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发表于 2006-8-1 21:18:11
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先週末、長崎市に行って、国際平和シンポジウム「核なき明日へ 61年目のナガサキから」を傍聴した。第1部では、少女時代に長崎で被爆した作家・林京子さんが、今の長崎の高校生と被爆を伝えることを語り合った。
上周末,我去长崎市出席了国际和平座谈会,旁听“从遭受原子弹爆炸第61年的长崎 迈向无核的明天 ”座谈。第一部分,作家林京子(少女时期曾在长崎遭遇原子弹爆炸)讲述了她向现在的长崎县高中生宣传原子弹爆炸的一些事情。
林さんは99年、米国が世界初の原爆実験をしたニューメキシコ州を訪ね、爆心地に立った。「大地の底から、赤い山肌をさらした遠い山脈から、褐色の荒野から、ひたひたと無音の波が寄せてきて、私は身を縮めた。どんなにか熱かっただろう——」(『長い時間をかけた人間の経験』講談社文芸文庫)。
1999年,林女士访问了美国实施人类历史上第一次原子弹爆炸试验的地方--新墨西哥州,并到了爆炸中心点。“从大地的深处 从裸露着红色山体的远山 从褐色的旷野 那无声的波浪悄悄逼近 我缩紧了身子。 该有多热啊--”(《人类最长久的悲惨体验》讲谈社文艺文库)。
地上初の被爆者は、沈黙を強いられた無防備な「荒野のものたち」だった。動員されて働いていた長崎の兵器工場で被爆したあの日には流れなかった涙が、あふれてきたという。
人类历史上最初的原子弹爆炸受害者,是那些被迫保持沉默的毫无防备的“旷野中的人们”。那时,林京子他们被动员去长崎的兵工厂工作,并在那里遭受了原子弹爆炸。林京子热泪盈眶,说,那是爆炸那天没能流出的眼泪。
第2部では、この核時代の日本の針路を考えるパネル討論があった。その密な論議は、3日に掲載予定の紙面でお読みいただくとして、第3部に登場した秋吉敏子=ルー・タバキンカルテットのジャズ演奏のことを記しておきたい。
第二部分是思考日本在这个核时代应采取方针的展板讨论。8月3日本报将刊登讨论内容,这里我先说一下在第三部分出场的秋吉敏子=Lew Tavackin Quartet)的爵士乐演奏。
この日のために秋吉さんが作曲した「NAGASAKI」が、優しく、軽快なリズムで奏でられた。平和を取り戻す喜びと、そのかけがえのなさとをうたっているようだ。
秋吉女士为本次座谈会特别制作了「NAGASAKI」,曲子优雅、轻快。仿佛在倾诉重新获得和平的喜悦以及和平的弥足珍贵。
アンコールは、秋吉さん作の「ヒロシマ」の中の「ホープ」だった。人類初の被爆地への思いは深く、タバキンさんのサックスは、うなり、吠(ほ)え、泣いた。ナガサキの地にヒロシマが流れてゆく。それは、二つの都市が一つになって世界に発する平和への「希望」のように響いた。
返场曲是秋吉女士所作《广岛》中的一节《希望》。表达了人们对那个遭受人类历史上首次原子弹爆炸之地的深切情感,塔巴金先生的萨克斯在呻吟、在怒吼、在哭泣。乐曲《广岛》在长崎的土地上流淌,仿佛是二个城市合为一体在向世界发出希望和平的呼唤。
[ 本帖最后由 t_hikari 于 2006-8-1 13:23 编辑 ] |
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