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发表于 2006-4-3 17:08:58
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2006年04月03日(月曜日)付
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もう、ずいぶん前のことのような気がする。あの日も4月の第1月曜日で、入社式が多かった。6年前のきょう、朝刊が「小渕首相が緊急入院」と報じていた。( K9 [- o! ?( } ]: x4 y
1 ?* n8 M9 a" @9 f 冷めたピザ、凡人首相。「あらゆる日本語を駆使してご批判をいただいた」。本人がこう語るほど、小渕政権は不人気な中で始動した。それでも自由、公明両党との連立をテコに、周辺事態法や国旗・国歌法、警察の盗聴を認める通信傍受法といった、時代を画する法律を成立させていく。' {, s u( v5 k9 T* k8 q
2 F/ z( ?, J2 ]1 L/ K, D だが、念願の沖縄サミットを前に倒れた。いまから振り返れば、あの入院は戦後保守政治の晩鐘ではなかったか。ゼロが並ぶ2000年に巡り合わせた、ゼロからのリセットボタンにも見える。それほど、この間に政治の風景は劇的に変わってしまった。
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1 T. R) S" l. Q7 i* o 入院の直後に、自民党幹部の五人組が後継首相に森氏を決めたのは、派閥政治を象徴する密室談合だった。小泉首相が国民投票のような選ばれ方をして、世論の支持を追い風にしてきた今となっては、戯画である。五人組も逮捕されたり、離党、引退したりで、3人は党中枢にいない。5 P% C0 o2 w# s0 f0 i
7 n. X+ j. |* g) O+ G# j 経済政策も様変わりした。小渕氏は公共事業を増やしつつ、減税もして、「世界の借金王」と名乗った。そんなバラマキ予算が続くはずもなく、徐々に公共事業は減った。それと軌を一にして、自民党の集票組織は崩れだす。3 Y) q, g! K; x1 z8 {/ w
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あの入院から数カ月後に『不平等社会日本』がベストセラーになり、格差社会への注目度が増していく。「ニート」という言葉も、まだ知られていないころだ。まさに隔世の感がある。 |
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