孔子(こうし)は春秋時代の中国の思想家で、儒教の創始者。姓は孔、名は丘、字は仲尼。孔子とは尊称で、単に孔丘とも言う。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"の名で知られている。
紀元前551年に宋の王族に連なる家の子として、魯で生まれた(卑賎階級の巫女の子として生まれたとの異説あり)。幼くして両親を失い、孤児として育ちながらも、苦学して学問を修めた。50歳のとき魯の大臣に取り立てられたが、理想を果たせず、失望して諸国巡遊の旅に出た。しかし、孔子の理想を受け入れる国は無く、69歳のとき魯に帰国した。その後、弟子の育成に専念し、紀元前479年に亡くなった。
孔子はそれまでのシャーマニズム的な原始儒教を体系化し、一つの道徳・宗教に昇華させた。その根本義は「仁」であり、仁が様々な場面において貫徹されることにより、道徳が保たれると説いた。しかしその根底には、中国伝統の祖先崇拝があることを見逃してはならない。そのため儒教は仁という人道的な側面と、礼という家父長体制を軸とする身分制度の双方を持つにいたった。
孔子は自らの思想を国政の場で実践することを望んだが、失脚後はその機会に恵まれなかった。孟子などの優れた後継者により、支持者を広げ、漢の武帝に至って国教の座を獲得した。現在もなお、中国人を支配する宗教である。
孔子の子孫で著名な人物に、子思、孔安国などがいる。孔子の子孫と称する者は数多く、直系でなければ現在400万人を超すという。漢代以降、孔子の直系の子孫は国から手厚く遇され、宋代1055年、第四十六代孔宗願からは衍聖公という地位が与えられた。山東省曲阜市には孔子廟、孔子林、そして孔子府(旧称・衍聖公府)がある。孔宗願から、第七十七代孔徳成に至るまで直系の子孫は孔子府に住んでいた。
|