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楼主: Jennifer

[经验方法] 連載《天声人語》想看中文版请去看1590楼最新公告

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发表于 2007-2-25 06:00:07 | 显示全部楼层
2007年02月22日(木曜日)付
9 G) X) U5 h: z* y' C- R9 }6 g- z) m
 民俗学や博物学に通じていた南方熊楠は、100年近く前にエコロジーにあたる言葉を記した。「千百年来斧斤(ふきん)を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」
6 m! Y, Q! R" [. w! J/ E! o: q2 L- N8 Z6 j0 f0 W
 古来の鎮守の森の保存を訴えた、和歌山県知事あての手紙の一節だ(『南方熊楠全集』平凡社)。熊楠は、環境の保護運動のさきがけでもあった。# B; E9 j: P. d

- F5 Z' _. g- F1 ]" `, Y 先日、「南方熊楠賞」の受賞者に決まった伊藤嘉昭・名古屋大名誉教授は、害虫のウリミバエを根絶する研究で知られる生態学者だ。放射線で不妊にしたハエを利用し、農薬に頼らない技術で防除が可能なことを示した。戦後の農薬の乱用を憂え、ベトナム戦争では、米軍による枯れ葉剤の散布を批判する運動を進めたという。1 x% ?) a& _  r8 S/ s$ h

, [$ L0 l1 d, t4 `) W" D 今年は、農薬などによる公害をいち早く告発したレイチェル・カーソンの生誕100年にあたっている。「沈黙の春」は、春になっても自然が沈黙したままの死の世界を描いた。" l. ]' P) H6 Q! C/ ?4 o
: j2 o0 m% K, ?; W  j6 h
 ある講演で彼女が述べた。「鳥の渡りの中には、真実の美が表現されております。それはまた、潮の満ち干の中にも、そして春の訪れを待つ芽のふくらみの中にも」。そして、続けた。「自然のくり返し——夜の次に朝が、そして冬の次に春が訪れるといった確かさ——の中から、なにかしら限りない柔らぎが生れてきます」(ブルックス『生命の棲家』新潮社)。- A+ L7 s2 o3 _0 [' S: e
; N6 t4 ]+ z+ q8 W9 K8 d  M6 Y
 今年も、春の足音が聞こえている。それが永遠に繰り返されるかどうかは、人間次第だ。
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发表于 2007-2-25 06:01:02 | 显示全部楼层
2007年02月23日(金曜日)付- M# G/ F! S; }; c
5 z% s  w1 j8 S, u: X; R
 約200年前の江戸で、町火消しと力士とが喧嘩(けんか)になり、集団で大立ち回りを演じた。この「め組の喧嘩」では、半鐘が急に打ち鳴らされて、火消し仲間が集まったとも伝えられる。
$ H6 l5 d) `* H2 n
8 x8 r4 ]% x& k* z" H3 x 「仲裁に入った奉行所が解決に窮し、火の見の半鐘を流罪にしたというのは、おそらくフィクションであろう」。演劇評論家の戸板康二さんが、この喧嘩をもとにしてできた芝居「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」の解説に書いていた。+ P+ E  T" r* S* [% r# I" J0 m
  I( j' a! o; ?, @
 火事でもないのに半鐘を鳴らした人間の罪は問わず、勝手に鳴りだした半鐘が悪い、として島流しにする。裁かれても物言わぬ半鐘の姿には趣もあるが、最近、北関東の茨城県や栃木県では、何十もの半鐘が鳴ることもなく姿を消したという。換金を狙った盗みとすれば、背景には銅価格の高騰があるとの見方がある。
$ r" n$ D( W" ?: A3 z# D5 K$ ^. t1 H
 作家の井伏鱒二が、「め組の半鐘」として新聞に載った写真を切り抜いて、半鐘や梵鐘(ぼんしょう)の鋳物工場を経営している友人に送ったことがあった(『井伏鱒二自選全集』新潮社)。鋳型職人は「ツブシ値にすれば大体五千円」と言ったという。50年ほど前のことで、今回盗まれている半鐘は、10万から50万円ぐらいだそうだ。
+ c) ?$ \) Y7 d$ R) ~8 m( ^8 R4 e6 {. B0 @. a' F
 近年、街中では、火の見やぐらが周りの街並みに埋もれてしまった。半鐘も、火事を知らせる道具としては、ほぼ役目を終えている。しかし使われなくなったとしても、何か捨てがたいものがある。
0 j1 S$ Y2 S. h! R; r5 C) ]' O2 L  s1 {# l% p" {
 半鐘は火の見やぐらから地域を見守り、人々は見上げつつ行き来してきた。鋳つぶせば、金には換え難いそのささやかな歴史をも、つぶすことになる。
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发表于 2007-2-25 06:01:45 | 显示全部楼层
2007年02月24日(土曜日)付
+ i5 J/ n+ A; a
  ]3 _; R; g: j8 n0 T! | 今昔物語集には、京の都の門前に捨てられていた子が、犬の乳で育つという話が出てくる。幼子ふたりを養えないのでやむなく捨てると泣いている女から、ひとりをもらい受ける話もある。実際にも捨て子は多かったという(服藤早苗『平安朝の母と子』中公新書)。
) E( v8 y" }. D! C
) h9 L1 j4 l: h/ M. _5 z: Y この時代の「金葉和歌集」には、大路に捨てられた子を包んだおくるみに記された一首がある。〈身にまさる物なかりけり緑児(みどりご)はやらんかたなくかなしけれども〉。我が身のために愛児を捨てる苦悩がにじむ。% Q: K; c) J: d4 i( [1 B0 b8 c, Q
% ~" z: X. O8 u6 d4 w+ \
 熊本市の慈恵病院が市に申請していた、保護者が育てられない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」について、厚生労働省が設置を認める見解を示した。これには賛否が分かれそうだ。安易に利用されたら問題だという見方がある一方で、何の罪もない子の命が助かるなら意義深いという意見もあるだろう。) k5 I+ m; Y, L& u, ?+ l
5 i4 n# {" w0 g1 c
 厚労省は医療法や児童福祉法などに違反していないというが、法令違反がないことは最低の条件だ。新生児を受け取る側には、いわばその子の一生を引き受けるような覚悟と備えが求められる。6 G9 w  g/ k- m

  ]9 N" n: F3 u 「赤ちゃんポスト」という名前には、物を入れるような冷たい印象がつきまとうが、慈恵病院では「こうのとりのゆりかご」と呼んでいるという。無機的な物を入れる印象を避け、「こうのとりが運んでくれた大切な命」という気持ちを込めて付けたそうだ。
; l, F+ G6 r7 T% r) v( V, w0 y' Y. C! u5 S$ S, F
 設置が本決まりになった場合は、ポストのような箱ではなく、命を育むゆりかごになってほしい。その行方には、この社会のありようも映し出されているはずだ。
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发表于 2007-2-25 16:42:48 | 显示全部楼层
2007年02月25日(日曜日)付
3 W. I9 w; d& [% T
$ T- u8 `5 `: t. d% A+ e 「アンネの日記」のアンネ・フランクの父親が第二次大戦の初期に書いた手紙が米国で見つかった。米への移住ビザの仲介を知人に頼んだ数通で、先ごろ公表された。! I' @# A$ w; Z5 h- Q( }/ L
* |# o: A1 o8 B
 移住の理由を、父は「2人の娘のために」とつづっている。だが結局ビザは得られず、一家はナチスに捕らえられ収容所に送られる。多感な日記をつづった次女アンネは、過酷な日々の果てに15歳で息をひきとった。% F% B2 C& a4 k; {/ w

" e$ z8 ?4 M2 k8 ?1 M- c! }/ J 手紙の公表の際、説明役の歴史学者は「(もしビザが出ていれば)アンネはいま、ボストンに住む77歳の女性であったかもしれない」と語ったそうだ。悲しい名を残さず、人が平凡に生きられる。その重みに思いを寄せた言葉だろう。+ K9 M9 N8 x/ I- ?
6 u5 R$ D9 d$ B9 ^, X4 L2 y
 思い起こすのは、同じ大戦初期にリトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)のことだ。迫害におびえる多くのユダヤ人に、日本を経由して第三国へ抜けられるビザを出した。外務省はドイツとの関係に配慮して発給不可を指示したが、杉原はビザを出し続けた。
$ F# `- N0 M9 b+ |4 ~; P
3 Q" _! ?) `* ]" a9 [6 J3 J/ Q( {+ H) n その「命のビザ」の物語を、東京の劇団銅鑼(どら)は15年にわたり上演してきた。9年前のニューヨーク公演で「スギハラに救われた」という女性が名乗り出た。団員を郊外の自宅に招き、古びたビザを見せて、来し方を語った。0 o" ]1 ]5 X1 O. |
1 H& \, J* r' V; p
 ビザを受けたとき、アンネの享年と同じ15歳だった。姉と2人でシベリア鉄道を経て敦賀に着き、横浜から船で米に逃れたという。戦後に米国人と結婚し、5人の孫のいる静かな暮らしを送っていた。この人とアンネの運命は、入れ替わる可能性もあっただろう。名もない人生を築けることの幸せを思う。
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发表于 2007-2-26 16:57:22 | 显示全部楼层
2007年02月26日(月曜日)付
0 f. T# \% W7 u- i) ^2 k6 s
% p) Q: r# ~* W) P: K コンビニや居酒屋に置いてある無料の求人情報誌は、どのページも「スタッフ」大募集だ。出前といわずにデリバリースタッフ、警備はセキュリティースタッフで、窓ふきはウインドークリーンスタッフと呼ぶ。4 K+ A( v6 A2 J) A; a
1 Q/ k4 [0 ^6 a) _7 j; c
 若ければ、お金はなくても可能性がある。それぞれの夢へと時給千円からの出発だ。でも、不安定な「スタッフ」ばかりを転々とするとなれば話は違う。短期のアルバイトで食いつなぐフリーターは、ワーキングプア(働く貧困層)の象徴となった。
3 b% c  D/ \6 q1 p# G6 N; H- e& C( s
 「はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」。石川啄木がそう詠んだのは明治43年(1910年)夏、24歳だった。前年、東京朝日新聞の校正係に正規採用されており、生活苦は浪費が一因といわれる。
( a. V- J3 D6 r* w" d; c* R3 F4 _3 o0 g' {: I
 「個人的な事情はあったにせよ、時代や社会の貧しさを詠み込んだからこそあれほどの共感を呼んだ。いま、この歌が盛んに引用されるのは時代が悲しくつらいからでしょう」。ニートなどの社会病理に詳しく、啄木研究者でもある明治大学教授、池田功さんの解説だ。
- a8 T& L6 t4 T$ n6 u7 o/ w
2 n! s+ {8 `5 X, u 短歌の腕を見込まれた啄木は、ほどなく朝日歌壇の選者に登用され、この作品を含む最初の歌集『一握(いちあく)の砂』が出版される。ただ、彼の人生の残り時間はあと1年だった。6 T4 z7 _( c, Z4 z2 j
: \% I: r6 ^$ h
 日本の労働者の3割はパートやアルバイト、派遣などの非正社員だ。就職氷河期に定職を逃した25~34歳のフリーターは約100万人いる。国会での格差論議を大急ぎで具体策につなげたい。青壮年が、じっと求人誌を見ながら老いていく国が「美しい」はずもない。
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发表于 2007-2-27 17:48:02 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年02月27日(火曜日)付

 神谷幸右衛門。落語の「大仏餅」は、しゃべり慣れた演目なのに、その名前が出てこない。「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」
- r  j0 u8 g* h, L: L/ s0 b8 D! \, e: b) i0 Z7 |. b
 昭和の名人といわれた八代目桂文楽が高座で絶句したのは1971年で、以後高座にあがることはなかった。精巧で、寸分の狂いもない芸を極めた文楽だが、晩年は、高座で絶句するという恐ろしい日に備えて、あのわび口上のけいこまでしていたという(『日本人の自伝』平凡社)。
" j7 I" U1 e2 E7 j- M  ?6 q
# y# D( H- h/ V" F# g: h8 C" i 三遊亭円楽さんが、高座で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」。一昨年に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて高座に戻ってきたのに、残念なことだ。
5 z6 E. z4 T( q+ `. b0 q+ M8 B# a& S6 m( f& @
 「お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」。一時代を担ってきたという誇りと芸への厳しい思いがにじむ。
2 k0 F- d8 E( ]. O. O6 [" r7 j4 M2 e6 \$ \  W" @, a, ?
 「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさむ事」と、世阿弥の「風姿花伝」にある(『日本思想大系』岩波書店)。多くの人を楽しませ、感動させることが芸能の目的だとすれば、円楽さんもそうした芸のために才を磨いてきたのだろう。
3 m4 Y# s, o# m3 w4 P
1 J- R( H- k" U 世阿弥は、50歳を超えたら「何もしないこと以外には手段もあるまい」とする一方で、52歳になった父観阿弥の舞台が「ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり」とも記した。円楽さん特有の花が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。
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发表于 2007-2-28 19:50:16 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年02月28日(水曜日)付

 アカデミー賞の授賞式は、過去に幾つもの印象的なスピーチを生んできた。それに、もうひとつが加わった。「もう一度封筒を確認してくれるかな」
  V. r) X0 j0 _& z& k2 [% _2 e* N, V& q4 b, Q
 81年以来6回目のノミネートで初の監督賞を受けた、マーティン・スコセッシ監督の念押しのジョークだ。生まれ育ったニューヨークを舞台にした「タクシー・ドライバー」などで名匠とうたわれてきたが、アカデミー賞では無冠だった。
( L. H' F% j8 v& O9 N3 Y
, Z& ^* }4 M  N' J9 P 友人で、授賞式ではプレゼンターとなったスティーブン・スピルバーグ氏が述べている。「僕の映画が囁(ささや)きならば、マーティの映画は叫びだ」(『スコセッシはこうして映画をつくってきた』文芸春秋)。
' {2 a& c& j/ i& Q9 p& @' h' D2 D: H* `+ c5 b- r1 T
 確かに、「タクシー……」などで描かれた暴力の場面はすさまじく、それは「叫び」の世界と呼べるだろう。しかし、見終わって感じるのは、単なる後味の悪さなどではない。主人公たちの振るう暴力の源は、個々人を超えた普遍的な所にあるように見える。暴力は、いわば時代の叫びであり、それは見る側の耳に残ってしまう。そういう意味では、危険な監督でもある。
3 S9 `; t3 S9 E8 p! g8 T0 w4 F3 W, M
 監督は以前、アカデミーはある程度ハリウッドの“黄金時代”の価値観に忠実な組織だが、自分の映画はそれとは正反対のものを描いているようだと述べたという。そして、「私は賞を取るよりはむしろ自分の好きに映画を作るほうを選ぶ」とも語った(『スコセッシ・オン・スコセッシ』フィルムアート社)。* v! g6 j% M( d

% A1 N% v: K% h9 U9 G: w% v# U アカデミー賞での、無冠の時代は終わった。しかし、時代の叫びを描く仕事に、エンドマークは出そうもない。
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发表于 2007-3-1 17:38:06 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月01日(木曜日)付

 幕が開く直前に、群衆の歌声が流れる。「きょうは三月一日、美わしき故国三千里の山河……」。日本が統治する朝鮮で、1919年の3月1日に起こった反日独立運動を題材にした戯曲の一節だ。「敵よ立ち去れ 朝鮮独立万々歳」と続く(金南天「三・一運動」『現代朝鮮文学選』創土社)。) H+ W! B/ f* A% r% Q

9 {  G0 L, A2 N+ E: O- c5 i 当時、朝鮮軍司令官だった宇都宮太郎大将の日記などが見つかった。運動を鎮圧する中で起きた虐殺を隠蔽(いんぺい)し、抵抗したために殺害したことにするといった機密が記されている。一方で、朝鮮人の恨みは自然とも書き、民族運動家や宗教者らと意見交換もしていたという。
* Q8 C4 j, W$ ?. `; N9 ?
0 X; C( p! [8 P+ `) f" P4 l3 L 他国による支配を恨むのが自然なことは、日本と朝鮮の立場が逆だったらと考えれば明らかだ。遠い本国から植民地を眺めるのとは違った、生身の現場に立つ責任者の厳しさや、心の動きのようなものが伝わってくる。
9 g6 ~9 T) Y3 m1 a
3 u4 W6 |( |3 u; m1 [8 m1 f# b この運動の鎮圧のために心身を労したことが、3年後の死の直接の原因となったと、息子の故・宇都宮徳馬氏が書いていた。(『アジアに立つ』講談社)。「父は、朝鮮人に対しては、日本人に対する以上の親愛感をもっていたらしい」  F5 O$ ~1 D! G

+ C) o, K5 F4 k5 K 徳馬氏は、京大在学中に左翼運動に加わり、不敬罪で検束された。戦後は衆参両院の議員を務め、リベラルな硬骨漢として知られた。アジアへの思いは深く、平和と軍縮を強く訴え続けた。
+ G* o0 C# ^5 g. u8 f
! ]# B* \5 [5 v) ? 徳馬氏は、お前の精神の師匠は誰かと問われれば、やはり父の名を第一に挙げるとも述べている。日記には、受け継がれたその精神の源流もつづられているはずだ.
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发表于 2007-3-2 17:49:50 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月02日(金曜日)付

 最近の言葉から。兵庫県赤穂市で、登校する小学生の安全を40年間、ボランティアで見守ってきた藤田哲之さん(75)が、高齢のため立ち番から退いた。藤田さんに感謝する集いで、逆に、感謝のあいさつをした。「40年間、みんなよく注意をして、事故なしで、だれもけがしないでくれた。ありがとうと頭を下げます」6 J  a+ L: X- c9 X% m5 q
- U1 [/ v* v0 S5 K1 u$ Y3 Q
 東京の「井の頭自然文化園」のゾウ・はな子が、今年還暦を迎えた。メッセージが次々に届いた。「ぼくが飼育係になるまで長生きしてね」「小さい頃から楽しませてくれてありがとう」8 v, R- z  b! A- h$ [: u( O

/ l& T4 K7 T, W( b8 C& B  D 映画「不都合な真実」などを通じた気候変動問題の啓発活動で、米科学誌が「06年に最も影響力のあった政策指導者」に選んだアル・ゴア元米副大統領が述べた。「私は地球温暖化と言わず、気候クライシス(危機)と呼ぶ」
4 T* n; b7 B9 r4 g
3 V7 u: k/ }3 h# u+ l; M4 m* Z 03年の鹿児島県議選を巡る選挙違反事件で、鹿児島地裁が被告12人全員を無罪とし、「架空の事件」で起訴が行われたことを示唆した。「人生を壊された悔しさは言葉にならない。警察には家族に土下座して謝ってほしい」と被告のひとり。: j6 ^8 a2 d1 a+ p  r+ ^+ D* F
& }' Y2 L7 d0 g3 Q  T+ e) \
 詩人の谷川俊太郎さんが、高校生に「インスピレーションがわく瞬間はありますか」と問われた。「あります。日本語という豊かな畑に植物みたいに根を下ろして、自分を空っぽにして待ってると、水を吸い上げるようにして、言葉が出てくる」! M0 k6 Y  w" D9 b( H% O

0 P0 P  O: h: }; |6 c3 y  y 「人間は200年も300年も生きられない。だったら、自分の思うまま、自分らしくやろうよ」。前巨人・桑田真澄投手、38歳。大リーグを目指す。
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发表于 2007-3-3 22:12:21 | 显示全部楼层
【天声人語】2007年03月03日(土曜日)付' s7 W0 M, k3 G0 z/ m
3 B" I  M  A$ j& b! J$ |7 h
 山の上に、橙(だいだい)色の春の満月が現れた。「名残り惜し気に山を離れるとやがていさぎよく中天に昇った」。そこから、あの代表句が生まれた。〈紺絣(こんがすり)春月重く出(い)でしかな〉(飯田龍太『俳句・風土・人生』講談社学術文庫)。5 ~* x" C, L9 C
# x6 W3 r1 R5 d
 戦後の俳壇をリードした飯田龍太さんが、86歳で亡くなった。父・蛇笏から俳句誌「雲母」の主宰を引き継ぎ、会員4千人の大結社に育てあげた。しかし92年には通刊900号で終刊を表明し、その潔さを強く印象づけた。
8 S" e  y3 Q& N) r7 [! w/ `! H! J3 Y. v# h: a7 {& |1 C( g
 〈一月の川一月の谷の中〉。今は笛吹市となった山梨県の境川村に住み続けた。平穏な農山村であることを愛し、その味わいを「炊きたての白いご飯」にたとえた。「手軽な菜のものに手作りの味噌汁があればもう最高の美食」(『紺の記憶』角川書店)。
9 ], y2 E. m% I5 w6 d3 j* P" k1 s1 I: W9 U+ j
 東京という巨大な存在については、厳しい視点を持っていた。俳句は、どこに住んでも「地方」なのだと知るところから生まれる詩(うた)だと説く。「東京も、東京に住むひとには、瞭(あきら)かに『地方』と考えたとき、はじめて足下が見えてくる」+ B# a( _, D8 g" Z8 _
/ |  s1 f6 `" \. H
 好きな季節を問われると、いつも早春と答えたという。野山が春めくと「牧場に放たれた仔馬のように、山を駆け、川を飛ぶ。ときに猿のように喬木(たかぎ)の梢に揺られて昇天のおもい」もした。; z: @! T$ c5 N$ Q/ X& }5 |
9 u$ u6 c' k% ?5 k! l9 a% B
 もう現実にはないような情景だが、どの地に育った人であれ、その琴線に触れてくるような不思議な句の底には、この情景が映っていたのではないか。それを抱き続けた魂が、近づく春の足音を聞きながら旅立った。〈春の鳶(とび)寄りわかれては高みつつ〉
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发表于 2007-3-5 19:12:49 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月04日(日曜日)付

 昨年亡くなった作家、吉村昭さんに「休暇」という小編がある。新婚旅行の特別休暇を取るために、死刑執行の補佐役を買って出る刑務官の、心の揺れを描いている。6 t0 z6 p! U1 U; l# W$ J6 U

' z4 x& P: {/ T/ w% w8 i 刑務官は、絞首刑でつり下がった囚人を脇で支える役を引き受け、代償に休暇をもらう。だが執行時の生々しい記憶が旅先にまでついてまわる。国家の命令で人を殺す者の、心身の負担を、吉村さんは冷徹に凝視する。
& j- X" W5 [% i5 D
. w/ s+ L6 {6 u- r% l8 @ 国内でこのところ、死刑判決が急増している。凶悪な事件が多いためか、厳罰を求める空気が社会に濃いといい、「死刑のハードルが低くなった」と感じる裁判官もいる。一方で執行は減る傾向にあり、獄中の死刑囚は100人に達する見通しだ。現場だけでなく、死刑を命じる法相の心の負担も、小さくないことをうかがわせる。
7 e# |6 b" o4 G: Q9 k
+ T- V6 k) k3 u$ A2 C9 }8 V% t 米ニューヨーク州で95年、警察官2人が射殺された事件を機に世論がうねり、死刑制度が復活した。その法律に、州知事は2人が生前に使っていた2本のペンで署名した。美談めいて伝わる逸話は、死刑から報復感情を切り離すことの難しさを物語っている。
& m" ?9 e! ?) {0 M3 b0 D
$ l6 U9 F& P) m# B フランスの文豪ユゴーは、「死刑台は様々な革命で転覆されていない唯一の建物だ」と述べた。その仏で先ごろ、死刑を禁じる条項が憲法に加えられた。「罰することと復讐(ふくしゅう)は違うのです」。ドビルパン首相が議会で語ると、大きな拍手がわいたそうだ。
4 ^" @; H- P( I, X1 h& ?* I, u* p5 m( z: r' Q  G3 u: D
 被害者の無念、遺族の悲しみ、世間の怒り、さらに社会正義……。それらの先兵として、人に、人を殺せと求める。それだけでも、死刑はむごい刑に思われてならない。
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发表于 2007-3-5 19:13:27 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月05日(月曜日)付

 「青いキリンを見せてくれたら大金を出す」と大富豪が持ちかける。イギリス人は議論を重ね、ドイツ人は図書館へ、アメリカ人は軍を世界に送る。日本人は品種改良に明け暮れ、中国人は青いペンキを買いに走った(早坂隆『世界の日本人ジョーク集』中公新書ラクレ)。/ b5 d1 L. X/ _6 A; L; m5 }
- h. e5 y& v9 }6 h9 g! K& j
 そのまんまの話が中国から届いた。雲南省のある県が、森林保護区のはげ山をペンキで「緑化」したというのだ。採石場跡の岩肌を7人が45日で染め上げた。写真を見ると、樹木とは似ても似つかぬ毒々しい色だ。住民は「植林のほうが安かった」と県当局の奇策にあきれている。
8 j: P. g) z9 i
9 q5 A0 l4 E4 u2 D6 I* K 中国では、国際オリンピック委員会が五輪候補地の視察に訪れた01年冬にも、北京市内の枯れ草がたちまち緑になった。「差不多(チャープトゥオ)」。大した違いはないのだから気にしなさんな、という日常語である。/ z$ L- b" L7 I, S

) c9 C) ?7 E1 L- W, y+ C( j 細部にとらわれない大局観は何ごとにも必要だ。おおらかな大陸流も悪くない。だが、内外に影響が大きい自然環境や食品安全をこの感覚で扱われてはたまらない。7 g* Z# s( K+ l% _; E) o3 z

8 c' J/ q% [( I: X$ _  H' o 見かけの力は侮れない。だからつい、困った時のペンキ頼みとなる。ペンキは素材の腐食を防ぎつつ、外に向けては見る者の心に作用する。部屋を塗り替えれば気分が変わるし、銭湯の富士山は浮世の憂さを晴らしてくれる。
9 H/ C, M& A" Z3 J# M$ p% B  O6 b% X9 {" t) B' \" g
 造花、人工芝からカニ風味かまぼこまで、代用品への執念は暮らしを豊かにしてきた。そっくり技術の極意は、本物にとことん迫りながらも本物とは一線を画する点にある。ここをわきまえないと、笑い物だ。青いのはペンキであって、キリンではない。
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发表于 2007-3-6 17:25:14 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月06日(火曜日)付

 あの少年使節たちは、このスペインの古都にも来ていたのか。トレドの丘でそんな感慨を覚えたのは20年ほど前だった。16世紀の終わりごろ、九州のキリシタン大名が遣わした天正遣欧使節の4人のひとりが、ここで病に倒れ、手当てを受けたと聞いた。" Y+ W& M; U. t  x( b

  F% u7 n# \4 c, o1 T' o4 Y トレドの後、4人はローマで法王に謁見(えっけん)し、出国から約8年後に帰国する。激動の時代で、17世紀に入ると徳川幕府の鎖国令があり、キリシタンへの弾圧が強まった。
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% e* T# X& T0 ?  R) N$ f6 _1 A 使節のひとりで、帰国後に司祭として布教していた中浦ジュリアンも捕まり、長崎に送られた。掘った穴の上に逆さづりにし、信仰を捨てて「転ぶ」合図をすれば助命するという拷問に耐え、ついに息絶える。
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 中浦を含む、この時代に殉教した日本人188人をローマ法王庁が「福者」とするという。従来、福者は男性の指導的な信徒が主だった。今回は一般信徒がほとんどで、女性や子どもにも多く光が当てられる。4 x# D" E. H1 L! t
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 『クアトロ・ラガッツィ——天正少年使節と世界帝国』(集英社)を著して大佛次郎賞を受けた若桑みどりさんは、その中で、4人の悲劇は日本人の悲劇だったと書く。「日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである」。そして「ジュリアンを閉じ込めた死の穴は、信条の自由の棺(ひつぎ)であった」とも記す。
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0 o. @% E" K, A4 c' W* h 約400年たったが、信条の自由が世界中に行き渡ったとは、まだ言えない。自由の貴さ、そして人間のむごさと強さを改めて考えさせられる。
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发表于 2007-3-8 00:25:43 | 显示全部楼层

【天声人語】2007年03月07日(水曜日)付

 強い春風の中、久しぶりに東京都心の愛宕山に登った。山とは言っても海抜26メートルというから、10階建てのビルくらいか。それでも江戸時代には、町並みや海を見渡す絶好の眺望の地として知られ、浮世絵に描かれた。5 V; j+ |3 ^/ `; ?
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 明治期にも、地理学者の志賀重昂が『日本風景論』に眺めの良さを記した。「東京愛宕山に登りて四望す、なほかつ広遠の気象胸中より勃発(ぼつぱつ)するを覚ゆ」(岩波文庫)。今は白梅の咲く、その頂からの眺めは変わった。( C2 Z. ^1 ?! Z
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 周りには数十階建てのビルが林立し、視界はさえぎられている。かなり以前からそうなってはいたが、これからの東京の姿を左右する都知事選を前に、そこで転変を顧みたいと思った。
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 「大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいいところではない」と芥川龍之介が書いたのは大正期だった。東京の変化は激しく「殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいもののみである」(『芥川龍之介全集』岩波書店)。
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 変容は更に続いた。車のために道を広げ、建物の軒を思うさま天に伸ばしてきた。国の人口減や、右肩上がりの時代の終焉(しゅうえん)も指摘される中、多くの街とつながる首都の未来を各陣営はどう描くのか。
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" H' E: Y# k& S$ h  D 東京のかなり上空を飛んだ時、さしもの高層ビルも地面にへばりついているように見えた。富士山を背にした東京は浮世絵の時代に戻ったかのようで、この街を支え続けてきた大地や川、海、空の大きさを感じた。そうした自然と、どう手を携えるのか。知事選を、広い視野で東京を眺め、未来を選ぶ機会にしたい。
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发表于 2007-3-8 17:18:03 | 显示全部楼层
【天声人語】2007年03月08日(木曜日)付' ~6 O* }) h. g( p
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 アメリカの山あいの町から3人の青年がベトナム戦争に送り出される。捕虜になり、辛くも脱走するが、心と体に負った傷は深かった。帰還兵らを主人公にしたマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」は、人格を変える戦場の狂気を描いた秀作だ。
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 イラクの戦場に身を置き、傷を負って帰国した米兵の扱いの問題が浮上した。帰還兵らは米陸軍病院について「2年間、治療方針が示されなかった」「壁一面にカビの生えた外来用病室に住まわされた」などと訴えている。5 ~! a2 _+ s; e+ I
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 訴えの底には、戦場でどんな思いと体験をしたか分かってほしいという悲痛な願いが感じられる。イラクの市民の側の犠牲も含め、戦場の本当の悲惨は現場に居なければ分からないのかも知れない。
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 米国の作家ヘミングウェイは、第一次世界大戦の戦場での砲撃で重傷を負い、後に「武器よさらば」を書いた。こんな一節がある。「戦争以上に悪いものは存在しません」「敗戦はもっと悪いぜ」……「敗戦がなんですか? 家へ帰れます」(谷口陸男訳・岩波文庫)。
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 日本の政府・与党が、イラク復興支援特別措置法の期限を延長する方針だという。派遣を延長される側の身にもなって、よく考えているのだろうか。肌身で戦争を知らない大統領が始めた戦争を、戦場を知らない首相と、戦争を知らない世代の次の首相が手放しのようにして支持し、支援する。危ういことだ。
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 現在は、刻々と過去になり、歴史となる。大統領とふたりの首相には、書き直せない歴史を今つくっているという厳粛さに乏しい印象を受ける。
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