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楼主: demiyuan

[好书连载] [山田風太郎] 忍法帖系列~魔界転生 上

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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:19:41 | 显示全部楼层
「但馬どの」
 と、さけんだ。
「あなたは……あれを、魔界転生のことを、信ぜぬということではなかったか?」
「御坊は信じるか」
「わしは……いまだに信じておる。恐ろしいことだが、信ぜずにはおれぬ」
「では、いま、わしも信じる。御坊がいつわりをいうまい。……」
 但馬守は肩で息をしながらいった。あえぎながら、きみのわるい笑いを、口辺に皺としてにじみ出させている。……「変身」せざるに、はやくも但馬守が変身したような恐怖をおぼえ、胤舜は手足が金縛りになったような感じがした。
「ふいに寝返ったようだが、まず、胤舜坊、きけ」
 但馬守は笑いを消していい出した。
「そもそもわしは、わしの人生を悔いておった。ひとつは、御坊もさげすんでいたであろう一万二千五百石の荷物じゃ。他愛もない将軍家指南役、しかつめらしい公儀大目付。……これを大過なく、いや後生大事に相勤めて、いま宗矩は七十六年の生を終わる。――しかし、それが出世であったか、柳生石舟斎の伜として会心の事であったか、わしはかようなことをするためにこの世に生まれて来たか? と思うと、病む以前から、わしは骨をかむような疑い、|空《くう》の思いにさいなまれる夜々を持った。……」
「但馬どのが。……」
「わしは第一歩から過っておったのではないか、そもそも柳生を出て、徳川家に仕えたのがまちがいのもとではないか。……それにつけても思い出すのは、もう一つ、若いころ、柳生のとなり村、月ケ瀬の庄の娘、おりくのことじゃ。わしはその娘と契りを交わしながら、出世のためにそれを捨てて、柳生を出た。……」
「……但馬どのが……」
 胤舜はくりかえした。この謹直無比の官吏の典型のような宗矩が、そのような虚無に心を吹かれ、そのようなあえかな追憶を持っていようとは思いのほかであった。
「胤舜坊、荒木は生きておるぞ」
「え。――」
「荒木がまことに再誕したものならば、まずわしのまえに現われるはずじゃとわしはいった。荒木は、じぶんの代わりに、あの唖娘をよこしたのじゃ。おりくそっくりのあの娘を」
 但馬守の眼はぎらぎらとひかり出していた。
「わしは又右衛門におりくの話をしたおぼえはない。しかし、又右衛門は月ケ瀬にちかい生まれじゃ。村の古老からきけば、知らぬ話ではあるまい。いや、知ればこそ、あの娘をよこした。いま、それがわしにわかった。大井川にあの娘を捨てて御坊にまかせたのは、あれをこの宗矩に送りとどけんがためだ。わしの死期のちかいことを知り、わしを転生させるために!」
「――おお!」
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:20:02 | 显示全部楼层
胤舜の瞳は散大せざるを得ない。いまそうきいて、あのときのことを想起しつつ、二重三重に妖しい糸を投げかけられ、しだいに「魔界」へひきずりこまれてゆく思いであった。
「御坊。……まことにこの世に再誕したいと願い、まことに恋着した女と交合すれば、たしかに転生すると申したな?」
「荒木は、そう申した。……」
「では、わしは、ふたたびこの世に生まれ変わりたいと願う。変わるのではない。生涯かぶりつづけた老実な官吏、精励なる武官の仮面をぬぎすてて本来の柳生宗矩にもどりたいのじゃ。その昔、兵庫が試合を挑んで来たとき、どれほどわしはその仮面をぬぎたいと思うたかしれぬ。いまそれをぬいで……いいや、転生して、兵庫、柳生如雲斎に、まことの但馬守の恐ろしさを見せてくれるわ」
 もはや、人間の声ではない。|喘《ぜん》|鳴《めい》だ。この木彫の置き物に似て端然たる威儀を崩さなかった老人がいまや満面、憎悪と|敵《てき》|愾《がい》に黒ずみわたり、泡さえ噛み出しているのを、胤舜は凍りつく思いでながめた。
 いまや但馬守は、それまでにのべた「理論」によって魔界転生のことを信じたのではない。この憎悪と敵愾によって理性を失い、曾てきいたあの荒唐無稽の奇跡によりすがって立ちあがろうとしているのだ、ということを胤舜も認めた。
「胤舜。……おりく――いや、あの唖娘を呼べ」
 柳生但馬守は絶叫した。
「わしはあの女に恋着した。いそぐ、いそぐぞ、胤舜坊、わしをあの娘と交合させよ!」
 宝蔵院胤舜はふるえ出した。それは恐怖からではなかった。この尊敬すべき老剣聖が、すべての誇り、自己抑制をかなぐりすてたその姿から、嫌悪どころか荘厳の鬼気を吹きつけられるのをおぼえたからだ。
 一息。二息。――
「……承ってござる」
 胤舜はうなずいて去った。このとき彼はすでに|従容《しょうよう》たる態度をとりもどしていた。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:20:23 | 显示全部楼层
【五】

 すぐに彼は女をつれて来た。あの唖娘のみならず、じぶんの同伴者、あのお佐奈までも。
「これ、おまえは又右衛門に何といわれ、何と思うてわしについて来たか、宝蔵院が|今生《こんじょう》の願いじゃ。あの但馬守どのの最後の寵を受けてくれ」
 彼は、唖娘を押しやった。
 唖娘はヨロヨロと泳いで、但馬守の|閨《ねや》にふしまろんだ。――が、ほんとうに彼女は又右衛門たちに何を命じられ、何をかんがえて、いままでこの柳生邸で過ごしてきたのか、逃げもせず――逃げるどころか、そのまま、やさしく瀕死の老但馬守のひざによりすがったのだ。しかも、例のほのぼのとした、春霞のようにけぶった顔で。
 ――荒木が、あの唖娘をよこしたのじゃ。わしを転生させるために!
 そういった但馬守の言葉が決して誤りでなかったことを、身ぶるいとともに肯定しつつ、胤舜は、片手にお佐奈の手をとらえ、片手で、同時に持って入った細長い包みを解き出した。
 白布からあらわれたのは、一本の槍の穂先であった。大井川で、あの少年六部から切りとばされたものの残片であろうか。
 それをつかみ、なかば布で巻いたまま、彼は――ぷつりとじぶんのみぞおちにつき立てた。
「……宝蔵院、何をいたす」
 このさいにも、但馬守は驚愕してさけんだ。
「殉死じゃ」
「ば、ばかなことを」
 胤舜は苦痛に顔をひきゆがめつつ、笑った。
「死に殉ず――というより、但馬どの再誕のお供をいたす、といった方がよかろうか。剣と槍、相照らす武道の旅の道づれになりたい、といおうか。わしは、|転生《てんしょう》した但馬どのと、もういちど立ち合いたいのじゃ。転生すれば、そのわざ、さらに鬼神の妙を加える、と荒木はいった。但馬どの、おたがいにふたたびこの世に生まれ変わって、もういちどやろう。そのときは、かならず勝つぞ!」
 槍の穂をひきぬくと、血潮がビューッと噴出した。
「佐奈、胤舜五十六年にわたる童貞の戒律をいまぞ破る。よろこべ!」
 胤舜は、片手でつかんだお佐奈をひざのまえにねじ伏せた。
 そのとき――唐紙の向こうから、小走りにちかづいてくる足音がきこえ、呼ぶ声がした。
「宝蔵院さま。……ただいま、宝蔵院さまの知り人じゃと申して、二人の六部どのが訪れてござりまするが」
 何も知らないらしい小姓の声であった。
「なに、二人の六部?」
 胤舜はふりあげた顔を凝固させたが、やがて、
「御坊が死なれるとき、われら必ず参上いたし、宝蔵院新生の産婆となって進ぜる、と申したが――そうか、やはり来おったか?」
「は?」
「いや、こっちのことだ」
 胤舜は平静な声にもどって、
「恐れ入るが、こちらにお通し申して下され」
 と、いった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:20:40 | 显示全部楼层
「ただし、その六部だけを通して下されよ」
 ――十分後、二人の六部だけが、その座敷に入って来た。もとより|笠《かさ》はぬいでいたが、ひとりだけは白い|頭《ず》|巾《きん》をかぶっている。
 しかし、但馬守と胤舜は、もうこときれていた。但馬守は閨の中にあおむけになって、うつろにひらいた眼を天井にむけ――唖娘は、そのそばに端然と座って、春霞のような顔でそれを見まもっていた。
 宝蔵院胤舜の碁盤みたいなからだの下には、全裸とされたお佐奈がおしひしがれて、|凄《すさま》じい鮮血と精液にまみれて|悶《もん》|絶《ぜつ》していた。
 唖娘はこちらを見あげ、十字を切って――
「……聖オーギュスタン行長さまのおん霊に祈りたてまつる。おん|呪《のろ》いを世にあらわさんがため、わが罪をゆるしたまえ。――」
 と、いまだ人語を発したことのない唇でつぶやいて、微笑した。
 ――ほかにきく者があったら、驚倒したろう。たんに唖娘がしゃべったという事実だけではない、いまつぶやいた言葉そのものだ。
 オーギュスタン行長――といえば、もとより切支丹大名といわれた小西摂津守行長のことに相違ない。
 豊家の武将、キリシタン、二重の意味で徳川家にとって不吉きわまる名だが、しかしその行長は、四十数年前、関ケ原の役に敗れて|斬《き》られた。――してみると、この娘は、小西の遺臣の血をうけた者でもあろうか。
 これに対して、若い方の――それは例の四郎と呼ばれている六部であったが、彼だけが胸に十字を切って、彼女に応えてみせただけである。
 白い|頭《ず》|巾《きん》で眼ばかりのぞかせた六部は、胤舜のからだを抱き起こし、お佐奈をひきずり出して活を入れた。
 唖でない唖娘と若い六部が、彼女にきものをまとわせているあいだに、頭巾をつけた六部の方は、胤舜を血の海の中に座ったままでつっ伏した姿勢に変え、落ちていた槍の穂を右のこぶしににぎらせた。
 そして彼は、この剣と槍との大達人の二つの屍体を見下ろして、
「……一ト月のちに、また拝顔つかまつる」
 と、つぶやいて、二人のつれをうながした。
 二人にささえられたお佐奈は――目ざめて見たこの恐ろしい光景に魂を奪われて、完全にあやつり人形と化したかのようであった。
 もとの座敷に待っていた小姓は、二人の女を伴って出て来た二人の六部を迎えたが、彼らが一言の口もきかず、粛々として玄関まで出てゆくのを、これまた茫然と見送っただけである。
 が、玄関で、白頭巾の六部が笠をかぶりながら、
「但馬守さま御逝去のことおくやみ申す。なお……宝蔵院さまも御殉死のていに見えまするが……このことは御公儀に秘された方が、御当家の御ためでござりましょう」
 と、ものしずかにいわれ、あっとさけんで駈けもどっていった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:21:03 | 显示全部楼层
すぐに但馬守の病室に於ける大異変が発見され、柳生家は混乱におちいり、あわててまた六部たちの行方を探し求めたが、彼らの姿はもうどこにも見えなかった。
「……父上御他界のことだけを届け出い」
 苦痛にうめきつつ、|主《しゅ》|膳《ぜん》宗冬はそう命じた。彼にとって衝撃と混沌たる思いは、むろん他の誰よりもはなはだしかったが、父の死以外のすべてを秘密にしなければ、柳生家に傷がつくという自覚だけははっきりとしていた。
「――柳生谷の十兵衛さまには?」
 と、家来のひとりがきいた。長男の十兵衛へ、但馬守の死を告げるべきか、否か、ときいたのである。
 主膳は眼をとじて、蒼い唇でつぶやいた。
「お知らせせずばなるまい。誰かやれ。……ただし、父上の御遺言により、御帰邸のことはかたく御無用とな」

 正保三年三月二十六日、柳生但馬守宗矩死す。七十六歳。
 同年同月同日、宝蔵院胤舜死す。五十六歳。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:21:37 | 显示全部楼层
「敵」の編制


     【一】

 柳生如雲斎は、|闇《やみ》の中に座っていた。
 じっと座っていても、腹部上辺から|心《しん》|窩《か》|部《ぶ》に鈍痛がする。しかし、これはまだいい方で、ときに常人なら耐えがたいほどの発作的な激痛が間欠的に波打ってくることがある。闇の中だから見えないが、如雲斎はよごれた黄色い皮膚の色をしていた。一見肥満しているようだが、如雲斎のつき出した腹の中には、いわゆる腹水なるものがたまっているのであり、下肢はむくんでいるのであった。
 彼は不治の肝硬変をわずらっていた。
 むろん、彼はそんな病名を知らない。ただ、じぶんがわずらっていることだけは知っている。
 そのことを、彼は去年の秋ごろから気がついた。九州から名古屋に帰り、魔性の気を払おうとして京の妙心寺へゆき、そこで座禅をくんでいるうち、からだの異常を感づいたのだ。
 魔性の気を払おうとして西へいったのに、かえって彼は魔性の根元たる東へ――江戸の由比道場に来た。むろん、名古屋の自邸において、魔界転生の妖しきわざを見せた由比民部之介正雪にひかれて来たのだ。それは鉄片が磁石に吸引されるような、おのれもどうすることもできない行為であった。
 正雪は彼を歓迎した。そして、客分として遇した。
「当分、ここにお住まいなされ」
 と、彼はいった。
「そのうち、また面白いものをお目にかける」
 それだけである。
 正雪は、武蔵のことをいわなかった。森宗意軒のこともいわなかった。田宮坊太郎の姿もどこにも見えないようであった。
 如雲斎は何もきかなかった。きくのが恐ろしかったからだ。門弟三千、ききしにまさるはなやかな道場のたたずまいに、眼を見張りつつ、そこでむしろ上ッ調子に快笑している正雪をながめつつ――その裏に、別の正雪が鋭い顔で何やら容易ならぬことを計画しているのを感じつつ――如雲斎は黙々として由比道場の奥ふかく座っていた。
 何かが起こる。
 はじめに正雪にそう予言されたせいばかりでなく、本能的にそれを予感して、如雲斎は恐れながら、それを待っていた。
 一ト月まえ――彼は、この道場にひそかに出入りしている紀州大納言を探索するために何者かが道場の裏門で見張っているということを、ふときいた。ふと――ではない。
「それがどうやら、大目付柳生但馬守の息子どのらしゅうござる」
 うす笑いして、正雪が如雲斎にささやいたのである。
 それ以上、正雪は何もいわなかったのに、それまで半年ちかく、まるで|山椒魚《さんしょううお》みたいにうごかなかった如雲斎が起った。彼はみずから紀州大納言に代わって主膳をさそいよせ、これに恥辱を与えたのである。
 それから、約一ト月。――
 ――あの夜のあけた日に、但馬守がこの世を去ったことを、数日後、如雲斎は知った。
 但馬守が病床に臥していたことはきいていたから、それは偶然であったかもしれない。しかし子息主膳の受けた恥辱が重大な衝撃となったであろうことは疑えない。
 但馬守は、主膳を恥ずかしめたものがこの如雲斎であったことを悟ったか、どうか? あれはあのときの突然の思いつきであって、如雲斎はそのことをあとで正雪に直接報告していない。そして正雪はもう知っているはずだが、彼もまた何もいわない。
 すべては自主的な行動のつもりであったが、いまにして思えば、最初から見えない糸にあやつられた|傀《かい》|儡《らい》のふるまいであったような気がする。――
 そして。――
 何かが起こる。そういう期待で半年由比道場に暮らしてきたのにあの夜以来約一ト月、如雲斎はむしろそもそもの目的を失ったように、空漠たる胸を抱いていた。但馬守が死んだということ、それである。柳生の傍流でありながら、宗家のような顔をしている但馬守に、如雲斎は|満《まん》|腔《こう》の不快をむけていたが、しかし、あのような隠微なシッペ返しは、彼の本意ではなかった。彼は、いちど但馬守自身と立ち合い、これを破りたかったのだ。――
その如雲斎に、
「かねてのお約束通り、今夜先生に面白いものをお目にかけます」
 そう正雪が告げたのである。
 それで、いま如雲斎は、導かれるままにある一室に座って、|闇《やみ》の中に待っている。
 ――面白いもの? 但馬守この世になく、こちらも老い、かつ病んでいるわしに、どのような面白いことがあるというのか?
 と、如雲斎は、眼前の暗い唐紙に、ふっと青いひかりのすじが浮かびあがり、それが徐々にふとくなってゆくのに気がついた。
 唐紙がひらいてゆくのだ。
 そこに女が二人、立っていた。しかも、一糸まとわぬ|裸形《らぎょう》が――両側に置かれた燭台の灯を受けて、まるで夜光虫がとまっているように、青くふちどられている。……いずれも息をのむほど美しい。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:22:15 | 显示全部楼层
【二】

 柳生如雲斎は、思わず片ひざをたてていた。それはこの光景におどろいたというより、その二人がじぶんの知らない女であるにもかかわらず、どこか見おぼえのある――あの田宮坊太郎、宮本武蔵を生み出した娘たちとそっくりの凄壮な眼を、かっと見張っていたからだ。
「先生、新しい魔界転生を|御《ぎょ》|見《けん》に入れます」
 うしろで、声がした。
 ふりかえると、いつのまにかそこに由比正雪が端然と座っていた。
「正――正雪」
 と、如雲斎はさけんだ。
「だれが生まれるのか?」
「四郎、坊太郎」
 と、それに答えず正雪は声をかけた。
 如雲斎は、二人の女の足もとにひれ伏すようにしていた二つの影が、このときむくと身を起こすのを見た。
「――この世に出でよ、宝蔵院胤舜!」
 |裂《れっ》|帛《ぱく》の声がした。
 声と同時に、右側の女の顔から下腹にかけて垂直にひかりの糸が――同時に赤い線がながれた。その赤い線から皮膚の八方に亀裂が入って、そこからべつの人間が女体をおしわけ、みるみるふくれあがってあらわれた。
 ――曾て如雲斎が目撃した田宮坊太郎の出現と同様の光景である。そして、いま女体を斬った者は、実にその再生した坊太郎なのであった。
 あらわれたのは、背こそ五尺そこそこだが、横はばは異常にひろい、まるで碁盤のような男だ。しかも、頭はつるつるに|剃《そ》っている。……裸だが、あきらかに法師だ。
 ……なに、宝蔵院胤舜?
 いまきいた声――以前からきいてはいるが、幸か不幸かまだ相見たことのない槍の達人僧の名に、如雲斎が|爛《らん》たる眼をすえてその入道を見つめるまもなく、もう一方の影が、これまた、一閃の光芒をたばしらせて、左側のもう一人の女を斬った。
 その斬った若者らしい影が――去年五月、熊本岩戸山で逢った若い六部らしい、と如雲斎が気がついたとき、女体はまるでえたいのしれぬ白い皮袋のようなものに変じて、いま出現した人物の足もとにぬぎすてられている。
「……あっ……」
 柳生如雲斎は、彼自身の肉体にひびが入ったようなさけびをもらしていた。
 二番目に出現した人間――それは小柄のやせた老人であったが、如雲斎の眼に、どうしてそれを見まがうことがあろう、たとえその人物に最後に逢ったのが、二十年ちかい昔であろうとも。
「や、や、柳生――宗矩!」
 一語一語、刻むようにうめいて見まもる如雲斎の眼前で、坊太郎は胤舜に、四郎は但馬守に、それぞれ白い衣服をかいどりのごとくその肩に投げかけている。
 いうまでもなく、宝蔵院胤舜を再生させたのはお佐奈であり、柳生但馬守を再誕させたのは、あの切支丹の|唖《おし》娘であった。
 いや、正確にいえば、唖ではない。彼女は口をきいた。オーギュスタン行長の魔霊に祈りの言葉をささげた。――ある意味で変質的ともいえる宝蔵院胤舜の道具とされ、一種の性的|白《はく》|痴《ち》と化したお佐奈は、魔界転生の忍法のいけにえとなっても、ほとんどその自覚はなかったかも知れないが、この切支丹娘の方は、あきらかに自己の義務を承知してこの夜の運命を甘受した。
 おそらく彼女にとって満足すべき|殉《マル》|教《チリ》であったろう。そしてまたおそらくは、曾て荒木又右衛門、天草四郎らを転生させた女たちも、同様の恐るべき殉教者であったろう。
 それはともかく。――
 いま女体から|孵《ふ》|化《か》した但馬守は、まるで盲人のような足どりでこちらに歩み出して来た。事実、彼は眼をとじたままである。それなのに、なんのためか、天草四郎は但馬守に、そばの燭台を手わたした。――
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:22:40 | 显示全部楼层
 ――但馬守は、燃える燭台を片手にささげて、ソロリソロリとちかづいてくる。
「……た、但馬どの。……」
 さしもの柳生如雲斎が立ちあがり、二三歩あとずさり、かっと眼をむいてそれを迎えた。
 但馬守はまだ眼をつむっている。異様に青い、|陰《いん》|火《か》のような燭台の火が、その半顔を照らしている。
 それは如雲斎が曾て田宮坊太郎の転生の際に見たときと同様、天地|晦《かい》|冥《めい》の中にいるような相貌であったが、いま如雲斎は、あのとき正雪が田宮をとらえて「……やがて次第に心のかたちをととのえて参りますれど、いまのところ」云々といったたぐいの言葉を忘れている。
 いや、たとえいま但馬守が無意識の状態にあろうと、如雲斎の方は激烈な反応に襲われざるを得ない。積年、一種の宿敵と目していた宗矩だ。さらに先夜、その伜に恥をかかせて、そのために死を早めたのではないかと見ていた但馬守だ。
 ――但馬守はちかづいて来た。一間の距離にせまって、とじていた眼がほそくひかり、三日月のような青いひかりをはなった。
「但馬っ」
 絶叫すると、如雲斎はわれを忘れ、逆に一歩踏み出した。片手につかんだ一刀から|一《いっ》|閃《せん》の剣光が走った。
 天下に敵なし――敢て自負する如雲斎の抜き討ちであった。だれが想像していたろうか、その一刀が|空《くう》を打とうとは。
 如雲斎の眼に、ただ青い火が燃えつつ|弧《こ》をえがいた。その|刹《せつ》|那《な》、彼は胴に凄じい衝撃をおぼえて、どうと巨体をたたみにはわせていた。――ちょうど一ト月まえ、彼が柳生主膳を地にはわせた姿とそっくりに。
 それっきり、彼は闇に沈んだ。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:23:06 | 显示全部楼层
【三】

 どれほどのときがたったか。――
 柳生如雲斎は、胴と背にはげしい痛みをおぼえて失神からさめた。
 彼が見たのは、一本の燭台をはさんで、端然と座っている由比正雪ともうひとりの若者――あの若い六部であった。
 如雲斎は身を起こし、まわりを見まわし、すべてを思い出した。じぶんは但馬守のふるった燭台で、大根のように胴をなぎはらわれて|悶《もん》|絶《ぜつ》させられたのだ!
「た、但馬。……」
 彼はかすれた声を発した。但馬守はもとより、あとの連中の姿はどこにも見えなかった。
「先生、お腰がお痛みでござりましょうが」
 うす笑いして、正雪がいった。
「背に――お腰の上に、江、と彫ってありまする」
 だれが彫ったとは、彼はいわなかった。それをきく余裕を、如雲斎は失っていた。江――いうまでもなく、江戸柳生の意味である。
「お怒りなされまするな。お悲しみなされまするな。……相手は、魔界に|転生《てんしょう》なされたおひとでござりまする」
 如雲斎は何かさけぼうとして、このとき胴でも背でもなく、内部の腹腔からつきあげて来た激痛にうっと息をつめた。
「先生。……どうやら、そのときが、とうとうちかづいたようでござりまするな」
「――そのときが?」
「魔界転生のとき」
「…………」
「魔界に転生なされませ。転生なされねば、あなたさまは、ついに但馬守どのに及ばれますまい」
 如雲斎は獣のようなあえぎをもらした。
「だ、だれを以て?」
「お加津さまはいかが」
「…………」
「御子息茂左衛門さまの嫁女。如雲斎先生はあの女人を、心からいとしいと思うてでござりましょうが」
「…………」
「先生、名古屋へお帰りなされませ。この四郎をお供仕らせまする。忍法魔界転生のかいぞえとして」
「…………」
「ただし、名古屋のお邸でこのわざをなすは、茂左衛門さまの手前、ちとはばかりがござりまするな。京へお加津さまをおさそい出しなされた方がよろしゅうござりましょう。御病気の御看護とでも、名目は何とでもたてられましょう。京の妙心寺の|草《そう》|廬《ろ》が適当と正雪は存ずる」
「…………」
 なんと勝手なことをいわれても、如雲斎は黙って、ただ瞳孔をひろげて正雪を見まもっているばかりだ。彼は、調教師たる正雪の意のままにうごく病める老虎のような表情になっていた。
 が、徐々に、彼のうつろな眼にぎらぎらとした炎が燃えて来た。
「お加津を以て、わしを生ませる。……」
「忍体、と申しまする」
「いかにすれば、お加津がわしを再誕させる忍体となるか」
「そのために、この四郎をつかわすのでござる。四郎、あれを御覧に入れい」
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:23:24 | 显示全部楼层
四郎はしずかにふところから、小さな紙包みをとり出した。紙をひらくと、べっこう色の細い竹筒があらわれた。紙をたたみにひろげて、竹筒をたてにする。――と、そこからポロリとこぼれたものがある。
「…………」
 如雲斎は眼を見張った。
 それは一本の切断された指であった。朽木を折りとったようなひからびた指だ。
「これを以て、お加津さまをもてあそび――いや、お手当申しますれば。……」
「それは、何者の指か? ……それで手当するとは、いかようにして。……」
「まず、いまのところは、これ以上おきき下さる要はござりますまい。四郎にまかせられませ」
 正雪は冷やかに如雲斎をじっと見返して、
「それより、こちらでおうかがいしたいのは、先生、先生にまことに魔界転生の御意志ありやいなや、ということでござりまする」
 如雲斎は息をつめ、ややあって、ふいごのようにそれを吐いて、
「――ある!」
 といった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:23:44 | 显示全部楼层
【四】

 ――由比道場の裏門から、編笠をかぶり、|杖《つえ》をついた旅姿の柳生如雲斎が出て来たのは、それから数刻ののちであった。
 数歩あるいて、彼は立ちどまり、道をよけた。闇の中を粛々たる小行列がすすんでくるのを見たからだ。
 ――紀州大納言だな。
 と、如雲斎はうなずいた。見おぼえのある一挺の乗物をつつんだ黒い行列は、|冥《めい》|府《ふ》に吸いこまれるように由比道場の裏門に入ってゆく。
「如雲斎先生、お早く」
 声がした。われにかえると、もう先に、六部姿の四郎が立って、彼をうながしているのであった。
 ――由比張孔堂正雪、そも何をたくらんでいるか? 実に容易ならぬ奴、とあらためてまた思うよりも、如雲斎は、もはや西に待つおのれ自身の運命に心を奪われている。
 そもそも田宮坊太郎の再誕を見、宮本武蔵の復活を見たときから、彼の心は「魔界|転生《てんしょう》」にとらえられていたといってよい。それにしても、なお彼をためらわせていた障壁は、この夜に至って決定的な一撃でとりはらわれた。
 あれほど切望し、かつ自信を抱いていた柳生但馬守相手の「決闘」に、あれほどもろく、はかなく敗れ去ろうとは。――如雲斎を転生に踏み切らせたのは、まさにそれに対する雪辱の一念だけであった。
 ――が、たとえそこでみごとに転生しようとも、そのあとは?
 転生してもなおかつ彼は、但馬守に対する「前世」の遺恨を保持し得るであろうか。「同一人にしてまた別人。剣技は以前と同一ながら、魂は魔物でござる」とは、すでに坊太郎転生の際正雪が喝破したことで、それを如雲斎はきいているではないか。
 しかし、いまやそれを想起する余裕さえ失って、柳生如雲斎は西へゆく。魔道に憑かれ、死をかけて交合する虫のごとく、また死するを承知で産卵のため川をさかのぼる魚のごとく。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:24:02 | 显示全部楼层
由比屋敷に入った紀伊大納言一行の供侍たちは、みな供侍部屋に待たされた。これはいつものことである。
 そのあと大納言頼宣は、ただ腹心の牧野|兵庫頭《ひょうごのかみ》だけをつれて、正雪と会う。――盛名世を|覆《おお》うとはいえ、一介の|巷《ちまた》の軍学者たる正雪と、御三家の一たる徳川頼宣とが会って、いったい何を話しているのか、家来たちは知らぬ。また知ろうとも思わない。
「南海の竜」とうたわれる主君に全幅の信頼を抱いて、疑うということを知らない紀伊の家来たちであった。ただ主君が由比道場にしばしば密行することだけは他言を禁じられていて、彼らはそれをかたく守っている。
 この夜、正雪は大納言を、いつもとはちがうある場所にみちびいた。
 ひろい庭をよぎっていって、築山の下にあるあずまやであった。
 あずまやとはいうまでもなく庭園の休息所で、四本の柱だけで壁がなく、四方吹き通しであるのを常とする。
 それが、このあずまやは八本柱であった。朝鮮の建物みたいに、八角形であった。しかも、八方吹きぬけになっていない。うしろの築山によりそうように建てられていて、その背の部分にあたる一面だけが壁になっている。まんなかに、まるい石の卓子があった。
「牧野どの、あなただけはしばらくここでお待ち下されい」
 と、正雪はいった。
 頼宣はふしんそうに声をかけた。
「張孔堂、ここから……どこへゆくぞ」
 正雪は黙って、会釈して、その石の卓子に手をかけた。そしてしずかにそれをまわしはじめた。
 頼宣と牧野兵庫頭は息をのんだ。石の卓子がまわると同時に、八角のあずまやそのものがまわり出したのである。壁面が庭の方へ、吹きぬけの部分が築山の方へ。――
 そして、もと壁であったところが、暗々たる四角な空洞を生み出した。
「いざ、大納言さま」
 正雪は手燭をかかげて、さきに立った。
「あ、殿。――」
 と、牧野兵庫頭は、あわてて声をかけた。剛毅を以てきこえた紀伊頼宣も、さすがに一瞬ひるんで、そこに足を釘づけにしている。が。――
「いや、かまわぬ。余はゆくぞ」
 小山のゆるぐように、彼は歩み出した。
「兵庫、そちはここにおれ」
 そして頼宣は、正雪につづいて、その空洞の中へ入っていった。
 空洞に入って数歩あゆむと、すぐ階段が下へつづいていた。階段は七八段おりたところで、板から土に変わった。気がつくと、両側の壁も土になっている。壁はしだいに湿っぽくなり、ところどころ水滴をひからせ出した。――築山の下にトンネルが掘りぬかれてあったのだ。いや、築山そのものが、掘り出した土で築かれたものであったのだ。
 この由比正雪という人物がただの人間ではないことをすでに承知している頼宣であったが、江戸のまんなかに、いつ彼が、なんのためにこんな地中の大工事をやってのけていたのかと思うと、さしもの頼宣も肌が粟立つ思いがしてきた。
 やがて、土の階段を下りつくした。頼宣は|茫《ぼう》|然《ぜん》としてたたずんだ。ここは地底数十尺にあたるのであろうか。灯は正雪の持つ手燭ひとつながら、天井が人の背の三倍はあり、ひろさは二十畳ぐらいあることがわかる。まるで巨大な土の|筐《はこ》のような空間であった。三方は土の壁になっていて、真正面だけ四枚の板戸がならんでいる。
 正雪は手燭を土に置いて、板戸のはしに天井からつり下がっている数条の鎖をひいた。
 すると――ギ、ギ、ギ……と重々しいきしみをあげて、その板戸がひらき出した。まんなかの二枚が左右にうごいて、そこに灯の柱がひろがっていった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:24:28 | 显示全部楼层
【五】

 紀伊大納言は、かっと眼をむいていた。
 板戸のむこうは、豪奢な座敷になっていた。青々としたたたみ、いくつかの|雪《ぼん》|洞《ぼり》、山水をえがいた|屏風《びょうぶ》、また|金《きん》|泥《でい》の|唐《から》|紙《かみ》などが眼を射た。
 その中に、ひとりの老人と三人の女がひれ伏していた。
「大納言さま、いざ、あれへ」
 正雪がいった。
 頼宣はなお一息立ちすくんでいたが、やがて意を決した表情で中に入り、正雪のさした上座の円座の上にむずと座った。
 正雪がふたたび板戸をとじているあいだ、老人と女たちは平伏したままである。
「正雪、その方が、是非逢わせたいと申したのはその老人か」
「御意」
「何者だ」
 正雪は従容として、
「森宗意軒と申しまする」
「――森――森宗意。――」
 老人はしずかに顔をあげた。
「もと小西摂津守の遺臣、加うるに、八年前、島原にて一揆の軍師として御公儀に敵対つかまつった者でござりまする」
 加うるに、といったのは、徳川家にとって二重の叛逆者という意味である。
 が――あまりのことに、かえってこの言葉が、とっさにはふにおちず、それより頼宣は、相手の相貌に眼を吸われた。
 銀光をはなつ白髪にふちどられたしゃりこうべのような顔は、年のほども知れぬどころか、この世のものとも思えない。――にもかかわらず、その枯木に似た姿から、何とも名状しがたい凄じい精気をはらんだ妖風が吹きつけてくる。
 頼宣はわれしらず呪縛されるような感じに襲われかかって、からくもわれにかえった。
「森宗意。――存じておる。その名は、頼宣しかとおぼえておるぞ」
「――ありがたきしあわせ」
「しかし、宗意軒なる者は、島原の役にて|誅戮《ちゅうりく》されたときいた」
「――それが、かようにここに生きております」
 頼宣はしばし口をつぐんだ。もとより頼宣は、これまで森宗意軒に逢ったことはないが、眼前にそう名乗る男を、にせ者とも狂人とも思わなかった。そう思わせないものが、理非を絶してこの老人にあった。
「正雪」
 頼宣は全身をわななかせてさけんだ。
「なんじの逢えと申したは森宗意か。宗意軒がいかなればここに生きておるかは知らず、世に知られればなんぴとも驚死せざるを得ぬ大謀叛人。……いや、この頼宣自身、いかになんじを見込んでおるとはいえ、やわか黙して見逃そうと思うておるか」
「御公儀におとりつぎ遊ばすならば、なされませ」
 正雪は蒼ずんだ顔色でいった。
「それを覚悟せずして、なんで今宵正雪が大納言さまをここへおつれ申しましょうや」
 いわゆる、切れる、という言葉を人間にしたような由比正雪だが、たんなる山師では断じてない、ということはすでに承知していた紀伊頼宣であったが、彼がこの地底にかくまっていた人物の正体を知らされ、しかも平然、てこでもうごかぬ決死のつらだましいをむけられて、さしもの頼宣も背すじに冷気をおぼえざるを得なかった。
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:24:55 | 显示全部楼层
「で。――」
 ややあって、のどに|痰《たん》をからませて、
「なんじは……いま余に、森宗意と逢わせて何とする?」
「例の件の」
 正雪はいった。
「うしろ盾には、かくのごとき者がついておりまする、ということを大納言さまにお知らせ申しあげたいからでござりまする」
「例の件」
 頼宣は、こんどはかすれた声でいって、それっきり沈黙して、追いつめられた獣のように眼をひからせた。
 例の件。――と正雪は、あたかもそれを頼宣とおのれと、とっくの昔からいくたびも打ち合わせ、約定ずみのことであるかのごとき|口《こう》|吻《ふん》をもらした。しかし頼宣は、そのことについて、正雪と声に発して相語ったことはいちどもない。
 しかし、知らぬ、といったら完全に嘘になる。「例の件」が「そのこと」をさすのは、頼宣は百も承知だ。
 ずばりといえば、それは頼宣のクーデターであった。
 実にこれは|戦《せん》|慄《りつ》すべき野望であった。しかし――男としてその器量を持ち、志を持てば、何ぴともその胸にきざさずにはおられぬ野心であった。天下をとる、この一事がいかに男にとって凄じい魅惑であるかは、古今東西の歴史の|修《しゅ》|羅《ら》相、いや現代ただいまの政界をみても、何ぴとも納得するであろう。
 頼宣自身、慶長七年に生をうけた男である。決して飼い馴らされた猫のような後代の大名ではない。関ケ原の物語は童児のころ子守唄のごとくきかされているし、大坂の役には父家康から、兄の忠輝、義直のあたえられた五本の戦旗にまさる、将軍たる秀忠同様の七本の戦旗を拝領して参加している。また現将軍家光とその弟忠長の、徳川の家督を争う地獄図絵もしかとその眼で見て来たことだ。
 他人のことではない――|曾《かつ》て頼宣は、駿河百万石を受けるべき約束であった。それがのちに、紀州五十五万石と変えられたのは、駿河という位置と百万石という封禄が彼と結びついたとき、危険千万なものとなる――と目されたせいであることを彼は承知している。
 人呼んで「南海の竜」――紀伊頼宣はこのとし四十五歳、壮年の権力欲が、ともすれば理性すら覆いがちな、血気まさに剛なる年齢であった。
 下地はある。
 それを看破したのが、ただひとり、この|巷《ちまた》の軍学者由比張孔堂だ。
 ――天下をおとりなされ。
 ――とり得るか。
 ――とれます。
 ――いかにして?
「そのこと」について、一語も互いに発したことはないのに、ふたりは胸と胸で語り合っていた。つまり、肝胆相照らしたのだ。頼宣が、しばしばこの榎坂の由比道場にやって来たのは、この言わず語らずの問答を愉しむ以外の目的はない。
 実に危険なる「愉しみ」――
 いまそのことを――「例の件」という一語で、ずばりと正雪に切り出されて、頼宣は、まるで|匕《あい》|首《くち》を胸につきつけられたように色蒼ざめた。
 いかに剛毅な頼宣といえども、事が事柄、肌も粟立ってくるのを禁じ得ない。
「……しからば、正雪、なんじは……この頼宣にキリシタンの世を招来させんとするか。それなれば、余は……」
 うめくがごとくいったのは、一種の逃げ口上である。
「あいや」
 森宗意軒が口を切った。
「その思いは、拙者、すでに捨てました。そもそもこの正雪がキリシタンではござりませぬ」
「では、なんのために、うぬが――」
「とはいえ、天草島原において、三万七千の百姓どもを、女子供にいたるまでみな殺しになされた当将軍家……そのお方に一矢むくい参らせたい、いやその御子孫までにたたりたい、というのが、この余命少なき宗意軒の修羅の執念でござる」
「余命少なき――」
「あと、この宗意の寿命は、ながくて数年でござりましょう、大納言さま、天下をおとりあそばさば、もはや御仕置は大納言さまの御勝手」
「正雪」
 と、頼宣はふりかえった。
「ではこの者が、例の件のうしろ盾になるとはいかなる意味か。その一挙の軍師とでもなろうというのか」
「いや、その知恵ならば、この正雪にて充分でござる」
 正雪は不敵にいった。
「では、なぜおまえ自身が天下をとらぬ?」
「いかになんでも、正雪それほど思いあがった大たわけではござりませぬ。天下をとるには天下をとるだけの生まれ、育ち、万人の認める器量というものが必要でござりまする。正雪にそれのそなわっておらぬことは、みずからよう存じておりまする。大納言さまには、それがござる。当将軍家よりも、はるかにそなえておわします。正雪は大納言さまをおん旗として進む旗かつぎにしかすぎませぬ。――」
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 楼主| 发表于 2008-5-8 15:25:19 | 显示全部楼层
三つ子の魂百までとか。或いは己れを知るものというべきか。――正雪は、曾て彼が島原で新免武蔵にいった言葉とおなじせりふをいま吐いている。
 ただし、あれから八年の星霜をけみして、その規模ははるかに大きい。――
「では、宗意軒がうしろ盾となると申したは?」
「拙者というより」
 と、宗意軒はひくくいった。
「拙者の弟子」
 そして彼は、三人の女の方にあごをしゃくった。
 二人の女がしずかに立って、うしろの金泥の唐紙を左右にひきあけた。
 そこには、また別の部屋があった。灯影はなく、背後は土の壁をむき出しにしているようだ。……こちら側の|雪《ぼん》|洞《ぼり》が、そこにひれ伏している五人の男を幽暗に浮かびあがらせた。
「御覧なされませ」
 といって、宗意軒はあごをしゃくった。
「その方ら、御挨拶いたせ」
 いちばん右側の男が、ゆっくりと身を起した。
「|播州《ばんしゅう》宮本村の住人、新免武蔵にござる」
 次の影が陰々といった。
「大和月ケ瀬の出身、荒木又右衛門でござりまする」
 三人目がいった。
「讃州丸亀の住人、田宮坊太郎で。――」
 四番目が巨大なまるい頭をあげた。
「大和奈良の住人、宝蔵院胤舜でござる」
 そして、五番目が、頼宣をみて、うす笑いしていった。
「ひさびさに御顔を拝し、恐悦至極に存じまする。……柳生但馬守|宗《むね》|矩《のり》にござりまする」
 ……以後数十秒、地底のこの密室には、ただ灯のあぶらのもえる音だけであった。
 やがて、自若として森宗意軒がいった。
「この者どもが、あなたさまのうしろ盾となると申すのでござります」
 時を数えれば、これは――柳生如雲斎が、柳生但馬守、宝蔵院胤舜の再誕を目撃してから、わずか数刻のちのことだ。そこにみるこの両人に、紀伊頼宣が、この世のものならぬ凄惨の鬼気を感じたのは当然である。
 いや、たとえそのような鬼気を感ぜずとも。――
「た、但馬……柳生宗矩はこの世を失せた。一ト月ばかりまえに。――こ、これは、幽霊ではないか?」
「幽霊でないことは、これから大納言さま、この者どもをお使いなされて、とくとお見とどけなされましょう」
「……このわしが、この者どもを使う?」
「実に、わが弟子ながら、いずれも万夫不当の大剣士。大納言さまがいかなることをお企てあそばそうと、この者どもをお使いなさる上は、これにあたる者が世にあろうとは存じませぬが。……いかが」
 まさに、その通りだ。――この面々が現実の人間であるならば。
 そして紀伊頼宣は、これがまごうかたなき現実の人間であることを、凝然たる眼に、しだいに認めないわけにはゆかなかった。彼はこの中の一人、少なくとも柳生宗矩だけにはほんの数ヵ月前にも江戸城内で逢ったことがあるのである。
「これより大納言さまに、忍法魔界転生のことを申しあげようと存ずる」
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