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楼主 |
发表于 2005-6-22 10:06:29
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紅一点 ! N( L3 A: K" ]- K
$ V* i' I# K6 z& R 宋の神宗に仕え、いわゆる“王安石の新法”を持って一挙に富国強兵
4 U- b) U. |, K8 ^- t0 nの実を挙げようとして、司馬光・欧陽脩・程伊川・蘇軾ら有名な学者連
9 G) r; K- I! _* ~" d/ Tに猛反対され、ついに中途で挫折、六十八歳で悶々のうちに死んだ王安
- _7 r1 J& _9 P5 \; k8 m: U* W) a0 x石は、卓抜なこと唐宋八家文中にその比を見ないと言われるぐらいの文
6 E% E( I$ e1 n; Q章家でもあった。
0 G; j9 ?! A: O. F) s# t
4 \8 J' m" u( e8 \6 E) y8 w- c+ W- w その王安石の作った「石榴の詩」の中に、次のような句が見える。4 \7 m' Y5 c! `: e
, n) c( N& C. a5 L$ N: H
万緑叢中に紅一点あり
3 V$ g, @+ G0 R 人を動かす春色は須らく多かるべからず# Z# K& `( B5 \$ H/ i& M! Z; J
" G$ E: z: j5 _ {1 C, D; a1 Qとして、一面の緑の中に咲く一つの石榴の花の美しさ、可愛らしさを、
( o8 H1 O" C& }9 {6 R v6 f9 i+ s春色第一と讃えている。
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( E. `, T% k/ {# \
1 Z1 H& b9 |' ?" {- O また「壬斎詩話」には、- M, B+ r2 W5 ~- B, @$ d/ \ W
1 n$ e/ v8 z& ]$ Y3 [9 v% o& U/ c7 T" s
「青州の推官劉俘がかつてこういった―――
9 A4 ?, N, e$ K& w J “詩を考えるのに、その席上、もし紅一点あれば、
! n) e, t0 }; W5 D M' A) }5 j& R 一斗ますほどの小さな器でも、千の鐘と同様、! Q1 ~9 ^ ^! c: m' J
グッと引き立つだろう”と。」8 @0 [, |% }3 o3 r# D
$ s* a9 F! Z0 R' M& q9 y" O( [と書いてある。4 W8 T& m( c8 [2 |! J: I
2 B. `: E4 a( P8 {7 ]2 @
) Y4 J' v# m# q) Z3 }: o! F 更に「七修類稿」には、
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7 J9 c0 V5 @0 S7 N' I 「英廟がかつて天下の画工を召して上京させた。その時、9 U0 I5 M% C8 X6 b: v7 B, a
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万緑枝頭に紅一点あり" r( a* R& D8 q& |# l
人を動かす春色は須らく多かるべからず* ^7 z& ?+ Z, B! M5 W
( \+ i" _4 w2 w2 ]
をもって題とし、これらの画工をこころみたことがある。」1 f0 b- }# ^, ~2 A: k, n3 P+ Y2 a. _ l
9 ?/ r- C Z1 @4 R$ u' f
と載っている。' }7 c+ O* `4 R& K7 N
3 n7 @+ V, M( U * H! v6 t2 I! a6 ]: n: j- S
もう一つ、「事後文集」には、( M, f, `+ z8 j
5 G) w- G6 j7 x6 O 「「王著句法詩話」に言う。8 A) F; q1 o* D
荊公が内相となり、庭園内を散歩していたところ、* i6 s2 e+ {3 } \. W2 v6 F
石榴が一叢あった。
: ]+ L& e; I: `) w6 @; z: ^) w 枝はよく茂り、僅かに紅の花がついていた。
5 b# g8 b/ V0 T o' i: \8 g' m7 N8 f 輿を起こした荊公はそこで、
5 N. |, f; _. h4 ?/ V; M) H & h. D* b7 ]3 f9 e( g+ [
濃緑万枝に紅一点あり8 x' D( L g6 _$ K9 U+ G+ ]
人を動かす春色は須らく多かるべからず
0 Y$ z* L: c* k3 u$ } 2 ?: c( C6 _ q) E
といったそうだが、
! N1 }% |% q+ z, w3 m6 H* ]3 a 自分は残念ながらまだその全文を読んでいない。」
. ]1 K d: I8 m0 w {! v R# e
# m. J8 S" w; X) K3 _と書かれている。
! Y* @* b) Y; u b) e ( E6 r8 g1 i0 F% [: g
, `# b; I% [! u" Y) A6 Q: n
以上のように「紅一点」の出所については、“万緑叢中”と、“万緑
. |. h X2 j5 U, k. ^枝頭”、および“濃緑万枝”の三つがあり、いずれも非常に有名な話で& r, N" F' ~& _$ u; ?" x+ A
ある。最初の詩の作者について「遯斎閑覧」には、" A/ g, n, {) [5 |- }/ K! I5 h, A
2 Q% R, N; `* d# H
「万緑叢中紅一点という唐人の詩は、! d8 T3 u4 N3 ]8 e
作者の姓氏を記していない。5 b; H8 K, G, [ {" D3 e5 B
かつて王安石が扇に書くのを見たという話があるので、- k3 z* u2 \- p( j) o+ R7 Q
安石の自作だろう。」" J7 N; Q* l7 w; u
5 ^( r2 F/ |( ]0 d6 a1 Sとあり、「侯鯖録」には、' Z3 R5 L6 [' l& V# ^
4 Q ]3 f/ i. |# h' {0 J* w. _
「確かに王安石の詩である。」
) J) n8 o$ c- v8 L$ I6 o' M2 @$ B! B 2 g0 s N# C! ?, d" X
と載っている。更に、「孝経楼詩話」には、
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「王安石の詩である。% w+ M# E- E+ M( a; f6 [
遯斎閑覧は誤って唐人の詩としたのだ。」
, q: T8 i! S# Q9 }5 F$ I+ U 0 V) j6 G; a5 S/ M1 W& C% |
と書いてある。いずれにせよ、はじめは植物のことだったらしい「紅一: F8 \! U- r8 g
点」も、いまでは専ら“男性の中にいる一人の女性”という意味に使わ
! I/ k& z. A0 J6 Y ^れている。 |
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