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楼主: junshan_yin

[本科专业课] 文化史

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发表于 2009-6-23 13:29:24 | 显示全部楼层
感谢楼主共享,我也想要一份,麻烦你了。
miduo955@126.com
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发表于 2009-6-23 14:47:54 | 显示全部楼层
楼主,你真是神人,我一口气把所有的都复制下来了。一共27页。但是为了以防万一漏掉,还是麻烦给传一份。在此叩谢。
lxm_2408@sohu.com
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发表于 2009-6-23 14:51:40 | 显示全部楼层
感谢楼主分享!
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:45:19 | 显示全部楼层
室町文化のノート
室町文化…南北朝期の文化、北山文化、東山文化の総称
 ・特徴…公家文化+禅宗文化融合の武家文化+民衆的要素
     文化の民衆化と地方普及(戦国時代)

南北朝期の文化…14世紀中頃の南北朝の動乱期の文化
 ・特徴…世相の反映、武士・民衆の台頭
 ・学問…歴史書-『神皇正統記』(北畠親房)
     有職故実-『建武年中行事』(後醍醐天皇)
          『職原抄』(北畠親房)
 ・文学…軍記物-『太平記』『難太平記』『曽我物語』
     歴史書-『梅松論』『増鏡』
     和 歌-『新葉和歌集』(宗良親王)
 ・連歌…『菟玖波集』(二条良基と救済)、『応安新式』(二条良基)

北山文化…3代将軍足利義満の頃の14世紀末~15世紀初めの文化
 ・特徴…武家文化が公家文化を摂取、禅宗文化・明文化の普及
 ・仏教…五山十刹-臨済宗統制。京都五山・鎌倉五山。五山僧の活躍
 ・文学…五山文学の全盛-義堂周信・絶海中津が双璧、五山版
     歴史書-『難太平記』(今川了俊)  軍記物-『義経記』
 ・建築…鹿苑寺金閣など
 ・庭園…西芳寺庭園(夢窓疎石)、天竜寺庭園、鹿苑寺庭園
 ・絵画…水墨画-『瓢鮎図』(明兆)、『寒山拾得図』(周文か?)など
 ・芸能…能-観阿弥・世阿弥が大成、『風姿花伝』(世阿弥)
     狂言
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:46:48 | 显示全部楼层
東山文化…8代将軍足利義政の頃の15世紀後半の文化
 ・特徴…簡素さ・有限を基調、公家文化の芸術性が生活文化に浸透
 ・仏教…禅 宗-五山派の衰退、林下が民間布教
     浄土真宗の蓮如、日蓮宗の日親の活躍
 ・神道…吉田兼倶の唯一神道
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:47:31 | 显示全部楼层
・建築…慈照寺銀閣、慈照寺東求堂同仁斎→書院造
 ・庭園…枯山水の様式→竜安寺石庭、大徳寺大仙院庭園など
 ・絵画 水墨画…『四季山水図巻』『天橋立図』(2つとも雪舟)
     大和絵…狩野派-狩野正信・元信、『大仙院花鳥図』(元信)
         土佐派-土佐光信・光起が祖
 ・彫金…金工(後藤祐乗)
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:49:13 | 显示全部楼层
・芸能・庶民文化
   能…金春禅竹の金春座
   茶道…闘茶、茶寄合→侘茶(村田珠光→武野紹鴎)→茶道(千利休)
   花道…供花→立花(立阿弥)→生花(池坊専慶)
   香道…香寄合→香道
   御伽草子…『酒呑童子』『一寸法師』など
   小歌(『閑吟集』)、古浄瑠璃、幸若舞、盆踊り、祇園会の復活
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:51:10 | 显示全部楼层
文章
 室町時代の文化は、南北朝文化・北山文化・東山文化に分けられる。全体的
な性格は、公家文化と禅宗文化を融合した新しい武家文化に、都市・農村の民
衆的要素が加わったものである。戦国時代には、さらに文化の民衆化と地方普
及が進んだ。


 南北朝文化は、14世紀中頃の南北朝の動乱期の文化で、その世相を反映して
歴史書や軍記物が書かれた。武士や民衆の台頭から、連歌や茶寄合なども流行
し始めた。

 学問では、史書は北畠親房{きたばたけちかふさ}の『神皇正統記{じんの
うしょうとうき}』、有職故実は後醍醐天皇の『建武{けんむ}年中行事』や
北畠親房の『職原抄{しょくげんしょう}』がある。他に、道祐{どうゆう}
の『正平版{しょうへいばん}論語』がある。『神皇正統記』は、親房が常陸
小田城で北朝方と対戦しながら執筆したもので、大義名分論に基づいて、南朝
の正統性を主張した。

 文学では、歴史・軍記物は『太平記{たいへいき}』、『梅松論{ばいしょ
うろん}』、『増鏡{ますかがみ}』、『曾我{そが}物語』がある。『太平
記』は南北朝動乱を、『梅松論』は足利幕府の正当性を、『増鏡』は鎌倉時代
を編年体で記したものである。『曾我物語』は、曾我兄弟が父の仇{かたき}
を富士の裾野{すその}で討ち取る物語である。和歌は、宗良{むねよし}親
王が撰定した『新葉{しんよう}和歌集』がある。

 連歌は、和歌の上の句(5・7・5の長句)と下の句(7・7の短句)とを
別の人が交互に詠み、唱和する文芸である。二条良基{にじょうよしもと}は
この方式と地位を確立し、彼と救済{ぐさい、きゅうぜい}が選んだ『菟玖波
{つくば}集』は連歌集の最初で準勅撰とされ、『応安新式{おうあんしんし
き}』で連歌の規則を集大成した。


 北山文化は、3代将軍足利義満の頃の14世紀末~15世紀初めの文化である。
義満による南北朝合体・幕政確立という政治の動きを背景に、武家文化が公家
文化を摂取して発展する基礎ができた。禅宗文化や明の文化も普及した。

 仏教では、義満の時に室町幕府が南宋の制度にならい、臨済宗五山派寺院を
官寺とし、五山・十刹{ござん・じっさつ}の序列を付して幕府が住持{じゅ
うじ:住職}を任命した。京都五山は天竜・相国・建仁・東福・万寿{てんり
ゅう・そうこく・けんにん・とうふく・まんじゅ}の5寺で、南禅寺{なんぜ
んじ}は五山の別格上位とした。鎌倉五山は、建長・円覚・寿福・浄智・浄妙
{じゅふく・じょうち・じょうみょう}の5寺である。五山の寺院の管理を行
なうために僧録司{そうろくし}を置き、春屋妙葩{しゅんおくみょうは}を
初代僧録に任命した。また、夢窓疎石{むそうそせき}などの五山僧は、政治
・外交・文学などに活躍した。

 文学は、五山文学が全盛を迎え、義堂周信{ぎどうしゅうしん}と絶海中津
{ぜっかいちゅうしん}がその双璧と称された。五山文学は、五山・十刹に拠
った禅僧らの漢詩文学である。義堂周信の『空華日用{くうげにちよう}工夫
略集』、絶海中津の『蕉堅藁(稿){しょうけんこう}』などがある。また、
禅の経典や漢詩文集を五山版として出版した。

 歴史書は今川了俊{りょうしゅん}の『難{なん}太平記』<注1>、軍記
物は『義経{ぎけい}記』がある。『義経記』は、源義経の幼少期と末期の不
遇時代を同情的に描き、民衆的義経伝説のもととなった。

  <注1>『太平記』非難の記述が一部にあるため、後世の人が命名した。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:51:30 | 显示全部楼层
建築では、足利義満が建立した鹿苑寺{ろくおんじ}金閣は、禅宗様・寝殿
造を融合したものである。他に、興福寺五重塔と東金堂{とうこんどう}は和
様建築、永保寺開山堂{えいほうじかいざんどう}(南北朝期)は禅宗様建築
である。庭園も作られ、西芳寺{さいほうじ:苔寺{こけでら}とも}・天竜
寺・鹿苑寺のものが有名である。西芳寺庭園は、夢窓疎石の作である。

 絵画は、水墨画が発達した。水墨画は、墨の濃淡と描線の強弱による墨一色
の東洋独特の絵である。可翁{かおう}の『寒山{かんざん}図』(南北朝
期)、明兆{みんちょう}の『五百羅漢{ごひゃくらかん}図』、如拙{じょ
せつ}の『瓢鮎{ひょうねん、ひょうでん}図』、周文{しゅうぶん}作とさ
れる『寒山拾得{かんざんじっとく}図』などがある。また、絵巻物の『慕帰
絵詞{ぼきえことば}』は、本願寺3世覚如{かくにょ}の一代を描いたもの
で、生活資料として重要である。


 芸能は、能(能楽)が大成した。能は、社寺の祭礼に奉仕する猿楽能{さる
がくのう}に、民間で発展した田楽{でんがく}を取り入れ、宗教的芸能から
庶民的な舞台芸術に発展したものである。当初、大和猿楽四座{しざ}と近江
猿楽があり、前者は興福寺・春日社に奉仕する観世・金春・金剛・宝生{かん
ぜ・こんぱる・こんごう・ほうしょう}の4座、後者は日吉{ひえ}神社に奉
仕する北近江の上{かみ}三座(山階・下坂・比叡{やましな・しもさか・ひ
えい})と、多賀神社に奉仕する南近江の下{しも}三座(大森・敏満寺・酒
人{みまじ・さかうど})の総称である。

 観世座から出た観阿弥{かんあみ}と世阿弥{ぜあみ}が、能楽を大成させ
た。世阿弥の『風姿花伝{ふうしかでん:花伝書{かでんしょ}とも}』は能
楽の芸術論、子の観世元能{もとよし}が筆録した『申楽談儀{さるがくだん
ぎ}』は芸道論である。能の脚本を謡曲{ようきょく}という。能の合間に、
狂言{きょうげん}も上演された。狂言は、滑稽なしぐさやふりを交えた庶民
劇で、庶民側から大名・山伏・僧侶などを風刺したものが多い。


 東山文化は、8代将軍足利義政の頃の15世紀後半の文化である。禅の精神に
基づく簡素さ、伝統文化の幽玄などを基調とする。伝統的文化としての公家文
化の発達や芸術性が、生活文化に浸透したのも特徴である。

 仏教は、幕府の保護を受けた五山派が衰退し、より自由な活動を求めた林下
{りんか}が民間布教に努めた。曹洞系の永平寺・総持寺{えいへいじ・そう
じじ}、臨済系の大徳寺・妙心寺{だいとくじ・みょうじじ}などが有力であ
る。大徳寺派の一休宗純{いっきゅうそうじゅん}も知られる。また、浄土真
宗(本願寺派)の蓮如{れんにょ}や日蓮宗の日親{にっしん}も、この頃に
活躍した。

 神道は、吉田兼倶{かねとも}が唯一神道(吉田神道)を大成させた。この
教説は、本地垂迹に基づく両部{りょうぶ}神道に対し、反本地垂迹説の立場
から本地で唯一なるものを神として、一切の現象を体系づけたものである。儒
教・仏教も取り入れた総合的な神道説である。


 建築は、足利義政が建立した慈照寺{じしょうじ}銀閣・東求堂同仁斎{と
うぐどうどうじんさい}が有名である。銀閣は、禅宗様と書院造{しょいんづ
くり}を取り入れたものである。書院造は、禅院の書斎の影響などから、床・
棚・付{つけ}書院などを持ち、明{あかり}障子・襖を多く用いた造りで、
一丈四方の広さの方丈や、その入口としての玄関<注2>を設けるなど、現代
の日本住宅の基本となる様式である。東求堂同仁斎も書院造で有名である。

  <注2>玄妙{げんみょう}な門の意。

 庭園は、枯山水{かれさんすい、かれせんずい}の様式で作られたものが多
い。枯山水は、水を用いずに砂と石で山水自然の生命を表現する禅院の作庭様
式である。特に、竜安寺石庭{りょうあんじせきてい}や大徳寺大仙院{だい
せんいん}庭園が有名である。他に、善阿弥{ぜんあみ}が作った慈照寺庭園
がある。

 絵画では、雪舟{せっしゅう}が水墨画を大成させた。彼の作品は、『四季
山水{さんすい}図巻(山水長巻{ちょうかん})』、『天橋立{あまのはし
だて}図』、『秋冬{しゅうとう}山水図』などがある。大和絵は、狩野{か
のう}派と土佐{とさ}派が生まれた。狩野派は狩野正信・元信{まさのぶ・
もとのぶ}父子が成立させた漢画系の流派で、正信の『周茂叔愛蓮{しゅうも
しゅくあいれん}図』、元信の『大仙院花鳥{かちょう}図』がある。土佐派
は土佐光信・光起{みつのぶ・みつおき}らを輩出した流派で、その画風が知
られるものに『風俗図屏風』がある。

 工芸・彫金は、後藤祐乗{ゆうじょう}が足利義政に仕えた。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:52:49 | 显示全部楼层
民間教育の教材として、『庭訓往来{ていきんおうらい}』などの往来物、
『実語教{じつごきょう}』、『童子教{どうしきょう}』、いろは歌などが
使われた。また、饅頭屋宗二{まんじゅうやそうじ}が刊行した『節用集{せ
つようしゅう}』は、日常語句を最初の音で「イロハ順」に分けた上、さらに
言葉の意味別に分類した国語辞典である。

 上杉憲実{のりざね}は足利学校を再興し、戦国時代に来日した宣教師フラ
ンシスコ=ザビエルは「坂東の大学」と称した。朱子学が各地に広がり、桂庵
玄樹{けいあんげんじゅ}は応仁の乱を避けて西国で儒書を講じ、薩摩の島津
忠昌{ただまさ}に招かれて薩南{さつなん}学派の基を作った。また、南村
梅軒は土佐の吉良氏に仕え、海南{かいなん}学派(南学{なんがく})の祖
となった。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:53:16 | 显示全部楼层
古今伝授は、東常縁{とう(の)つねのり}が始めた。古今伝授は『古今和
歌集』の故実・解釈などを弟子に授けることで、秘事口伝{ひじくでん}<注
3>とされた。1471年に東常縁が宗祇{そうぎ}に伝授して、近世に及んだ。
印刷・出版は、大内氏が貿易による富を背景に、仏典・漢籍を中心に大内版を
出版した。

  <注3>たやすく人に教えられない学問・芸術の奥義を、限られた後継者
      だけに秘かに口伝えで教え授けること。

 連歌は、この頃に大成した。宗祇は、和歌の伝統を生かした深みのある芸術
的な正風{しょうふう}連歌を確立した。準勅撰となった『新撰菟玖波集』
や、宗長・肖柏{そうちょう・しょうはく}と詠んだ『水無瀬三吟百韻{みな
せさんぎんひゃくいん}』がある。また、(山崎)宗鑑は、滑稽な、あるいは
機知的な俳諧連歌を確立し、『犬筑波{いぬつくば}集』を編集した。


 芸能・庶民文化では、能は金春禅竹{ぜんちく}が金春座を確立した。

 茶道の基礎となる喫茶の風習は、禅宗寺院で始まった。南北朝期頃、武家・
庶民の間に闘茶{とうちゃ}・茶寄合が広まった。闘茶は、幾種類かの茶を飲
み、その産地を当てるものだが、侘茶{わびちゃ}の発達ですたれた。茶寄合
は、多人数で茶の会合を持ち、自由な酒食{しゅしょく}を伴う娯楽的な茶会
である。抹茶による喫茶には、禅の思想や作法を織り込んだ流儀が出来上がっ
て、茶の湯と呼ばれた。村田珠光{じゅこう}が一休宗純に参じて禅の精神を
身につけ、茶会を茶の湯にまで高めた。そして、武野紹鴎{たけのじょうお
う}が侘茶を更に簡素化し、千利休{せんのりきゅう}が茶の湯として大成さ
せた。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:53:32 | 显示全部楼层
花道(華道)は、仏前に花を供える供花{くげ}から、花を立ててその美を
競う豪華な立花{りっか、たてはな}に発展した。立花の名手に立阿弥{りつ
あみ}がいる。侘茶の流行とともに、立花は投げ入れの方法を用いる生花に移
り、やがて池坊専慶{いけのぼうせんけい}が花道を大成させた。その後、池
坊専応・専好{せんおう・せんこう}によって、池坊流が発展した。また、一
定の作法で香を焚き、その匂いを鑑賞する香道{こうどう}も足利義政の時代
に成立し、香をかぎ分ける聞香{もんこう}のための香寄合も盛行した。

 御伽草子{おとぎぞうし}は庶民的な短編物語で、内容は多種多彩で、全般
に仏教思想の影響が強い。『物{もの}くさ太郎』、『一寸法師{いっすんぼ
うし}』、『浦島太郎』、『酒呑童子{しゅてんどうじ}』などが有名であ
る。

 小歌{こうた}、古浄瑠璃{こじょうるり}、幸若舞{こうわかまい}、念
仏踊り、風流{ふりゅう}踊り、盆踊りも流行した。小歌は、その時代の民間
で歌われた流行歌などをいい、『閑吟集{かんぎんしゅう}』は小歌などをま
とめたものである。幸若舞は、越前国の幸若大夫{だゆう}一派の舞である。
風流踊りは、民衆が仮装したり、異様な風体{ふうてい}で踊る踊りである。
盆踊りは、盂蘭盆{うらぼん}の頃に精霊{しょうりょう}を慰めるために音
頭や歌謡に合わせて行なう踊りで、風流と念仏踊りが結びついて生まれた。

 応仁の乱で中断した祇園会{ぎおんえ}は、1500年に復活した。祇園会は、
京都祇園社(八坂神社)の疫病除け祭礼で、復活後は町衆{ちょうしゅう}の
手で行なわれた。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:54:16 | 显示全部楼层
院政期の文化(平安末期の文化)のノート
○院政期の文化…平安末期の11世紀後半頃から12世紀頃の文化
 ・特徴…貴族社会の回顧、武士・庶民文化の萌芽、浄土教の全国普及
 ・建築…阿弥陀堂建築-中尊寺金色堂、富貴寺大堂、白水阿弥陀堂など
     毛越寺、三仏寺投入堂、厳島神社など
 ・彫刻…蓮華王院千手観音立像、臼杵磨崖仏など
 ・絵画…絵巻物-『伴大納言絵巻』『源氏物語絵巻』『鳥獣戯画』など
     装飾経-『平家納経』『扇面古写経』など

 ・文学…歴史物語-『大鏡』『栄華物語』
     軍記物語-『将門記』『陸奥話記』、説話集-『今昔物語集』
 ・芸能…猿楽・田楽、今様-『梁塵秘抄』(後白河法皇)
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:54:38 | 显示全部楼层
文章
 院政期の文化は、平安時代末期の11世紀末~12世紀にかけての文化である。
特徴は、貴族社会を回顧する風潮が見られ、地方を背景に武士や庶民の文化が
芽生えた。また、聖{ひじり}の布教活動で、浄土教が全国的に広まった。

 建築は、阿弥陀堂建築が前文化から続いて作られ、中尊寺金色堂{ちゅうそ
んじこんじきどう}、富貴寺大堂{ふきじおおどう}、白水{しらみず}(願
成寺{がんじょうじ})阿弥陀堂が知られる。中尊寺金色堂は藤原清衡{きよ
ひら}が陸奥平泉に創建し、須弥座{しゅみざ}の下に清衡・基衡・秀衡{も
とひら・ひでひら}3代のミイラを納めている。富貴寺・願成寺<注1>のそ
れは、浄土教の地方普及の一例である。

  <注1>富貴寺は大分県豊後高田市、願成寺は福島県いわき市白水町にあ
      る。

 阿弥陀堂建築以外に、毛越寺{もう(お)つじ}、三仏寺投入堂{さんぶつ
じなげいれどう}<注2>、厳島{いつくしま}神社がある。毛越寺は藤原基
衡が建立した寺である。三仏寺投入堂は奥の院のことで、断崖の窪みの中に足
場を組んだ懸造{かけづくり}の建物である。厳島神社は、安芸国の一宮で航
海守護神とされた。後に平清盛の崇敬を受け、平氏の氏神のようになった。

  <注2>毛越寺は岩手県平泉町、三仏寺は鳥取県東伯郡三朝町{とうはく
      ぐんみささちょう}にある。

 彫刻は、蓮華王院千手観音立像{りゅうぞう}、臼杵磨崖仏{うすきまがい
ぶつ}、浄瑠璃寺{じょうるりじ}本堂九体{くたい}阿弥陀如来像、中尊寺
一字金輪{いちじきんりん}像が有名である。臼杵磨崖仏は、凝灰岩{ぎょう
かいがん}に刻まれた62体の石仏群が谷をめぐって4か所に存在する。中尊寺
一字金輪像は大日如来の説いた真言の一字を人格化した仏で、「人肌の大日
{だいにち}」と呼ばれる。

 絵画は、絵巻物と装飾経{そうしょくきょう}がある。絵巻物は、詞書{こ
とばがき}と絵を交互に描いて、人物の動きや場面の展開を示す巻物である。
『伴大納言{ばんだいなごん}絵巻』は、応天門の変を描いた。『源氏物語絵
巻』は『源氏物語』を絵巻物にしたもので、藤原隆信の作とされている。『信
貴山縁起{しぎさんえんぎ}絵巻』は、庶民の生活・風俗を描写したものであ
る。『鳥獣戯画{ちょうじゅうぎが}』は、当時の貴族社会や仏教界を鳥獣に
擬して風刺したもので、鳥羽僧正覚猷{とばそうじょうかくゆう}の作とされ
る。
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 楼主| 发表于 2009-6-24 07:55:00 | 显示全部楼层
装飾経は、装飾を目指して作った経巻で、写経の1つである。『扇面古写経
{せんめんこしゃきょう}』は扇形の料紙{りょうし:用紙}に法華経を写経
したもの、『平家納経』は平清盛ら一門が繁栄祈願のため、厳島神社に奉納し
たものである。


 文学は、歴史物語・説話集・軍記物がある。歴史物語は、貴族の華やかな過
去を追憶して国文体で書かれたものである。『栄華物語』は藤原道長を中心に
宮廷貴族の栄華を描いたもの、『大鏡』は道長を中心とする摂関政治を批判的
に叙述したもので、かなで書かれた史書の初めである。説話集は『今昔物語
集』が有名で、日本・インド・中国の仏教・民間説話をまとめたもので、源隆
国{たかくに}の編とされる。軍記物は、平将門の乱を記す『将門記{しょう
もんき}』、前九年合戦を記す『陸奥話記{むつわき}』がある。

 芸能は、猿楽・田楽{さるがく・でんがく}、今様・催馬楽{いまよう・さ
いばら}が流行した。猿楽は滑稽を主とした雑芸・歌曲、田楽は祭礼神事芸能
である。今様は現代風の歌謡の意味で、後白河法皇は今様など雑芸の歌を『梁
塵秘抄{りょうじんひしょう}』にまとめた。催馬楽は、日本古来の民謡や和
歌を唐学風に編曲したものである。
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