2007年04月19日(木曜日)付. Z4 | V7 n6 o2 \* a7 d8 v
0 l# T" K' w0 n きのうに続いて、銃のことを書きたい。米国で銃問題を取材したとき、銃器店で、銃口を我が身に向けてくれ、と頼んだことがある。どんな気がするのか試したかったからだ。$ i( Z% ?# y7 A& |' d6 P; o
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弾を込めた、冷ややかな銃口が胸の前で止まると、息が詰まった。撃たれないと分かっているのに、怖気(おぞけ)が体を突き抜ける。わずか10秒ほどだったが、人を萎縮(いしゅく)させる「暴力」のおぞましさを、垣間見る思いがした。
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, j3 R8 a9 q# K, @- g6 [ その暴力に、民主主義は何度も苦い汁を飲まされてきた。「投票(バロット)は弾丸(ブレット)より強い」と言ったのは、米の16代大統領リンカーンである。民主主義の象徴のように語り継がれる彼もまた、南北戦争のあと凶弾に倒れている。米の政治は弾丸との戦いでもあった。
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7 e) h/ o2 Y* Q+ Q/ X 弾丸が投票を脅かす事件が、日本で起きた。長崎市の伊藤一長市長が、選挙戦のさなかに銃で撃たれ、命を落とした。動機が何であれ、選挙の候補者を狙った凶行は、民主主義への卑劣な挑戦にほかならない。- ]) o% h% t, o, q7 Q
" n. \, q. u; m5 \5 J* @) H 伊藤氏は被爆地の市長として、核廃絶に奔走してきた。95年には外務省の圧力をはねのけ、国際司法裁判所で「核の使用は国際法違反」と証言した。銃という、やはり人間の作った武器で命を奪われたのは、無念だったに違いない。% B7 p2 H9 {' q! e8 r$ [: w
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「次の世代のために毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義」。米の作家ノーマン・メイラー氏は昨年、朝日新聞に語った。その民主主義と、暴力で人をねじ伏せるテロとは、何があっても相容(あいい)れないことを、あらためて、つよく確認したい。 |