「これか。ほう、立ったまま死んでおるか、これは甲賀の室賀豹馬だ」
「えっ、では」
「それより、そなたはどうしたのか、池鯉鮒の宿に何が起こったのか、朧さまはどうなされたのかっ」
「ああ、小四郎どの……甲賀の如月左衛門めがおしかけてきました。そして、朧さまを、むごたらしや」
「なに、朧さまを!」
 筑摩小四郎は、電撃されたようになった。
「朧さまをとらえて、なぶり殺しに――」
 小四郎はどうと大地に尻をついた。しばらく、わななくばかりで声もでなかったが、やがてしぼり出すように、
「それでは、天膳さまはいかがなされたか。――おれもおかしいとは思っておった。天膳さまは室賀豹馬を討つと仰せられておったが、その豹馬はわしに殺されたところをみると……さては、如月左衛門め、例の妙な術を使って、天膳さまをたぶらかし、池鯉鮒の旅籠をかぎつけたな。ううむ、左衛門、いまにみておれ。……」
「小四郎どの、けれど、朧さまを殺されては、もはや伊賀は負けたも同然……」
「いいや、負けぬ。伊賀が甲賀に負けてなろうか。それより、朱絹どの、そなたは朧さまを討たれて、何をしておったのか、見殺しにして、ここまでにげてきたのかっ」
「いいえ、いいえ、わたしは縛られて……すきをみて逃げてきたのは、ただこのことを天膳どのに告げたいばかりに――」
 筑摩小四郎は苦悶のていで身をおしもみ、そして顔をあげてうめいた。
「ききたくなかった! そなたも死んでもらいたかった!」
「小四郎どの、殺して!」
 はじめて、朱絹は小四郎の胸にからだをなげこんできた。小四郎は彼女のきものが裂けて、ほとんど肌もあらわなことを知った。熱い肌がしがみついて、身もだえして、声も変わり、
「殺して! 殺して!」
 小四郎は、口すれすれに、女のあえぎをかいだ。はじめて吸う女の|甘《あま》|酸《ず》っぱい息が、この場合に、この|精《せい》|悍《かん》な若者の脳を異様な|昏《こん》|迷《めい》におとしいれた。
「死ね、死ね」
 顔をそむけつつ、悲鳴のようにつぶやく、女の腕と胴が、蛇のように小四郎にからみついた。
「小四郎どの、好きでした。いっしょに死んで……」
 鍔隠れの谷で、小四郎は朱絹という女を、姉のように感じていた。|蒼《あお》|白《じろ》く、暗く冷たく、ぞっとするほど美しい姉のようにみていた。その女が、いまこのようにもえて、じぶんにしがみついている。けれど、彼はそれほどおどろかなかった。旅に出てから、急速に彼女がじぶんにやさしみを加え、声までうるんできたようなのに、ふしぎな胸のときめきをおぼえていたのだ。
 すでに彼は、天膳が、朧さまに、鍔隠れにいたころ想像もつかなかったふるまいに出ようとしたのを知っている。あとで天膳は、あれは甲賀の忍者をさそい出すためだといったけれど、それが単なるごまかしであることを直感している。鍔隠れの谷から、血風吹きすさぶ旅に出て、おれたちはみんな気が狂ったのではないか?
 いま、朧さまを討たれて、駿府へいって何になるというのだ? 死のう、この朱絹と――いいや、どこかへ逃げてゆこうか? 小四郎の心に、ふいに自暴|自《じ》|棄《き》の嵐がまきおこった。
「朱絹」
 凄じい力で、彼は女のたおやかなからだを抱きしめた。そこは、室賀豹馬の血のながれる路上であった。彼は血の香に酔っぱらったような気がした。いや、|杏《あんず》の花のような女の息の香りに。――
「小四郎、死のう」
 |麻《ま》|痺《ひ》したあたまの奥に、女の声がしみこんだ。それが朱絹の声ではない――と、気がついたときは、彼の魂はすでになかば、この世から飛び去っていた。
 この凶暴無比の若い伊賀者は、女の腕のなかで、ふいにぐたりとうごかなくなっていた。
 女はしずかに立ちあがった。なんというその息づく顔の|凄《せい》|艶《えん》さだろう。――陽炎である。
 しがみついてからは、彼女の声であった。それに気がつかなかったのは、もはや筑摩小四郎の脳がしびれていたからであろう。はじめに陽炎のうしろに立って、朱絹の声で話しかけた人間は、まだそこに、だまってたたずんで、小四郎の死を見まもっている。
 糸のような月が、そのつや[#「つや」に傍点]のない能面みたいにノッペリした無表情を照らし出した。顔はまさに薬師寺天膳だが、かくもみごとに女の声を――朱絹の声帯を模するものがだれか、いわでも知れたことだ。
 彼は目をあげて、なお立往生したままの室賀豹馬の影を見やって、歯をかんでつぶやいた。
「小四郎めが、これほどのやつと知っていたら……」
 そのとき、頭上できこえた羽ばたきの音に夜空をあおぐと、いままで判断にまようもののごとく、不規則な輪をえがきつづけていた鷹が、急に真一文字に西へとび去ってゆく。
「そうだ、朧は池鯉鮒の旅籠にとめてあると申したな」
 そのとき、うしろから、しずかに甲賀弦之介がちかづいてきたのをみると、天膳は――いや、天膳に変形した如月左衛門は、ふところから巻物をとり出し、地上から室賀豹馬の血をすくいあげて、三たび、巻物にすじをひいた。
「薬師寺天膳と筑摩小四郎を討ち……豹馬を討たれ……」
 陰々たる声を、甲賀弦之介は目をとじたままきいている。
「のこるは、敵味方五人――」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:16:58 | 显示全部楼层
    忍者不死鳥


     【一】


 この世のものならぬ死闘の終わった駒場野に、風の音のみのこった。甲賀一行はどうしたか。――見渡すかぎり野面にうごく人影もなく、ただ蒼白い月の鎌が、銀色の草の波を刈っているかにみえるばかりであった。
 いや――だれも知らぬ草のかげに、何やらうごいている異様なものがある。けれど、それをうごいているといってよかろうか。目にはそれとはっきりはみえず、しかも、しばし目をとじてのちそれを見たならば、そこに起こったある変化に、だれしもどきっとせずにはいられないであろう。もっともふつうの人間には、そもそも最初の|一《いち》|瞥《べつ》にたえないほどの、それは恐怖的な光景であった。
 草のかげ――水のほとり――薬師寺天膳の|身体《からだ》である。数刻まえ、室賀豹馬の|猫眼《びょうがん》のために、みずからを|袈《け》|裟《さ》|斬《ぎ》りとし、如月左衛門に|小《こ》|柄《づか》を頸にさしとおされてとどめを刺された天膳の|死《し》|骸《がい》だ。
 死骸そのものは、うごきはしなかった。満面泥に覆われて、その泥もひからび、ただ目だけ白く、光沢のないにぶいひかりをはなっているばかりだった。が――変化は、徐々に、頸と肩の傷に起こっているのだ。
 |切《せっ》|創《そう》というものは、たとえ凶器が薄い刃物であっても、皮膚の牽引力のために、赤い柳の葉のようにパックリとはぜわれる。そこからあふれ出したおびただしい血も、むろんすでに凝固していた。――その|創《そう》|面《めん》の凝血が、しだいにジクジクと溶けはじめたのである。蒼い月光だから、いまは色もよくみえないが、ひるま見れば、それはにごった黄赤色を呈していることがわかったであろう。
 これは、血管のなかから|滲《し》み出した白血球や|淋巴球《りんぱきゅう》や|繊《せん》|維《い》|素《そ》で、これらが凝血を融解しはじめたのである。ただ、ああ、この創傷分泌物の活動は、いうまでもなく生きている人間のみに起こる|治《ち》|癒《ゆ》現象だ!
 草のなかをはしってきた野鼠が一匹、天膳の胸の上へとびあがって、血をなめかけたが、ふいに何やらおどろいた様子で、ぱっとはねあがって、水の中へおちた。あとに、なまぐさい一道の妖気がたちのぼって、月をさらにくらくする。
 その|青《あお》|錆《さ》びた月の面を、一羽の鳥影がかすめてとんだ。
 鷹は一直線に舞いおりて、路上に立つものの影にとまった。それはそこに仁王立ちになったまま死んでいる室賀豹馬の頭上であった。
 西から、ふたつの影がかけてきた。鷹のとまった怪奇な死体をみつめ、
「あれは」
 と、さけんだひとりが、そのまえにふしているもうひとつの影のところへはせ寄って、
「おお、小四郎どのっ」
 と、自身がえぐられたようなさけびをあげた。
 朱絹である。もうひとり、|市《いち》|女《め》|笠《がさ》をかぶった女の影は、いうまでもなく朧であった。池鯉鮒の宿にとまっていて、さきに鷹とともにこの駒場野へむかった薬師寺天膳と筑摩小四郎の行動を案じていたところへ、鷹のみが舞いもどってきて、さもいそいで駒場野へやってこい――といわんばかりに、ふたりをみちびき出したのである。もっとも、今夜の天膳と小四郎の甲賀組襲撃の企ては、朱絹だけがきかされていたことで、朧は何も知らなかった。いまここへかけてくる途中、はじめて朱絹から、そのことをきかされたのである。
「小四郎どの、小四郎どの!」
 朱絹は泣いた。忍法の争いで、たとえ親、子供が殺されようと、声ひとつたてないのが忍者の習性だが、このとき朱絹は、朧もはじめてきく「女」の悲痛な声をあげた。
 朱絹は小四郎をいとしいと思っていたのだ。彼女にとって、はじめての恋であった。いま、死体となった小四郎を抱いて、彼女はとっさに、じぶんが忍者であることすらもわすれたのである。
「傷がない! 傷がないのに――」
 ようやく朱絹はそのことに気がついて、すっと背すじに冷気のはしるのをおぼえた。敵が甲賀者であるという意識をとりもどしたのだ。彼女は目をあげた。
「小四郎どのを殺したのはうぬか」
 と、うめいて立ちあがったが、|柘榴《ざくろ》のごとく顔のはじけたその姿から、もとよりそれもまた死体であることを知っている。しかし朱絹は、ふるえる手で懐剣をぬいた。
「朱絹」
 と、朧が声をかけた。おののく声で、
「誰がおるのじゃ」
「甲賀者が――死んでおります。おそらく、小四郎どのと相討ちをしたものでございましょう」
「そ、それは?」
「小四郎どののために顔を裂かれ、誰やらわかりませぬ。如月左衛門か、室賀豹馬か、甲賀弦之介か――」
「え、弦之介さま。……」
「いえいえ、髪は総髪、どうやら室賀豹馬という男らしゅうございますが」
 といって、朱絹はつかつかと寄ると、懐剣を死骸の胸につき刺した。はじめて豹馬は地上にたおれた。
「朱絹!」
 と、その気配を感づいた朧がさけんだ。
「|仏《ほとけ》を恥ずかしめるのはやめてたもれ。わたしは天膳が、あの霞刑部とやらをさかい橋でさらしものにしたこともいやでした。敵とはいえ――筑摩小四郎と相討ちとなるほどの男、それに恥をかかせることは、小四郎をもないがしろにすることじゃと思わぬか」
「忍者のたたかいに慈悲はいりませぬ。朧さま、朧さまは、まだ甲賀に、さような――」
 と、いいかけて、朱絹は一瞬|憎《ぞう》|悪《お》にちかい目で、朧をにらんだ。盲目の朧に、それはみえぬ。沈んだ声でいった。
「いいえ、いつわたしたちも、そのような姿になるやもしれぬ」
 そして、見えない目をまわりになげて、
「天膳は?」
「みえませぬ。ここに甲賀者のむくろがひとつ、あと三人残っているはずでございますから、それを追ってゆかれたか――」
「もしや、天膳も相討ちとなったのではあるまいか?」
 朱絹は、ひきつったような笑顔になった。
「まあ、あの天膳さまが、ほ、ほ、ほ」
 もし、その天膳がここにいたならば、天膳ほどの忍者なら、このとき周囲をめぐりはじめた目にみえぬ剣気をかんじたかもしれない。そして、その殺気の波が、朱絹の冷笑にピタリととまったことを。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:17:24 | 显示全部楼层
     【二】


 月はややうごいた。――薬師寺天膳の変化はつづいている。
 ジクジクした分泌物のなかに、病理学にいう|肉《にく》|芽《が》組織が発生しつつあった。つまり、いわゆる「肉があがってくる」という状態になってきたのだ。ふちの密着した傷でさえ、ふつうの人間なら三日ぐらいかかるこの治癒過程が彼の肉体のうえでは、数刻のあいだに行なわれた。しかも彼は、完全な死人だ。――
 いや、耳をすましてきくがいい。とどめを刺されたはずの彼の心臓が、かすかにかすかに|搏《はく》|動《どう》をしている音を。
 ああ、不死の忍者! いかなる驚天の秘術を体得した忍者も、これを知れば|呆《ぼう》|然《ぜん》たらざるをえまい。
 薬師寺天膳が老女お幻さまと、しばしば四、五十年もむかしの天正伊賀の乱の想い出ばなしなどをしていた理由。甲賀|卍谷《まんじだに》の樹齢百七、八十年に及ぶ大|欅《けやき》を、若木のころから知っているとつぶやいた意味。いやいや関宿の|藪《やぶ》の中で、地虫十兵衛の吹く槍の穂に心臓を刺しつらぬかれ、桑名から宮への海上、霞刑部の腕に絞め殺されたはずなのに、ふたたび、けろりとした顔でこの世にあらわれてきた秘密。さらに、「甲賀に勝つ、かならず勝つ!」と断乎としてうなずく絶大なる自負の根源はここにあったのだ。
 彼は、まだうごかぬ。目は白く、月にむき出されたままである。しかも、その月光に照らされた創面に、肉がまるく、薄絹のような光沢をおびてもりあがり、ふさぎつつある。……
 |野《の》|面《づら》をふく風が、奇怪にもこの一画だけまわって吹くか、草もうなだれて、死の淀みのごとくしずまりかえっている。しかも、何やら音がする。|鬼哭啾々《きこくしゅうしゅう》ともいうべき音が。――
 それは天膳ののどのおくから、かすかに鳴り出した|喘《ぜん》|鳴《めい》であった。そして、みひらかれたままのまぶたが、ピク、ピク、とうごきはじめた……。

 朱絹は、朧に命じられて、道からややはいった草むらのなかに、あさい穴を掘っていた。道具は、小四郎の大鎌だ。
「小四郎どの……小四郎どの!」
 と、ときどきすすり泣く。
 朧は|市《いち》|女《め》|笠《がさ》をうなだれさせたまま、これをきいていた。声には出せないが、彼女も「弦之介さま!」とさけびたかった。胸を波だてているのは、味方の天膳よりも、敵の甲賀弦之介の運命であった。
 ――その魂の呼び声が、山彦のごとく魂にひびくのか――草のかげに、甲賀弦之介は、殺気にみちた如月左衛門と陽炎の腕をひっとらえていた。
 彼らはここで朧と朱絹を待ちぶせていたのだ。左衛門と陽炎には、たたかいはすでに勝ったものと思われた。とくに左衛門には――彼は薬師寺天膳の顔をもっている。このまま朧と朱絹のそばにちかづいて、何くわぬ顔をしてぬき討ちにすればすむことだ。
 ――と、最初かんがえて、あやうくふみとどまって、左衛門は苦笑した。朧の破幻の瞳のことに気がついたのだ。朧のまえに出れば、じぶんの変形はたちまち破れ去る。――左衛門は、朧が盲目になっているとはまだ知らなかった。
 けれど、それが破れたとて、何であろう。しょせん、残った敵は女ふたりではないか。そう思いなおしてふたたびとび出そうとする左衛門の耳に、朧の「甲賀者とて恥ずかしめるな」と朱絹をたしなめる声がきこえたのである。左衛門の目を凍らせていた殺気が、ふと動揺した。そして彼らは、つづいて、
「天膳も死んだのではないか」という朧のつぶやきに、「まあ、あの天膳さまが、ほ、ほ、ほ」という、こともなげな朱絹の笑いをきいたのである。
 それは単なる伊賀者の、天膳に対する信頼の言葉であったか。むろんそうにきまっているが、なぜかそれ以上に、彼らの心をぞっと冷たくはってすぎたものがある。
「天膳は、たしかに死にましたな」
 と、陽炎がささやく。
「完全に」
 と、左衛門はうなずいたが、ふと何やら気になるらしく、月光にかすむ野の果てを見やって、
「たわけめが――よし、それでは先ずあの女どもふたりをひっとらえて、天膳のむくろを見せつけてやったあとで討ってくれる」
 草から出ようとした腕を、弦之介がとらえた。
「待て、左衛門」
 如月左衛門はふりむいて、目をとじたままの弦之介の顔をふかく彫る苦悩の影をみた。――先刻ここで朧たちを待つといったときからふいに沈黙してしまった弦之介だ。いやそれ以前、卍谷を出たときから、はたして朧とたたかう意志ありや否や、この若い首領が、いくたび一党を不安がらせたことか。
 如月左衛門は|憤《ふん》|怒《ぬ》のはしる目でにらんだ。
「朧を討つなと仰せあるか」
「そうではない」
 と、弦之介はしずかにくびをふって、
「東の方から人がくる。――ひとりではない、この夜中、いぶかしい行列だ」
 ようやく掘った浅い穴に、筑摩小四郎の|屍《しかばね》を横たえた朱絹と朧が気がついたとき、その行列はすでに五十メートルほどの距離にあった。
「何やつか?」
 むこうで、先頭のものがこうつぶやいて、ふいに四、五人駆けてくるのをみて、朱絹は身をひるがえそうとしたが、急にあきらめた。盲目の朧さまがいっしょだということに思いあたったのだ。
 かけつけてきたのは、武士ばかりであった。すぐに彼らは路上の酸鼻な室賀豹馬の死骸をみつけ、また草のなかに大鎌をもって立つ朱絹の姿に目をやって、
「あっ、|曲《くせ》|者《もの》だ!」
「|方《かた》|々《がた》、ご用心なされっ」
 と、絶叫した。たちまち七、八人の武士が殺到してくる。
 朱絹は目をひからせたまま立ちすくんでいたが、たちまち宙をとんで朧のまえにはせもどった。うしろに朧をかばい、はやくも抜刀した武士たちをにらみすえて、
「わたしたちは|大《おお》|御《ご》|所《しょ》さまのお召しにより、いそぎ駿府にまいるものです。お手前さま方こそ、いずれの方ですか」
 と、ひくい声でいった。
「なに、大御所さまに?」
 武士たちは、騒然とした。おどろいたらしい。ひとり、つかつかとあゆみ出て、
「みれば、女ふたり、それが何の御用があって駿府へ召されたのか。そもそも、どこの何者じゃ」
「伊賀の国鍔隠れの郷士です」
 そのとき、武士たちのうしろで、
「なんと申す、伊賀の鍔隠れ? それでは――」
 と、ただならぬ女の声がして、ひとり身分ありげな女性が乗物から下り立った。
「もしや、そなたらは、服部半蔵との約定解かれて、甲賀者とたたかっている伊賀のものではないか?」
 と、息をはずませた。朱絹ははっとしつつ、
「あなたは――」
「将軍家御|世《せい》|子《し》竹千代さまにお乳をまいらせた|阿《お》|福《ふく》じゃ」
 きっとなって、重々しく名乗り、月光にこちらをすかしてみていたが、
「そなたら、朧と朱絹とは申さぬかえ?」
 朧と朱絹は、呆然としている。なぜ将軍家御世子の乳母が、じぶんたちの名まで知っているのか。
「どうして、わたしたちを?」
「では、やっぱりそうであったか。そなたらの名――伊賀のお幻がほこらしげにかいた十人の名――忘れてなろうか。そなたらは竹千代さまのおんためにえらび出された大事の忍者じゃ。これ、ここにある男の死骸、これは何者じゃ」
「それは、甲賀卍谷の室賀豹馬と申すものでございます」
「おう、甲賀者か。出かしゃった! して、のこりの卍谷衆は?」
「おそらく、いまのところ、あと三人――」
「そ、それで、そのものどもは?」
「さきに駿府へまいったか、それとも、まだこの野のいずこかにおるのか――」
 阿福はぎょっとしたらしく、
「みなのもの、用心いたせ!」
 と、うしろをかえりみた。さっと四、五人があたりの草に散り、また残りの武士たちは彼女をつつんだ。しかし、人数はぜんぶで二十人内外であった。阿福はふるえ声で、
「これ、鍔隠れの女、あと八人の伊賀者はどうしやった?」
「死にました。……」
 朧と朱絹は、凝然と身うごきもせずにこたえた。阿福の顔は夜目にも|粟《あわ》|立《だ》ち、しばらく声もない。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:18:16 | 显示全部楼层
     【三】


 いままでだまっていた朧が、しずかにきいた。
「わたしたちが、竹千代さまのおんために大事な忍者とは、どういうわけですか」
「そなたらは……それも知らず甲賀方とたたかってまいったのか」
 阿福は恐怖をおびた目で、ふたりの伊賀の女をながめやった。そして、やおら|粛然《しゅくぜん》として、この忍法の大秘争が、徳川家の新しい|世《よ》|継《つ》ぎを決定するための至大至重のものであることを説明しはじめた。
 ――阿福は、のちの|春日《かすが》の|局《つぼね》である。|大《だい》|道《どう》|寺《じ》|友《ゆう》|山《ざん》の「|落穂集《おちぼしゅう》」に「春日局見えたまわずとの|儀《ぎ》につき、ご|老中方《ろうじゅうがた》より|御《お》|留《る》|守《す》|居《い》|年寄衆《としよりしゅう》へおたずねあるところに、ちかごろ春日局かたより頼みにつき、女中三人|箱《はこ》|根《ね》|御《おん》|関《せき》|所《しょ》通り|手《て》|形《がた》|相《あい》ととのえつかわし|候《そうろう》との|儀《ぎ》につき、さては、伊勢|参《さん》|詣《けい》に相きわまる。さだめて竹千代さまへ相違なくおん|弘《ひろ》め(|家《か》|督《とく》相続のこと)などの仰出だされ候ようにとの立願の志にてこれあり候やと、諸人推量つかまつるとなり。そのとき世上において、春日局ぬけ|参《まい》りと申し触る由」とあるのは、この時のことだ。事実は、阿福は駿府にきたついでに、ひそかに西への旅に出たもので、むろん竹千代が勝利をうるように伊勢へ祈願にゆくということは、周囲の関係者は知っていたろうが、国千代派がこのことを知ったのはあとのことで、密行ということに変わりはなかった。――そして、伊勢へのぬけまいりということも一つの名目であって、その実、甲賀と伊賀のあいだにくりひろげられているであろう争闘のようすをうかがいに出たものであった。
 むろん、甲賀伊賀の死を|賭《か》けた忍法競技に、竹千代派、国千代派が手を出してならぬということは、あらかじめ大御所から誓わせられた厳粛なルールだ。
 しかし、そこが女性であった。阿福は座して、運命を待つにたえかねた。この競技に無縁の見物ではない。応援団ですらない。おのれの派が敗れれば、天下をとれぬどころか、のちに待つのは死あるのみだ。――それは後年駿河|大《だい》|納《な》|言《ごん》|忠《ただ》|長《なが》となった国千代の悲惨な運命をみればわかる。――いわんや、これは竹千代のために、いや自分自身の野心のためにも、いかなる権謀術数をもじさなかった、[#電子文庫化時コメント 底本・''94「。」、旧版の表記に従って訂正]女怪ともいうべき春日の局であった。かつて彼女は、稲葉|佐《さ》|渡《どの》|守《かみ》の後妻であったが、夫がひそかに|妾《めかけ》をたくわえ一子を生ませたのを知ると、夫に説いてその母子を呼びむかえさせ、ごうも|介《かい》|意《い》のない|態《さま》をしめし、夫の留守にいきなり妾を刺し殺して、みずから駕籠にのって家を去ったといわれる。ルール違反には前科がある。
 説きおえたとき、彼女の心には、ひとつの決断が生まれていた。ひそかに駿府をしのび出たのが、やはりもっけのさいわいであった。
「朧、朱絹、両人、これよりわたしの一行にはいって駿府へまいらぬか? いや、|是《ぜ》が|非《ひ》でも同行してたもれ」
 せめてこのふたりは、断じて殺させるわけにはいかない。そして、いそぎ駿府へつれかえって、ひそかに手をまわして、甲賀組を討ちはたす。――これが阿福の切迫した着想だ。
 この死闘が、徳川家の運命を決するものだときいても、朧にはさして感動のようすもなかった。沈黙したままの顔には、むしろ無限の|怨《うら》みの影さえただよっているようであった。しかし、彼女はいった。
「まいりまする」
 死をおそれたのではなかった。朧はこのとき、あの弦之介の果し状にあった「|余《よ》はたたかいを好まず。またなんのゆえにたたかうかを知らず。されば余はただちに駿府にゆきて、大御所または服部どのにその心をきかんと欲す」という言葉を思い出したのだ。たたかいの意味はわかった。しかし彼女は、大御所さまか服部半蔵に会って、おのれの死をもって、このたたかいをふたたび禁じてもらうよう請おうと心にきめたのである。
「朧さま、甲賀組をあのままにして!」
 と朱絹がさけんだ。
 阿福がいった。
「甲賀組を、そのままにしてはおかぬぞ。……また、そなたらを死なせてはならぬ」
 朱絹はだまった。これまたじぶんの命はおしまぬ。ただ彼女は、朧のことをかんがえたのである。足手まといの盲目の朧のことをかんがえたのである。――そうだ、すくなくとも朧さまだけは、ぶじに駿府にとどけてもらおう。そして、わたしはかならず小四郎の敵を討ってみせる!
 鷹がとび立った。行列は反転し、ややいそいでうごき出した。東へ。――
 ――それが野末にきえたとき、草むらから三つの影が立ちあがった。さっきあたりを警戒した武士たちには、むろんなんの異常な感覚もあたえなかったが、甲賀弦之介と如月左衛門と陽炎だ。
「そうか」
 と弦之介はつぶやいた。このたたかいをついに止めることができないということを自覚した沈痛なうめきであった。
「徳川家世継ぎのためか。これはおもしろい」
 と、如月左衛門は、|会《かい》|心《しん》の|笑《え》みをうかべた。
 そして三人は、ひたひたと行列を追ってあるき出した。あまりに思いがけない争忍の真意と、事態の急変を知った|昂《こう》|奮《ふん》のために、彼らはふと心にひっかかっていた薬師寺天膳のことを忘れた。実に、千慮の|一《いっ》|失《しつ》。

 月は沈み、野に夜明けまえの濃い闇がひろがった。風も絶えた。
 にもかかわらず、その一画で、草がザワザワとうごいた。それにまじって、
「あアあ!」
 という、まるで眠りからさめたか、それともあくびしたようなきみわるい声がした。そして、闇の底から、ニューッと起きあがったものがある。
 薬師寺天膳である。彼は二、三度あたまをふり、フラフラと水のほとりへかがみこんだ。ひそやかに顔を洗う水音がひびく。洗いながら、頸をなで、肩をなでる。だれも見ているものはなかったが、その傷は完全にふさがって、うす赤い|痣《あざ》をとどめるのみになっている。なんたる奇蹟、彼は死から|甦《よみがえ》った!
 しかし、これはどういう現象か。奇怪は奇怪だが、世にありえないことではない。|蟹《かに》の|鋏《はさみ》はもがれてもまた生じ、とかげの尾はきられてもまたはえる。みみずは両断されてもふたたび原形に復帰し、ヒドラは細断されても、その断片の一つずつがそれぞれ一匹のヒドラになる。――下等動物にはしばしばみられるこの再生現象は、人間にも部分的にはみられる。表皮、毛髪、|子宮《しきゅう》、腸、その他の粘膜、血球などがそうで、とくに|胎《たい》|児《じ》時代はきわめて強い再生力をもっている。
 薬師寺天膳は、下等動物の生命力をもっているのか。それとも|胎《たい》|芽《が》をなお肉のなかに保っているのか。いずれにせよ、このぶんでみると、再生力のまったくないといわれる心筋や神経細胞ですら、彼の場合は再生するに相違ない。
 夜明けの微光がさして、そのノッペリとした顔を浮かびあがらせた。彼はニヤリと笑い、しだいに足をはやめてあるき出した。東へ。――
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:18:34 | 显示全部楼层
     【四】


 もとより密行の旅だから、あまり時日がなく、さればこそ夜にかけてまで|池鯉鮒《ちりゅう》まで足をのばそうとしていた阿福の一行であったが、急にひきかえすことになって、その夜は岡崎に泊った。
 これは、徳川家の|祖城《そじょう》だから、いかに密行とはいうものの、竹千代君の乳母がきたとあれば、ひそかに連絡があったものとみえて、城主本多|豊《ぶん》|後《ごの》|守《かみ》の方から警戒の|手《て》|勢《ぜい》が出て、それとなく宿のまわりに目をひからせている。
 あくる日、阿福の一行は東へむかって出立したが、乗物は三|梃《ちょう》となり、それをとりかこむ武士たちの眼光に油断はなかった。そして、その乗物のなかの主を、知る人には知らせるごとく、行列の空にときどき鷹がとび立ち、舞いおりた。
 ――行程八里、その夜一行は吉田にとまったが、宿にはいって一刻ばかり――往来に立って見張りをしていた七、八人の武士のまえに、|飄然《ひょうぜん》とひとりの男があらわれた。
「これ、どこにまいる?」
 男は、じろりと武士たちをみて、だまって宿の方へあごをしゃくった。
「ならぬ」
「ここは今宵さる貴人がお泊りじゃ。ほかへゆけ」
「――貴人とは?」
 と、夕焼空の宿の屋根にとまっている鷹をあおいでいた男は、いぶかしそうにいった。
「それはその方の知ったことではない」
「はやく去れっ」
 と、つき飛ばそうとしたひとりの手が、異様な音をたてて、ダラリとたれた。
 男はニヤリとした。髪は総髪で、色は白く、女のようにノッペリとした顔だ。まだ若く、そのくせ妙におちつきはらっているから、みんなそれほど警戒していたわけではなかったが、いま|朋《ほう》|輩《ばい》の腕が魔法にかけられたように麻痺してしまったのに、ぎょっとして相手をみると、その|典《てん》|雅《が》な容貌にも似ず、紫いろの唇にただよう野性と妖気はただものではない。
「こ、こやつ!」
「曲者っ」
 三人、ぬき討ちに左右から斬りこんだが、相手はひらりと|蝙蝠《こうもり》みたいにその下をかいくぐって、三人とも刀身をとりおとした。稲妻のような手刀の一撃で、彼らの|肘《ひじ》関節は|脱臼《だっきゅう》させられていたのである。
「|各々[#底本は二の字点]《おのおの》、曲者でござるぞ、お出合いなされ!」
 ひとり、ころがるように宿にとびこむと、おっとり刀でとび出した武士たちのなかで、
「あっ、天膳どの!」
 と、女のさけぶ声がきこえた。大鎌をもった朱絹である。
「ちがいます、味方です! それは伊賀の者ですっ」
 ひとり、味方の薬師寺天膳という男があとを追ってくるかもしれない――とは言っておいたが、それがよく徹底していなかったのか、知らされていても、これほど傍若無人な出現のしかたをするとは思いもかけなかったのか。――とにかく武士たちは、|安《あん》|堵《ど》の冷汗をかいて刃をひきながら、
「なんじゃ、味方か」
「それなら、はやく奥へ」
 と、あわてて言ったが、天膳は、一顧もあたえず、
「朱絹、これはどうしたことじゃ。鷹がここの屋根におるから、この宿にそなたらがおると知ったが、この男どもはなんじゃ」
「この方々は、将軍家御世子竹千代さまづきの御乳母阿福さまの御家来衆です」
 そう言われても、この男のくせか、おどろきの表情もみせず、
「朱絹、朧さまは?」
「ご無事です。天膳さま、それよりはやく阿福さまにあって下さいまし。どうしてわたしたちがこの方々といっしょにいるか、わたしがいうより、阿福さまからきかれた方がようございます」
「なんの話か。――いや、いまはそんなことをしているひまはない」
「え、なんですか」
「甲賀の陽炎が、|夕暮《いむれ》|橋《ばし》のほとりにおるのだ。この吉田の東にある橋じゃ。くわしいことは、あるきながら話す。そなたでなければかなわぬことがある。すぐにいってくれい」
「陽炎が!」
 朱絹の目に、|蒼《あお》|白《じろ》い殺気の灯がともる。武士が二、三人寄ってきて、
「なに、甲賀者がどこぞにおるのでござるか」
「甲賀者なら、拙者らにまかせおかれい」
 天膳は、なお関節をはずされたままあたふたしている連中に視線をやって、ちらっと氷のような苦笑をはしらせて、
「どういう御縁か存ぜぬが、あなた方の手におえる相手ではない。また伊賀の名誉にかけて、余の|方《かた》にはまかせられぬ敵でござる」
 朱絹は、はっと虚をつかれたような表情になった。
「朱絹、陽炎は小四郎を殺した女じゃ。くるか?」
 朱絹は、電撃されたように天膳をみつめていたが、
「まいりまする!」
 と、さけんだ。そして武士たちに、
「おたのみいたします。薬師寺天膳まいり、大事の用あって朱絹はいっしょにいったと朧さまへおつたえをねがいまする」
 というと、天膳とともにあるき出した。あるくというより、地上を滑走するような姿だ。武士たちがあっけにとられているあいだに、ふたりは|黄昏《たそがれ》の|彼方《かなた》にきえてしまった。
 ――それから、実に三十分もたたないうちのことである。|飄然《ひょうぜん》と西の方からやってきて、その宿のまえでじっと屋根の上をあおいでいる男を、武士のひとりが発見して、口をアングリとあけた。
「すこしく存じよりの鷹が、ここの屋根にとまっておるが、もしやこの宿に――」
 といって、つかつかと、はいってくるのを、だれしもとめる勇気のあるものはなかった。それは、さっき東の方へ消えたばかりの薬師寺天膳であったからである。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:19:01 | 显示全部楼层
     【五】


「小四郎どのが陽炎に殺されたとは、どういうわけですか」
「そなた、駒場野で小四郎の|骸《むくろ》を見なんだか」
「見ました。甲賀の室賀豹馬の骸といっしょに。わたしは、ふたりが相討ちをしたものと思っておりました」
「豹馬を殺したのは、まさに小四郎じゃ。しかし小四郎を殺したのは豹馬ではない。陽炎だ。――あの女、男に抱きつくと、息が毒になるらしい。小四郎のからだに、傷がなかったのを見たであろう。男にとっては、実に恐るべき女、さればこそ、そなたの力をかりたいと呼んだわけだ」
「よう呼んで下さった。そ、それで陽炎は?」
「駒場野で、わしは弦之介と如月左衛門と追いつ追われつしているうちに、彼らの姿を見うしない、それからやつらを捜しながらこっちへきたが、ふとこの吉田の西口で陽炎のみを見つけ出した。吉田をとおるとき、はからずも鷹をみて、そなたらがあの宿におることを知ったが、そのことを告げるひまもなく陽炎を追った。すると陽炎は、この東、|夕暮《いむれ》|橋《ばし》のほとりにとまって、だれやらを待っている様子、いうまでもなく待ち人は弦之介と左衛門に相違ない。きゃつらはわしがひきうける。陽炎だけはそなたにたのみたいと、いそぎひきかえしてきたのだ」
 はしりながら、天膳と朱絹は話した。
「ところで、あの男たちはなんだ。将軍家のなんじゃと?」
「御世子竹千代さまの御乳母阿福さまのご一行です。天膳さま、ご存じですか、こんど服部さまが伊賀甲賀|争《そう》|忍《にん》の禁をとかれたのは、竹千代さまと弟君の国千代さまの世継ぎ争いのためだということを。――そのいずれに徳川家をおつがせ申すべきかを決しかね、竹千代さまは伊賀、国千代さまは甲賀、十人ずつの忍者の勝負のすえに、生き残ったものの多い方が次の将軍さまにおなりあそばすとか。阿福さまは竹千代さまのご運をねがいに伊勢へまいられようとし、あの駒場野で偶然わたしたちが伊賀のものであるということをお知りになったのです。そして、そなたらは殺せぬ。じぶんたちの手で甲賀を討つと仰せられますけれど――」
 朱絹はちらっと不安げに天膳を見やった。天膳の表情にむらむらと不機嫌な雲がひろがってゆく。
「天膳さま、わたしたちはいけないことをしたのでしょうか」
「わるい!」
 はたせるかな、天膳は、吐き出すように言った。
「ひとの手をかりて、甲賀を討ってなんになる? あとで、あれみよ、|鍔《つば》|隠《がく》れのものどもは、おのれらの力では|卍谷《まんじだに》に敵しかね、余人の助けを受けて勝ったといわれたら、伊賀の忍法の名は泥土にまみれるではないか。それで竹千代派とやらは勝つかもしれぬ。彼らはそれでよかろう。しかし、伊賀が勝ったということにはならぬ。勝って将軍になった竹千代自身がそうは思わぬ。そもそも竹千代派、国千代派、いずれが徳川家をつごうとつぐまいと、それがわしらとなんのかかわりがある? 鍔隠れの忍者は、独力で卍谷の忍者をみなごろしにするのだ。甲賀弦之介が、大御所または服部どのの心をききたいと申したのは、おそらくそのような内幕を知りたかったのだろう。知ってどうしようというのか、たわけた奴じゃ」
 天膳の声に、嘲笑のひびきがこもった。
「わしらは甲賀者とたたかい、これをうち破ってこそ生まれてきた甲斐があるとは思わぬのか。そなたは、じぶんの手で陽炎を殺したいとは思わぬのか」
「ああ! そうでした。わたしはこの手で――わたしの血で陽炎を血まみれにしてやらねば気がすまぬ。わたしが悪うございました」
 朱絹は悔いに息はずませつつ、
「けれど、天膳さま、わたしは、むろんその気もちでした。ただ、盲の朧さまは――」
 ふいに、天膳の足がピタリととまった。
「どうなされた?」
「いや、何でもない。うむ、盲の朧さまを――?」
「朧さまだけはぶじに駿府におとどけ申したい――と、こう思って、阿福さまと同行したのです」
「さようか。いや、それで相わかった」
 と、天膳はうなずいたが、声が急におだやかになったのと反対に、目は異様なひかりをおびていた。
 朱絹は、それには気づかず、
「天膳さま、|夕暮《いむれ》|橋《ばし》とはまだですか」
「あそこじゃ。……しめた。まだおるぞ!」
 遠くゆくての橋のうえに、みるともなく水を見おろしている女の影があった。音もなく走りよるふたりに、はっと顔をあげたとき、天膳はすでに橋のたもとに立って、
「陽炎、弦之介はまだ来ぬか」
「天膳と朱絹か」
 と、陽炎はしずかに言った。
「弦之介はいずれにおる?」
「わたしの待っていたのは、おまえらふたりじゃ」
「なに?」
 きっとなる天膳をおしのけるように、朱絹が、つ、つ、とまえに出た。同時に、左腕を袖にいれると、|襦《じゅ》|袢《ばん》ごめにさっと肌をぬいだ。|蒼《そう》|茫《ぼう》たる薄暮に、乳房がひとつ、|玲《れい》|瓏《ろう》とひかった。右手には小四郎|形《かた》|見《み》の大鎌をひっさげたままだ。それがむしろ優雅な顔だちの女だから、その|凄《せい》|艶《えん》さは息をのむばかり。――
 ふたりの女忍者は、じっとあい対した。
「陽炎、筑摩小四郎の|敵《かたき》をいま討つぞ」
「ほ、ほ、笑止じゃ、まいれ。――」
 さっとなぎつける大鎌から、陽炎は身をひるがえすと、胡蝶のようにとびこんで、はやくもぬきはらった懐剣が、朱絹のぬいだ袖を斬りはらった。朱絹はとびさがった。と見るや――その雪白の肌から、|朦《もう》――と血の霧が噴出した。
「あっ」
 顔を覆いつつ、陽炎は身をくねらせて夕暮橋の|欄《らん》|干《かん》に舞いあがった。のがさじと血の|霧《む》|風《ふう》はその姿を吹きくるむ。
「|冥《めい》|途《ど》の|土産《みやげ》に、見や、伊賀の忍法。――」
 にっとして、大鎌の最後の一閃を送ろうとする朱絹のくびにふいに|鋼《こう》|鉄《てつ》のような腕がまきついた。
「見た。おもしろかった」
 腕のなかで、血がすべり、朱絹は首をねじまわし、美しい唇がねじくれた。
「て、天膳!」
「天膳は死んだ! うぬこそ、如月左衛門の変形ぶりを、冥土の土産にとくと見てゆけ!」
 最後の力で、朱絹の大鎌が旋回したが、むなしく空をきって、欄干にくいこんだ。そのうえから、陽炎がとびおりて、はせ寄り、懐剣を朱絹の乳房につき立てた。
「やがて朧もゆく。血で地獄の|露《つゆ》|払《はら》いをしやい!」
 懐剣をひきぬくと、朱絹は泳いで欄干にぶつかり、川に舞いおちていった。見下ろす如月左衛門と陽炎の目に、赤い輪が無数に水面にひろがり、そして、その名のごとく数十条の朱い絹をひくようにして流れ去った。
 陽炎は、顔にしたたる血の霧をぬぐって、ニンマリと、
「うまく、さそい出せたものじゃな、左衛門どの」
「この顔じゃからの。――そなたに討たせてやろうと、ここまでつれてきた苦労を買え」
「かたじけない。……ところで、あとは朧ひとりじゃな」
「もはや、討ったも同然。――」
 如月左衛門は、薬師寺天膳の目を笑わせて、
「陽炎どの、朧は盲じゃとよ。|破《は》|幻《げん》の|瞳《ひとみ》はふさがれているとよ」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:19:26 | 显示全部楼层
    破幻刻々


     【一】


「や?」
 ふいに、如月左衛門は顔をあげて、ふりむいた。吉田の方から、ただならぬ大勢の足音とさけび声がきこえてきたからだ。
「はてな」
 もううす暗い街道を、十人以上もの人影がかけてくる。そのなかに、槍や抜刀した刀影さえまじっているのをみると、左衛門はややあわてて、
「あれは阿福の家来どもらしい。まんまと朱絹をおびき出したが、何か異変が起こったとみえる。まさかわしの正体がわかったとは思われぬが……陽炎どの、わしは薬師寺天膳じゃ。そなたとここで立話などしておるのをみられては万事休す。そなた、さきに弦之介さまのところへいっておれ」
「左衛門どのは?」
「わしは、このまま阿福の一行にもぐりこんで、朧にちかづく。もし朧が盲というのがまことなら、そのまま討ちはたすは|嬰児《あかご》のくびをしめるよりたやすいことじゃ」
 いちど背をみせた陽炎は、ほの白い顔をふりむけた。
「左衛門どの、朧をひとりで討つは、ちと欲すぎよう」
「さようかな」
 陽炎の美しい目が、水明りに蒼くひかった。
「わたしにも」
「よし、ならばそなたも呼んでやる。そうだ、明日いっぱい、旅する阿福一行を見張っておれ。もし、わしの――つまり薬師寺天膳の姿がみえたならば、わしが無事である証拠、すなわち朧の破幻の瞳がふさがれている証拠じゃ。それまでに、わしが阿福一行を手なずけて、そなたも味方じゃ、陽炎は――わしにつかまり、|操《みさお》をうばわれて伊賀に寝返ったとでもいっておこう。そこは、まずわしにまかせい」
「わたしの操を――?」
「ふ、ふ、そなたの操をうばう男の命はないがの。伊賀のものどもはそれは知らぬ。何にせよ、かんじんの朧は盲じゃ、どうとでもなる。――」
 にっと白い歯をみせてうなずくと、陽炎はとび立った。風のように音もたてず、十歩もはしると、その姿はふっと闇にとけたように消滅した。
 如月左衛門は、むずかしい顔で腕ぐみをして、かけつけてくる武士たちをむかえた。はたして阿福の家来たちだ。
 橋の上に立つこちらの姿をみて、彼らがどどっと立ちどまったのを、先刻わざと高びしゃにいためつけすぎたのが、こうなれば少し都合が悪い。――と、腹の底で苦笑いして、左衛門は笑顔でこちらから歩み寄った。
「いや、さっきはご無礼つかまつった。伊賀の山中、猿のごとく育ったものでな、つい手荒になるので、あとで|臍《ほぞ》をかむことが多うござる」
 陣笠にぶッ裂き羽織の武士がひとりすすみ出て、
「あ、朱絹どのは、どうなされた」
 と、きいた。妙に陣笠をふせて、もうまったく闇となった橋上に、その鉄にぬった|漆《うるし》がチラチラと水明りにひかる。すこし、ふるえているらしい。
「先刻、朱絹より承わると、あなた方はわれらの味方とのこと、ならばもはや子細を御存じであろうし、またわしから申してもさしつかえあるまい。朱絹は、甲賀組の首領、甲賀弦之介を追ってゆき申した」
「なに、ここに甲賀弦之介がきておったのでござるか」
「されば――」
「そして、弦之介は?」
「手傷をおわせたが、死物狂いに逃走し――」
「それを朱絹どの、女ひとりに追わせて危くはないか」
「弦之介は|深《ふか》|傷《で》でござる。また、女とは申せ、朱絹はお幻さまが十人のうちにえらんだほどの忍者、ご案じ下さるな」
 と、如月左衛門が笑った。そのとき、その陣笠が、
「やっ、その血は?」
 と、橋の上を左手で指さした。闇のなかで、ほかの家来たちにはみえず、左衛門も|狼《ろう》|狽《ばい》して、
「いや、これが弦之介の血でござるが――」
「おおさようか。ひどく血なまぐさい! このぶんでは、よほどの深傷じゃな」
 と、相手がうなずいたところをみると、血をみたというより、血の匂いをかいだものであろう。それからまた左衛門の方へ陣笠をむけて、
「そなたはどうしてここにのこったのか」
 と、ちかづいてきいた。しかし、ようやく警戒をといたらしい様子である。
「朧さまをおまもりするためです。――まだ甲賀方には、如月左衛門と申す忍者がござれば」
「もうひとり、陽炎とかいう女がのこっているはずではないか」
「ああ、あれは|拙《せっ》|者《しゃ》が飼いならしました」
「飼いならした?」
「ふふふふ、駒場野で、つかまえての。拙者が陽炎を女にしてやり申した。すると、女とは、ふしぎなものでござるな、たちまち伊賀に寝がえって、今宵も甲賀弦之介がここにおることを拙者に知らせたのは、実は陽炎です。少々子細があって姿をかくしたが、もしその女が、拙者薬師寺天膳をたずねてまいったら、お手数ながらそのままお通し下されい」
 相手は感にたえたようにしばらくだまっていたが、やがて、
「それはお手柄。……なんにしても、おぬしがまもってくれれば、まさに千万の味方よりもたのもしいな」
 さすがに如月左衛門は思わず笑った。
「あいや、それほどたのもしい味方でもないが……」
 千万の味方どころか、彼はこれから朧を討ちにゆく男なのだ。
「何はともあれ、阿福の方さま、朧さまに一刻も早うおあいいたしとうござれば、あらためてご案内ねがいたい」
「心得た。……それにしても、さっきのお手並は恐れ入ったな。あっというまにわれらの方の四人ばかり、蝶つがいをはずされて、|章魚《た こ》のようになりおった。醜態をはじいるはもちろんでござるが、それより忍法なるものの恐ろしさをはじめて見て、一同ほとほと感銘つかまつった。……」
「いや、あれは忍法と呼ぶべきほどのものではありません」
「おぬしを薬師寺天膳どのと存じておれば、ゆめゆめあのような無謀なまねをせなんだところじゃが。……」
 如月左衛門は、だんだん面倒になってきたが、この連中をしばらく手なずける必要があるので、欄干にもたれて、すずしい夜風に吹かれながら、相手の陣笠の言葉を空にききながしている。
「薬師寺天膳どのならば、朱絹どのより承わっておった」
 相手はいよいよ好奇と嘆賞の吐息をたかめて、
「おぬし、いかに傷をうけても、死なぬそうじゃな。不死の忍者。……」
 如月左衛門は、ぎょっとした。不死の忍者! はじめてきく。薬師寺天膳が、不死の忍者だと! どんな傷をうけても、死なない男だと? ――彼は駒場野で、たしかに天膳のくびにとどめを刺した。あれが死なないと? ――そんなばかなことが世にあろうか。が、彼の背に、すうっと冷たい波がゆらめきはしった。
「朱絹が、さようなことを申したか?」
 と、彼はうめくようにいって、舌うちをした。忍者は仲間の忍法を余人にはあかさぬものだからだ。これは薬師寺天膳として、当然な舌うちだ。
 が、如月左衛門は、たったいま駒場野へとってかえして、天膳の|死《し》|骸《がい》をたしかめたい衝動にかられた。相手は左衛門の動揺も知らぬげに、
「されば、おぬしは、いちど甲賀の地虫十兵衛なるものに殺されてよみがえり、霞刑部に殺されてまたよみがえったという。首でも斬りはなさねば、おぬしを完全に殺したことにはならぬそうな。なみの傷では、すぐにふさがって、また平気で生きかえってくるという。――いちど、是非ともその術を拝見いたしたいものだな」
 突如、如月左衛門は|海老《え び》のようにはねあがった。なんたること――毛ほどの予備行動もみせないで、いきなり陣笠は一刀を彼の腹に刺しとおしていたのである。刀は抜いたまま、背後にかくしていたのだ。
 如月左衛門はのけぞりかえり、また折りかがみ、腹を中心に、全身をねじまわした。彼はみごとに欄干に刺しとめられていた!
「ものは試し――さて、この傷はおぬしにとって、|蚤《のみ》のくったようなものであろう。……不服かもしれぬが、天膳どの、いかがじゃな?」
 いままで、ふせぎみであった陣笠が、はじめてあがった。苦悶にのたうちながら、如月左衛門の目は、かっとむき出されたままうごかなくなった。
 闇の中であったが、左衛門は見た。陣笠からあらわれた顔が、いまの自分じしんとおなじ顔をしているのを。――ただ、左衛門の方の顔は断末魔の形相にわなないているのに、相手はきれながの目と紫いろの唇を、ニンマリと笑わせている。
「薬師寺天膳!」
「とは、おぬしのことではないか」
 相手は冷やかな笑顔で、左衛門をつらぬいた大刀の柄をこねまわした。宙をかきつつ、その刀身と交叉して、左衛門の手がおのれの刀にかかってゆく。
「天膳、おしえてやろう」
 なお左衛門を天膳扱いにして、相手はからかうように、
「甲賀組で、のこるは陽炎と弦之介。ひとりは女、ひとりは盲目。――もういちど生きかえって、是非伊賀の勝利をみてくれい」
 最後の力をふりしぼって、如月左衛門が抜刀したのと同時――。
「これでも不死かっ、あははは、はは……」
 天膳の|哄笑《こうしょう》とともに、阿福の家来たちのあいだから四、五本の槍がつき出されて、左衛門を|針鼠《はりねずみ》としてしまった。
 ――如月左衛門は討たれた!
 もとより彼が生きかえるわけがない。――もし彼が薬師寺天膳に化けさえしなかったならば、かかる最期をとげることもなかったであろう。泥の|死仮面《デス・マスク》という変幻自在の忍法をもって、伊賀の|蛍火《ほたるび》を|斃《たお》し、|朱《あけ》|絹《ぎぬ》を殺したこの魔人は、その変形そのものがおのれの身を破る因となって、ついにここに選手名簿から抹殺されたのである。
 欄干から外へ、縫いつけられたまま如月左衛門の上半身が弓のようにのけぞりかえると、四、五本の槍は巨大な扇の骨のごとく夜空にひらいた。あまりの|酸《さん》|鼻《び》さに、刺した男たちが思わず手をはなしたのだ。
 しかし薬師寺天膳のみは、こともなげに東の方をみて、あごに手をあててかんがえこんだ。|闇中《あんちゅう》、だれもみるものはなく、また気づく道理もないが、そのくびにのこっていた赤い|痣《あざ》は、いまやまったく消滅している。
「如月左衛門がわしに化けて、一行に潜入しようとしていたとすると――」
 と、つぶやいて、うす笑いした。
「このわしは、すなわち如月左衛門か。その如月左衛門を、陽炎がたずねてまいると申したな。ふ、ふ、ふ、まさに、とんで火に入る夏の|蜻蛉《かげろう》とはこのことか」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:20:10 | 显示全部楼层
     【二】


 海から吹く南風をうけつつ、阿福の一行は東海道を下っていった。吉田を出て、二川、白須賀、荒井から一里の渡しをわたって舞坂へ、そして浜松であゆみをとめた。その間七里半。日がおちたばかりの時刻――その宿へ、おずおずとちかづいていったひとりの美しい女がある。
「もし……この宿に薬師寺天膳さまとおっしゃるお方がお泊りでございましょうか」
 見張りの武士たちがそのまえに立ちふさがったが、|掛《かけ》|行《あん》|灯《どん》のあかりにうかんだその女の顔の美しさに息をのんだ。――やがて、ひとりがごくりと|唾《つば》をのどにならして、
「もしや……そなたは、甲賀の陽炎とは申されぬか」
「…………」
「陽炎どのならば、奥で天膳どのがお待ちかねです。お通り下さい」
「陽炎です」
 ――吉田から浜松へいそぐ阿福の一行のなかにまじって、家来たちと談笑している薬師寺天膳の姿を見ていたから、もはや大丈夫という確信があったればこそ陽炎はたずねてきたのだが、それでも背すじにぞっと冷たいものがながれる一瞬であった。
 首尾よういった! ほっと吐息が胸のおくそこからもれて、陽炎は|牡《ぼ》|丹《たん》のような笑顔になって、武士たちの目に動揺をひきおこした。笑顔のまま、彼女は宿にはいった。
 この宿に、敵の最後のひとり、朧がいる。それは忍法の敵であると同時に、彼女の恋の敵であった。――こうしてじぶんがはいり、如月左衛門がそれを待つ。しかも朧はまだそれを知らぬ。歓喜が陽炎の胸にわきかえった。駿府まで行くにおよばず、二十里をのこして、今宵ここに伊賀鍔隠れの十人は全滅する。
「甲賀の陽炎が、ここにまいったわけをご存じですか」
 案内されながら、陽炎はきいた。
「天膳どのより承わった」
 と、武士のひとりがこたえた。彼もあとの連中も、なめまわすように彼女の顔とからだに視線をすいつけているのを感ずると、薬師寺天膳がじぶんを犯したために、じぶんが寝返ったということに、左衛門と約束したとおり、この男たちはそう信じているのであろうと思うと、陽炎は|可笑《お か》しくなると同時に、たえがたい恥ずかしさと怒りをもおぼえた。
「朧さまはいずれですか」
 武士たちは顔を見あわせた。
「ご挨拶にうかがわねばなりませぬ」
「まず、天膳どのにあわれい」
 と、ひとりの武士が断ちきるようにいった。さすがにまだ、完全に甲賀者には心をゆるしてはいないらしい、と陽炎は判断した。たしかに、彼女は前後左右を|桶《おけ》みたいに武士たちにかこまれてあるいていた。
 何につかっている部屋か、板戸をしめきったなかに、薬師寺天膳は|坐《すわ》っていた。窓にはふとい鉄格子すらはまっている。
「陽炎か」
 あぶら火に天膳はふりかえって、ニヤリと笑った。陽炎はかけより、くずれるように坐って、
「左衛門どの」
「――しっ」
 と、天膳はいった。そして、目でうなずいて、
「陽炎、寄れ、われらは立ち聞きされておる」
 陽炎は寄った。
「なぜです? あなたは、薬師寺天膳として――」
「もちろんだ。みな、わしを信じきっている。また、信じるはずだ。――だが、そなたは信じられてはおらぬ」
「朧が?」
「いや、あれは|嬰児《あかご》のような女だ。それよりも、阿福が」
「甲賀者が伊賀に裏切るわけはないというのですか」
「さよう、うたぐりぶかい女じゃ。わしはそなたを犯して手なずけたといったが、かえって、わしがそなたの|罠《わな》にかかったのではないかと申すのだ」
「では、どうして家来たちがわたしをここへ通したのですか」
「半信半疑なのだ。……ともかく、今夜はだめだ。しばらく、いっしょに旅をせい。駿府までは二十里、まだ三日、朧を討つ折はそれまでにきっとある。その日の甘みを、舌のうえでころがして待っておれい」
 陽炎は、いつしか天膳の膝に手をかけて、顔をあげていた。彼女はいままで天膳に――いや、如月左衛門に対して、そんな姿勢になったことはいちどもなかった。いまも、もとよりそれを意識していない。とにかく、ここは敵中だ。しかも、じぶんをまもるものは、敵のひとりに化けている如月左衛門だ。そのことが、思わずしらず、彼女をそんななまめかしい姿態にしたのである。
「まず、きゃつらに信じられることだ」
 天膳は、陽炎の白いあごに手をかけてささやく。
「わしの女になりきっておるということを、きゃつらに見せるのだ。いや、きゃつらは板戸のそばできいておる。のぞいておるかもしれぬ。……」
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:20:35 | 显示全部楼层
 相手の|鼓《こ》|膜《まく》にしか届かない忍者特有の発声法だが、その声がちょっとかすれた。
「それもまたおもしろい。陽炎、ここできゃつらに見せつけてやろうではないか。……」
「――何を」
「そなたがわしの女になっておるという証拠を――」
「――さ、左衛門どの。……」
「わしはそなたを駒場野で犯したと偽った。しかし、偽りでなく、そなたをいちど犯しとうなった。……」
 陽炎の瞳が、闇に咲く黒い花のように無限にひろがって、天膳はのみこまれそうな混迷をおぼえた。われしらず抱きしめて、乳房に手をあてると、大きく起伏する乳房が、火のようにあつく、天膳の指に吸いついた。――だまって、陽炎は天膳をあおいでいた。
 それは薬師寺天膳にとって、恐るべき数分間であった。彼は陽炎を討つためにおびきよせた。しかし、その世にも魅惑的な姿をひとめ見たとたん、方針が変わった。殺すのは、駿府でよい。それまで彼女がじぶんを如月左衛門と信じているのをさいわい、心ゆくまでこの美しい女忍者をなぶりつくしてやろうと思い立ったのである。
 ――ところが、このときはじめて陽炎は、これがはたして如月左衛門であるかという疑いにとらえられたのだ。なぜなら、如月左衛門ならば、もとよりじぶんの死の|息《い》|吹《ぶき》を知っているはず――じぶんを花嫁とする男は、かならず死なねばならぬということを知らぬはずはない。左衛門が、こんなことをいうはずはない。これは左衛門ではない! 彼女の皮膚のうちがわを、さっと驚愕と恐怖の波がはしった。
 こんなことがありえようか。薬師寺天膳が生きている。――しかも、左衛門どののやるはずだった役を、ほんものがやっているなどということがありえようか? けれど、この男は――
「さ、左衛門さま! わたしの息は……」
「おお、息がはずむか。甘い花のような息じゃ。陽炎、声をたててもよいぞ。そんな声なら、たっぷりと向こうさまにきかせてやれ。……」
 このせつな、陽炎は決意した。――よし、いかに判断を絶していようと、これはまさしく薬師寺天膳である。それならば、左衛門どのは討たれたとかんがえるよりほかはない。わたしは天膳を殺さなければならない。
 天膳は、わたしの裏をかいて、|罠《わな》にかけたと思っている。笑止な伊賀者よ! その裏の裏をかかれて、おのれこそ死の罠におちたのを知らぬのか。この天膳さえ討てば――こんどこそ、のこる敵は朧ひとり、その目がひらいていようとつぶれていようと、このわたしがきっと仕とめずにはおくものか。
 これだけのことを、暴風のように|脳《のう》|裡《り》にかけめぐらせながら、しかし陽炎は、なまめかしくからだをくねらせて、薬師寺天膳の手のなすがままになっていた。
 薬師寺天膳は、陽炎の襟をかきひらき、裾をかきひらいた。風にあおられて横になびくあぶら火に、女の肌は雪のように白くひかった。すでに陽炎はあたまをがっくりとうしろにたれ、せわしく息をきざみながら、ほそくくびれた胴は弓なりになって、天膳の指の愛撫にまかせている。
「陽炎、陽炎」
 天膳は、陽炎が敵であることを忘れた。いや、陽炎はじぶんを味方と思っているはずだが、じぶんが化けていることも忘れた。彼は忍者たる意識をすらにごらせて、ただ一匹の獣と化して、この美女を犯しはじめた。
 陽炎はもだえて、足で天膳の胴をまいた。腕が天膳のくびにまきついた。ぬれて、半びらきの唇が、天膳の口すれすれに、こころよさにたえかねるようなあえぎをもらした。甘ずっぱい|杏《あんず》の花に似た香りが、天膳の鼻口をつつんだ。――とみるまに、女の方から狂的に天膳の口に吸いついてきて、やわらかにぬれた舌がすべりこんできた。
 ――一息――二息――充血していた薬師寺天膳の顔から、すうと血の気がひいて、ふいに手足がぐたりと投げ出された。そのからだをはねおとして、陽炎は立ちあがった。
 ニンマリとして、陽炎はしばらく天膳の姿を見おろしていたが、やおら天膳の大刀をぬきはらい、左右の頸動脈を切断してから、その|血《けつ》|刃《じん》をひッさげてあるきだした。襟も裾もみだれにみだれ、半裸にちかい姿だけに、凄絶無比の美しさだ。
 ――朧はどこに?
 何気なく、板戸をあけようとした一瞬、ぶすっと一条の槍の穂先が板をつらぬいて出た。はっとしつつ、身をねじって、その千段巻をひッつかむ。同時に、もう一本の槍がつき出されて、これはかわすまもなく、陽炎の左のふとももにつき刺さった。
「あっ」
 思わず刀をとりおとして、陽炎が伏しまろんだとき、はじめて外で凄じい怒号があがり、メリメリと板戸をおしたおして七、八人の武士が|奔入《ほんにゅう》し、陽炎になだれかかった。
 薬師寺天膳のいったことは、かならずしもすべてがうそではなかった。武士たちはやはり監視していたのである。いかに天膳の計画とはいえ、敵の甲賀者を宿にひきいれることを、用心ぶかい阿福は心もとなく思ったのである。おそらくふし穴からでも武士たちはのぞいていたのだろうが、それを承知で陽炎を犯した天膳も不敵なものだ。
 ふし穴から、どういう顔でその光景をのぞきこんでいたかしらないが、その天膳に急に異常が起こったので、「さてこそ!」と緊張するまもなく、陽炎が天膳にとどめを刺すのがみえたので、愕然となり、狼狽しつつ、槍をならべて板戸からつきこんだのであった。
「や、薬師寺どのっ」
 二、三人、はせ寄って抱きあげたが、もとより天膳は完全に絶命している。
「一大事です、薬師寺どのが、甲賀の女に殺されてござるぞ!」
 その声がまだきこえぬうちに、いまの物音をききつけてきたものらしく、武士たちの背後に、ふたりの女の影があらわれた。
「これが、甲賀の陽炎か」
 そういって、恐怖の目で、床にとりおさえられた陽炎を見おろしたのは阿福であった。それから、血の海のなかに横たわっている薬師寺天膳に目をやって、
「だから、わたしが言わぬではない。……」
 と、舌うちしたが、すぐにふりむいて、
「朧、この女を殺せ」
 といった。
 陽炎は、みだれた髪のあいだから、きっと見あげた。阿福のうしろに立っているのは、まさに朧であった。肩に鷹をとまらせている。天膳が殺されたと聞いても、はせ寄ろうとしないのも道理、ほのぐらい灯かげに、その目がふさととじられているのを陽炎は見た。やはり、朧は盲となっていたのだ。その盲目の朧をすぐ眼前にしながら、手傷をおい、四、五人の武士にとりおさえられた陽炎は、くやしさに身もだえした。
「朧っ、甲賀伊賀の争いに、他人の力をかりて忍者の恥とは思わぬか!」
 と、彼女はさけんだ。朧はだまっている。
「けれど、おまえが鉄の壁にまもられようと、相手は甲賀弦之介さまであるぞ。弦之介さまは、きっとおまえを討ちはたさずにはおかぬ。……」
「弦之介さまはどこにおられる?」
 と、朧がいった。陽炎は笑った。
「たわけ、それをいう甲賀の女と思うか。さあ、もはや口をきくのもけがらわしい。さっさとわたしを斬るがよい」
「朧、はやくこの女を殺せ」
 と、阿福はもういちど命じた。
 朧はなおしばらく沈黙していたが、やがてかすかにくびをふった。
「殺さぬ方がようございましょう」
「なぜじゃ?」
「この女を|囮《おとり》にして旅をすれば、かならず甲賀弦之介があらわれてまいりましょう。人別帖をこの女がもっておらぬとすれば、弦之介がもっているのでございます。駿府へつくまでに、弦之介を殺し、人別帖をとりあげねば、この忍法争いに伊賀が勝ったとは申せませぬ。……」
 ――けれど、朧は、手ずから甲賀の女を斬れないのであった。そして駿府へつくまでに、じぶんが弦之介に斬られたいのであった。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:21:02 | 显示全部楼层
    【三】


 天竜をわたって、阿福一行は、|見《み》|付《つけ》、|袋井《ふくろい》といそぐ。吉田まで駕籠は三|梃《ちょう》であったが、浜松から四梃にかわっていた。すでに朱絹はこの世にない。一つには阿福、一つには朧、さらに一つには縛られたままの陽炎がのっているとして、最後の一梃には、だれがのっているのだろう?
 八里あるいて、その夜は掛川の宿。
 その一室に、駕籠のまま二梃かつぎあげたもの、これは将軍家御世子の|乳母《う ば》の一行とあれば、宿の亭主も口のだしようがない。
 その夜ふけであった。駕籠のなかの陽炎は、おなじ部屋の隅におかれてある、もう一つの駕籠をふしぎそうにみていた。彼女の駕籠のたれはまくりあげられているが、その駕籠のたれはさげられたままである。
「あのなかには、だれがはいっているのですか」
 と、陽炎はきいた。
 彼女は、駕籠のなかから、まっしろなはだかの足を一本投げだしていた。それに|髯《ひげ》をはやしたひとりの武士が布をまき、もうひとりの若い武士が充血した目でのぞきこんでいる。――
 彼らはこれでも寝ずの番人を命じられたのである。それにむかって、陽炎は苦しそうに、足の傷から血がにじんでならぬと訴えた。一、二度、かれらはきかないふりをしていたが、ついに年上の方が、「死なれては、役目がはたせぬな」とわざとらしくつぶやいて、さて、こういうことになったのである。
 美しい足をまかせながら、陽炎の目に、妖しい笑いがかすかにうかんでいるのをふたりは知らぬ。すでに彼らは、陽炎の|蠱《こ》|惑《わく》の網にとらえられているのであった。だれがこれを責められよう。彼女が死の息吹をもつことを知る、自制力強烈な卍谷の忍者たちですら、しばしば、彼女に抵抗しがたい忘我の思いにさそわれたのだから。
 それは阿福や、陽炎よりももっと美しい朧にもわからない陽炎の力であった。すでに一日の道中で、武士たちは、たとえ朧の言葉がなくても陽炎を殺せないような心理にとらわれていた。――それほどの陽炎が、いまや胸に一物あって魅惑の蜘蛛糸をなげはじめたのである。ふたりの番人が、しだいにその義務も道心もとろけさせはじめたのもむりはない。
 ともかくも、この|虜《とりこ》は、厳重にしばりあげてあるという安心感があった。――けれど、その縄そのものが、陽炎に地獄的な美しさを|醸《かも》し出しているのであった。彼女は、薬師寺天膳に犯され、武士たちにとりおさえられたときの姿のまましばられた。くいこんだ縄のあいだから乳房が一つまるみえとなり、|絖《ぬめ》のような腹もみえた。その乳房、腹部、胴、足――すべての肉と皮膚が、微妙なうごめきをしめして、ふたりの男をさそい、たぎらせ、しびれさせるのだ。――ふとももの白布をまきなおそうとして、髯侍はふと目まいをおぼえた。彼は、陽炎と天膳の恐ろしき秘図をのぞいたひとりであった。
「なに、何といったか」
「あの駕籠にはだれがはいっているのです」
「あれは……」
 と、ふりかえったが、すぐうしろからじぶんをにらんでいる若い朋輩の殺気にみちた目をみると、どぎまぎと横をむいて、
「貴公、すまぬが、あちらへいって、わしの印籠をとってきてくれぬか」
「なんにつかう」
「もういちど、この女の傷に薬をぬりなおしてやろう」
「じぶんのものは、じぶんでとってこられたらどうじゃ」
 かみつくようにいわれて、髯侍は「なにっ」とにらみかえして、ふいにせせら笑った。
「ははあ、おぬし、わしを向こうへやって、あとでこの女に何かしようという|魂《こん》|胆《たん》だな」
「ばかめ、わしを追っぱらおうとしたのは、おぬしではないか」
 子供のような喧嘩に、陽炎が笑顔でいった。
「どちらでも、水を一杯所望いたしとうございます。のどがかわいてなりませぬゆえ。――」
「お、そうか、わしがゆく」
 陽炎にたのまれると髯侍はいそいそとして、かけだしていった。
 陽炎は、じっと若侍を見つめた。若侍は目をそらそうとして、かえって吸引され、ガタガタとふるえだしたが、ふいにかすれ声で、
「おぬし、にげたくはないか?」
 と、いった。
「にげとうございます」
「わ、わしといっしょに、にげてくれる気はないか?」
 きざむような息づかいだ。陽炎はなお|魔《ま》|魅《み》のような目で若侍をくるんで、
「はい」
 と、いった。
 髯侍がもどってきた。右手に水を入れた湯呑をもち、二、三歩はいって、ふと同僚の姿がみえないのに、けげんな表情でふりむこうとしたとたん――もうひとつの駕籠のかげから、急にだれかおどりあがってきて、そのくびに腕をまきつけた。湯呑がおち、水がはねたなかに、髯侍は声もあげずに絞め殺されていた。
「はい」というただそれだけの女の一言で、かるがるしくも同僚を絞め殺した若侍は、陽炎のところへかけよって、小刀で縄をぷつぷつときりはらった。舌をたらして、はあはあとあえぎ、すでに何かにつかれたような姿である。
 縄をとかれた陽炎は、衣服までちぎりとられ、ぬげおち、もはや全裸といってもよい姿のまま、グッタリと身をなげだして、しばらくうごこうともしない。若侍はあせって、その胴を抱いて、ゆさぶった。
「立てぬか、いそぐのだ」
「まいります。でも、のどがかわいて――」
 ふりあげた顔に、花のような唇がひらいた。やわらかな腕が、若侍のくびにからみついた。
「|唾《つば》を下さりませ」
 若侍は、にげるのも忘れた。唇をあわせたまま、彼は硬直したようにうごかなくなったが、下からすがりついていた陽炎が、やがてしずかに身をくねらせてはなれると、そのまま重く床にくずれおちた。手足の色が、みるみる鉛色にかわってゆく。
「たわけ」
 吐きだすようにののしると、陽炎はその大刀をぬきとった。はじめて殺気が目にもえてきた。そのまま、すうと部屋を出ていった。
 殺されなければ殺すまで!
 陽炎のあたまには、じぶんのいのちが、いちど朧にたすけられたことなど、しみ[#「しみ」に傍点]ほどもない。一片の義理も慈悲もなく、ただ生きかえり死にかえり、宿敵を|斃《たお》すことのみにもえたぎるのが忍者のならい、雪白の裸身に大刀ひッさげて忍びよるこの甲賀の女の姿は、むしろ壮絶な|光《こう》|芒《ぼう》をひいている。
 ――やがて、陽炎は、朧の寝所をさがしあてた。|唐《から》|紙《かみ》をほそめにひらき、闇中にもスヤスヤとねむる朧をたしかに見て、|牝豹《めひょう》のような跳躍にうつろうとしたせつな――その腕をうしろからだれかがとらえた。
 ふりむいて、さすがの陽炎が、たまぎるような恐怖の悲鳴をあげた。
 鎌みたいに、きゅっと口の両はしをつりあげて笑っている男――いうまでもなく、またもや生きかえって駕籠からはい出し、あとをつけてきた薬師寺天膳である。
 ――その翌朝。
 |掛《かけ》|川《がわ》から|日《にっ》|坂《さか》、|金《かな》|谷《や》、大井川をこえて島田、|藤《ふじ》|枝《えだ》にかけて、点々と立札がたてられていった。
「甲賀弦之介は、いずこに逃げたりや。
 陽炎はわれらの手中にあり。いささか伊賀責めの妙を味わわし、一両日にしてその首|刎《は》ねん。
 なんじ甲賀卍谷の頭領ならば、穴より出でて陽炎を救うべし。なんじにその腕なきか。腕なくば忍者人別帖をささげて、われらのまえに出でよ。せめてなんじと陽炎のいのちを縄にくくりて駿府城に|曵《ひ》かん。
[#地から2字上げ]伊賀の朧
[#地付き]薬師寺天膳」
 しかし、甲賀弦之介はこの立札を読むことができるのか。彼は盲目ではないか。
 掛川から駿府まで、あますところ十二里三町。伊賀、甲賀それぞれわずかに二人のみをのこして、忍法秘争は惨また惨。
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 楼主| 发表于 2008-4-17 08:21:39 | 显示全部楼层
    最後の勝敗


     【一】


 掛川の|宿《しゅく》から三里二十町で金谷、一里をへだてて島田、そのあいだの大井川は、同時に|遠江《とおとうみ》と駿河をわかつ。島田から二里八町で藤枝の宿。
 これは、|山《やま》|間《あい》ながら、半里以上もある長い宿場だ。
 宿場をつらぬく街道から、すこし北へはいった小高い場所に、荒寺が一つあった。すぐ下に大きな旅籠の裏庭があるが、ふかい樹々にさえぎられてよくみえない。が――ちょっと気をつけてみれば、町の家々がみな灯をけした深夜――その無住のはずの荒寺に、ゆらゆら灯影のゆらめいているのがみえたはずだ。
 しかし、その灯も、夜にはいってわき出した霧に、しだいにぼやけ、暗くなっていった。
 霧ににじむ大|蝋《ろう》|燭《そく》が一本、なかばこわれた|経机《きょうづくえ》に立てられて、|埃《ほこり》のうえにうずたかく|蝋《ろう》|涙《るい》をつんでいた。そのそばのふといまるい柱に、ひとり全裸の女が大の字にしばりつけられていた。両腕と両足をうしろへひきしぼった縄が、円柱のうしろでかたくむすばれているのである。
 その女の雪のようなみぞおちのあたりに、妙なものがみえる。蝋燭がゆらめくたびに、キラキラ銀色にひかる文字なのだ。乳房ほどの大きさで、「伊」の字。そして、その下に、やや小さく「加」の一字が。――
 そのそばにはだれもいないのに、ときどき彼女は全身をうねらせ、|痙《けい》|攣《れん》させ、身の毛もよだつうめき声をあげる。
「陽炎」
 遠く、三メートルもはなれて、笑みをふくんだ声がした。
「弦之介はこぬな」
 薬師寺天膳であった。この荒寺の内陣のまんなかに腰をすえて、ひとり盃をかたむけつつ、ニヤニヤ、|苦《く》|悶《もん》する陽炎を見つめている。
「盲目とはいえ、わしが立てつらねた立札の風評は街道できくはず――おまえをとらえて伊賀責めを味わわし、明日にもその細首うちおとすとかいておいたのに、弦之介はこぬ。甲賀卍谷の首領は、味方の命が危いと知っても、救いにこぬほど情がうすいのか。臆病者が」
 そういいながら、何かを口にふくんで、ぷっと吹くと、ほそい銀の光がすうとはしって、陽炎の腹にとまった。陽炎はまた身もだえして、|苦《く》|鳴《めい》のほかは声もない。
「ふふふふ、味を知っておるだけに、その白い腰のうごめきがたまらぬわ。そばにいって、抱いてやりたくてうずうずするが、そうはまいらぬ。ちかづけばこの世とお別れじゃからの。……いや、おととい、浜松ではおどろいたな。おまえの術が何であろうとは最初から気にかかってはおったが、まさか息が毒になるとは知らなんだ。さすがの天膳も、まんまとしてやられたわ。……」
 しかし、この|苦《く》|患《げん》の中にも、天膳に数倍する驚愕の尾をひきつづけているのは、陽炎の心のほうであったろう。すでに浜松の夜、死んだはずの天膳が如月左衛門といれかわっていることを知って混迷におちいった。しかも、その夜、もういちど自分が死の|息《い》|吹《ぶき》で|斃《たお》し、念入りに|頸動脈《けいどうみゃく》を切りはなしてとどめを刺したはずなのに、その天膳が掛川にまたあらわれたときの恐怖。――
 はじめて、この男が不死の忍者であることを知ったが、ときすでにおそし。そもそもこの天膳は、いかにすれば完全に殺すことができるのか。いまはとびかかることもかなわぬが、よし身が自由であったとしても、それは不可能としかかんがえられない。そうだ、そのために味方の如月左衛門も殺されたのだ。いかに斃した敵の顔に化ける妙術をもつ左衛門にしても、その殺されたはずの当の敵が出現しては、その運命はきわまったというしかない。――陽炎は、敗北を意識した。自分のみならず、甲賀組の敗北を意識した。まけるということをしらぬ甲賀卍谷の女にとって、それが肉体のいたみ以上に、どれほど彼女をうちのめしたことか。――
 天膳は、またうまそうに|盃《さかずき》をなめて、
「ちかづけば、死ぬとはわかっていても、おとといのように可愛がってやりたいの。思えば、朧さまではないが、このたびの鍔隠れ卍谷の果し合いがちとうらめしい。そのことさえなくば、わしはまたおまえを抱いて殺されて、一日や二日死んでやるのをいといはせぬが」
 と、いって、また口をとがらせて、ぷっと銀線をふく。はねあがって、陽炎は白い海老みたいに身をおりまげようとしたが、大の字にひきしぼられた体はうねって、髪ふり乱し、あごをのけぞらしたばかり。――
「ひ、ひと思いに殺しゃ!」
「おお、殺してやる。殺すにおしいが、望みどおり、殺してやるわ。じゃが、ひと思いには殺さぬ。朝までかかって、ユルユルとな。――あすは、生かしておけぬ。あすは、駿府入りじゃ。駿府まで、この藤枝からはたった五里半、たとえその間に宇津谷峠や安倍川があろうと、ゆっくりあるいても夕刻までにはつこう。伊賀組晴れの駿府入りじゃ。おまえの名は、それまでに人別帖から消されねばならぬ」
 銀の糸がはしった。陽炎の腹の「加」の字の下に、しだいに「月」の字があらわれてゆく。
「今夜、明日――甲賀弦之介があらわれねば、|臆《おく》してにげたと大御所さまに|言上《ごんじょう》しよう。じゃが、うべくんば、その人別帖が欲しい。人別帖は弦之介がもっておる。ぜひ、甲賀最後のひとり弦之介を討ちはたして、人別帖からその名を消し、伊賀の完勝でこの争忍を飾りたいのだ!」
 ながれる銀線。――陽炎のこの世のものならぬ苦鳴。
 それは、小さな吹針であった。薬師寺天膳は、遠くから針で一本ずつ、陽炎の肌に文字をかいてゆくのだ。
 ただの針でさえ、文字どおり針地獄なのに、そのうえまたこの針には特別の毒でもぬってあるのか、たとえ片腕斬りおとされようと悲鳴をあげぬ甲賀の忍者陽炎が、|瀕《ひん》|死《し》の美しい獣のようなうめきをしぼる。すでに彼女は、浜松での、阿福一行の武士たちとの争闘でふとももに重傷を受けている。その目はかっと見ひらかれたまま|虚《うつろ》になり、ただ針が一本ずつつき刺さるたびに、その刺し傷に生命がよみがえって、たえきれぬ絶叫をあげるのであった。
「そのためには、こうでもして弦之介をここに呼ばねばならぬ。盲目とは申せ、あの立札の噂をきけば、かならず阿福どの一行が藤枝の、この下の旅籠に泊っておることをつきとめるはず。そこまでつきとめたら――」
 と、いって、針を吹いた。「月」が「|目《め》」になった。
「天膳」
 うしろから、ひくい、たまりかねたような声がかかった。崩れた|須《しゅ》|弥《み》|壇《だん》のかげから、朧があらわれた。
「もはや、よしておくれ。わたしはがまんがならぬ。……」
 この寺にいるのは天膳と朧と、とらえられた陽炎だけであった。それは、甲賀弦之介をおびきよせるためにも、また街道筋にあの立札をたてた以上、国千代派の徳川の侍たちもかならず、さてこそ、と思いあたるに相違ないから、阿福一行のなかに伊賀鍔隠れのものが同行していたという噂をたてさせぬためにも、一応別行動をとった方がよかろうと、天膳が阿福に進言したからであった。すでに、不死の大妖術をみせつけた天膳は、当然、阿福たちの絶大の信頼をうけている。
 膳の|酒《しゅ》|肴《こう》は、下の旅籠からはこばせたものであった。ふりかえって、
「がまんがならぬ? 朧さま、伊賀の八人は、もはや討たれてこの世にないのでござるぞ。まさか、こやつをゆるして放せと仰せではござるまい」
「…………」
「拙者もひとたびは殺され、朧さまもすんでのことにおいのちがなかったところではありませぬか」
「殺すなら……せめてひと思いに殺してやるのが慈悲じゃ」
「忍者に慈悲は無用。それに、あの陽炎の悲鳴が大事な罠でござる」
「なんで?」
「されば、下の旅籠をさがしあてた弦之介は、あれも忍者、かならずこの声で、この寺のほうにおびきよせられるに相違ない。……」
「…………」
 弦之介さま! どうぞこないで!
 敵と味方。ふたりの女が胸の底で、必死のさけびをあげるのを知るや知らずや、薬師寺天膳はぷっと針を吹く。「目」が「貝」になった。
 加から賀へ――見よ、陽炎のみぞおちから腹へ、銀の針で浮かびあがった「伊賀」の二文字!
 ああ、天膳のいう「伊賀責め」とはこのことか。その手段の無惨なのはいうまでもなく、甲賀の女に伊賀と彫るとは、薬師寺天膳ならではの悪魔的奇想であろう。銀の針は一本ずつ根もとに血の球をやどらせて、雪白の肌に惨麗な|陰《いん》|翳《えい》をえがき出している。
「おお、そうだ」
 哄笑してから、天膳は盃をなげ出し、いきなり朧の手をつかんだ。
「な、なにをするのじゃ」
「朧さま、この陽炎は、毒の息をもつ女でござる。さりながら、ふだんの息まで毒ではないらしい。それでは、甲賀者とて共に住むことも旅することもかなわぬはず、ただ、あるときにかぎって、その吐息が毒にかわるらしい――思いあたることがある」
「何を?」
「すなわち、この女が|淫《いん》|心《しん》をもよおしたときのみ――」
「天膳、この手をおはなし」
「いいや、はなさぬ。そのことをここでためしてみたい。――といって、陽炎を抱けば、拙者が死ぬ。朧さま、拙者とあなたとここで交わって、あの女にみせつけてみようではござらぬか」
「たわけたことを――天膳!」
「いや、これはおもしろい。朧さま、桑名から|宮《みや》への海のうえで、拙者が申したことをお忘れか。わしは忘れてはおらぬ。いまもあのことは考えておる。鍔隠れの血を伝えるものは、あなたとわしのほかにはない。お婆さまのえらんだ十人の伊賀の忍者のうち、すでにのこるのは朧さまとこの天膳だけではないか」
 酔った目がにごり、彼は盲目の朧を抱きしめた。
「もはや、じゃまする奴はない。――あすは夫婦で駿府入りじゃ」
 と、ねじふせながら、
「陽炎、みよ、この男女法悦の姿を――お、|蝋《ろう》|燭《そく》に|蛾《が》が一匹まといついておるな。あれがおまえの息でおちるか、どうかじゃ」
 いちど、ふりかえったが、すぐおのれじしんが火におちた蛾のように、情欲にもえ狂って朧にのしかかったとき――その蝋燭が、ふっときえた。
「あっ」
 さすがに、薬師寺天膳、それが単なる震動のためでも、風のためでも、陽炎の吐息のためでもないと感じて、愕然と朧の体からはねあがった。
 闇だ。そばの大刀ひッつかんで|鞘《さや》ばしらせ、すっくと立った天膳が、闇を凝視すること、一分、二分、|朦《もう》|朧《ろう》と円柱のかげに立つ影をみた。陽炎ではない。陽炎はすでに縄をきりほどかれて、柱の下にくずおれている。
 天膳はさけんだ。
「甲賀弦之介!」
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