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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2006-2-13 16:43:46 | 显示全部楼层
天声人语(2月3日)-豆まき 5 F7 o/ v# c: ]7 c$ }
昨日、寺の連なる道を歩いていて、ふと和菓子屋の前に出た。ガラス戸に「うぐいすもち」と張り紙がある。先のすぼんだ黄緑色の餅が、棚の中で行儀よく並んでいた。〈鴬餅の持重りする柔かさ  篠原温亭〉。  |1 P4 k) v5 }, r" w5 _
3 k/ Y( s% V/ {: D+ ^, k+ L: r
 店を行きすぎた坂道の脇に立つ掲示板に、今日の知らせが出ている。「節分祭 三日午後三時 豆まき」。森鴎外の短編「追儺(ついな)」には、明治期の節分の日が記されている。料亭の座敷で、約束までの時間をもてあましていると、突然、赤いちゃんちゃんこを着たおばあさんがひとり、ずんずんと入って来る。3 A2 U0 K" n# V4 ?/ \5 U

* x3 u- t+ a9 w4 p" V- n1 F- T ちょこんとあいさつして、豆をまき始めた。「福は内、鬼は外」。女性が数人ばらばらと出てきて、こぼれた豆を拾う。「お婆さんの態度は極めて活々(いきいき)としてゐて気味が好い」(『森鴎外 現代小品集』晃洋書房)。+ `7 x; O( I! e
# J% ~9 J0 z7 C- U! M
 確かに豆まきは、やや大げさなぐらいに声をあげて、勢いよくまくのがほほえましい。昨今では、近所からうるさがられるかもしれないが、邪気を払う願いに免じて今日だけは許してもらいたい気がする。
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% y+ B6 b  m& Q# @, i5 z- f 豆をまく時のかけ声は、ところによって変わる。寺の宝が鬼の面という名古屋市の大須観音では「福は内」だけだ。東京の稲荷鬼王神社では、神社の名前をおもんぱかって「福は内、鬼は内」、入谷鬼子母神は「福は内、悪魔外」だそうだ。
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 近年は、大がかりな見せ物と化した豆まきの行事もあるようだ。しかし、それぞれの家や居場所で、それぞれに福と鬼とを思うことが、本来の姿なのだろう。〈節分の豆少し添へ患者食  石田波郷〉
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发表于 2006-2-13 16:45:27 | 显示全部楼层
天声人语(2月4日)-ロッキード事件 1 `0 o8 L3 l4 P$ w# \# O
戦後最大の疑獄事件といえば、やはりロッキード事件になるだろうか。航空機の売り込みで巨額のわいろが動き、田中角栄元首相の逮捕に至ったこの事件は、30年前の1976年2月4日にアメリカの議会で発覚した。
7 S: d1 s  I. J' ?$ ]7 L3 x2 F1 R( f" ]& U7 P. P
【ロッキード事件】
! o' e6 V' N) t, q9 C米国ロッキードLockheed社の大型旅客機の日本売り込みに際し、多額の賄賂が政界に渡された疑獄事件。一九七六年の米国上院外交委員会で発覚し、事件当時の首相であった田中角栄をはじめ政府高官や商社・航空会社幹部らの逮捕・起訴に至り、大政治問題となった。平成七年(一九九五)二月、最高裁判決で有罪が確定。1 S0 c. z% j. j- I; G

" n$ Y  _9 `1 k1 o/ |) L その日は確か、東京本社の社会部で宿直勤務に着いていた。原稿は最終版ぎりぎりに、ワシントンの記者から外報部へと送られてきた。「ロッキード社 丸紅・児玉氏へ資金」。記事は26行と短いが、見出しは大きく5段抜きだった。
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 政治、経済、社会、外報の各部総掛かりでとりかかる、まれな事件となった。社会部では一番若手だったので、児玉誉士夫邸の前で人の出入りを取材する「児玉番」の日もあった。
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 7月27日の朝、自宅に本社から電話が来た。「田中逮捕だ。拘置所へ行ってくれ」。すぐタクシーで向かう。着いた時は、元首相を乗せた車が塀の内側に入った後だった。車内の元首相を見た本社写真部員からその様子を聞いて、原稿を送った。8 `6 Z6 e" P0 Y) p/ Q) t  B

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 「今太閤」などと言われて、首相にまで上り詰めてから4年後の逮捕だった。この後も様々な事件を現場で取材したり、周辺で見たりしてきたが、これほど深刻な権力犯罪には出合っていない。
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  }9 E& e8 `6 _% ?; B 戦後の約60年を顧みると、ロッキード事件はその真ん中あたりで起きている。事件を挟んで前と後が30年ずつある。「ロ事件後」の30年で日本の腐敗や癒着の構造はどう変わってきたのか。表向きはともかく、闇の構造そのものが消えたとはとても言えないだろう。ロ事件が繰り返されないという保証はない.
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发表于 2006-2-13 16:46:21 | 显示全部楼层
天声人语(2月5日)-中村屋のボース 5 T" ^' O) l8 V0 q
大正初め、日本へ亡命したインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースは、東京で食べたカレーの味にひどく落胆した。「インド貴族が食べるのはこんな味じゃない」と。
7 p- A7 n* @4 z: l
9 I5 m$ \7 @: M% Q, L# [' S9 v) Y9 \2 `( ]! `! H( o( T
 当時一般に食べられていたのは、英国風のカレー粉を使った即席料理だった。本場ベンガル育ちのボースには和食にしか見えなかったことだろう。日印を結ぶ政治工作のかたわら、本式のカレーを広めようと決意する。
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: I( s5 s- c' D$ A% R  P 官憲に追われ、かくまわれた先が新宿の洋食店中村屋だった。店主の娘と恋愛結婚して経営に加わり、「純インドカリー」を売り出す。鶏肉や香辛料を精選し、ご飯とカレーを別盛りで出した。他店の8倍もの値をつけたが、「恋と革命の味」として評判を呼んだ。
* q  J0 M0 y8 I$ y; H9 ^
  j" h& O; k* Q+ I
2 ?6 q' c1 H$ b3 _) b8 h" g 波乱の生涯をたどった中島岳志さんの『中村屋のボース』(白水社)が、今年度の大佛次郎論壇賞を受けた。同時代を生きた独立の志士チャンドラ・ボースとしばしば混同されるが、別人である。
7 ^" @/ \* u7 x
9 d( {* l) z$ |" w 中村屋のボースの方は、日本を頼ってインド独立を模索した。最後は、帝国主義日本の手先とみなされて苦悶(くもん)する。受賞作はその歳月を丹念に描いた伝記だが、日本のカレー文化をインドの視点から考える上でも興味深い。# s5 |6 e) }5 s3 w
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 晩年のボースが病床で夢見たものが二つある。祖国の主権を奪い返すことと、医師に制限されたカレーを存分に食べることだ。ボースの長女、哲子さん(83)によると、医師が治療をあきらめた後、家族は望み通りカレーを与えた。だが独立の夢はかなわないまま58歳で逝く。東京を寒波が包んだ1945年1月の夜だった.
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发表于 2006-2-13 16:48:32 | 显示全部楼层
天声人语(2月6日)-大使の入れたコーヒー ; W+ O* @6 T: F$ q) y2 t
米政界の長老で、駐日大使を長く務めたマイク・マンスフィールドさんは生前、自ら来客をコーヒーでもてなすことで有名だった。「コーヒーを一杯いかが」と聞くと、大使室の奥の小さな台所に入り、カップを運んでくる。\
. O7 w$ @1 \/ y4 p8 t  I6 q* t3 \5 n- E5 O9 \; P

% a* V; T' D/ K. v0 @7 l ケネディからフォードまで4代の政権下で、上院院内総務という米議会のトップポストを史上最長の16年間も務めた。黒人差別の問題に取り組み、ベトナム介入にも早くから批判的で、「米国の良心」と評された政治家だ。そんな大物がお茶を入れる姿は、日本人に強い感銘を残した。
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2 Z: v( F& e1 r9 ^1 h0 M 晩年にワシントン市内の事務所で取材したときも、97歳の同氏が、バランスを失いそうになりながらコーヒーを持ってくるのに恐縮したものだった。このほど翻訳された伝記『マイク・マンスフィールド』(オーバードーファー著、共同通信社)を読んで、そのコーヒーの謎が解けた。
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, v: e" y8 d/ j5 i' [
 大使に赴任したのは77年。当時はまだ一般的だった日本女性のお茶くみの慣習への抗議の意味が込められていたという。お茶くみは、それをさせられる人をおとしめると彼は考えた。「私がコーヒーを入れることで、彼女たちの立場を楽にしてあげたかった」と著者に語っている。! Y7 s$ S0 E' C1 G. Q# Z

4 }, J4 A( s6 z3 l2 j8 o4 ^$ A
) s( ~# K* G4 M% ?; M$ ^6 K: M0 I 下積みの長い前半生が、そんな配慮を生んだのかもしれない。年齢を偽って14歳で海軍に入った。除隊後は鉱山労働者として働く。教員のモーリーン夫人の支援で大学に入ったのは28歳の時である。
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# O1 g+ i) ]) e& r/ V7 @! _0 P' o. g6 ^3 Y! @  P: E4 }1 u) J9 W# q
 ちなみに、あのときとてもおいしく感じた大使の入れたコーヒーは、伝記を読むと、インスタントだったようだ.
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发表于 2006-2-13 16:52:55 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月07日(火曜日)付
; {! Z6 h, Z- a; [8 l& k
- {& Z1 ^5 H, ^, ?国王ルイ・フィリップが、巨人のようにどっかりと王座に座っている。その大きく開かれた口に、下の方から次々に国民の税金が運び込まれてゆく。王座の周りには、うまい汁を吸おうという議員や高官が群がっている。, |2 k" J* W1 u2 e1 H* B
3 g  X1 A, C5 j
 19世紀のパリで活躍した画家オノレ・ドーミエの代表作の一つ「ガルガンチュア」だ。大食漢になぞらえて政権の腐敗を痛烈に皮肉ったこの風刺画は、検閲にひっかかったが、ドーミエの名を世に広めた。
1 X" c* u& W$ `' K/ b  N5 P6 V7 c# I; @- C0 ?8 T' Q" o% q8 H
 機知に富んだ風刺画は、文字ではなかなか表しにくいことでも、一目で伝える強い力がある。それだけに影響も大きく、作者の発想や技量、そしてメディアの掲載の判断も問われることがある。
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1 O! w7 m. ^9 P4 j イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画が欧州の新聞に掲載されたのをきっかけにして、イスラム各国で反発が広がった。最初に漫画を掲載したデンマークなどの大使館が放火され、デモ隊に死傷者が出たとの報もあった。. N! U7 H4 K: [

4 V. t$ T, ~/ V) D8 X3 j* Q 掲載された漫画の一枚では、ムハンマドが、導火線に火のついた爆弾型のターバンをかぶっている。イスラム教の信者が、この「危険人物」扱いに抗議したいのは分かるが、大使館への放火や、死傷者が出るような騒ぎにまでなったのは残念だ。
2 r' S3 Z$ n- ?$ [% G- r7 \! W6 r* y
 ドーミエは、「ガルガンチュア」の一件で裁判にかけられた。しかし、その後も風刺画を描き続けて投獄されている。表現の自由とは、長い表現の不自由の時代を経て、ようやく世界が手にしつつある貴重な権利だ。それを、どう有効に使うかは、常に難しい課題としてメディアの前に置かれている。
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发表于 2006-2-13 16:53:57 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月08日(水曜日)付 ; k; ?& Q( `- H9 \2 p$ a

/ W* ?, F& d4 Q国会の中継を見ていると、時折、閣僚や議員の胸元が光るのが目につく。この議員バッジには、1890年、明治23年に帝国議会が始まって以来の歴史がある。
, y6 n  @: S$ ^0 O7 I% c) p& l5 i: A  k, l- G, D, y$ g9 K
 デザインは何度か変わったが、今は金色の菊11弁の金属台をビロードの布が包んでいる。布の色は衆院が赤紫、参院が濃紺で、いずれも直径は20ミリだ。以前は参院の方がやや小ぶりだったが、国会開設百年の1990年に同じ大きさになった。
+ u$ q2 V$ Q( h) _! s; Y: V& x1 Q8 |' x8 e* H7 [* b
 その議員バッジの廃止を、自民党の太田誠一・党改革実行本部長が言い出した。特権廃止に向けた意気込みなのか、有権者の受けを狙ったのかは分からない。「金バッジ」は権威の象徴とも、特権の象徴ともみえる。そう簡単に手放せるのだろうか。
) B; M/ p  h0 `! I$ i8 o5 V8 ~" F6 L3 g) d& o" b& N
 「特権年金」という批判を浴びていた国会議員年金の「廃止法」が成立した。「廃止」というからには、10年間払えば年金がもらえる特別優遇の制度がすぐにでも無くなるのかと思ったが、そうではなかった。
. I1 D3 K. ?$ v' Z% o+ b- l' \9 M, H+ m: j2 @
 経過措置として、在職10年以上の現職や元職は、少し減るものの年金がもらえる。今後は議員からの納付金が途絶えるので、当分の間は公費の負担分が年に9億円も増える。' I, y, w2 E5 P

( ?7 Q* `! _" \+ L: S この年金は「国会議員互助年金」と呼ばれてきた。「議員同士の助け合い」を掲げるのなら、これまでも公費の分をできるだけ減らすべきだった。こうした議員の待遇の基本的なあり方の議論を尽くさずに決着を急いだようだ。「廃止」が「温存」の偽装とみられるようでは、胸にバッジがあろうとなかろうと、権威とは認めてもらえなくなるだろう。
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发表于 2006-2-13 16:54:26 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月09日(木曜日)付
4 U" V$ C$ ^6 N" ]# R, s( G) [1 _3 O/ R
薔薇(バラ)ノ木ニ/薔薇ノ花サク。/ナニゴトノ不思議ナケレド。(北原白秋)。子どもが授かる。何事の不思議なけれど、おめでたいことである。あるいはまた、子どもが授からない。そういうことも、この世の中にはある。
  l3 O+ X; H7 U- c1 `
* U# r2 W2 v: ~/ @4 G7 R 秋篠宮家の紀子さまが、第3子を懐妊されたという。夫婦に子どもが授かる。何事の不思議はないが、おめでたいことであり、ご夫妻、ご家族にとっても、関心を寄せている国民にとってもうれしい知らせだ。- @5 o" C6 j: y1 K: W; {% i

8 c6 C% Q* d# g# W やがて月が満ちて、子どもが誕生する。おめでたいことである。男の子が生まれる。うれしいことである。どうか、健やかに、のびのびと育ってほしいと願う。女の子が生まれる。うれしいことである。どうか、健やかに、のびのびと育ってほしいと願う。
# j0 W, w) b9 E1 s# T1 k7 C5 e" {5 O2 _7 `
 新しい命が、世に出てゆく。親にとっては、うれしくもあり、心が引き締まることでもある。その子が、世の中のさまざまなことに出会い、人々とも触れあい、喜び、あこがれ、あるいは悩みながら一刻一刻を積み重ねてゆく。一から始まる人生を、まだ何も書かれていない真っ白な一枚の紙かと思えば、その厳粛さには、たじろぐ思いもする。
- s( q1 `8 K$ v
2 {" T# h# p! U 皇族は、国内外の多くの目という独特の環境を背負っている。一般人にはない負担だが、それはある程度はやむを得ない。やむを得ないことではあるけれども、胎内に宿ったその人や、誕生を心待ちにする両親、家族に対しては、周りの配慮も要るだろう。0 u% j4 {  f3 ]$ _
5 ]2 N9 C6 |8 W
 落ち着いた静かな環境で生まれ、出産する。授かった命は、そんな穏やかさの中で育まれていいはずだ。
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发表于 2006-2-13 16:54:47 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月10日(金曜日)付
& ^! Q4 J" G) `7 `9 k5 Y+ E- ^6 d! q4 Z( b
見通しが、あまり良くなさそうな街並みだ。イタリア北部の街トリノに降り立ち、駅前広場に出た時の印象だ。冬季五輪に向けた工事が進む駅周辺では、視野をさえぎる囲いがあちこちに巡らされていた。昨年秋のことである。9 d( V3 Z6 k  X1 ]' O! Z0 ~

% W" v5 C) _5 g 駅前のホテルで荷を解き、街を歩き始めると、最初の印象はすぐに崩れた。アーケードがまっすぐにのびている。交差する道も広く、かなり遠くまで見通せる。五輪向けの一時的な表情とは別に、街の素顔の方は、すっきりとしているようだった。" [) |: [2 u, W6 x2 j  D

5 V1 ]8 U" o* o+ I' K 中世以降、諸州・諸都市が分立していたこの長靴形の半島に「イタリア王国」ができたのは、日本の幕末にあたる1861年のことだった。祖国の統一と解放をめざす運動の結果、トリノに最初の首都が置かれた。今は、フィアットなどの自動車産業や機械工業の中心地となっている。
+ n1 y0 A8 q) Z: v# k2 O* D+ D
) ]( `% K3 G. E% W 北イタリアに生まれたデ・アミーチスは、トリノの小学校を舞台にして「クオレ」を著した。トリノが長靴の上端近くにあるとするなら、靴先にあたる南のカラブリア地方から転校生がやってくる。
4 ]! T* e1 b9 o- X
$ D8 Y- r2 ~' d, @ 先生が言う。「カラブリアの子どもがトリノにきても、じぶんの家にいると同じ思いをし、また、トリノの子どもがカラブリアのレッジョへいっても、うちにいると同じ思いをすることができるために、わが国は五十年のあいだ戦いました」(前田晁訳・岩波少年文庫)。
0 B# W( [0 d% [8 C* d  b
( K% Y" Y( I# E" } 今もなお、この国の北と南はなじんでいないと聞く。それぞれに、重い歴史を背負っているのだろう。祖国統一の象徴の地で、10日、20回目の冬季五輪が開幕する。
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发表于 2006-2-13 16:55:44 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月11日(土曜日)付 : D( ^/ S) d( C' ^/ t' U: u# L

. j8 T" b! `) X9 W& w& ^7 a 「良寛はしきり(に)欲いのですとても手には入りませんか」。晩年に良寛への関心を深めた夏目漱石が、1914年、大正3年に知人に送った書簡の一節だ。
  q' }- R* C  B* H9 l
6 N' C* {6 q- w# P% x7 I6 ?' ? 1年余り後に、念願がかなって手に入った時の礼状には、自分の書が所望ならいくらでも書きましょうとしたためている。「良寛を得る喜びに比ぶれば悪筆で恥をさらす位はいくらでも辛防可仕(つかまつるべく)候」(『漱石全集』岩波書店)。
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 良寛の書いた「詩書屏風(びょうぶ)」が、東京・上野で開催中の「書の至宝」展に出品されている(東京国立博物館 19日まで)。自詠の漢詩を草書で揮毫(きごう)したもので、筆画が極度に省略されていることもあって、ひとつひとつの文字は読み取りにくい。しかし、墨で示された筆の通り道と、その周辺の空白との間には、不思議な一体感が生まれている。屏風全体として、見る側を緩やかに包み込むような大きさがある。- e: M( Q' O$ Y) u% X
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 良寛は、中国や日本の書を手本にしながら、独自の書風を手にした。「至宝」展は、その手本のひとりとされる「書聖」王羲之(おうぎし)を含め、古代中国から日本の江戸期までの数々の逸品を中心に展示している。. U* P  A8 b+ f( A
1 V6 B; |3 Y1 S( j  @
 うらないを記録した文を牛骨に刻んだ「甲骨文」は、3千年以上前のものだ。文字の祖先のような素朴な線の連なりの前で、漢字がたどってきた長い歴史を思う。
4 }' V6 y+ b! D! d* J
0 }4 I- Q7 t4 J/ G" G% L さまざまな時代を経て日本へも渡り、ひらがなが生まれ、今に至った。漢字とかなの、ぜいたくな競演の場となった会場を巡り歩く。「東洋の記憶」とでも名付けたい音楽が、どこからともなく響いてくるかのようだった。
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发表于 2006-2-13 16:56:15 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月12日(日曜日)付
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公開中の邦画『博士の愛した数式』と、洋画『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』はどちらも老いた数学者の試練を描く。かつての天才が作中それぞれに説くのは、数や式の持つ美しさである。7 P, ?# D/ z, A6 X' g4 J

3 [8 K7 `  s1 I" {4 T  j 数学の美や深遠さは、凡才にはやや実感しづらいところがある。だが、数学五輪に出場するような俊才ならきっと堪能できるのだろう。何しろこんな難問を解いてしまう若者たちだ。「nを割り切る相異なる素数はちょうど2千個ある。2のn乗+1はnで割り切れる。この条件を満たす正整数nは存在するか」\1 ]* n7 t* l- R9 {- a
  C. w* c# o7 L# C
 全国13会場できのう、数学五輪の日本代表を選ぶ試験があった。参加したのは高校生以下の百数十人だが、東欧スロベニアで夏に開かれる五輪に進めるのは各国とも6人まで。会場にはトリノ五輪にも劣らない緊張感が漂っていた。
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 1959年にルーマニアで始まった数学五輪には、既に半世紀近い歴史がある。90を超す参加国で際立つのは中国の強さだ。この10年で7度も優勝した。米国や韓国も強豪だが、日本は最高8位どまりである。
5 h% U. _  I$ S8 L; ?: p
- s+ d9 @& L* E- Y5 D6 u 国ごとの平均的な数学力なら世界屈指の日本が、数学五輪となると上位に届かない。「日本の学校は英才教育をためらいますから。飛び抜けた頭脳をさらに伸ばす場がほとんどなかった」。数学オリンピック財団事務長で元高校教諭の渡辺義正さんは話す。
( r6 y1 `: z( J  E+ u! b- ]; u4 g! e( s
 本番では同じ問いが各国語に訳して出題される。発想で解く米国、論理のドイツ、直感のイタリア…。解き方には国柄がはっきり表れる。教科書に即したまじめで地道な解法が日本勢の特徴だという。
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发表于 2006-2-15 18:51:22 | 显示全部楼层
2月13日は新聞休刊日のため、天声人語は更新がありません。
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发表于 2006-2-15 18:52:14 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月14日(火曜日)付
, I2 C# m! h# o8 t, h# y' D& T0 }% Y; w% \5 n
 70歳になったら、トイレでも歌わないし、シャワーを浴びる時も歌わない——。テノール歌手パバロッティが、2005年の70歳の誕生日を限りに引退すると述べたと報じられたのは4年前だった。その人が、トリノ冬季五輪の開会式に登場して歌った。. p* Q/ \: l& Y( ]; @- c

* ?- K8 z3 g* B- J 本人のテーマソングともいわれた「誰も寝てはならぬ」で、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの中の曲だ。テレビで見る限り、「私は勝つ。勝利する」と歌い上げるくだりは、突き抜けるような驚異的な往年の声の張りを思わせるものがあった。
, k5 M$ W6 l. o, i" y1 D( s6 L5 w; h5 P; c& k+ a% b% V" w3 o6 u
 今回の登場の経緯は分からないが、パバロッティは北イタリアのモデナの出身だ。生家は貧しく、12歳の時には伝染病で命を落としかけたこともあったという。歌手として大成した後も、ふるさとには強い愛着を抱いていた(M・ルイス『三大テノール』ヤマハミュージックメディア)。' h1 [& Q, U  t, p/ t. q; Y3 x; ]
0 l- x! S2 k. l
 過去のオリンピックの開会式を顧みると、84年のロサンゼルス五輪のあたりから大がかりな機械仕掛けのテレビ向けの演出が多くなってきた。そんな流れの中で、一個の生身の人間の内側から発せられる朗々とした歌声は懐かしく、そして新鮮でもあった。) \7 g6 B* `4 [

7 h9 ]! y) E; ?( ]$ q7 ? 「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった……ついに舞台へ出る時が来た。最後の死の行進が始まる」。パバロッティは、舞台に立つ直前の心境をこう述べている。
0 R3 S! J: z7 ?0 }$ p/ ?/ Z1 G) S" M" E4 o* \
 トリノという舞台の上でも、選手たちは極度に緊張したり、それを解きほぐしたりしているのだろう。それぞれに「最悪の時」と戦いながら、滑り、舞い、競っている。
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发表于 2006-2-15 18:52:48 | 显示全部楼层
【天声人語】2006年02月15日(水曜日)付
5 j, i; }: Z7 }3 Q2 V( ~1 r
+ h( M1 U9 v& }" W 「一朶(いちだ)の」とは、花のひと枝や雲のひとかたまりを表す時に使われる。司馬遼太郎さんが、『坂の上の雲』(文芸春秋)のあとがきに書いた。「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」\& ?4 o! x: ], Z/ g! w' a
1 x1 r( G, j1 _/ A  C; d) b
 政府も軍もまだ小さかった明治期を舞台に、やがて日露戦争を勝利に導く群像に光を当てて描いた。当時、部分部分の義務と権能をもたされたスタッフは、そのチームを強くするというただ一つの目的に向かって進んだとも司馬さんは述べる。一朶の雲とは、群像の目標であり、当時の日本が追い求めた国の姿でもあったのだろう。  
0 O( U' W$ ^# o& L3 `6 r
7 R# q4 f- I, c# p) R 日露戦争の後、日本は坂道を転げ落ちるようにして泥沼の戦争にのめり込む。行き着いたのが太平洋戦争だった。『坂の上の雲』には、駆け足で近代化を進めた時代を扱いながら、後の苦い歴史までをも見通す独特の視点が生きている。
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1 ?% ]2 q1 D6 C2 S% m; B 司馬さんが72歳で急逝したのは、96年の2月12日だった。その時、妻みどりさんが発表したメッセージにこんな一節がある。「司馬遼太郎はいつもこの国の行く末を案じておりました」; E$ e# ^" v  W2 J2 S$ {3 G1 v- S2 j/ h

+ G7 y& N' C, A9 n) ~% u2 ]% b; I6 W それから10年後の、この国の姿はどうだろう。国民の信頼を裏切るような問題の続発は、戦後の日本の60年の軌跡を問い直すようにもみえる。/ l7 ^# ^% |, N, J- Q) r6 }! m0 ]

! R9 l$ ]  ?- Y! C 焦土から立ち上がり、国際社会に復帰し、経済成長を遂げ、バブルが崩壊して今に至る。この激動の中、いわば視線を中空に漂わせたまま、なりふり構わずに突き進んできたのかも知れない。今は、足元を見つめ直す時だろう。
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发表于 2006-2-18 18:51:34 | 显示全部楼层
2006年02月16日(木曜日)付6 j( d* P. J4 f/ c4 d  b
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 真珠湾攻撃から1年余の1943年の2月といえば、日本軍がガダルカナル島から撤退し、戦局は悪化していた。欧州では、ソ連・スターリングラードでの激戦の末に、ドイツ軍が敗れた。" z' X4 V+ E+ `* R; `& ~9 {

* x0 m  ~& X' _. L: S& O$ ?/ A! z 映画「白バラの祈り——ゾフィー・ショル、最期の日々」は、その2月にミュンヘンで実際にあった反ヒトラーの活動とメンバーの処刑を描いている。ミュンヘン生まれというマルク・ローテムント監督の作品で、05年のベルリン国際映画祭で銀熊賞を受けた。( N) X1 L; v  I1 B: q+ ^1 p

7 O. r! f  M- J0 z+ t; W5 X 「白バラ」は活動グループの名で、主人公のゾフィーはミュンヘン大の女子学生だ。兄のハンスと、大学でナチス政権の打倒を呼びかけるビラをまいたところを通報され、ゲシュタポに逮捕される。
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 身に迫る恐怖におびえながらも、祈りで自らを勇気づけ、取り調べには毅然(きぜん)として述べる。「最善のことをしたと信じている」。逮捕の4日後、1日だけの裁判で死刑判決を受け、即日斬首された。21歳。「今にあなたがここに立つわ」。法廷で、被告席から裁判官に投げかけた一言が耳に残った。/ {3 O9 S8 D+ J/ g) n5 T
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 戦後はナチスの側が被告席に立たされ、裁かれた。ローテムント監督が述べている。「今や、戦争で起こってしまったことに対する罪を問う時代ではありません。今は、そこから学ぶべき責任を問う時代です」(『論座』3月号)。0 d; \5 J+ I8 c' n3 U% r
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 本来は普通の市民だったはずの多くのドイツ人たちが、ファシズムと侵略戦争に加わっていった。それは、日本の過去にも通じる。その奔流にあらがい、人間の尊厳に根ざす小さな白い花を掲げた人たちがいた。
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发表于 2006-2-18 18:52:31 | 显示全部楼层
2006年02月17日(金曜日)付! r- X$ x3 w1 `' U' m8 ^) S

$ Y9 i  @' C" C8 F' i& i: K 2万2千人というのは、どのくらいの人数か。大相撲の両国国技館なら、満員にして2日分になる。0 E6 w! a) e/ v8 b( r/ ?5 Y
2 b. A/ Y: N. e) `7 N( S$ u% s
 中央省庁から外郭団体の役職員として天下り・出向している国家公務員は、約2万2千人だという。民主党の要請を受けた衆議院の調べで分かった。これは昨年4月の時点での数字だが、人は順次入れ替わっている。過去の累積で考えるなら、何十万という数になるのかも知れない。
( S8 M) @4 a1 _+ ]5 [! _, u8 O# G, x/ P- l3 x0 s4 u. M
 4千近い天下り先の団体への補助金の合計額は、5兆円を超えた。05年分だけでこれだから、十数年続いたとするならば、最近の国の一般会計予算の総額にも相当する。金は人に付いてくるとばかり、天下りを繰り返しながら、国民の税金を食い続けてきたのか。0 Q, _/ q% [/ T) Q& @

( r" ~8 \5 E# \( H, | 天下りには、外郭団体にとどまらず、民間企業にまで行く例が後を絶たない。「迂回(うかい)」して、天下りを目立たなくするためのようだ。そして、行き着いた先の民間から献金を受けているのは政界だ。/ k% V: A: y1 U9 y# g9 q

% t9 @! `6 ]& V! v3 K1 J- l6 t  W 「食税」の構造を放置したまま、未来の世代に途方もない大赤字をかぶせかねない事態を招いた政治の責任は重い。中でも、約半世紀にわたってほぼ政権を握り続けてきた自民党の責任は重大だ。昔から指摘されてきた弊害を、まともにただそうとしなかった。
( P, y) h: ~3 O$ R7 [3 s0 |- V2 {* F4 ?: E6 t% v: l
 この政官業の癒着の温床を、いつまで温存するのか。国家公務員法が「迂回」する手口を許しているのなら、速やかに法を改めるべきだろう。無用の税金がどれだけ食われてきたか、それをどう改めてゆくのか。そこをきちんと国民に説明しない限り、「増税」など口にする道理はない。
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