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发表于 2006-3-6 20:27:11
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2006年03月06日(月曜日)付2 T, m) M% ^5 y3 v4 v% R" r; x
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米太平洋岸のシアトル市の近くに、ベインブリッジという小さな島がある。今はフェリーで市内に通勤できる緑豊かな住宅地だが、戦前は日系人がイチゴ摘みに従事する貧しい農作地帯だった。
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; d# K, `3 Q- b' o" @6 R2 v 太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)からほどなく強制収容所に送り込まれたのが、ここに住む日系人240人である。64年前の3月のことだ。近くに海軍の施設があったため、破壊活動の疑いをかけられたのだ。軍がやって来て、1週間以内の強制退去を命じた。' E! L$ e3 A, V* R- z1 J$ Q
* x5 y+ P' _4 z6 o. \& T3 x そのときに抗議の声をあげたのは、島の新聞「ベインブリッジ・レビュー」の発行人で、編集長でもあったウッドワード氏だった。「米国生まれの2世は我々と同じ市民権を持っている」と社説に書いた。 F1 k2 f, d' w, B
( M! a0 J5 D0 ^$ C9 \$ ^% @% y- t$ h 広告主が降り、読者も次々と離れたが、主張は貫いた。日系人を通信員に任命して、収容所での暮らしぶりを報じた。「この混乱が終わったら、君たちは帰って来るんだ」。収容所への手紙で励まし続けたのである。
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# c3 Z( j2 E: a; J( V3 u 戦後になって、彼の行いは高く評価された。日系人の苦難を背景にした90年代のベストセラー小説で、映画にもなった「ヒマラヤ杉に降る雪」を覚えている人もいるだろう。物語に登場する日系人のために論陣を張る新聞記者は、彼がモデルだと言われている。& n4 A# W: C3 k- I
8 q$ r @1 P4 ]" i$ B Y% n 02年に島を訪れてみたが、ウッドワード氏はすでに亡くなり、新聞も他人の手に渡っていた。船着き場に立ちながら、あの寒い3月の朝、日系人がフェリーに追い立てられる光景を想像した。そして、だれの身であれ、不正は座視できないと考えた人の勇気を思いおこした。 |
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