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发表于 2007-7-2 09:39:28
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2007年06月30日(土曜日)付
亡くなった宮沢喜一さんが、日米学生会議の一員として初めて渡米したのは昭和14年だった。日中戦争のさなか、日米の空気は険悪の一途である。往路の船中、日本の立場を弁護しようと、仲間と盛んに意思統一をはかった。2 y- k0 [: }1 }8 q x0 N
1 v g1 z2 M5 V( [; `# r6 c' A 会議に臨むと、向こうの学生は思い思いに意見を述べた。日本を悪く言う者もいるが、自国を批判する者も随分いる。「言論の自由というのはこれか」。知米派で聞こえた元首相の、原風景になった。
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0 W/ ], p' V( o" g) l そうした体験をへて身についた「冷静な合理主義」が、政治家としての持ち味になり、弱みにもなる。期待株と目されながら、初入閣から首相就任までに29年かかった。田中角栄氏ら親分肌のボスに疎まれたためである。「泥田をはいずり回れない」といった陰口もついてまわった。
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首相時代、指導力に疑問符がついたこともある。だがハト派の象徴としての存在感は、最後まで揺るがなかった。自衛隊のイラク派遣に反対し、憲法9条の改正には慎重であり続けた。
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〈どの論理も〈戦後〉を生きて肉厚き故しずかなる党をあなどる 岡井隆〉。ふと胸をよぎるのは、この歌だ。宮沢さんのような「しずかなる民主主義者」をあなどる、粗っぽい空気が、いまの政界を覆ってはいないだろうか。' W$ T' z, `1 ]/ d& y
2 u: F0 {% S( ? 「総理大臣が刀を抜いて、『進め、進め!』なんていうのは戦国ドラマの見過ぎ」と、宮沢さんは言っていた。民主主義は、ときに遅々としてじれったいものだ。初入閣から1年で首相の座に就いた現職には、その辺の理解がないのかもしれない。 |
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