0918
豊かさに見合った厳しさ
暮らしが豊かになればなるほど、一方で厳しい鍛練が必要になってくる。つまり、貧しい家庭なら、生活そのものによって鍛えられるから親に厳しさがなくても、いたわりだけて十分、子どもは育つ。けれども豊かになった段階においては、精神的に非常に厳しいものを与えなければいけない。その豊かさにふさわしい厳しさがなければ、人間はそれだけ心身ともになまってくるわけである。
しかるに、いまの家庭にはそういう厳しさが足りない。政治の上にも、教育の上にも足りない。それが中学や高校の生徒がいろいろと不祥事件を起こしている一つの大きな原因になっているのではないだろうか。
富裕与严厉
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生活越变越富裕了,严厉的锻炼也变得更必要了。就是说,在贫穷的家境中,严酷的生活直接对孩子进行磨练,即使双亲不严厉,仅凭照顾怜恤就可以抚养孩子成人。但生活变得富裕后,就必须从精神上给于严格的教养。如果没有相应于这份富裕的严厉,那么孩子的身心就会变得倦怠。
然而,现在的家庭缺乏这份严厉。政治上、教育上也缺乏。这难道不是在初中或高中学生们做出种种不幸事件的重要原因之一吗?
9月19日
仕事を味わう
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私はどんな仕事であれ、ほんとうにそれが自分に適したものかどうかを見きわめるのは、それほど容易なことではない、仕事というものは、もっともっと深いというか、味わいのあるものだと思います。最初はつまらないと思えた仕事でも、何年間かこれに取り組んでいるうちにだんだんと興味が湧いてくる。そしていままで知らなかった自分の適性というものが開発されてくる。そういうことも仕事を進めてゆく過程て起こってくるものてす。
つまり、仕事というものはやればやるほど味の出てくるもので、辛抱をして取り組んでいるうちに、だんだんと仕事の味、喜びといったものを見出していくことができるのだと思います。
品味工作
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我觉得不管做什么工作,判断这工作是否适合自己并非易事。因为工作是应去深入、该去品位的事物。即使是最初认为无意义的工作,在做了几年后也会慢慢涌起兴趣。并发现自己都未曾了解,自己原来是适合这份工作的。也就是说,工作是越做越出味道的(值得去品位的)。在耐心、忍耐的之间就可以找到工作的趣味、快乐。
9月20日
立ち話の会議
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社長が実際の仕事についてあまり知らず、会議で「どうだ君、やれると思うのだがどうだ」というようなことを言っていると、甲論乙駁、議論百出となって、三日ぐらいもかかることになりかねません。それはいささか極端ですが、会議というものは概してそのような傾向が強いのではないでしょうか。それでは何かにつけてテンポの速い今日の世の中では、結論が出たときにはもう状況が変わっているということにもなりかねません。
ですから会議だからといって、会議室に集まり椅子に座ってするというのではなく、言うなれば立ち話で会議をして即決するというくらいの心構えが必要だと思います。
站着开会
厂长对实际的工作不甚了解,在会议上说:“这事你来做如何,觉得自己能不能做?”,这样就变得甲论乙驳、议论不止,可能这会就要开三天了。这话虽然稍微说的有些极端,但开会这事不是都有种倾向吗?这在当今快节奏的社会中,等开出结果来时可能都物事人非了。
所以不是说到开会,就必须集中坐在会议室。如果有要说的事,就必须怀着站着开会、立即出结果的心态。
[ 本帖最后由 tennsi 于 2006-9-19 15:03 编辑 ] |