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楼主 |
发表于 2008-4-30 10:12:19
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二
牢屋敷の穿鑿所は、西大牢のまむかいに白壁の背をみせて、反対側に入口がある。白壁とはいうものの、灰色にさびて、しみついたまだら模様のぶきみさは、風雨のためというより、内部から血がにじみ出してきたようにみえる。
巨摩主水介がお竜をつれて、そのまえの|埋門《うずみもん》をくぐって入ると、なかはせまい砂利の庭となっていて、穿鑿所の土戸はそのむこうにみえた。土蔵なのである。この拷問蔵と|白《しら》|州《す》の庭をめぐって、忍び返しをうちつけた黒い塀がとりかこんでいた。
土蔵の土戸をあけて、ふたりは中に入った。たかい明り窓から|幽《かす》かな朝のひかりがふりそそいで、天井からつりさがった|縄《なわ》や、壁にかけられた鞭や、石抱きの石や、|尖《とが》り木馬などが、おぼろおぼろと浮かびあがってみえる。そのいずれもが黒血にひかり、閉めきった土の壁のなかに、むっと血なまぐさい|匂《にお》いが満ちていた。
お竜は、重ねられた石のうえに腰をおろした。
「六人目の女の話をきいたわ」
と、主水介を見た。この恐ろしい場所にひきたてられたようでない――さっき、牢を出たときとは、別人のような明るい|瞳《ひとみ》であった。この陰惨な背景に、それはふたつの日光のようにみえた。
むしろ|悄然《しょうぜん》として、|憂《ゆう》|鬱《うつ》そうな顔は、同心の巨摩主水介の方であった。
「切支丹坂の石寺家の下女でござるか」
といって、この女囚のまえにひざをついた。
「そう、お葉という女。――おまえさん、あのときに死んだ石寺大三郎の腕に、刺青があったのをお知りかえ?」
「承っております。たしか右腕に、無作法御免、とあったとか。侍にはめずらしいこととして記憶しております」
「やはり右腕か」
「何か、また妙なことを気づかれましたか」
「そんな気がするが――いいえ、あの娘をいくらおまえさんが責めても、お役人にはほんとうのことは言いやしない。それで、あの事件だけれど、わたしはもうひとりべつの人間の口からききたいことがあるの。おまえさん、あの石寺大三郎の弟の小四郎という男のいどころをお知りでないか」
「はて、左様な男がおりましたか」
「そんなまのぬけたお調べで、女ひとりを死罪にしようってんだから、つかまった方はたすからないね。――その小四郎とやらにいそいで|逢《あ》いたいのだけれど、いまきいたら、その男はあの事件後石寺家を出て行方もわからないという。――」
「いや、たってその男が必要とあらば、江戸じゅう|虱《しらみ》つぶしに探って――」
「行方もしらぬ男をさがすのに、まえに乾坤堂とか弥五郎とかをつかまえるのには、あいつらを誘い出すうまい|罠《わな》があった。しかし、こんどはそんな罠はないし、罠をかけても、その男はかからないかもしれない。それにもうひとつ、べつにわたしは大変いそがしいことがあるの。三日のうちに、わたしを殺した男[#「わたしを殺した男」に傍点]を見つけ出さなけア、お名主さんに約束がはたせない。ぐずぐずしてはいられないのさ」
といって、お竜はここで奇妙な笑顔で主水介をのぞきこんだ。
「ところで、おまえさん、今度の事件をふくめて、いままでの六つの事件に、どれも似たおかしなことが、一つだけあるのに気がつかなかったかえ?」
「なに」
主水介は、|愕《がく》|然《ぜん》としていた。
「いままでの六つの事件に共通なこと――」
と、お竜の顔を見つめたまま、思い出すように、
「お玉の事件――お路の事件――お関の事件――お半の事件――おせんの事件――お葉の事件――下手人がみんな女だということ、いや、女たちが下手人にしたてられたということでござるか」
「ばかなことをおいいでない。おんな牢を|要《かなめ》にした事件だもの、下手人と女に関係があるのは、はじめからわかってらあ」
と、笑われても、主水介は一語もない。しかしお竜は急に笑顔を消して、|羞恥《しゅうち》のくれないを頬にのぼした。
「いいえ、ひとのことは笑えない。このわたしだって、たったいま、この穿鑿所へくる途中にそのことに気がついて、あっと思ったのだから」
「それは――?」
「それは、女たちでも、女たちをあやつった男たちでもない。殺された男たちのことだけれど、殺された蓮蔵、十平次、玄妙法印、秀之助、対島屋門兵衛、石寺大三郎の六人に、みんな刺青があったということさ」
「お。……」
と、主水介も瞳をつかれたような表情になったが、すぐにくびをふって、
「いや、それは拙者も存じておる。さりながら、刺青などをするのは世の無頼な男どものありふれた習い、べつにめずらしいこととも思えぬが――」
「その刺青が、雲でも花でも|水《すい》|滸《こ》|伝《でん》でもなく、そろいもそろって文字ばかりであったのは、めずらしいこととは思わないかねえ?」
「文字。――」
「そう、蓮蔵の左腕には『蓮』の字の刺青」
「…………」
「十平次の背中には、『色指南』の刺青」
「…………」
「玄妙法印のひたいには、『玄妙』という字の刺青」
「…………」
「秀之助の左腕には、『法』の字の刺青」
「…………」
「対島屋門兵衛の胸には、『読経無用』の刺青」
「…………」
「石寺大三郎の右腕には、『無作法御免』の刺青」
「蓮、色指南、玄妙、法、読経無用、無作法御免」
「そのなかで、きいたようなおぼえのある文字をさがし出してごらん」
お竜は白い指を折った。
「蓮――南――妙――法――経――無」
「南無妙法蓮華経!」
と、巨摩主水介はさけんでたちあがっていた。
お竜はしずかにかぶりをふって、
「いいえ、華、がない」
「…………」
「華の文字を彫った男が、もうひとりこの世にいる。いや、それもまた、わたしたちの知らないところで殺されたか、それとも――」
と、主水介を見あげて、
「蓑屋長兵衛、祖父江主膳、乾坤堂、弥五郎、南条外記たちは、なぜあんな人殺しをしたか、白状したかえ?」
「いや、それぞれ、|嫉《しっ》|妬《と》やら、恨みやら、欲やら、もっともらしいことを申したて、それに不審はあるが、きゃつら見かけによらぬ強情者ばかりで、いかに責めても白状はいたしませぬ。それに――いままでとり調べたところによっても、またみたところでも、きゃつらのあいだに何らかのつながりがある風には感じられませぬが。――」
「そう」
と、お竜はうなずいて、
「もしかしたら、あいつらは、おたがいに何も知らないのかもしれない。――あいつらが女をあやつったように、もうひとり、あいつらをあやつった影があるのかもしれない。それは、あいつらの口を封じるほどの恐ろしい奴か、それともあいつらに途方もない望みをもたせるほどの|大《だい》それた奴にちがいない。……」
「何と? もうひとり、べつにきゃつらをうごかした影があると?」
「|若《も》しかしたら――というのさ。ただ、わたしにそんな気を起させたのは、あの姫君お竜が殺されたからなの。あの女は、姫君お竜があのいくつかの事件の探索に一肌ぬいでいるということを知って、あわてただれかに殺されたような気がするの。そのかんがえから、まだべつの影の男がほかにいるのじゃあないか、という|智《ち》|慧《え》が出て、それからひょいと、殺された男たちに刺青が共通している――と気がついたのさ」
「別の男、それは何者でござろう?」
「それはわたしにもわからない。ただね、もうひとつ、殺された男たちに共通した|或《あ》ることがあるわ。それはねえ、興行師の蓮蔵は、もとは紀州からやってきた男だった。玄妙法印の一行は、熊野の山伏のなれの果て、秀之助も、大坂をほっつきあるいていたことがあったようだし、対島屋門兵衛は大坂の材木問屋、そして石寺大三郎もまた、まえに大坂の城の番士をしていたことがある。十平次だけはどこからきた男かきかなかったけれど、渡り|中間《ちゅうげん》という商売から推して、そっちをながれあるかなかったとはいわれない。――まず、みんな上方――紀州――大坂あたりに関係があった連中ということが奇妙だとは思わないかえ?」
主水介は、思わずうめいた。ごくりとのどを鳴らして、
「それで?」
「だから、ひょっとしたら、たった一語で|牡《か》|蠣《き》みたいに強情なあいつらを――あいつらの一人でも――とびあがらせて泥を吐かせるようなききめのある言葉があるかもしれない。人の名前でねえ」
「人の名」
「ほら、紀州、ときいて、おまえさん、胸にドキリとくるものはないかえ。ないはずはない。紀州、それこそ、お――お奉行さまが、いまあせりにあせり、血まなこになって、人をやって調べさせているところ――一方、そのお奉行さまをあざわらうように、その上方から江戸へのりこんで、いま品川|常楽院《じょうらくいん》で金ピカ御紋をひからせて、江戸ッ子のきもをでんぐりかえらせている一行がある。その一行と、これらの事件と、なにかの関係はなかろうか?」
巨摩主水介は両こぶしをにぎりしめ、顔は|蒼《そう》|白《はく》に変じていた。
「あたったら、おなぐさみ」
お竜は笑った。
「品川に、眼をつけてみな。男の手柄のたてどころだ。うまくいったら――お奉行さまがお姫さまをおまえのお嫁にくれるかもしれないよ。――」
すでに、猛然と四、五歩はしりかけていた主水介はふりかえった。お竜はうすあかい顔をして、しかし生き生きとした眼をかがやかせて彼を見送っていた。
「あなたは、これからどうなさる?」
と、主水介はいった。お竜はわれにかえったように、
「そうだ、その常楽院から出る人、|駕《か》|籠《ご》にいちいち眼をつけて、そのゆき場所をつきとめておくれ。そのすじをたどると、そこにわたしの探し人がいるかもしれない」
「探し人とは」
「石寺小四郎さ。その男をしらべて、六番めの女、お葉を救わなくっちゃあ、あたしの眼がひらかない」
「あなたの眼」
「竜の瞳がひらかない――この捕物の絵巻がしあがらないってことさ」 |
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