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楼主 |
发表于 2008-4-30 10:09:05
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山屋敷界隈
一
「赤猫を出すのよ」
|天《かみ》|牛《きり》のお紺はひくい声でいって、じっと手につかんだ|草箒《くさぼうき》を見つめた。かたくむすび合わされた草箒は、四メートルちかい長さになっている。
それから、眼をあげて、|牢《ろう》|格《ごう》|子《し》の方をながめた。格子の外は、幅一メートルの|外《そと》|鞘《ざや》になっていて、そのむこうはまた格子になっている。つまり、牢格子は二重になっているのだ。その外鞘から、さらに二メートルもはなれて、ボンヤリと釣り|行《あん》|灯《どん》の灯がともっている。
「赤猫。……」
お勘もお甲もお伝もお熊も息をのんだ。
「赤猫」とは、牢の隠語で、火事のことをいう。――お紺は、放火して、破牢をしようというのである。いかにおんな牢の、老いたる女王のごとき天牛のお紺とはいえ、なんたる恐怖すべきことを思いついたものか。
しかも、お紺は、おちつきはらっていうのだ。
「牢が火事になれア、罪人はみんな解きはなされる。そして、おれがみんなをひきつれて、本所の回向院へたちのくことになっているのだが、そのひまもなけれア、みんなバラバラに打ちはなしになる。とはいえ、そのままずらかってしまっちゃあ、あとで草の根わけても探し出され、その身はおろか、罪のない親子兄弟まで獄門になる。神妙にかえってくれア、罪一等はへらされるのが習いだから、みんなおとなしくかえってこなけりゃいけねえぞ。……おれア、逃げるがの。みんな、おれが何をしていたか、火をつけるまで知らなんだと申したてるがいい。おれア、逃げて、娘をさがして一目逢やあ、あとは|磔《はりつけ》、火あぶりも覚悟のめえだ。……」
お紺は、そろそろと草箒をとりあげた。――二重の格子のあいだからさし出して、箒のさきに、釣り行灯の火をうつすつもりらしい。
「いいかえ? みんな焼け死なねえように、うまく逃げろよ。……」
「待って!」
と、さけんだのはお竜だ。じろっとお紺はふりむいて、
「――やっぱり、おめえは、おれに刃むかうかえ?」
「いいえ、夜廻りがやってきます」
「なに、夜廻り?――拍子木の音はきこえねえぞ」
「でも、|跫《あし》|音《おと》がちかづいてきます」
お紺は、ぎょっとして、耳をすませた。なるほど、遠くから、しとしとと跫音がちかづいてくる。しかも、相当な早足だ。
そして、外鞘に黒い影が立った。
「武州無宿お竜、急に不審の儀|出来《しゅったい》せるにつき、早々に|罷《まか》り出ませい!」
その声から、例の八丁堀の同心であることがわかった。
しかし、いかに重罪人とはいえ、この夜中に急な呼び出しは、それこそ不審だ。だいいち、あれだけ何度も取り調べながら、いまさら不審もないだろうと思う。――お竜自身もふしぎそうに、ぽかんと口をあけて牢の外をみていたが、調べとあれば、やむを得ない。いそいで立ちあがり、お紺のそばをとおるとき、
「お名主さん、おねがいだから、わたしのかえってくるまで、火はつけないでおくんなさいよ――」
口早に、耳もとにささやいて、出ていった。
お紺はさすがに|狼《ろう》|狽《ばい》して、草箒をひざの下にしいて、そのうしろ姿を見おくった。
「ちくしょう」
と、つぶやいたのは、お竜をののしったのか、同心を|罵《ののし》ったのか、わからない。
ともあれ、彼女の破天荒の冒険は、いちじ|頓《とん》|挫《ざ》したことはあきらかであった。このまま火事を出したところで、もしお竜が出火の原因を役人に告げたら、はたして慣例どおりに囚人一同が打ちはなしになるかどうかは疑問だ。それどころか、いまにも役人たちが|雪崩《なだれ》をうってここへおしかけてくるのではないか。――さっきお竜は、牢破りの計画を訴えはしないといったけれど、お竜に反感をいだいているお紺としては、その言葉を信じきれないのもむりはなかった。――お紺は、歯をくいしばって、闇を刻む時に、おのれの胸をも刻んでいた。
しかし、お竜がもどってきたのは、わずかに二、三十分を経てからだ。
お竜ばかりではない。四、五人の役人があとにつづいて、しかも、妙なものといっしょだ。何者か――たしかに戸板にのせられた人間が、外鞘に置かれたのである。
「…………?」
「…………?」
いっせいに、けげんなおももちで見まもる女囚たちの眼に、まず戸前口から、お竜が入ってくるのがみえた。彼女は、だまって、まっすぐに天牛のお紺のまえにあるいてきた。
「お竜」
なんとなく、お紺は不安の思いにかられて、
「あれア何だえ?」
「新入りだよ」
「なに――病気か」
「名は、姫君お竜という。――」
「えっ」
「あたしの|偽《にせ》|物《もの》さ。――そう名乗っていた女が見つけ出されたので、あたしが呼び出されたのさ。偽物にきまっている。なぜなら――」
「なぜなら?」
「いま、|屍《し》|骸《がい》の胸をみたら、乳房のあいだに、天牛のようなかたちをした赤い小さな|痣《あざ》がある――」
「な、なにっ、屍骸だと? 胸に痣があると?」
立ちあがるお紺のまえに、戸板にのせられたその「新入り」の女がはこびこまれてきた。
「牢番、灯をもってきな。――」
と、お竜がいった。釣り行灯がはずされて、牢格子の外へちかづいた。
戸板にあおむけに横たわった女の顔が、格子の|縞《しま》にふちどられて、|蒼《あお》|白《じろ》く浮かびあがった。かたく、うごかぬ、うら若い顔――それが、なぜかにんまりと笑って、ぞっとするほど美しかった。まさに、死んでいた。
お紺は、その顔から、胸へ眼をうつした。お竜が、しずかにその上にぬれた|襟《えり》をかきひらいた。これまた格子の影にくぎられて、|象《ぞう》|牙《げ》細工みたいにひかる双の乳房のあいだを恐ろしい|斬《き》り|傷《きず》がはしっていたが、血は洗われて天牛のような痣がみえた。どうしたことか、きものはぐっしょりとぬれ、片手に|蓮《はす》の葉を一枚にぎっていたが、お紺はそれはみなかった。ただ、もういちど、くいいるように女の顔をみた。
ふいにお紺は、がばとその屍骸にしがみつき、
「お蝶!」
と、絶叫した。お竜は息をひいて、
「やっぱり、そうか?」
「お蝶じゃ。わしの孫じゃ! こ、この顔に、深川八幡でみた幼な顔がのこっておる。おお、お蝶、おまえは、いってえ、ど、ど、どうして――」
「お名主さん、おまえさんが、本所の回向院へにげてゆく気を出したのア、虫が知らせたんだ。……このひとは、回向院の蓮池のなかで殺されていたとか。……」
お紺は屍骸を抱きあげて、頬ずりしながら|凄《すさ》まじい眼をあげて、
「だ、だ、だれがこんなことをしゃがった?」
「わからぬ。……」
と、巨摩主水介が、沈んだ声でいった。
「|旦《だん》|那《な》、お蝶はなぜこんな目にあったのでごぜえます。お蝶は、何をしていたんでごぜえます……」
「わからぬ。……」
主水介、苦しそうだ。
「わからねえ? お、お蝶は、姫君お竜と名乗っていたとかいいやしたね。それはいってえどういうわけだ。そこのお竜と、どんな関係があったんだ?」
お竜も、はっとしたらしい。口をおさえて、しばらく返事もないのに、お紺は獣のようにとびかかって、そのくびをしめつけた。
抵抗もせず、お竜はしめつけられていて、やっとさけんだ。
「ま、待っておくれ、お名主さん」
「言え!」
「三日たったら。――」
「なに?」
「三日たったら、お竜さんを――いや、お蝶さんを殺した奴を教えてあげる」
「なぜ、三日待たなきゃならねえんだ」
「実は、知らないのよ」
お紺は、|唖《あ》|然《ぜん》として、お竜の顔をみた。「ふざけるな。――」といおうとして、その頬にたれるふたすじの涙をみると、急になぜか手の力が|萎《な》えた。
「おめえは、まったくわからねえ女だ。……」
「すみません、もう何もきかないでおくれ。ただ……このひとは、あたしのために死んだにちがいないと思う。あたしの名を|騙《かた》ったばかりに、こんなむごい目にあったんだと思う。……このひとを殺した奴は、あたしにとっても|敵《かたき》だ。お名主さん、三日のうちに、お蝶さんの敵はきっと討つ!」
巨摩主水介は、じっと三本つらねた草箒に眼をおとしていた。その足もとに、急にお竜がひれ伏した。
「旦那、おねがいです。……このひとは、回向院の無縁塚に葬むるんでございましょう。……」
「そういうことになるが、ねがいとはなんだ」
「このお名主さんを、一日でいいから牢から出して、その手で埋めさせてやっておくんなさいまし。……」
主水介は、屍骸にしがみついて泣いている老婆の姿を見つめ、お竜をながめ、まばたきをして、
「|牢奉行《ろうぶぎょう》に、そう願っておいてやろう」
と、うなずいた。
お紺は、がばとふたりのまえにひれ伏して、すすり泣きながらいった。
「ありがとうごぜえます。おれは、もう、お蝶といっしょに回向院の無縁塚に入りとうごぜえます。……」
「お名主さん、そんな気の弱いことをいわないで。――お名主さんがいないと、おんな牢は|闇《やみ》だよ。……」
「何をいう、おめえこそ、この牢のおてんとうさまだ。お竜、わたしゃ、おめえに負けた。今夜から、おめえ、牢名主になれ。……」
「とんでもない、お名主さんじゃあないと、とてもみんなのおさえがきかないわ。――それに、あたしゃ、もう一つ、ほかに用がある――」 |
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