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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2006-3-5 20:34:24 | 显示全部楼层
2006年03月05日(日曜日)付- P5 u8 t( m$ F2 U7 w* ~- f
& E2 p! |$ c% j( k
 米紙ワシントン・ポストが先日、徳島県の上板(かみいた)町役場の庁舎内ルポを1面に掲載した。酷寒の日を除いてこの冬連日、役場内の暖房を止めたことを紹介し、「日本では山あいの町でも省エネに全力を注ぐ」と感嘆の調子で報じた。# [; _; Y  I$ E" D
- x8 o2 B& `, b3 L5 j1 X9 q9 b
 マスクをはめた職員たちの写真を載せ、庁内でもコートを着たまま「省エネは国民の義務です」と語る幹部の言葉を引いた。ただし、行間には「感心はするが、そこまでやらなくても」という本音もにじむ。+ K: j9 U1 p9 Z: C5 [9 t
9 l+ k7 H6 s% }3 A, Q
 なにしろ「米経済に打撃を与える」という理由で、温暖化対策を進める京都議定書から離脱した米国である。寒さをこらえて働く日本の公務員は向こうの読者には奇異に映ったことだろう。それでも暖房なしで冬を乗り切った自治体の奮闘が米国で報じられることは無意味ではない。$ |0 f2 Q# V% c# Q5 t' W

/ j* b0 S6 h7 `7 t" H  y 上板町に続いて、環境省も先月下旬から省内の暖房スイッチを止めている。給湯もやめた。最初の1週間で二酸化炭素の排出量が6トンも減ったそうだ。身を挺(てい)して温暖化に立ち向かう姿勢には共感を覚えた。1 }3 a) [" P3 B- u0 [/ Z  e' k

4 q6 M; V/ y; X; k1 s9 U ところが霞が関の環境省を訪ねるとたちまち拍子抜けする。寒さに震えるどころか、省内はぽかぽかと快適このうえない。庁舎は日比谷公園を見下ろす26階建てビルの最上部数階分だ。朝と夜に暖房を続ける階下の厚生労働省から暖気がたっぷり昇ってくる。
$ B4 t6 G2 s* v+ ]3 V0 u4 Y: i; i9 ?
" A: K& e. M0 R6 Y' |5 x3 t 環境省の測定では暖房を止めた週の平均室温は23度7分だった。稼働時の24度5分と差がない。今までが過剰暖房だっただけのことではないか。こちらは、海外であまり詳しく報じてもらわない方がよさそうだ。
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发表于 2006-3-6 20:27:11 | 显示全部楼层
2006年03月06日(月曜日)付
- W9 h6 C6 u! B) H+ [0 j& c4 E
0 q% Y: D# G- a9 h2 {2 f9 u0 S 米太平洋岸のシアトル市の近くに、ベインブリッジという小さな島がある。今はフェリーで市内に通勤できる緑豊かな住宅地だが、戦前は日系人がイチゴ摘みに従事する貧しい農作地帯だった。
1 \! n/ b' _( l0 a! S, O% H. K) E" c1 X4 Y7 p/ j2 t- L' C5 P; s
 太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)からほどなく強制収容所に送り込まれたのが、ここに住む日系人240人である。64年前の3月のことだ。近くに海軍の施設があったため、破壊活動の疑いをかけられたのだ。軍がやって来て、1週間以内の強制退去を命じた。
" m% e& ~, Y( Y# a+ ]1 J  A5 R: ~) H0 h) l' H6 f
 そのときに抗議の声をあげたのは、島の新聞「ベインブリッジ・レビュー」の発行人で、編集長でもあったウッドワード氏だった。「米国生まれの2世は我々と同じ市民権を持っている」と社説に書いた。' D/ c+ x4 R9 j4 v0 f6 P

% v0 I5 u$ L( M6 F 広告主が降り、読者も次々と離れたが、主張は貫いた。日系人を通信員に任命して、収容所での暮らしぶりを報じた。「この混乱が終わったら、君たちは帰って来るんだ」。収容所への手紙で励まし続けたのである。+ n$ z& Q: L& X. w

2 z* `, Q. x3 Z- l$ C; _, c 戦後になって、彼の行いは高く評価された。日系人の苦難を背景にした90年代のベストセラー小説で、映画にもなった「ヒマラヤ杉に降る雪」を覚えている人もいるだろう。物語に登場する日系人のために論陣を張る新聞記者は、彼がモデルだと言われている。
& P, P$ U# T& A. g4 A" a+ S. P0 C; Q( g( e& a
 02年に島を訪れてみたが、ウッドワード氏はすでに亡くなり、新聞も他人の手に渡っていた。船着き場に立ちながら、あの寒い3月の朝、日系人がフェリーに追い立てられる光景を想像した。そして、だれの身であれ、不正は座視できないと考えた人の勇気を思いおこした。
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发表于 2006-3-7 20:03:38 | 显示全部楼层
2006年03月07日(火曜日)付
9 i1 U- q: p; a3 m. d) v8 ^0 n# J! v4 |( k
 今から60年前の3月5日、英国の前首相チャーチルは、招かれて米国のミズーリ州に居た。この州出身のトルーマン米大統領と演説会場に向かう前首相は、Vサインを掲げて写真に納まっている。前年の第二次大戦の勝利がさめやらぬといった面持ちだ。
9 @1 i# T# H, y: N* L0 x& a9 v2 |+ a& L/ h
 チャーチルは、ここでの演説で「鉄のカーテン」という言葉を使った。「バルト海のシチェチンからアドリア海のトリエステまで、大陸を縦断して鉄のカーテンが降ろされました」(小沢弘明『ヤルタ会談と鉄のカーテン』岩波ブックレット)。世界を東と西に区切る「鉄のカーテン」は冷戦の時代を象徴する言葉となった。/ T; n" m2 L6 m7 Y$ x: a

0 D, ~6 a( k0 d4 p 当時ソ連で独裁体制を敷いていたスターリンは、チャーチルの演説から7年後に死去した。その3年後に第1書記のフルシチョフがスターリンを批判してから50年がたった。ロシア革命から数えれば来年で90年になる。
  e, m0 G$ s3 I. v6 ~- b: T3 M. p; b3 |0 q9 r( q; ?, e
 20世紀は「戦争と革命の世紀」とも言われた。中国は「鉄のカーテン」演説の3年後に革命で生まれた。人口13億余に達したその国が今、世界から一段と注目されている。4 F! a- k3 b( [9 [6 c* A
" I3 P3 d1 D3 O& P" O: `
 国全体では2けた近い経済成長を続けながら、農村では衣食住の最低レベルの生活すらできない人が2千万人以上いる。都市の急激な経済発展と裏腹に、農業・農村・農民の「三農問題」が大きな壁になっている。深刻な環境汚染は日本の戦後と重なって見える。. ], S) G) |3 w4 O0 `; c

2 {3 j" I2 V9 c; @5 N6 q 中国は日本と一衣帯水の地にある。これからどうなってゆくのかが気がかりだ。互いに無用のカーテンを下ろすことなく、しっかり向き合っていければいいのだが。
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发表于 2006-3-10 12:32:52 | 显示全部楼层
2006年03月08日(水曜日)付4 L; \2 M& q; m3 {- B
5 v  V5 [6 A$ h& I' C( c
「度量衡」の度は長さ、量は容積、衡は重さをあらわす。日本に初めて度量衡の制度ができたのは701年、大宝元年の「大宝律令」によるとされる。. F/ N4 H' b7 F/ Z
5 \; t' V8 s3 ?
 「刑部(おさかべ)親王・正三位藤原朝臣不比等……を遣して律令を撰定せしむ。是に於て始めて成る……始めて度量を天下諸国に頒つ」(『続日本紀』現代思潮社)。度量衡のものさしが幾つもあったのでは、世の中が混乱する。それを統一するのは権力者で、力を世に示すことでもあった。# h9 X  J0 O" i. u( V4 t

* U9 @6 B+ `8 d マンションなどの耐震偽装の問題を巡って、耐震強度を計るものさしが複数あることが報じられた。偽装によって耐震強度が足りないとされた東京都新宿区のマンションについて、新しい構造計算法で計算し直したところ、一転して「安全」となった。9 v, T9 f* s. ^9 K" D  k! [1 O+ {
. y3 C, a8 @' J
 どの計算法を使うかによって「強度」が変わるのでは、その値で線引きする公的支援の仕組みが揺らぎかねない。買って住む人の安全を第一に考えているのか、という疑問もわく。! K8 _; C! i8 w* F5 e* b

7 o1 q# K8 D0 f6 J& @ 明治期に「米屋の嫁」と題する絵が小学校の「修身」で使われたことがある。座った女性の前に米をはかる枡(ます)が二つある。大きさが少し違っていて、女性は驚いた様子で描かれている(松本栄寿『「はかる」世界』玉川大学出版部)。舅(しゅうと)から大きい枡で米を仕入れ、小さな枡で売るように言われ、「あまりのひどさに、女性が嫁ぎ先を去り実家に帰らせてもらうと言うと、舅もその意見を変えた」  v* `! H: @! P) H3 p3 q! V
) ?1 `/ k" ]' r% v
 同じ一升の米をはかる枡に違いがあってはよろしくない。まして安全をはかる枡なら、誰もがうなずけるしっかりしたものがいい。
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发表于 2006-3-10 12:34:03 | 显示全部楼层
2006年03月09日(木曜日)付! \, Q( a1 q( J9 q; Q7 i" w
6 X' h, M* M3 o5 k! {: C: ~: {$ I7 `, B
「外務省の電報案なるもの及び沖縄駐留の給油機が問題となる。調査を要する」。1972年、昭和47年3月27日、佐藤栄作首相は日記にこう書いた(『佐藤榮作日記』朝日新聞社)。
7 p; E& A7 b  i1 u* ^3 u  U% j( }% `3 }3 \$ A
 当時国会では、社会党議員が、米国との沖縄返還交渉の疑惑を取り上げていた。外務省の極秘公電の写しを示し、返還される土地の原状回復の補償費400万ドルを日本政府が肩代わりする密約があると迫った。政府は全面的に否定した。, q9 N2 u* e* @/ ~
2 d) t- V$ F: e
 翌月、毎日新聞記者と外務事務官が、公電を漏らした疑いで逮捕された。その日、首相は記した。「この件としては一段落だが、この節の綱紀弛緩はゆるせぬ。引きしめるのが我等の仕事か」) B5 i$ [/ Z( K$ [6 }
; x' C. y/ f1 d6 b3 x
 当時、対米交渉にあたっていた吉野文六・元外務省アメリカ局長が先日、この密約があったことを認めた。国会で追及された時には、「いま先生がおっしゃったようなことは全然ございません」などと繰り返していた。その人の、逆の証言は重い。
  ]4 u: Z9 ^$ t$ o) p4 E% u* e0 b6 \9 e) S7 o0 ~
 吉野元局長は、こうも述べた。「沖縄が返るなら日本が払いましょう、ということになった。佐藤栄作首相の判断だった」。34年前、佐藤首相は何を思いながら「電報案なるもの……調査を要する」と書いたのだろうか。
8 i! @! G3 H; a; I  b* v! ~( |5 `! P4 y& b5 G6 h( a! I
 政府は今回も、「全くそうした密約はなかったと報告を受けている」などと否定している。これほどの証言があるのに、永遠に白を切り続けるつもりなのか。折しも、在日米軍の再編で、巨額の費用負担などを巡る交渉が続いている。「沖縄密約」には、遠い昔の出来事ではすまされない現実味がある。$ l4 H$ r9 o( _$ A
岸上的鱼
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发表于 2006-3-11 15:14:54 | 显示全部楼层
2006年03月10日(金曜日)付0 M. N( A1 D. q* W

  g+ m: d1 t( p1 `- H* n 忘れ物と落とし物は違う。電車の棚に置いてきた物を、落とし物とは言わない。いつの間にかポケットから消えた鍵を忘れ物とは言わない。双方合わせたのが遺失物で、それが拾われて拾得物となる。" t1 ~3 K. n# T$ y( L/ ?( S# k) y, O
4 y  K1 Q7 Q% N5 v0 d6 {- B+ V
 拾得物で一番多いのは、やはり傘類だという。警察庁の04年の統計では約15%を占め、次いで、裸の現金、小物の衣類、財布類となっている。全体では1千万点を超えた。
) o# W3 w. ]7 [* e0 I4 G; @2 C, R! B
, E- a1 \. ?% M1 t 遺失物法の改正案が先日、閣議決定された。膨大な品々を効率的に処理するため、6カ月だった拾得物の保管期間を3カ月に縮める。また、警察署ごとに管理している情報を集約して、インターネットで公開するという。時の流れを映す改正だが、要は、再び手にしたいと望む人にできるだけ早く、より多く戻る仕組みになればいい。  W0 k6 L; `+ N% R6 G* f1 [
* P/ V1 ^, t+ ^: Q$ ^0 I& y# Y8 M
 現代ドイツの作家ジークフリート・レンツの小説『遺失物管理所』(新潮社)は、忘れ物や落とし物を巡る人模様を描いている。駅の管理所を舞台にして、婚約指輪や芸人のナイフ、僧服などにまつわる物語がつづられる。
" Y7 {0 f$ ]: q  V
: ?. \; q. e9 i9 ]6 w: m. \ 窓口で、物をなくして駆け込んで来る人や届け出る人に日々応対している青年ヘンリーが語る。「嘆いたり、不満を口にしたり、自分を責めたり。そして、希望の光が差し込んできたり、ぼくがうまく慰めたりできたときの、あの喜びよう……ぼくまでその人に負けず劣らず幸福な気分になってしまうんですよ」(松永美穂訳)。
$ m& A9 \- h7 |$ k2 {, ]1 |' X. q# O8 O* Q4 k5 l/ V1 Y$ t
 なくす、届ける、見つける。あるいは、見つからない。現実の警察や駅の遺失物管理所でも、それらが日々交差している。
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发表于 2006-3-11 15:15:57 | 显示全部楼层
2006年03月11日(土曜日)付
, D5 j2 p* Z# ^0 K8 v6 o4 C7 a2 w+ Q) g- n- @" E
 量的緩和を解除し、ゼロ金利は当面維持する……。この日本銀行の政策変更によって、日本はどうなってゆくのか。専門家の間でも、「役割は終わった」、あるいは「当面続けた方が良かった」と見方が分かれた。
& |; v) N4 y/ f" `! ]
! V* ?" F0 \& o: U$ c! {. @0 _, o 先月93歳で亡くなった都留重人さんは、経済の「平熱」を計ることの難しさを説いていた。人間には平熱があり、体温計を使って危険信号を読める。「経済のばあいには、平熱とは何かということについて、専門家のあいだでも、なかなか意見が一致しないのだ」(『経済を見る眼』岩波新書)。
! c% b1 l3 U0 V% U6 q7 ^5 k8 ?7 D
7 Z/ D  A6 x6 Z8 R; ~ 日本の戦後を代表する経済学者の一人で、リベラルな論客だった都留さんは、一橋大の学長などをつとめた。1947年、昭和22年には、最初の経済白書を執筆している。当時は「経済実相報告書」という題だった。日本をどう再建するのかを世に問うた異色の白書として読み継がれ、後年『第一次経済白書』として講談社学術文庫に収録された。, @$ \# d) |, O$ F/ p( m

3 A. Y- f' \& h. P) _1 ^  r5 O こんなくだりがある。「経済が危機に立ったときには、われわれは否応なしに、ものごとをいままでになく透明かつ直接的につかむことを余儀なくされもするし、またそうしなければならない」
( ~4 p$ f% u3 C& `; R7 Y$ M
: ~; g2 N8 \' g2 d( g 2001年の経済財政白書は、小泉内閣のキャッチフレーズ「改革なくして成長なし」を副題に掲げた。そのころ都留さんは「成長それ自体を目的とすべきではない」と語っている。; S7 j5 b4 d. d' ]$ X

4 \1 [) \" M+ c 「成長」という言葉に振り回されることなく、ものごとを透明かつ直接的につかむようにとの思いが込められていたのだろう。改めて、かみしめたい。
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发表于 2006-3-13 19:18:04 | 显示全部楼层
2006年03月12日(日曜日)付+ ~1 q3 n! w* D2 ?& q
' A. g. ~0 u  C  e; R( a. q# Z
 失業者が街にあふれた大恐慌時代、米国ではジグソーパズルやクロスワードが大変な人気を集めた。紙片をつなぎ、隠された言葉を探すことで、人々は現世のつらさを一時忘れた。9 V6 `; ^& ?6 u1 h# w/ M! t& C
4 e5 F; k- `- D2 R& r6 L/ W
 いま欧米でジグソーやクロスワード以来の流行と言われているのは「数独(すうどく)」という日本ゆかりのパズルだ。書店や駅売店にはsudokuと題するパズル本が並び、高級紙が娯楽面で出題を競う。あまりの熱中ぶりに「乗務中は数独禁止」と社員に命じた航空会社もある。( E- X- W) O  [# A% q' [( f* I' Q

+ R! V( o& ^4 _& c 世界的な流行は東京都台東区の小さな出版社から始まった。社員18人のニコリ社だ。社長の鍜治(かじ)真起(まき)さん(54)が20年ほど前、縦横9列のマス目を数字で埋める古い遊びを見つけ、自社のパズル誌に載せた。1から9まで一桁(けた)の数、言わば独身の数しか使わないパズルだから、数独と名付けた。
/ e* H6 a: D' s1 V
, ?% P2 e4 E/ @5 W ニュージーランド出身の元判事が日本を旅行中、たまたま書店で数独を見て夢中になる。自分で大量に作問し、英タイムズ紙に新企画として持ち込んだ。一昨年の秋に掲載が始まると、他紙も懸賞品をつけて追随した。昨年は米新聞界へ広がった。' D6 J1 w5 a3 K( w
% R) ]6 p2 U) ?4 E& Y# H7 L
 数独ブームをどう見るか。「クロスワードと違って言語の壁がない」「数の神秘に触れる気がする」。流行先の国々から記者がニコリ社を訪れ、盛んに分析を試みる。「数独で鍛えるから日本の生徒は数学が強い」という記事もあったが、これは美しき誤解だろう。5 ]5 A: }+ a2 Q0 E9 {3 v

# y) l2 N- e9 V8 f1 y0 x 昨日までイタリアのルッカでは、初の世界大会も開かれた。和名のパズル数独は、ジグソーやクロスワードのように長生きするのだろうか。
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发表于 2006-3-13 19:18:49 | 显示全部楼层
2006年03月13日(月曜日)付7 I0 T- M# w* ]3 \

9 E2 d7 \7 q, c# Q3 m; E 春めく風に誘われて、ふらりと旅に出たくなった。
. `" ]& j: P5 P8 w# q
" Y$ j% I: T) a3 Q: g6 y" { 南アルプス(山梨)の、みどり(群馬)が芽吹くころ、つがる(青森)平野に、さくら(栃木)は咲くだろうか。ハイキングなら、妙高(新潟)、安曇野(長野)、八幡平(岩手)あたりが楽しそう。
! a5 g  |' x$ M3 I7 s$ Q0 u. {# @# k( {6 S
 川くだりもいい。千曲(長野)、阿賀野(新潟)、四万十(高知)や紀の川(和歌山)、吉野川(徳島)の清流を堪能したい。島めぐりは淡路(兵庫)、佐渡(新潟)から江田島(広島)、長崎県の壱岐、対馬、五島を回り、天草(熊本)、奄美(鹿児島)、宮古島(沖縄)にも足を延ばそうか。
  ?& u# y& k! E$ x0 v# N4 y% w
3 R) i8 P$ H0 j' I% }, m くつろぐには、やっぱり温泉でしょう。下呂(岐阜)、あわら(福井)、那須塩原(栃木)に行こうか、九州の雲仙(長崎)、嬉野(うれしの)(佐賀)にしようか。お湯につかって夜空を見あげれば、北斗(北海道)の星々が輝いているかもしれない。. i( W, u0 l& u5 Z: t$ j7 a

2 [0 `- F6 i$ B, K 瀬戸内(岡山)で水遊びをして、阿波(徳島)で踊りあかすのも愉快だな。伊賀(三重)と甲賀(滋賀)の忍者の里ツアーは、子どもが大喜びしそう。おいしいものが食べたくなったら、さぬき(香川)うどんも、魚沼(新潟)産のコシヒカリもある。
% ^1 [% j0 ?$ _9 Z4 \: Z* S, j( M# V* {
 いわゆる平成の大合併が、今春で一段落する。3月末までの5年で、市は100ほど増える。この間に誕生した新しい市の名前を並べただけでも、ちょっとした行楽気分に浸れる。でも、本当に出かける時には地図を持ち歩こう。伊達は北海道と福島にあり、山県(やまがた)は山形でなく岐阜にある。匝瑳(そうさ)(千葉)や宍粟(しそう)(兵庫)なんて読みにくい名前も多いのだから。
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发表于 2006-3-14 13:56:10 | 显示全部楼层
2006年03月14日(火曜日)付( t5 Q% Q  }: m% ^; T! v" S
  j" P$ }8 P4 i! x
 昔、米軍の基地を「包囲」しようとしたことがある。ただし、ひとりで、てくてく歩いて——。東京西郊の立川基地は、戦後長い間、米軍基地だった。大学の休みに基地沿いに歩いて、その大きさを実感しようとした。まだベトナム戦争が続いているころだった。$ O& H! a4 o2 J* J2 z( Q
% i' K$ O7 D" N0 y
 ゲートから、フェンスの外の道ぞいに歩いた。しかし、行っても行ってもフェンスは途切れない。かなりの暑さの中、3時間近く歩いたところで「包囲」を断念した。地図を見ると、歩き終えたのは、まだ外周の半分足らずだった。0 `5 ~5 P$ L% c4 r$ i
- [% c9 _6 A) R& i: b0 q
 立川基地は1977年、昭和52年に日本に全面返還され、やがて自衛隊の駐屯地や公園になった。しかし戦後60年が過ぎても、返還されていない基地が全国には数多い。
4 q& Y: U* {: H* c% i  b
0 u3 ?, B0 G6 P: I1 r: L 神奈川県の厚木基地の米空母艦載機を山口県の岩国基地へ移す計画を巡る岩国市の住民投票で、「反対」が多くを占めた。市民の反対が強く切実なことが改めて示された。& ?' o+ x) r4 E

. m2 y# l& `: k あの遠い夏の日の基地「包囲」のころは、基地と日々隣り合って暮らす人々の切実さには、あまり思いが及ばなかった。今、沖縄をはじめとしてこの列島にあり続ける米軍基地の多さを考えると、日本は世界の戦場とつながっているという現実が目の前に迫ってくる。7 `5 T7 C1 L7 N/ K' G4 u

5 q5 s  P" n# o% z" \' p) |% n- d 国の安全保障の問題では、地元の意向がすんなりとは通りにくいかもしれない。しかし基地の存在が大きくなり重くなることは、その地の人々の日常を、より戦場と強く結ぶことにつながる。自治体、政府の側はもちろんだが、基地から離れている身でも、それを忘れないようにしたい。
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发表于 2006-3-16 20:41:04 | 显示全部楼层
2006年03月15日(水曜日)付) V: y% }3 d  b$ a7 d# I; e- p
- r8 ~* Z9 I& r5 x1 n3 o  d
 「三月十五日に御用心を」「なに奴(やつ)だ、あれは?」「占い者が三月十五日に御用心をと申しております」「連れてまいれ、これへ……」。シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』(岩波文庫・中野好夫訳)の一場面だ。古代ローマの独裁者シーザーは、紀元前44年の3月15日に、元老院の議場で暗殺された。7 R; c- c* h& l
+ K  A5 O4 k  F8 N
 「ブルータス、お前もか」は、倒れる時の言葉だが、「わが子よ、お前もか」と伝える書もある。いずれにせよ、信頼していた相手に裏切られるようなことが発覚した場面で使われる一言となった。# d# D3 W/ H8 w

8 C% f7 Y/ {2 K! F3 I1 Z& U# o/ U/ l/ ^ 先日来の日本航空の内紛では、経営陣の交代を要求して「連判状」がつくられたという。その中にある名前を知って、「お前もか」などと誰かがつぶやく場面があったかも知れない。
' X6 d! d- v/ |- @+ R" T* T
% P" P; |: e' Q0 U 日々、大勢の人の命をあずかっている航空会社が、内紛などにかまけていていいはずはない。日航には、しっかり立て直してもらいたいと思っていたら、今度は、低価格の運賃が売り物だという航空会社で、問題が発覚した。3 Q$ Q- t& l! ]! r  ]) M! f5 M

* @7 D& E0 }; d1 I. B. M 新興のスカイマークエアラインズで、旅客機の機体に付いた傷を抜本的に修理せずに、期限を9カ月も超過して飛ばし続けていたという。いったん事故が起きてしまった時の惨状を考えれば、いくら小さな傷でも放置できないはずだ。
. `9 k7 Z' `* ]) J$ r% B2 c& ~& d5 w0 d9 y
 航空業界では、安全や安心への国民の信頼を裏切るような出来事が絶えない。大事に至る前に発覚したからいいようなものの、こんなことが一体どこまで続くのだろうか。シーザーの一言を、しばらくは忘れたい気にもさせられる。
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发表于 2006-3-16 20:42:10 | 显示全部楼层
2006年03月16日(木曜日)付
9 O7 D- O( L. @( {2 w+ r8 m2 n  V$ W( l: r  p4 I( v9 P; y4 |
 衆院の副議長を長く務め、民主党の国会対策委員長に今月就任した渡部恒三氏は、党内では「黄門さま」とも呼ばれているそうだ。その渡部氏が役員会で取り出したのは、印籠(いんろう)ならぬ「起きあがり小法師」だった。地元会津の民芸品で、倒れても起きあがる縁起物だが、前原代表の手元の小法師は倒れたままだった。/ U* E( \: M8 e! K* X. \+ C

* @' T" N8 K7 ]/ i 「転び方が悪かったのかなあ」と渡部氏。小道具を操りながら、とぼけた感じを漂わせる。苦境に沈む党を何とか持ち上げようと、ひなびた芝居を演じているようにも見える。
+ a- @; A" P; W9 o: A, i4 h; q9 i
( z& w2 v! v  w7 V4 l きのう、民主党と永田寿康議員の連名の「『偽メール』に関する謝罪文」という広告が新聞に載った。「メールは全くの偽物」とし、「事実無根」を2度繰り返す。白旗を掲げて早々に幕を引きたいのかも知れないが、これで反転攻勢に回れるのだろうか。
6 n- g4 |; S$ n8 u: v5 {, C! d/ X! ]* w$ u; I, h; }
 若い日の渡部氏は、後に自民党の総裁になる石橋湛山氏に傾倒していたという。石橋氏は1956年、昭和31年12月に首相に就任したが、翌1月に病に倒れ、2月には党幹部らに辞意表明の書簡を書いた。「友人諸君や国民多数の方々からはそう早まる必要はないという御同情ある御考えもあるかもしれませんが、私は決意いたしました」(『石橋湛山全集』東洋経済新報社)。
+ J  o& F1 s! X1 |8 O
0 [1 R4 J2 e+ ~8 [ 国会の審議に出席できない以上、辞任すべきだとも記した。国会は常にその機能を十分に果たさなければならない、という国民への義務感が読み取れる。
" K+ Y. e) q/ T0 R$ B7 D& G( Y0 a! i3 K1 {3 W" m5 S- Y
 このところ国会では、国民の暮らしとは関係のない騒ぎが続いた。そろそろ、こちらを向いてもらいたい。
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发表于 2006-3-18 09:56:14 | 显示全部楼层
2006年03月17日(金曜日)付  k. x+ x4 N8 _4 T+ w7 e4 l

' T1 }5 Q  z0 O9 e6 @3 i" B+ e& H  ?3 p くじで選ばれた市民が、裁判官とともに事件を審理する。そんな裁判員制度が、09年5月までに導入される。全国の市民と裁判官を対象にした最高裁のアンケートで、市民の「判決」に大きなばらつきがあることが分かった。
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" Y/ O7 S# V( ]; s' ], t/ ]) F 「生活費のために借金を重ねた男が、取り立てに来た知人を包丁で刺殺した」という例で、相当と思われる量刑を尋ねると、裁判官の意見は懲役10年前後に集中した。市民の方は、死刑から執行猶予まで様々だった。# x- L7 T' A: C" G

  B) v7 n% X  X# j3 W+ g2 V8 b 市民の常識を裁判に反映させるのが新制度の狙いだという。これだけ開きがある市民の見方をどう裁判に反映させるのか、そして適切な判決が得られるのか。なかなかの難問だ。
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' d- |% \- E' h  P  B1 {) W& H 難しいのはそれだけではない。実際の裁判では、罪を犯したかどうかが激しく争われ、審理が長くなることもある。仕事やいろいろな事情を抱える中で、選ばれた人たちが本当に裁判員になってくれるのかという疑問も残る。  ~, y- L4 ~3 ~# R# d/ a
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 日本で市民が裁判の判決に加わるのは、裁判員制度が初めてではない。大正時代に陪審法が成立し、昭和の初期から15年間は陪審制があった。陪審員の条件にこうある。「男子ニシテ三十歳以上タルコト……国税三円以上ヲ納ムルコト……読ミ書キヲ為シ得ルコト」。陪審員を辞退できる条件の一つには「六十歳以上ノ者」とある。裁判員法では「年齢七十年以上の者」となった。# F* N* f: b, a

) R6 V5 k, v5 X2 i( O 二つの法律の成立には約80年の隔たりがあり、社会のありようは変わった。しかし、法廷に立つ市民の緊張感は変わるまい。それが、法廷の新鮮な目となる可能性がある。
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发表于 2006-3-18 09:57:08 | 显示全部楼层
2006年03月18日(土曜日)付4 O9 S0 L+ G" N) x: e* `

! w7 N# I) B6 R% Y4 B3 ] イラク戦争が始まって、20日で3年になる。ブッシュ米大統領は、開戦の1カ月半後に、主要な戦闘作戦が終結したと宣言した。しかしイラクでの戦闘は今も続き、テロもやまない。  x' ?' v7 n2 Q! u

" p" q6 p- M8 `' I 今週も、イラク駐留の米軍が「テロ容疑者の拘束」のためとして民家を攻撃し、子どもや女性を含む市民が死亡したと伝えられた。ほかにも、米軍は中部地区で「イラク戦後最大規模となる掃討作戦を始めた」と発表した。イラクの現実は、「戦後」という言葉からは懸け離れている。
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 イラク人の死者は、民間人だけで3万人を超えたとされる。米側の死者は2千人を超え、英国は100人に達したという。犠牲者の無念や、家族の嘆きの深さは計り知れない。$ K" G' B4 T: ?9 D5 g
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 この戦争は、国際社会の総意ではなく、ブッシュ政権に他国が追随する形で始まった。先制攻撃の理由に掲げた大量破壊兵器は、結局無かった。この「大義なき戦争」を小泉政権は支持し続けた。
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7 U4 E! c; C  S! d ブッシュ氏は、フセイン政権の圧制からイラク国民を解放したという。だからといって、世界を巻き込み、おびただしい犠牲者が出たこの戦争を正当化できるはずもない。
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 ブッシュ氏が16日に発表した「国家安全保障戦略」では、強硬な姿勢をやや、やわらげ、外交に比重を置く構えがうかがえる。「大義なき戦争」への反省が込められているのか。それともそんな気はないのに、ここで変更した方が今後の国益にかなうということなのか。超大国が、その時々の国益にかなう物差しを世界に押しつけるだけでは、恐れられはしても、敬意は得られまい。
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发表于 2006-3-19 15:14:29 | 显示全部楼层
2006年03月19日(日曜日)付
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! O# l$ Z. d: k9 [ 戒名には院、居士、信士など号がつくことが多い。その違いを「院は浄土へのグリーン席、居士は指定席、信士は自由席」と座席料金にたとえて講釈する寺がある。「せっかくならグリーン車で」。戒名料を奮発させようという魂胆のようだ。, Y" {7 r. G  M/ T- B$ L
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 「何ともあざとい商法。仏の教えからほど遠い」。そう嘆く文化人類学者で東工大助教授の上田紀行さん(47)によると、全国にお寺は約8万あるが、後継者不足はいよいよ深刻だという。ある宗派の調査では、同門の35%が無住になる不安を抱えていた。. S0 D5 N7 Q9 g9 T: b

- f3 q! U2 Q2 C  Y( z そんな中、住職を公募する寺が仏教界で話題を呼んでいる。新潟市の妙光寺で、求めているのはこんな人材だ。年齢25~30歳、大卒で就労経験があり、仏教を学ぶ意欲が高く、人の話を誠実に聞ける方。修行中は月12万円が支給される。/ l9 v! M2 ?* p9 h: U+ f3 g
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 彼岸を前に訪ねると、妙光寺は過疎地の荒れ寺ではなかった。子や孫がいない人も永代供養を受けられる霊堂をいち早く開き、県外会員が多い。財政は安定し、檀家(だんか)の動きも活発という。それなのに公募に踏み切ったのはなぜか。5 F! @& ~( r0 i' I# {- j

) o- t; _' `9 A' U1 P- p 「お寺は世襲と決めてかかる必要はありません」と住職の小川英爾さん(53)は話す。4人の娘はそれぞれに進むべき道を選んだ。「婿をもらえ」と強いるつもりはない。自ら決めた60歳で退職する前に後継者を育てておこうと考えた。
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2 t$ T1 V, I3 {( D' e3 P. y& E8 [; B2 A ともすれば宗門の古い殻にこもりがちな仏教界だが、改革の芽はたしかに伸びている。若手の僧侶らの間で流行している言葉の一つは「ボーズ・ビー・アンビシャス」。坊さんよ大志を抱け、である。
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