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发表于 2005-6-22 08:37:52
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鹿をさして馬と為す
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/ {4 C3 j( U! C! n. zさしも栄華をきわめた秦の始皇帝も、寿命には勝てなかった。彼は不6 K; n6 k# G. U9 z6 R
老不死の霊薬をもとめてあせりながら、ついに死んだ。遺言では、太子7 X+ V4 X$ Q/ P" U. P" v
の扶蘇を位につけよということだったが、丞相の李斯や、側近の趙高な2 C0 S0 g5 i, L) |% G% \
どは、その言葉をいつわり、幼い胡亥を立てて皇帝にした。なぜなら、
# g$ c/ ~, I7 W0 R) E3 i扶蘇が賢いのにくらべ、胡亥は凡庸であやつりやすかったからだ。これ
9 Y M3 S1 p9 v+ G, Zが秦の二世皇帝である。. d$ Y7 [/ \$ |; r) e/ d
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二世皇帝のもとで、またたくまにのしあがり、秦の実権をにぎったの
* s, @% f# g- v. ]が、趙高だ。人にいやしまれる。去勢者の宦官である。4 p, L" |8 ?; x& x, L1 c/ n
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胡亥というのは、即位のしたてに、
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7 y/ ~% e* A3 K0 |) j 「朕は天下のありとあらゆる快楽をつくして一生をおくりたい。」
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こう言ったという人物だ。趙高はほくそ笑んで答えて言うのに、
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「まことにけっこうでございます。7 r3 j2 k$ [4 T- @4 s$ j' z
そのためには、まず法を厳しく、刑を苛酷にして、. P: c8 f- Y) n G4 y# V1 {
法のおそるべきことを知らせるのが第一。
8 N c; B, j; ~# G/ m+ ~$ g つぎに、先帝以来の旧臣をことごとく除き、
" x0 U% ~) K' O 陛下のこのむ新人を登用いたせば、; N, {3 p$ N5 L* B; c
これらのものは、陛下のため、# G) s& B% `- k+ }/ {- n4 e: a* j
身を粉にして政治にはげみましょう。9 ]6 t7 ~/ L; E3 V
さすれば陛下は、
9 m N" q1 `) k, w 心を安んじて楽しみにお耽りになれると申すものでございます。」4 `# C ?4 o: z; A; a9 P1 k/ ^+ I
( u8 d# @" Y& v; V. w! u& a1 Q 「なるほど、道理じゃ。」
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. z8 l3 S6 A% Z0 K% x4 K% ^& t と、胡亥は答えたという。こうして趙高は、競争者の李斯も殺し、先- Y. c+ H/ M0 n' e2 Y4 D8 u. L
帝以来の大臣、将軍、それに王子までも殺戮して、丞相にのぼり、実権
1 c3 T/ i* z# C+ s3 j: A; uをおさめた。そしてついに、胡亥にとって代ろうと企むまでになった。
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. A1 V: Q% w, N h1 c; J" s' l0 ^ だがそれには、宮廷の連中がまだ胡亥についているか、それとも自分2 W) L) j' d9 c# t) g: y
につくかを確かめねばならない。それから、もし自分に従わないと為に
" X7 \, b& T" _7 k0 Q1 Rならぬぞ、と示す必要もあった。この目的のために、趙高は、まことに9 n3 H, @; G% e8 X# S
奇態なデモンストレーションを考えだしたのである。
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彼はある日、二世皇帝に鹿をたてまつり、そして、
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「馬を献上いたします。」
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7 b% Q0 @3 T3 v% N K と言ったものである。二世は笑って、
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1 M6 o8 g2 J9 O/ @) C; S 「丞相はヘンなことをいうぞ。
) ?! E* A" Q3 k3 z! j 鹿のことを馬だなぞと。
5 Z4 p3 K! J/ m# V これは鹿かな? 馬かな?」6 L/ O' q9 N1 H+ p1 ]. S) W7 N5 L
! O$ T( t5 B1 ~ そう言いながら、左右の臣下を見た。顔をふせて、だまっているもの
3 R0 z7 F1 S( I3 o* | t; u5 i* qもある。趙高におべっかをつかって、馬でござる、と言うものも出た。7 H# H9 M# q1 S5 u$ d# j! s8 o
だが、「いや、鹿でございます」と直言する臣下もまだ何人かいた。胡亥0 r6 w. y+ a7 o4 u) Y& K: `
は、わけがわからず、ぼんやりしていた。趙高は目を光らせて、鹿だと- ~+ h' |# w3 K
言ったものを覚えておいた。そして、そのあとで無実の罪をかぶせて、
6 f7 ]1 o- P+ c' G5 ?% ^その人々を殺してしまったのである。趙高の言に反対するものは、以来2 X0 p y9 a/ y' U
宮中にはいなくなったという。
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6 M3 [& W' O4 X, \, P といって、趙高にひれふしたのは、全中国ではなかった。かえって、
9 O. f1 z' E/ I) A+ z8 A& o: U各地に反乱の軍がおこる。項羽・劉邦などの面々もあらわれる。こうし5 G! N* e; L5 O; U( {, K8 [
た混乱のなかで、趙高はじゃまになった胡亥を殺し、扶蘇の子子嬰をた
# B; `3 j5 A. S- v8 sてて秦王にするが、こんどは自分が子嬰に殺されることになるのだ。
" j! M& C& s% y. V. ` (「史記」秦始皇紀、「十八史略」)( _( e) a+ `8 w6 y
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この話から、「鹿をさして馬と為す」ということばが出た。だからそれ
0 d/ T" }9 n Z4 [$ oは、まちがいを威圧もって押しつけ、人をばかにすることや、人をごま
) w4 A0 w/ Z" |. }0 C2 ~ _3 pかして理を非とし、非を理として押し通すことを意味する。; \& f; u' D8 Q4 {
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ところで、おなじみの「馬鹿」ということばも、ここから出たという説8 B; \, j4 ^; V6 a* e
もある。なるほど、という気もする。それに、馬鹿(バロク)ということ
% x( f3 @/ F* {# {8 T5 |5 e: \" ]ばはたしかにあって、おろかという意味をもっているのだ。
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「胡亥は詩書も読めず、聖賢の言も遠ざけられていた。それどころか、
( d- x& S* e: G4 t8 k/ J 趙高のような宦官に、残酷な政治術をしこまれた。だから、天下の人. b4 S6 c6 t, r9 k& {# |# f
はみな愚かというのでもなかったが、胡亥のほうは馬と鹿のけじめも
6 @( e4 [$ [! R2 d, b, t つかないことになったのだ。」 (「唐書」元シン伝)
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というところから、馬鹿(バロク)という。まあ、胡亥には限らない、. b# v! d' l3 N, V" x
その臣下のなかにも、該当者がそろっていそうだから、バカの出典をこ6 }& y; ]6 {! F
こにもってきたくなるのは人情だろう。
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% P9 U8 u% q' L/ t/ \4 K5 P しかし、この点どうもはっきりしていない。もとは梵語だという説が
# H2 J7 }% w1 l- t. Q8 l0 h! Nあって、バカの由来するところ、さらに古くなるようなのだ。つまり、
% I; \" z4 c: j& {% W梵語で Maha または Mahallaka というのは無知のことだが、これが慕
3 y: k$ s' t$ s1 P0 B! |. D何となり、さらに馬鹿の字をあてがわれたのだという。この説のほうが( |. ?& ^* Z' J" k8 Z
有力だ。まあ、由来の判然としないのも、バカの語にはふさわしいかも
$ x( S8 |0 K* H% q; B6 R6 x$ wしれないが。 |
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