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楼主 |
发表于 2008-4-30 09:43:37
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紅無垢鉄火
一
蛇骨長屋という名は神秘的だが、むかしここから蛇の骨が出てきたからというだけのことで、長屋の名称ではなく、地名だ。いまの田原町の一部にあたる。――
ここに住む|香具師《や し》の親方、仁王門のデブ亀は、三人の若い女を|侍《はべ》らせて、酒をのんでいた。仁王門とはいうが、背は五尺あるかなし、ただし、デブの名にはそむかず、|臼《うす》か|樽《たる》のようだ。眼は恐ろしく大きく、鼻はあぐらをかき、なかなか迫力がある。
|香《て》|具《き》|師《や》というものが、決してばかにできない力をもっていることは、その世界に無縁なはずの現代のわれわれでも、尾津組とか安田組とか極東組とか芝山一家などという名を知っていることからでもわかる。
親分のことを帳元といい、その下に、|帳脇《ちょうわき》――世話人――若衆と、厳然たる階級があり、縄張りのことを庭場といい、その統制のきびしさは、|博《ばく》|徒《と》にまさるともおとらない。
さて、デブ亀帳元のまわりに侍っている三人の女は、いずれも二十歳前後、そのうちふたりは、どっちもズングリムックリ、眼だけ出目金のごとく巨大で、鼻はあぐらをかいているところをみると、親分の娘で、姉妹だろう。あとのひとり、酌をしているのは、蚊とんぼのごとくほそい女で、これは親分の後妻――というより、|妾《めかけ》だ。
やがて、帳脇が、庭場から召しあげてきた|場代《あがり》をもってくる時刻だ。――と思っているところへ、ばたばたと三人の|哥《あに》いがとびこんできた。
「親分」
「な、なんだ。なんだ」
「お客人だ」
「なに、客人?」
ふりかえるデブ亀の眼に、哥い連中のすぐあとから、つかつかとひとりの武家娘が入ってくるのが映った。デブ亀の眼はぐるりとむき出され、鼻の穴はいよいよひろがった。その武家娘が――
「敷居うち、御免なすって下さいまし」
といって入ってくると、三足すすんで一足とまり、また三足すすんで、こんどは半歩ひくと、両ひざをまげ、まげたひざに両手をついて、
「これは御当家の親分でござんすか。おひかえねがいます」
といったからデブ亀はとびあがった。|狼《ろう》|狽《ばい》しつつも反射的に、やはりおよび腰になり、ひざに手をあてて、
「客人、|旅《たび》|法《ほう》もございましょうが、おらくにお着きなさいまし」
「お言葉にしたがいまして、着かしていただきます」
というと、娘は右ひざをつき、親指を内におりまげた右手をたたみについて、デブ亀をひたと見つめ、
「|無《ぶ》|様《ざま》がひきつけまして、失礼さんにござんす。御当家の親分さんならびにお|姐《あねえ》さん、かげながらおゆるしをこうむります。むかいまする|上《かみ》さんとは、今日はじめて|御《ぎょ》|意《い》を得ます。したがいまして、手前生国は江戸にござんす。江戸と申しましても、いささか広うござんす。江戸は八丁堀――」
あっけにとられていたデブ亀は、このときはじめてわれにかえった。じろっと|乾《こ》|分《ぶん》のほうをみて、
「おう、こりゃいってえなんだ。きちがいにしても、そもそも、どこのどなたさまだえ?」
若いものたちが口をもがもがさせているあいだに、娘は一気につづける。
「手前、兄と申しますのは、八丁堀同心巨摩主水介でござんす。名前の儀はお竜と発します。しがないものでござんす。お見知りおかれまして、万端よろしくおたのみ申します」
「な、なに、巨摩の旦那」
デブ亀はすッとんきょうな声をはりあげたが、すぐ恐ろしい顔になって、
「こいつ、いよいよとんでもねえ|女《あま》だ。巨摩の旦那に妹さまがあるかねえかは知らねえが、八丁堀同心の妹さまが、こんなふざけた真似をするものか。やい、おれは巨摩の旦那とァ|親《しん》|戚《せき》づきあいをしてる男だぞ。人を|白《こ》|痴《け》にするのもいいかげんにしゃがれ」
「――ところが、仁王門の、ふざけてはおらんのだ」
と、座敷の外で声がして、ぶらりと入ってきたのは着流しに捲羽織――音にきこえた八丁堀の|伊《だ》|達《て》姿だったから、デブ亀は息をのんで、絶句した。
「こ、これア巨摩の旦那!」
「久しぶりだな、仁王門の――親戚づきあいをしているお方へ、|無《ぶ》|沙《さ》|汰《た》をして相すまなんだ」
「そ、そんな……旦那、そうからかわないでおくんなさい」
と、デブ亀は眼を白黒させて、
「旦那、いってえ、これアなんてことです?」
「実ア、ちょいとおめえにたのみがあるんだ」
デブ亀はちらっときみわるそうに娘の方を見たが、あらたまった顔色の巨摩主水介に、
「承りますでございます」
と、膝がしらをそろえた。
「仁王門の、おめえ、秀之助って野郎を知らねえか?」
「秀? 秀を御存じでごぜえますか!」
と、さけんだとたん、デブ亀は|凄《すさ》まじい形相になった。
「旦那、秀のいどころを御存じなら、おしえて下せえ。あの野郎、見つかったら、たたッ殺してやんなきゃならねえ」
主水介はめんくらった。
「仁王門の。秀がどうしたんだ」
「あの野郎は……ちょいと見込みのある奴だと、おれも眼をかけてやりやしてね。若衆から世話人へ、世話人から帳脇へと、身内の奴らの苦情もふみつぶしてとりたててやったあげく、うちの姉娘の婿にして、仁王門の一家をつがせてやろうとまでしたんだが、あの野郎、無断でずらかってしまいやがった」
恐ろしい鼻息がもう一方から噴出される音に、主水介はふりかえった。ズングリムックリした|臼《うす》みたいな娘がふたり、怒りに顔をまっかにして、鼻の穴をひろげていた。ははあ、これでは秀之助とやらが逃げ出すわけだ、と主水介は苦笑して、
「それはふとどきな奴だな。しかし、そんなふとどきな野郎を、婿にしねえでかえって倖せだったろう」
「旦那、それが……恥をいうようでござんすが、あん畜生、娘に手をつけてからずらかっちまったんで――姉の方ばかりじゃねえ、妹の方まで……」
主水介はあきれかえった。これは、相当ないかものぐいだ。なんにしても、それではデブ亀が怒るのも当然で、ふたりの|臼娘《うすむすめ》が|鼻嵐《はなあらし》を吹くのもむりはない。
「それはいつのことだ」
「去年の|梅《つ》|雨《ゆ》どきのことで――旦那、秀はどこにいます?」
「それをききに、ここまで来たのだ。が、いま話をきくと、おまえも秀の行方は知らねえ様子。――それじゃあ、弥五郎って奴あ知らねえか?」
デブ亀は急に興味をうしなったように肩をおとした。
「弥五郎? きいたことがねえな、うちの身内じゃあねえ」
と、乾分をふりむいて、
「おい、てめえら、弥五郎って知らねえか?」
「弥五郎……あいつじゃねえかな?」
と、|哥《あに》いのひとりがいうと、もうひとりが、
「親分、秀之助の兄貴は、去年の春ごろから、たしか|賭《と》|場《ば》で知った弥五郎ってえ男と、ちょいちょい酒などのんでいましたぜ。そういえば、あの弥五郎ってえ野郎も、兄貴がいなくなったころから、どこの部屋の賭場にも姿をみせねえようだ」
主水介はしばらく考えていたが、
「では、おまえたちは、弥五郎という男はあんまり知らねえんだな」
「へえ、とにかく|香具師《や し》の仲間じゃねえようですから」
「――秀ってのア、どこの生まれだ」
「たしか紀州だってききました。ああ、それから三つちげえの妹が国元にいるとかいってたっけ。……そのほかにゃ、むかしのことアあんまりいいたがらなかったようです」
「では、そっちへ飛びでもしたかな。そうなると、ちょいとつかまえられねえな」
「旦那……秀が、何をしたんで?」
「さて、それが、秀之助があらわれなきゃあ、わからねえ」
と、主水介が腕ぐみをしたとき、いままでだまってきいていた武家娘が声をかけた。
「主水介、わたしは、秀之助か弥五郎か、うまくいったら穴から追い出せる法が一つあると思う」
主水介の妹と名乗っていた娘が、主水介と呼び捨てにしたので、デブ亀は大きな眼をいよいよまんまるくして、
「旦那……こ、こ、このお嬢さまは?」
「亀、余人にはあかさぬという誓いをいたすか」
「へ、口はばってえようだが、旦那、香具師にはね、五本の指にかけて、仲間の秘密は金輪際あかさねえっていう|掟《おきて》があるんです。――」
「ならば、申す。これは南町奉行大岡越前守さま御息女霞さまであらせられる」
わっとさけんで、|平《ひら》|蜘《ぐ》|蛛《も》のようになってしまった一同――いや、デブ亀およびそのふたりの娘は、ふとった芋虫然ところがってしまったが――そのまえで、町奉行の御息女は、澄ました顔で、
「さっそくおひかえ下すって、ありがとうござんす。お見かけどおりの若年者でござんす。今日からお見知りあって、御引立のほどをお願い申しあげます」 |
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