2005年08月06日(土曜日)付 2 a: j0 y% u: P# |& J# w
きょう、広島市の平和記念公園では、被爆から60年の平和記念式が開かれる。式場に近い図書館の庭に、英国の詩人、エドマンド・ブランデンの詩碑がある。
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「かの永劫の夜をしのぎ はやもいきづく まちびとの……とはに亡びし もののあと たちまち動く 力あり」。戦前、東大で英文学を教えたこともある親日家のブランデンは、被爆から3年後の広島を訪れ、焦土から立ちあがろうと力を尽くす人々の姿にうたれた。( P% r% m" @) h7 W$ O' X
: d6 j" q, n; N* ` W9 i; W 「ヒロシマ よりも 誇らしき 名をもつまちは 世にあらず」。末尾には「友・寿岳文章 訳」とある。" \' h2 H2 y7 q- u& f4 x3 p4 J
, o0 c/ Y X3 c& Z6 i4 c この60年、「ヒロシマ」と「ナガサキ」は、反核兵器のメッセージを世界に発信し続けてきた。原爆の惨禍を展示した平和記念資料館に置かれている「対話ノート」にも、外国人の書き込みが目立つ。ノートは900冊を超え、約90万人のメッセージから326人分を収めた『ヒロシマから問う』が出版された。
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, P/ Z' F8 S0 R, C 原爆を投下した米国人に、二通りの感想が見える。「このミュージアムは私の国の間違った行為について私にはっきりと教えてくれました」。「このミュージアムは、世界平和のための希求よりも、日本人に対する哀れみのための希求をより印象づけようとしているようだ」
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感想はどうあれ、広島、長崎に来れば、核兵器を使うことの実相の一端に触れることができる。いつの日か、米国の大統領が広島、長崎を訪れ、その実相と向き合う時は来るだろうか。せみ時雨に包まれたブランデンの碑の前で、その日が遠くないことを願った。 |