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发表于 2006-6-29 10:51:06
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2006年06月28日(水曜日)付
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半世紀近く前のことである。学校からの連絡や保護者の短文を載せたガリ版刷りの学年通信が、時折配られた。ある時、万葉集から山上憶良の歌を引きつつ我が子への愛をつづった、ひとりの母親の随想があった。. l% s8 z% O5 ^0 d2 d: u
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〈銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに優(まさ)れる宝子にしかめやも〉。母親の率直さに驚きながらも、大きな愛に包まれているだろうこの生徒の家を想像した。& U4 M: M: o F) q- e2 w7 t: K
# U! J9 V* ?, y q* u9 ~2 A 憶良の歌は、子どものかけがえのなさや、やむにやまれない親心を表している。そうには違いないが、いにしえの世からこの歌が光り輝き続けていることの裏には、この宝の、一筋縄ではいかない扱いの難しさがあると思う。- w3 Z$ B- E9 ^) O) e7 A
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親は、子のためと思って、時には厳しく子どもに接する。子どもは、従うか、無視するか、抵抗する。子が、親の厳しさを自分のためと思うか、親自身のためと思うか。この辺りが一つの分かれ目だろうが、厳しさの案配は悩ましい。" O, Q. b. K8 T6 H& a) {9 U' d
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「おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)」(サン=テグジュペリ『星の王子さま』岩波書店・内藤濯訳)。大人は必ず子どもを経て親になるが、子どもに親の経験はない。当たり前のことだが、難しさの根本は、こんなところにあるのかも知れない。
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サン=テグジュペリは、こうも述べている。「子ども時代、だれもがそこから出てきた広大な領域!」(『戦う操縦士』みすず書房・山崎庸一郎訳)。それぞれがたどってきた広大な領域を思い起こしながら、ゆっくりと、深呼吸でもしてみようか。 |
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