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楼主: junshan_yin

トヨタ生産方式_初の教科書

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 楼主| 发表于 2009-9-30 22:58:11 | 显示全部楼层
それは、後工程である顧客の立場からみれば、自分のほしいものが、できるかぎり良い品質で、安いことを要求する。
したがって、前工程である生産部門では、顧客の要望に答えられるように良い品質のものを、できるだけ安く造って供給しなければ、マーケットを失うことになる。
1-2原価低減活動は居候絶滅活動
それでは、できるだけ安く造るには、どうしたらよいだろうか。
このことを検討するために、自動車という商品の価値が、どんな作業によって生みだされているか考えてみよう。
われわれの周囲の人たちの作業を観察すると、自動車を造るために必要な部品や材料を購入したり、その材料を加工したり、運搬したり、保管する人たち、各部品を完成車として組み立てる人たち、さらに車両を設計したり、生産計画を円滑に進める人たち、いろいろな分野で多くの人たちが、それぞれの仕事を分担して、自動車と言う商品を生産することによって、企業活動を営んでいる。
われわれは、自動車という商品を造りださねばならないわけだから、直接自動車のねうちをつくりだしているのは、やはり、自動車を製造する作業に直接従事している人たちということになろう。
それでは、直接作業に従事していない人たちは不必要なのだろうか。
材料や、部品を購入したり、車両を設計をしたりする人たちも、やはり、自動車を生産するためには必要である。
しかし、直接自動車を造っている人たちの作業とは、その内容に違いがある。
このような人たちの中には、人に食わせてもらっている人たち、あるいは、居候がいる可能性が強い。
また、このような人たちの作業は、居候的作業になる危険性が強いといえよう。
このように考えてみると、間接的にしか商品の値打ちに結びつかない、管理、間接部門こそ、意識的に居候を見つけだし、これを絶滅するように特に努力しなければならない。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 22:58:54 | 显示全部楼层
つまり、原価低減という点から見た場合、自動車という商品を造りだすために、必要な費用以外の居候的費用は、すべてなくしてしまうことが大切である。
そこで、管理、間接部門の人たちが、全員「われわれは、もしかすると居候ではないだろうか」「真に価値ある売りものになる仕事をしよう」自問自答して、“居候ではない”と自信を持って言える仕事に心掛けることが大切である。
ここでわれわれが注意しなければならないことは、居候はけっして管理、間接部門だけに存在するものではない、直接商品の値打ちを造りだしている稼ぎ手の作業の中にもかならず居候作業が含まれているということである。
あるものについてはその作業のすべてが居候作業である、という場合もたくさんある。
さらに考えねばならないことは、居候は人間だけではないということである。
たとえば、大きな倉庫にいつも同じ部品や材料が、同じ量だけおかれているとすれば、その部品や材料、そして、それを収容している倉庫は、全然なくてもよい、ということが言える場合もある。
つまり、居候であると考えることができる。
また、立派な設備なのに、1日に半分も使用されずに眠っているものがあれば、このような設備も居候である。
いままで述べたような居候を、絶滅していくことが、われわれのねらいとする原価低減である。
しかも重要なことは、居候を全体としてなくすることにある。
たとえば、上述の設備の居候の話しでも、設備が半日眠っているからといって、設備の居候をなくそうと、機械設備をフル運転し、不要な部品をどんどん造りだしたのでは、そのために要した工数や動力費から、材料、部品、倉庫まで居候の洪水となって原価をあげる結果となる。
このように、一つの居候を絶滅しようとしたら、他の居候がどんどん出てきるのでは話しにならないのである。
われわれは、眼を大きく広く見開いて、今まで述べたような居候を、すべてなくしていくことが重要である。
この意味において「原価低減活動は居候絶滅活動である」ということができる。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 22:59:19 | 显示全部楼层
つまり、原価低減という点から見た場合、自動車という商品を造りだすために、必要な費用以外の居候的費用は、すべてなくしてしまうことが大切である。
そこで、管理、間接部門の人たちが、全員「われわれは、もしかすると居候ではないだろうか」「真に価値ある売りものになる仕事をしよう」自問自答して、“居候ではない”と自信を持って言える仕事に心掛けることが大切である。
ここでわれわれが注意しなければならないことは、居候はけっして管理、間接部門だけに存在するものではない、直接商品の値打ちを造りだしている稼ぎ手の作業の中にもかならず居候作業が含まれているということである。
あるものについてはその作業のすべてが居候作業である、という場合もたくさんある。
さらに考えねばならないことは、居候は人間だけではないということである。
たとえば、大きな倉庫にいつも同じ部品や材料が、同じ量だけおかれているとすれば、その部品や材料、そして、それを収容している倉庫は、全然なくてもよい、ということが言える場合もある。
つまり、居候であると考えることができる。
また、立派な設備なのに、1日に半分も使用されずに眠っているものがあれば、このような設備も居候である。
いままで述べたような居候を、絶滅していくことが、われわれのねらいとする原価低減である。
しかも重要なことは、居候を全体としてなくすることにある。
たとえば、上述の設備の居候の話しでも、設備が半日眠っているからといって、設備の居候をなくそうと、機械設備をフル運転し、不要な部品をどんどん造りだしたのでは、そのために要した工数や動力費から、材料、部品、倉庫まで居候の洪水となって原価をあげる結果となる。
このように、一つの居候を絶滅しようとしたら、他の居候がどんどん出てきるのでは話しにならないのである。
われわれは、眼を大きく広く見開いて、今まで述べたような居候を、すべてなくしていくことが重要である。
この意味において「原価低減活動は居候絶滅活動である」ということができる。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 22:59:45 | 显示全部楼层
このようによい標準作業をつくり、これを守らせることによって、はじめて人間、倉庫、部品、材料、設備などの中に隠れているムダ、ムラ、ムリを、われわれは容易に見つけることができるようになるのである。
たとえばAという部品はロット生産で、完成品の在庫が100個になった時200個ずつ仕掛けるというう場合、完成品を50個入りの専用の箱に入れておく。
そして、あと2箱になったら4箱一杯になるまで仕掛ける。
このように決めておけば、完成品を1個ずつ積み上げておくだけのやり方に比較して、はるかに標準作業は守りやすい。
また、守っているかどうかを、監督者が判断することがずっとやりやすい。
さらに一歩進めて、3箱目のところへかんばんをおいておくというルールを決めておけば、在庫を全然調べなくても仕掛時期がわかる。
したがって、標準作業は一層守りやすくなる。
そうすれば、次にこの100個の最少在庫が多いか、200個の仕掛が必要かどうか検討することができる。
仕掛け終った時点になっても、常に、在庫の2箱のうち1箱が残っているとすれば、この1箱分の在庫は居候部品と考えられるから、これをなくし、在庫を1箱に減らせばよいことになる。
以上の例でわかるように、よい標準作業を作りこれを徹底的に実施すれば、おのずと問題点は顕在化し、居候はあからさまになる。
そして、改善への手がかりを、容易につかむことができるようになるのである。
つまり、われわれが作業現場をうまく管理していくためには、目で見てわかるような管理体制、すなわち「目で見る管理」が一番大切である。
1-4目で見る管理のための重要な道具「かんばん」
当社では、以前から現場を管理するための特徴ある方法として、目で見る管理というやり方が、他社に例をみないほど強力に進められてきた。
そして、目で見る管理のための重要な手段として、かんばんが登場してきたのである。
かんばんを評価するために大切なことは、かんばんが作業現場を管理するための道具であることを、十分認識することである。
かんばんは、けっして部品の在庫管理や生産、搬入指示のための道具してのみ、評価してはいけない。
かんばんを道具として使用することによって、現場の管理のサークルが、きわめてスムーズに回るようになる。
その結果、われわれがねらいとしている居候絶滅運動の効果があげられるということに、評価の焦点をあてなければならない。
現場の管理、監督者なら、管理のサークルをうまく回すことが大切だ、とだれもが十分認識している。
そこで、かんばんを効果的に運用することの、重要さも、われわれは同様に認識することがたいせつである。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:00:05 | 显示全部楼层
第2節かんばんの精神
これまでの説明で、作業現場を管理する道具として、かんばんの重要性を十分認識できたと思う。
そこで、次にかんばんをうまく運用することが大切になる。
そのためにはかんばんの中心をなす考え、すなわち、かんばんの精神を十分理解しておくことが必要である。
2-1現場の徹底的な観察が大前提
どんなことでも改善を進めたり、作業の標準化をするためには、まず、その作業現場を十分観察することによって、その現状を把握し、理解することが基本である。
しかし、この基本が案外守られていないのではなかろうか。
作業現場の問題点を調査すると、その監督者やスタッフが「このようにやらせている」といっていることが守られていなかったり、「ここが問題だ」といっていることが、実はあまり問題ではなくて、もっと異なったところが問題だということがよくある。
これでは、管理のサークルを、うまく回していくことなどはとうていできない。
なぜ、このようなことが起きてくるのだろうか。
そこの監督者やスタッフは、現場を見ていないのだろうか。
もちろん、そうではないであろう。
問題は、自分は観察しているつもりであっても、まだまだそれが不十分だったということにあり、
このことは観察方法に問題があると言えよう。
まず第1に、観察の態度に問題がある。
人間は、とくに経験を積んでくると、いわゆる先入観を持って物事に対しがちである。
「これまでもこうだったから、今度もどうせこうだ」と思って問題点をみては、そのように見えてしまうものである。
それでは正しい観察はできない。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:00:24 | 显示全部楼层
常に先入観を持たず、白紙になって観察する態度が重要である。
第2は、表面的な観察にとどまりがちだという点である。
第1の場合と同じように、経験を積んだ人間は、ちょっと観察すると、すぐ問題のありかがわかったような気になることが多いが、そこで観察を止めてはいけない。
本当の問題点は、ちょっとした観察で、わかったように見える問題の背後に、かならず隠れているものである。
したがって、自分では問題のありかがわかったと思っても、「いや待て、まだ問題はもっと奥深いところに隠れているはずだ」と思い直し、さらに執念を持って観察を続けることが大切なのである。
第3に、「観察の時間が短い」ということである。
現場に問題が起きた場合、「半日くらいはジッと立って観察しろ」ということをしばしば言われるが、まったくそのとおりであって、時間をかけて観察すれば、かならず問題点も具体化し、解決策が何か見つかってくるものである。
「忙しくて、とてもそんなに時間がかけられない」などとはまったくのいいわけであって、問題がいろいろあって忙しいからこそ、半日くらい立って観察し、正しい解決策を見つけ出さなければならないのである。
事実の背後にある真実を発見する姿勢で観察しなければならない。
このような徹底した観察はなかなかおこなわれていない。
しかし、不十分は観察の結果で決められた標準作業は、どこか現場の実態に即さぬムリが生じてくるから守られないのである。
一方、優れた作業現場であれば、絶えず改善のための対策がうたれている。
そして、問題点も刻々と変化しているから、すぐれた作業現場では、いつも白紙の立場で十分観察して、問題点を間違うことなく把握できるのである。
絶えず変化し続けている現場を、いつも上で述べたような態度で、十分に観察すること、これこそ現場を管理する基礎であり、このような態度の中から、よい標準作業がきめられ、これを通じて目で見る管理体制か出来上がる。
そして、かんばんが効果的に運用できる土台が作られるのである。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:00:42 | 显示全部楼层
したがって、かんばんを正しく運用しようとする人は、その大前提として、現場を徹底的に観察する態度がもっとも重要である。
2-2合理性の追求と人間尊重の両立
現場の管理のサークルをうまく回し、居候を撲滅していくためには、すでに述べたように、見ればすぐわかり、守れるような標準化の徹底がその第一歩である。
そのためには、はばむ要因を、徹底的に排除しなければならない。
そうするためには、まず単純化への努力が大切である。
現場の作業の中には、一見複雑で、とても解きほぐせないようなものがあるが、だからといって、すぐあきらめるようでは失格である。
複雑さを生んでいる要因を究明し、複雑な作業を分解し、より単純な作業にしようとする、あくなき執念が大切である。
次には、例外排除への努力が必要である。
たとえば機械に故障が多いとか、不良品がしばしば出たりするとか、このような問題をカバーするために、標準化されていない作業をさせてしまい、結局、標準作業が守れなくなる原因となる。
したがって、絶えず質、量を安定させるべく例外排除、つまり、トラブル撲滅への努力が重要である。
この努力は、言葉を変えれば、結局、ムダ、ムラ、ムリを排除する態度、つまり、合理性の追及ということになる。
ところで、このような合理性の追求の結果、当該作業そのものは単調化、単純化されることになる。
もしもこれに対する対策を考えなければ、結局、仕事の場における人間疎外の問題に結びつくことになるであろう。
しかも、自動車工業のような大量生産工業では、これが現実の問題となって現れていることも事実である。
しかし、合理性の追求と人間性の尊重とは両立させなければならないし、これを両立させようというのが、かんばん方式の精神であり、当社の基本的な考え方である。
なぜならば、作業現場を目で見る管理ができる状態にしておけば、そこに働くだれもが問題点や改善点、つまり居候を発見しやすい状態になっているということになる。
作業そのものは単調であっても、誰もが居候の発見を通じて改善活動に参加できる、つまり、自分も職場をよりよくできるという参画意識をもちうる。
そして、自分の力で改善ができたという達成感が得られることこそ、仕事の場における人間性の回復ではないだろうか。
したがって、大切なことは、誰もがこのような活動に参加できる雰囲気、環境を、かならず職場の中に作り出しておくことである。
居候撲滅運動に、全員が参加できる環境を作って、合理性の追求と人間尊重の両立をはかることこそ、かんばんを運用する人々が、特に心がけなければならないことである。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:01:00 | 显示全部楼层
2-3改善に向かって不断の努力を
それでは、かんばんの精神のかなめとなるものは何だろう。
それは言うまでもなく、居候撲滅の態度である。
前に述べた「徹底的観察」や「合理性追及」も、いわばそのための土台であって、われわれはこのような土台をしっかり築いたうえで、改善という立派な城を建てなければならない。
改善活動の基本は、科学的接近の態度であるといわれる。
そこで、これはどのようなことかを説明する。
まず、問題点を発見するためには、ファイブ、ホワイ1H、つまり「なぜか」を5回反復するのが当社の科学的接近の態度の展開といえよう。
一般に5W1Hと呼ばれる設問法は、なぜ、なに、どこ、いつ、だれ、どのように、ということを、疑問をもって問う方法である。
しかし、これは単なる表面的な問題発見にとどまる場合が多く、より根本的な問題の発見はむずかしいといえよう。
たとえば、機械が動かなくなったとしよう。
「なぜ止まったのか」「スイッチが動かなくなったからだ」
「なぜ動かなくなったのか」「スイッチのケースに油が入るからだ」
「なぜ油が入るのか」「給油のパイプがスイッチケースを通っているが、そのつなぎ目から漏れるからだ」
「なぜ漏れるのか」、、、
「なぜパイプがケースを通っているのか」、、、
と、「なぜ」を繰り返すことが重要であり、このようにして、はじめて問題の真の原因を浮かび上がらせることができ、再発防止のための根本対策が立て得るのである。
この例の場合も、1回のホワイだけなら、単にスイッチを変えるという対策、3回のホワイではつなぎ目をテープで巻くこともできる。
5回のホワイで、パイプがケースを通らないように直すというように、単なる表面的な対策から、より根本的な再発防止のできる対策になっていくことがわかる。
このファイブホワイの態度は、先ほど述べた「徹底的観察」の態度と言っているのであって、問題発見のためには「先入観を持たずに白紙になって観察する」「事実の背後にある真実を発見する」、そのために「半日ぐらいはジッと立って観察する」という態度が必要である。
この言葉を変えれば「ホワイブホワイ一本でやれ」ということにもつながるのである。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:01:23 | 显示全部楼层
次に、改善案を立案するために重要なことは、全体のつながりを考慮したものの見方である。
すなわち、系列的な考え方に立って、単位的な考え方にとらわれないようにすることである。
たとえば、ある現場で外注部品のA部品とB部品を組み付けてから車両に組み付けているが、A部品とB部品との組み付けは面倒なので、外注先で組み付けてから納入してほしい、というような話がある。
この場合、外注先で組み付けたほうが組み付け工数が減少するならよいが、反対に、かえって増大するような場合は、誰でもこのような外注組み付けはおかしいと感じるであろう。
しかし、自分の現場のことだけで改善を考えていると、上の例のような話はよくおきてくるものである。
改善案を考える場合、自分の現場のみの改善ではなく、関係部署を含めて全体として、効果のある改善案を考えることが重要である。
自動車工業のような、総合工業では、特にこの考え方が必要である。
これをさらに拡大すれば、結局、オール、トヨタとしての改善案につながるのである。
改善について立案したのち、その改善案の実施にあたっては、実行にまで結びつける執念を持つことである。
せっかく苦労して改善案ができても、これが実行されなければ、何にもならない。
そういう意味からすれば、改善活動はあくまで結果で勝負することである。
しかしながら現実には、改善活動においては、この実施が一番むずかしいのである。
なぜならば、改善案をうまく実施するためには、どうしても他の人に理解し納得してもらって、やってもらわなければならないからである。
しかし、改善案が、すばらしく、斬新であればあるほど、むしろ、その受け入れにあたって、その関係部署の人たちは、抵抗を示すことが多いのである。
自分の持っているすべてをぶっつけてその壁を打ち破り、実行に結びつける執念、行動力こそ、改善という城を建てるために、もっとも重要である。
以上のような態度で、改善活動を何回も繰り返し、一つの改善が終わったら次の改善へのスタートとする。
すなわち、改善活動とは、果てしない階段を一歩一歩上ることである。
われわれは改善に向かって不断の努力を続けなければならない。
2-4物事は決めたとおりには動かない
今までは、かんばんの考え方を、改善活動に焦点を合わせて検討してきたが、次に、別に角度から、かんばんの考え方について検討する。
それは、物事はすべて決めたとおりには動かないということである。
どんなことでも物事をうまく遂行するには、実態に即したもっともよいと思われる計画を立て、その計画に基づいて、規則や基準を決めたり、指示、依頼などしたりして実行に移されていく。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:01:41 | 显示全部楼层
しかしながら、いかに実行可能なように決めたとしても、実際に動きだしてみると、決めたとおりに実行されていない場合が多い。
つまり程度の差こそあれ、決めたこととは何らかの形で少しずつ違った形になっているのである。
これは、いかにきびしい計画を立てたとしても、生じてしまう許容すべき誤差であって、この誤差を別の方法で管理し、修正しなければならないということである。
このことは、実際に物事を動かしている実務者であれば、誰でもよく知っていることである。
かんばんは、この誤差をなくするために実務者が考え出した知恵の結晶なのである。
物事を決めたとおりになにがなんでも動かしてしまうという考え方は、たとえば、統制経済、計画経済の考え方である。
このようにやれば、すべてが、もっともうまくいくという計画をたて、そのとおりに動かしていくという計画経済においては、その実態としては、ヤミ行為という国民のやむにやまれぬ人間性に発する行為(現場においては、このような人間性に発するヤミ行為はつきものである)や、環境の不測の変化によって、すべてうまくいくハズ(推測)のものが、現場の実態は推測と異なっており失敗に帰してしまう。
計画どおりに、何が何でも動かしてしまうことだけにこだわらず、実行面で、その自然調節の作用も生かすほうが、全体として、よりバランスもとれてうまくいくということは、われわれがよく知っていることである。
いま説明したように、いわば、計画と実行とのギャップを埋めていくということ、しかも、それを実行する側、すなわち、現場が中心となって問題を解決して、計画と実行のギャップを埋めていくという考え方が、かんばんの精神の一つの大きな柱である。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:02:00 | 显示全部楼层
第3節かんばんとは
3-1かんばんの機能
かんばんは作業指示の情報である。これがかんばんの第一機能である。
つまり、「何を、いつ、どれだけ、どんな方法で生産し、運搬したらよいか」という情報が自動的に出される自動指示装置である。
生産量、時期、方法、順序あるいは運搬量、運搬時期、運搬先、置場所、運搬具、そして容器などが、かんばんさえ見ればすべてわかるのである。
一般に企業では、「何を、いつ、どれだけ」といった内容の情報は、仕掛計画表、運搬計画表、生産指示書、納入指示票などの帳票の形で仕掛係が作り、現場に流されるわけであるが、すでに述べたように、これではどうしても居候がゴロゴロ登場することになる。
また、「生産方法」「運搬先、置場所」などの情報は、作業標準書などとして現場の机の片隅にしまわれているが、作業者にはなかなか守られず、いわゆる作業不良を作り出す一つの原因ともなっている。
したがって、①いつでも標準作業ができる、②現場の実態に即した指示が自動的に出る。
③仕掛係の余分な仕事と紙料(資料ではない)のはんらんを防ぐ、というようなことをねらって、かんばんが生まれたのである。
かんばんが使用されるかぎり、上で述べたようなむだな紙(資)料は、不要になっていかなければならない。
かんばんの第二の機能は、かならず現物とともに動くことである。
「かんばんは目で見る管理の道具である」ということは、すでに述べたが、これを具体的に表現するためには、第一の機能とともにこの第二の機能が重要である。
現物とかんばんをかならず一致させておけば、①余分な生産をすることができない、②生産の優先順序がわかる(かんばんのたまったものが急ぐもの)③現物の管理が簡単にできる、などのことが可能になる。
以上二つの機能どおりに、かんばんが運用されれば、われわれの目的とする目で見る管理が可能となる。
そして、管理、監督者は目で見ることによって、現場を管理するための、もっとも必要なつぎのことを知ることができるのである。
①標準作業の遵守状況
②自工程のの能力把握
③自工程の在庫状況
④自工程の人員配置の適性度
⑤後工程の作業の進捗状況
⑥後工程の緊急度(自工程の作業の優先度)
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:02:39 | 显示全部楼层
程度の差こそあれ、この二つの機能を備え、それさえ見れば作業者は標準作業ができ、管理者は最良の管理ができるようにした表示物であれば、すべてかんばんであると、われわれは考えることができる。
3-2こんなものも「かんばん」
普通かんばんというと、われわれは長方形をしたビニール袋入りの、外注部品納入指示用かんばんだとか、内製工程のなかでよく見かける鉄板製のかんばんだとかを思い浮かべる。
しかし、前記の機能を備えた表示物は、すべてかんばんであると考えてみると、次のようなものもかんばんの一種であることがわかる。
(イ)台車もかんばん
本社工場では、総組立ラインにおけるエンジンやミッションなどのユニット、アッシーの引き取りは、一定の量しか積めない、きまった台車を利用しておこなっているが、この台車は、かんばんの役目を果たしている。
すなわち、総組立ライン、サイドのユニットの在庫が基準量(3~5台)になったら、それぞれのユニットを車両に取り付けている部署(たとえばエンジンを搭載している部署)が、空き台車を持って、組付ラインへいき、空き台車と交換に、必要なユニットの積まれた台車を引き取ってくるのである。
この場合、かんばんはその台車についていないが、①引取りのルールを決めること、②台車数を規制することなどによって、かんばんを使用するのと同じ効果があげられる。
たとえば、ユニットの組付けラインでは、必要以上に作りたくても空き台車がなければ完成したユニットの置場所がないので、このラインは止まるし(フル、ワークの考え方)、総組立ラインも、台車上にある決まった在庫以上に余分な在庫を持つことはできないようになっている。
つまり、かんばんを運用するのと同じことを、台車その物に対しておこなうことによって、台車がかんばんの役目をしているのである。
また、機械工場の中には、内製部品の工程間の運搬がかんばんなしでおこなわれている場合がある。
この場合も前例と同じように、台車がかんばんの変わりをしており、かんばんそのものはなくても、かんばんによって生産や運搬が行われていると、いうことがいえる。
(ロ)指定席もかんばんである。
われわれの作業現場では、運搬の合理化の武器として、チェイン、コンベアがたくさん動いている。
これには部品を吊り下げて塗装したり、組付用の部品をラインサイドへ供給したりしている。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:02:58 | 显示全部楼层
このチェイン、コンベアを利用して、多種の部品を運搬する場合、「いつ、どの部品を、どれだけつりさげたらよいか」を間違いなくやるためには、チェイン、コンベアの都合のよいところに、部品を指定する表示物を適当な間隔に吊り下げておき、表示してある部品しかつらないようにすれば(これを指定席という)、コンベアと一緒に指定席がぐるぐる回って、必要な部品の円滑な引取りと、供給ができる。
この指定席は、前記の機能を備えたかんばんの一種であって、このようなかんばんの使用により、われわれはきわめて有効にかんばんを活用できるのである。
3-3こんなものにも「かんばん」が使える
前項では、かんばんその物はなくても、かんばんがいろいろな形で存在することを知った。
続いてこの項では、「かんばんはこんなものを管理するのにも使える」ということを一例をあげて説明する。
プロペラシャフトには、バランス、ウエイトを取り付けている。
このバランス、ウエイトは5種類あって、プロペラシャフトの回転ムラの程度により、その中から必要なものを選び出して取り付けるのであるが、もちろん、ムラがなければ1個も取り付けなくってよいし、場合によっては何個も取り付けなければならない。
そのために普通の部品のように生産計画があればその使用量がわかる、というような代物ではない。
したがって、このような部品は、よほどうまく管理しないと、一方ですぐ特急品が出る反面、他方では不要な在庫がどんどんたまってしまう。
そのため仕掛計画や運搬計画も頻繁に変更せざるをえなくなり、結局、バランス、ウエイトの生産→運搬→使用のすべての工程において、居候と紙(資)料が続々生産されるハメに陥ることになる。
事実、この工程においては、かんばんが導入されるまでは、いろいろな苦労をしてみたが、結局、うまくいかず「こんな部品の場合はしょうがない」とあきらめていたのである。
この全工程をうまく管理するためには、まづ第一に、各工程にある5種類の部品の在庫数を、いつも正確に把握しておくこと、次に、この在庫の実態を常に反映させて、特急や過剰在庫が生じないような仕掛や運搬をすることが必要である。
そして、このような目的を達成するために、この工程にかんばんが導入された。
その結果、従来あった問題点は解消され、余分な死(資)料なしで、仕掛、運搬、在庫管理はスムーズにおこなえるようになった。
すなわち、①現物にかんばんを取り付けることによって、現物がいつも正確に確認できるようになった、②かんばんが工程間をグルグル回ることによって、いつも必要な順序で、仕掛や運搬ができるようになった、③その結果、5種類の在庫量がよりコンスタントに保てるようになり、結局、在庫量を大幅に減少することができたのである。
この例が貴重なのは、往々にして「かんばんは、毎日安定して使用される部品の管理にしか使えない」と考える人がいるからである。
確かにかんばんのルールにおいても、「生産の安定化、平均化」は大きな条件になっているが、だからといって「引取りの安定した部品でないと、かんばんが使えない」ということにはならない。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:03:15 | 显示全部楼层
つまり、かんばんは決して使用量の安定した共通部品、汎用部品のみの管理の道具ではなく、使用量の不安定な、一見かんばんではとても管理できないように見える特殊専用部品の管理にも、有効な道具なのだということが、「かんばんの精神」を正しく理解していればよくわかるであろう。
また、このような部品の管理に使用してみてこそ、かんばんの本当のよさを知ることができるというものである。
以上の3つの例から、われわれが知恵を働かせれば、かんばんはいろいろな用途に、いろいろな形で使用することができ、現場管理のレベルアップに大きな力を発揮することがわかる。
その現場のレベルの高さは、かんばんの利用の程度によってもわかる、といわれるゆえんである。
この意味からすれば、かんばんは現場の知恵の結晶であり、だからこそ、その具体的内容は変化、発展をとげていかなければならず、いつまでも同じかんばんを使っているようでは、その現場は努力が不充分といえるのではないだろうか。
next
第4節かんばんのルール
すべての道具というものは、それが良い道具であればあるほど生かして使えば、
目的を達成するための効果的な武器となるが、これを誤って使えば、かえって目的達成を阻害する凶器と化すものである。
作業現場を効率的に管理するための道具であるかんばんについても、まったく同じことがいえる。
この節ではかんばんを運用するための前提条件、すなわち、かんばんのルールを解説する。
4-1第1のルール:不良品は後工程へ送らない
不良品を造ることは、売れないもののために、資材、設備、労力を投入するということである。
これは居候製造活動のさいたるものであって、企業の目的とする原価低減に反する最大の物である。
そこで、不良品というものは、これが発見されたら2度と製造されないように、すべてに優先して再発防止の対策をうたなければならないものである。
この不良撲滅の活動を、徹底的に実施するために「不良を後工程に送らない」という第1のルールが重要なのである。
その理由は、第1のルールを守れば、
(イ)不良品を製造した工程が、不良品の発生をすぐ発見できる。
(ロ)そのまま放置しておくと、後工程が止まったり、不良品が自工程にたまったりして、すぐその工程の問題がクローズアップされるので、管理、監督者が一致して再発防止の対策をせざるをえなくなるからである。
そこで、このルールを確実に実施するためには、不良品がでたら、自動的に機械が、または、作業が止まってしまうようにしておくことである。
ここに自働化の考え方が登場してくる。
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 楼主| 发表于 2009-9-30 23:03:33 | 显示全部楼层
かんばんを効果的に運用するためには、第1のルールを守らなければならない。
そのためには不良品が後工程に決して送られないことを保証する、この自働化にたいして、最大の努力をはらうようにしなければならない。
4-2第2のルール:後工程がとりにくる
第2のルールは、必要な時期に、必要な量だけ、後工程がひきとりにくるということである。
必要でもないときに、必要以上に物を造り、後工程に供給することは、いろいろな面で損失を生み出すことになる。
すなわち、作業者に余分に残業までもやらせてしまう損失、余分な在庫を寝かせるために生ずるいろいろな損失、さらに設備は余力があるのに、それがわからなくなって増設してしまう損失、その反面、ネックになっている設備も、はっきりつかめないために、対策が手遅れになってしまう損失、そして、最大の損失としては、必要でないものを造るために、必要なものが造れないということが生じることである。
このような損失をなくすために、第2のルールはきわめて重要である。
このルールが確実に守られるためには、どうしたらよいかを次に説明する。
ここで問題になることは、「不良品は後工程に流さない」という第1のルールを守れば、自工程で発生する不良品は発見できる。
したがって、他から情報を得る必要がなく、必要な品質のものを供給することができる。
これに対し、後工程に必要な時期と量は、本来、自分の工程ではつかむことはできないということである。
つまり、他からそのような情報が与えられて、初めてわかるものだということである。
したがって、それぞれの工程にこの情報を与えることが必要になり、いわゆる仕掛係が登場し、仕掛計画と称するものがこの情報として作られ、配布されることになる。
仕掛計画は当然のこととして、設備の稼働率とか不良率とかの種々の要素について、一つの前提をたてて成り立っているのであるが、現実の生産現場がこの前提どおりに動かないことは、すでに説明したとおりである。
しかし、このような予想と現実のくい違いに、仕掛計画の変更が細かく、しかもタイムリーに対応できないのである。
そこで、どうしたらうまく生産、納入指示ができるかということが、どこの生産現場でも問題となる。
そして、役に立たない情報がはんらんすることになり、居候が現場にゴロゴロ現れるということになってしまうのである。
ここで、「後工程に供給する」という考え方をかえて、必要な時期に、必要な量だけ、後工程が前工程にとりにくる、簡単に言えば、「後工程ひきとり」ということにしたらどうだろうか。
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