「安土桃山時代」 織田信長・豊臣秀吉が政権を掌握していた時代。すなわち、信長の入京(1568年)から秀吉の死(1598年)まで、または関ヶ原の戦いの1600年までの約30年間。信長の居城安土城と秀吉の居城伏見城(桃山城とも)にちなむ名称。全国的な軍事統合が進むとともに、兵農分離、石高制が確立して、日本社会の中世から近世への移行が推進された。文化的には社寺や城郭建築、障壁画に多くの傑作を生み、茶の湯が大成された。織豊(しよくほう)時代。
おだ-のぶなが 「織田信長」
(1534-1582) 戦国時代の武将。信秀の三男、幼名吉法師。1560年、今川義元を桶狭間(おけはざま)に破って勢威をつけ、以後諸群雄を攻め従え、73年将軍足利義昭を追放し室町幕府を滅亡させた。安土城を築いて全国統一に仱瓿訾埂K律绀胜芍惺赖臉赝蚱茐菠工胍环健①Q易の奨励、楽市・楽座の設置など革新的諸事業を断行したが、雄図半ばで明智光秀の急襲を受け、本能寺で自刃。自ら「第六天魔王」と称えた男。
いまがわ-よしもと いまがは― 「今川義元」
(1519-1560) 戦国時代の大名。駿河・遠江(とおとうみ)・三河を治め、京都進出を证盲郡⑼跋灵g(おけはざま)の戦いで織田信長の奇襲を受け、敗死した。
おけはざまのたたかい をけはざま―たたかひ 「桶狭間の戦い」
1560年5月、尾張桶狭間(愛知県豊明市栄町)で織田信長が上洛途上の今川義元を奇襲して敗死させた戦い。信長の全国制覇の端緒となる。田楽狭間(でんがくはざま)の戦い。桶狭間は時の狭間とも言う。
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