[B]ノーベル賞-特集[/B]
過去に10人の受賞者 ノーベル賞、物理では江崎博士以来
日本人では1949年に湯川秀樹氏が初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞して以来、昨年までに計10人が受賞している。物理学賞と化学賞がそれぞれ3人ずつで最も多い。特に、化学賞は白川秀樹・筑波大名誉教授(00年)、野依良治・名古屋大大学院教授(01年)とここ2年連続受賞している。文学賞も川端康成氏(68年)大江健三郎氏(94年)の2人が受賞している。[/COLOR]
過去の日本人のノーベル賞受賞者は以下の通り=敬称略。
◇湯川秀樹(故人、物理学賞、49年)
原子核の陽子や中性子などをひとつに固めている「π(ぱい)中間子」の存在を推定。敗戦に国民がうちひしがれていた時期に、初のノーベル賞受賞と明るい話題になった。
◇朝永振一郎(故人、物理学賞、65年)
43年の論文「素粒子の邉臃匠淌剑鄷r間理論」が、量子論と相対性理論を融合したものと評価され、続く「くりこみ理論」で素粒子論の有効性を立証、現代物理学の基礎を開いた。湯川博士らと世界平和への提言活動も活発だった。
◇川端康成(故人、文学賞、68年)
「雪国」「千羽鶴」「古都」など、外国に翻訳・紹介された作品も数多く、その叙情性豊かな作風は東洋のエキゾチシズムと相まって高く評価された。国際ペンクラブ副会長としても活躍した。
◇江崎玲於奈(物理学賞、73年)
ソニーの研究員だった時、エサキ・ダイオードを発明。固体におけるトンネル効果を明らかにし、半導体、スーパーコンダクター(超電導体)研究で業績をあげた。エサキ・ダイオードはエレクトロニクス界の革命と言われた。
◇佐藤栄作(故人、平和賞、74年)
首相在任中、核不拡散条約に調印するなど、太平洋地域の安定、さらには世界全体の平和に貢献。戦争放棄の日本国憲法を基に平和維持のための努力を重ね、非核三原則を進めたとされた。
◇福井謙一(故人、化学賞、81年)
物質の構成単位である分子の中の「フロンティア電子」が化学反応に最も寄与するとの理論を打ち出し、有機化学の反応論に初めて量子力学の考えを導入。初の化学賞受賞は、学界に大きな励みを与えた。
◇利根川進(医学・生理学賞、87年)
病原体から体を守る免疫現象の分子生物学的研究に取り組み、免疫反応の主役である免疫グロブリン(抗体たんぱく質)をつくる遺伝子の働きの仕組みを世界で初めて解明した。米国マサチューセッツ工科大学教授を務め、日本からの頭脳流出と話題を呼んだ。
◇大江健三郎(文学賞、94年)
「現代の人間の置かれた苦悩を、揺れ動く一枚の絵として描き出した」と評価された。「万延元年のフットボール」(英訳題は「沈黙の叫び」)が代表作。反核邉婴摔夥e極的に取り組み、95年9月フランスが実施した核実験に抗議した。
◇白川英樹(化学賞、00年)
筑波大名誉教授。絶縁体と考えられていたプラスチックに、電気を流す導電性をもたせることに成功。発光ダイオードや太陽光発電素子、携帯電話のディスプレーなど、現代生活を支える電子機器の開発に貢献した。触媒の量を間違って1000倍も多く入れるという実験の失敗が、その後の大発見につながった。
◇野依良治(化学賞、01年)
名古屋大大学院教授。物質を化学的に合成する際、自然には存在しない、似た型の物質が同時にできてしまうのが難点だったが、触媒を工夫することで、欲しい型だけを選んで作り出せる「不斉合成」法を開発。香料のメントールやアミノ酸の大量生産を実現し、医薬・食品開発などに貢献した。
十二人(2001年も2002年も含めれば)にすぎない、が、これは一億三千万人に比べ、すごいね。まあ、もし日本人は十三億人にまれば、想像できないの。みんなはどう思うの。 お待ちしております。[/COLOR]
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