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发表于 2005-6-22 11:28:05
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狡兔死して良狗烹らる / n3 c* I% [" Z7 u: _4 n5 {+ S
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楚の覇王・項羽がほろびて、天下は漢に帰した。漢王・劉邦が帝位に3 C# z: `1 H7 N9 e' z
ついて、漢の高祖となった。その翌年(漢高祖の六年)のことである。詔
2 J, h5 e# o9 t# k+ }8 Q8 ~8 ?4 _& lがおもおもしく諸侯にくだされた。; d5 x$ `+ \0 H/ ^! `/ z
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「朕は、これより雲夢湖(湖北省陸県)に游幸する。
! e) W- k, k# x1 B/ L$ C+ R# q 汝ら、随行すべく楚の陳(河南省淮陽県付近)に集合せよ。」
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7 x0 E3 Z+ H: `9 g これには理由がある。当時、韓信が楚王に封ぜられていたが、その韓
+ m7 F# @4 `: e( D8 Y1 X2 ^4 a信のもとに、項羽の勇将であった鍾離バツがいた。かつての戦闘で、鍾9 a0 z8 ^3 _+ f% ^" K8 _
離バツのためにしばしば苦しめられた高祖は、彼を憎むことはなはだし
2 ~) L* k+ Q1 w4 k7 H4 z; Lく、その逮捕を韓信に命じたのだが、以前から鍾離バツと親しかった韓8 u' U( C T8 @' W/ b F) e
信はその命をきかず、かえって彼をかくまっていたのだ。このことを知
; V# b; O# _0 e, r& Cって、「韓信には峙绚我猡ⅳ搿工壬蠒筏郡猡韦ⅳ盲郡韦恰⒏咦鎈1 P j$ q8 p3 X2 o! U4 p
は陳平の策略にしたがって、游幸を口実にして諸侯の軍を招集したので
6 `+ x1 _. m: X+ b5 vある。" } p1 c( y9 a6 x, Z! T1 |" F4 t
, N, _! N% G+ K0 A F. S 事態がこうなると、韓信は本気で叛旗をひるがえそうかと考えてみた; S ?& x2 m+ E
が、「自分には何も罪状がない」とまた思いかえして、進んで拝謁しよ" w; x8 D" z6 r6 j. f
うとした。しかし、ノコノコ出ていくと、捕縛されそうで、どうも不安7 {: g) k0 S P- m' Z5 J. w
である。そうしたある日、こざかしい家臣が韓信にささやいた。
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* r* t6 ]3 a+ M4 N! z) ~ 「鍾離バツの首をもって拝謁なさいましたら、( C1 H1 [2 S/ `2 R' ~ U% o8 F4 n
陛下もお喜びになられ、
9 c0 u- U) J4 O/ T: E8 l( \ わが君におかれましても憂慮すべき事態がなくなりましょう。」& b8 W1 x7 C- w5 ^
3 i, b9 D! t$ |% J もっともだと思って、韓信はその由を鍾離バツに告げた。すると鍾離; Y+ T0 V0 X! \5 e! ^3 Z/ r
バツは、
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$ V* I6 @, j: C( H5 D 「高祖が楚を襲撃しないのは、君のところに僕がいるからだ。
/ B$ @* X/ ?3 I1 x& h, W9 K それなのに君が僕を殺して高祖に媚態を示すようなことをすれば、
' l- v2 E/ N1 I1 U) V, r5 d A 君もたちまちやられるぜ。
! ?% a- @, h5 ^# M* \ 君としたことが情けないことを考えたものだ。
/ u1 a% H* T J ` 僕は君を見そこなったよ。
9 J$ a! i, ^7 l# D* v3 u よし、僕は死んでやるさ。 g6 e' l$ ~" e; \: c1 O+ {/ b
君なんか、とても、人の長たる器じゃないよ。」
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# U/ ?5 S9 ?, Y/ v と罵って、みずから首を刎ねてしまった。その首をもって、韓信は陳
& h% ]7 ` G7 c, t3 ^; M7 l; ? {におもむいたのだが、はたして址慈摔趣筏撇犊`されてしまった。韓信, T, b7 u- S4 F# |: K5 _
は口惜しがった。
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「ああ、狡兔死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵れ、: ?2 T! s7 i, Y" Z5 ^# q% D. U
敵国敗れて殖激郅恧帧ⅳ趣い铯欷毪ⅳ蓼盲郡饯瓮à辘馈8 Z [) f) W, I4 A: s
天下が平定されて、おそるべき敵が跡をたったいま、
! }% W, N% b m$ Z6 Q7 m 狡い兔が狩り尽されると忠実な猟犬が主人に烹て食われるように、
* r$ x2 K' A- P- l2 v- \ さんざん漢に尽くした自分が、こんどは高祖に斃されるんだ。」
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$ _- C: z$ e9 g: q( u. Q# c! }/ m3 u+ C ところで、高祖は韓信を殺さなかった。しかし、楚王から淮陰侯に左
1 i% r- b# m4 p6 `- F$ A遷したので、これ以降、韓信は淮陰侯とよばれるのである。. C1 h6 C/ v* |* R* y; A
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2 I7 V7 S' ]/ j( D% A8 M7 z この話は、「史記」の「淮陰侯列伝」にある。「うさぎ」は「兔」が, E/ L1 y& f* ]5 ~; c" [
正しい。「兎」は俗字である。同一の列伝のなかに、斉のカイ通が韓信3 R/ g8 c8 l4 H2 y4 O$ p) R
を説いた言葉として、越王・句践にたいする忠臣の范蠡を例にあげて、: l3 g, }, P8 J& o+ P( X* @
「野獣すでに尽きて猟狗烹らる」とあるが、同義の異語である。
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' s8 D% w9 A2 n0 k1 N 「呉越春秋」には、「狡兔」を「郊兔」と記してある。「狡兔」とい
2 Q# m; I- p; ?6 X2 }: M8 jう語は、よく使用される語で、「戦国策」にも東郭逡を「海内の狡兔」
0 i0 i; X5 b) o7 z3 ?と記している。 |
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