|
|
发表于 2007-1-15 20:55:03
|
显示全部楼层
【天声人語】2007年01月14日(日曜日)付
きょうとあす、左義長(さぎちょう)の火が各地で燃えることだろう。どんど焼き、とも呼ばれる小正月の祭事である。高く組んだ竹や木に、松飾りなどを結わえて焼く。火に神秘を見た往古の名残か、その炎を「若火」とあがめる地方もある。- A( B5 x! ~, f( d8 T i
* l4 _" s* T, @! m. x: e( @# X6 F
古人の畏怖(いふ)した火に、東京で野外教育のNPOを主宰する大西琢也さん(31)が魅せられて10年になる。マッチやライターを使わない「原始の火」を求め、きりもみ式の火起こし術を磨いてきた。
# I; P) l, i( T7 y8 a
* g2 r, H# R0 h0 K! w9 d( s 地面に置いた木の板(火錐臼(ひきりうす))に鉛筆よりやや太い棒(火錐杵(ひきりきね))をあてがい、手のひらではさんで、押しつけるように回す。続けていると煙が出て、熱く焦げた木くずがたまってくる。ケシ粒のようなそれが「火の赤ちゃん」だ。
; Y9 ]$ X0 X. v1 q/ T1 Q8 D# y& e0 q+ k `4 t9 b& ^) E
それで成功、ではない。放っておけば種火はすぐに消える。「赤ちゃん」を麻の繊維でくるみ、指でつまんで大きく腕を回す。こうすることで中に空気を送り込む。すると麻玉はぽっと燃えあがる。炎の誕生である。1 c% N: N' S8 t% ^' M7 ^
' y2 J( s0 Z* \/ L, a 力まかせでは火はつかない。大西さんは失敗を重ね、謙虚になった。「木には火が隠れている。人間はそれをいただくだけ」。「起こす」のではなく「いただく」のだと悟ると、不思議に上達した。3年前には空気の薄い富士山頂でも成功した。
4 l2 _. k; ~ v- W2 x4 Y) @9 Y z- M
/ R3 y' _9 b0 X! w 「燃す」という随筆を、幸田文はかつて朝日新聞に寄せた。庭で紙くずや枯れ葉を燃やしながら、その熱をいとおしみ、「ものの最後の力だと思うと、その火を惜しまずにはいられない」とつづった。「最後の力」で餅や団子を焼いて食べ、一年の無病息災を願う左義長もある。 |
|