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楼主 |
发表于 2006-6-22 12:12:14
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着替えると、日の出を待たずに外に出た。霧で霞む路地に足を踏み出すたび、体が震えた。一歩一歩確かめるように歩いた。誰もまだ歩いていなかった。大通りに出ると、霧も消え、先にドゥオモの円蓋が見えた。百六メートルの高さがあるこのクーポラは街のどこからでも見ることができた。この街の人々は何世代も前から、あのクーポラを見つめて生きてきたのだ。
会えるだろうか。それとも……
ドゥオモが近づいてくるたびに、大きな期待と不安の板挟みにあった。毎日この前を通過しているというのに、いつもとは全く感じが違う。期待をしては駄目だ、と自分に言い聞かせてみた。会えないのが当たり前なのだ。十年前の、それもおぼろげの約束なのだから……
会えなくてもぼくは最後の瞬間までこのクーポラの上で待つ。待ちながら、この八年を修復して。そしてあおいが来なくとも、ぼくは自力で壊れかけた自分を再生させて堂々とここを降りてこよう、と自分に言い聞かせていた。
息を潜めて夜明けを待った。空が明け始めると、鳩の群が大円蓋のさらに上空を飛び去った。ドゥオモ前の広場にはジプシーの親子が抱き合って寝ている。ぼくは広場のほぼ真中の石畳の上にしゃがみこんだ。冷たい朝の、一陣の風が吹き抜けていく。
通りや路地から人々がぽつりぽつりと姿を現し、目の前を歩いていった。バールが七時に開いたので、そこでパンと飲み物を買った。ジプシーの親子が目が覚まし、二人は手を繋いで通行量の多い場所に移動した。コインを受ける空き缶を取り出し、歩道の上に置く。父親が息子を抱きかかえた。まるで彫刻のように動かなくなった。光が彼らをそこに浮き上がると、フィレンツェの街は遠心力を得て、活動をはじめた。
八時半、大聖堂の扉が開き、ぼくは中に入った。中はがらんとした巨大な空洞で、重々しい空気が張り詰めていた。一万リラを支払い、いよいよクーポラを目指して踏み出した。
階段は大人二人がやっとすれ違うことができるほどの狭さである。ひんやりとした石の壁に手を添えながら、ぐるぐるとらせん状に巡る階段を登った。上まで、四百段以上もの階段を登らないとならなかった。
すぐに汗が噴出してきた。随分登ったと思ったが、頂上にはいつまで経っても到達しなかった。このままこの石の階段を永遠に登りつづけていきそうな目眩に襲われた。着ていた服を次々脱いで、最後はTシャツ一枚になってしまった。
記憶を手繰るようだった。あおいとの出会い、恋に激しく燃えた頃、半同棲の楽しい日々、中絶、分かれ。それらは汗をぬぐうたびに瞼の裏側に浮かび上がっては消えていく。苦しかった。一段一段の思い出はずっしりと重く、背骨に伸ばしかかっていた。息が上がり、何度も途中で立ち止まっては、腰を伸ばして休んだ。
ようやくクーポラの上に出たとき、待ち受けていたのはフィレンツェを横切る春の風であった。ああ、と思わず声が出た。三百六十度、見渡すかぎりの開かれた景色がそこには広がっている。迷いのトンネルを抜け出すことができた後に、この景色が自分を待っていてくれたことに随分と救われ、安堵のため息が溢れた。
頂上にはまだ誰も登ってはいなかった。展望台をぐるりと回り、三百六十度のフィレンツェを上から見下ろした。歴史をそのまま背負った街。二十一世紀という新しい千年期に突入した今もまだ中世を大切に留めている街。愚かさと偉大さが同居した街。修復を繰り返す街。過去を見つめつづける街……
ぼくはクーポラの真裏に腰を下ろした。
待っている時間の長さは、つまり悟るための長さだ。待っている先に待ち受けている現実があることを悟るため、人は待つという時間に身を浸す。そしてぼくの場合、それはこの八年という長さだった。
だから今、不思議なことにぼくは予想以上に平然としていられるのかもしれない。昨日までのぼくとは違うぼくがいる。あおいは来ないかもしれない。この八年がぼくを解き放った。今はあおいとの過去に、そして自分の現在に決着をつけるためにここにいるのだ。
目の前に青空があった。ぼくは今よりももっともっと若い頃、空だけを描く画家になりたかった。画家というより、絵描きに、空の絵を描く人になりたかった。
空は常に一定ではない。曇りは形を留めることはなく、いつも自由に動き回っている。空を見上げるということは、心を見つめることに似ていた。だからぼくは空を描くたび、心が落ち着いた。
いろんな空があるように、人間にもいろんな人間がいるのだ、と思うなんでもかんでも許せるような気分になれた。
低い空、高い空。
大きい空、狭い空。
青い空、暗い空。
澄んだ空、濁った空。
しかしどの空に変わりはなかった。それが頭の上にあることで、ぼくは安心ができた。
曇り空に向かって、話しかける。空を降らせようという気だね。でもぼくが家に戻るまで我慢してくれないか、と。晴れた空に向かって叫んだ。おーい、おーい、おーい。
空があるかぎり、ぼくは一人ではなかった。学校で苛められても、家で父親に殴られても、都会の真中で孤独だと感じても、平気だった。そういう時は真っ先に空を見上げ、もしもその時スケッチブックを持っていたら、その空が変化する前にぼくは素早く永遠の一瞬を描き写した。
空があった。何も遮るもののない平坦な空。光の粒子が溢れた青と白の混じり合ったような眩い空である。この八年を委ねるにはこれ以上の晴れ渡った空はなかった。ぼくはしゃがみ、まっすぐに空を見つめる。
多くの観光客が登ってきた。さまざまな国からの訪問者たち。笑い声が絶えなかった。ぼくだけが口をぎゅっと結んで正面を見つめていた。青空の中ほどにずっとあおいがいた。こちらを見て微笑んでいる。ぼくが知っているあおいは二十歳そこそこの女子大生だった。今はもう三十歳。しかし四十歳になっても、五十歳になっても、あおいはあおいだった。
バールで買ったパンを口に頬張る。太陽が真上にあった。やっぱり来ないな、と思った。パンを噛みながら、それまで平然としていた気持ちが僅かに揺らいだ。もう一度青空を見つめた。そして口元に笑みを拵えてみた。くじけそうになったら、微笑みを作るのよ。そう教えてくれたのはジョバンナだった。ありがとう、と空に向かって呟いてみる。ここで出会った多くの人々に感謝をしなければならなかった。
次第に太陽が傾き始めた。じりじりと一日が終えようとしている。このクーポラは六時二十分に閉まることになっていた。
ドイツ人と思われるカップルがぼくのすぐ隣に腰を下ろした。二人はぼくの目を盗んではキスをしている。聴き慣れない異国の言葉が、ささやかなリズムを伴って、頭の中で揺れた。彼らがどんな愛の文句を呟き合っているのかは分からなかったが、彼らは世界で一番幸せな二人に見えた。笑い声は幸福で弾けそうになっている。女性の方と目があった。微笑みかけると、男性の方もこちらを見た。
「コンニチハ」
片言の日本語で挨拶をされた。
「Bitte」
ぼくが知っている唯一のドイツ語で返した。二人は微笑んだ。
「一人旅かい」
英語で、男性の方が言った。
「いいや、ここで人を待っているんだ」
女性の方が、恋人を? と聞いてきたので、ぼくは肩を竦めてみせてから、かつての恋人だよ、と戻した。
「どれくらい待ったの」
と男性が言った。何時間くらい待っているのか、という意味だったが、ぼくは、十年、と答えてしまった。二人の笑みはやんだ。
「十年前にね、西暦二〇〇〇年五月二十五日に、ここで会おうと約束したんだ」
女の方が金色の髪をかきあげながら、小さくため息を漏らした。彼らの幸福を邪魔することはない、と自分に言い聞かせた。こんな私的なことを彼らに語ることはないのだ。なのに語りたくて仕方がなかった。
「約束といっても、はっきりとしたものではない。ふざけてした曖昧なもの」
「でも君は今日を大切に待って生きてきたんだね」
頷いてみせると、男はポケットから四葉のクローバーが入った小さなプラスティックの四角いカードを取り出し、差し出した。何?
「お守りだ。ささやかなプレゼントだよ」
「どうぞ。受け取って」
二人は頬骨から笑みを振りまいた。ぼくは差し出されたカードを手に取った。イタリア語で、MHMBUONA FORTUNA (あなたに幸福が来ますように)、と書かれてある。
「いいのかい」
女が口許に新たな、そして今までで一番くっきりとした笑みの光を作った。
「ええ、いいわ」
「べネツィアで買ったんだが、これは君が持つべきだ」
「でも……」
「MHMBUONA FORTUNA (あなたに幸福が来ますように)」
ドイツ人のカップルはしばらくそこで一緒に時を過ごしたが、太陽が西の空に深く傾斜しはじめると、幸運を祈るよ、と言い残してそこを去った。\
四葉のクローバーか。プラスティックのケースの中で小さな小さなクローバーが四枚の葉を広げていた。
空が赤くなり始めていた。建物の屋根に光を反射している。やっぱり、来ないんだなとため息が出た。四葉のクローバーを握りしめた、その時だった。
「順正」
声が耳元を掠めた。風の悪戯かと思った。しかし、耳はしっかりと懐かしい感触を覚えていた。振り返ると、そこに待ち焦がれた人がいた。 |
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